転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



(写真は、歌舞伎座地下の木挽町広場タリーズの、隈取アート。)

18日の夜の部と、19日昼の部・夜の部、を観てきた。
16日から3日間、吉右衛門が休演したため、
18日の夜の『寺子屋』は、松緑が代役で松王丸を務めていた。

松王丸は本当に芝居が巧くなくては務まらない役だと思う。
私程度にしか素養のない者は、松王のように動きの少ない役柄は、
重々しく演じられればそれだけ冗長に感じられ、
ついには眠気を誘われるのが常だ(殴)。
表面上、激しい葛藤をそのまま芝居として見せてくれるのは
武部源蔵のほうなので、若い頃の私にはどうしても、
こちらのほうが主役にさえ、見えていたものだった。

しかし今回、松緑の演じ方を観て私は、
この芝居で最も激しい役は松王丸なのだと、
遅まきながら、心から納得することができた。
静かな台詞と僅かな表情の変化しか表には現れないが、
松王丸の内心は荒れ狂い、身を引き裂かれるほどの、
激しい感情のせめぎ合いのまっただ中にいる。
私は初めて、我知らず、松王丸の「心」に自分の気持ちを添わせて観ていた。
とりわけ、我が子の最期の様子を源蔵から聞かされて泣き笑いになり、
その見事な死に様にひきかえ、菅丞相に恩返しもできずに自害した弟・桜丸が
あまりに不憫だとむせび泣く場面に至り、
私は松王の嘆きに強く打たれ、本当に初めて『寺子屋』で落涙した。
我が子の最期は褒めねばならぬ、決しては嘆いてはならぬ、
それゆえにこそ、桜丸の憐れさを言葉にしつつ我が子を思い、涙を流すのだ。

急な代役、しかも音羽屋の型でなく、吉右衛門の演じ方を踏襲した松緑、
かつ、音羽屋の銀鼠でなく播磨屋の黒の衣装で務めた松緑、
と、実に貴重な舞台での名演に遭遇することができ、私は大変幸運であった。
ひとつ気がついたのは、松緑は首実検の場で
「でかした、源蔵、よく討った」の『でかした』を言わなかったことだ。
どういうふうに言うかと注目していたのに、無かったので「!???」と
思ったのだが、Twitterで調べたら、松緑は以前から言っていなかったそうだ。
ここには松緑の独自の考え方があるらしいとわかった。

一方、翌日はめでたく吉右衛門の復帰がかなったので、
本来の配役による『寺子屋』も、私は満喫することができた。
やはり吉右衛門の務める松王丸は、時代物の英雄としての大きさがあり
圧倒的な存在感であった。
武部源蔵が幸四郎だったので、松王丸の重量級の存在感とも
絶妙に似合い、互いにこういう位取りになるほうが本筋だ、
とも、はっきりと感じられた。
動きの無い役での大きさ、主役然とした在り方は、さすが大播磨。
菅秀才を丑之助が務めていたので、爺孫共演となったことも微笑ましかった。
その丑之助だが、一応、子役の台詞回しには従っているものの、
声を張り上げた典型的な子役の発声とはやや異なる自己主張があり、
早くも台詞を自分なりに言いたい気持ちが強いらしいと思われ、
なかなかに頼もしく感じた。
また、菅秀才の母・園生の前の役で福助が登場し、
右半身はやや不自由ながら、優雅な立ち居振る舞いで、
ここまで見事に回復できたかと感銘を受けた。
左半身の演技は確かに本来の福助のものだった。
この日は、千代役の菊之助が、松王丸の見栄の直前に、
涙を拭くようにと、あまりにも自然にそっと懐紙を手渡していて、
吉右衛門との呼吸にも感じ入った。

  

夜の部は他に『勧進帳』が、奇数日・偶数日で役代わりになっていて、
奇数日が仁左衛門の弁慶と幸四郎の富樫、
偶数日が幸四郎の弁慶と錦之助の富樫、という組み合わせだった。
仁左衛門の弁慶は、もう、どの瞬間を切り取っても「美しい!」の極みで、
観ているこちらは、「!」「!!」の連続だった。
これほど磨き抜かれた弁慶はほかにあり得ないと痛感した。
仁左衛門の年齢を考えると、ほぼ最後の機会に近いと思われる今回の上演に
私は間に合うことができたと、心から嬉しく思った。
幸四郎も、襲名で大きくなったことがひときわ強く感じられた。
以前は、喉を絞るような発声がいささか気になったこともあったが、
今回は役柄に応じた声の使い分けが巧みになり、
巧くなったなぁと感心した(←何様!!)。
襲名が役者を育てるというのは、やはり本当だった。
延年の舞のあとに滝流しが入り、引っ込みは飛び六方、
という恐ろしく体力勝負な構成の今回の弁慶を、
最後まで勢いを持って演じられるのは、幸四郎の若さならではだった。
一方、錦之助の富樫もこれまた美しかった。
まさに錦絵のような古式ゆかしい華やかさの漂う富樫。
孝太郎の義経がまた、登場時に花道七三で見せた気品と、
その後の台詞の丁寧さが絶品だった。

『松浦の太鼓』は緊迫した瞬間を扱っていながら、楽しいお芝居。
今年の秀山祭は三世歌六の百回忌追善でもあり、
当代歌六が松浦侯を務めた。
最初、必要以上に名君に見えて、どういう演じ方で行くのかと
こちらが迷った(汗)が、徐々に愉快なお殿様になって、
最後に「合点の行かぬそのお姿」になるところでは
気持ちよく笑わせて貰った。
大高源吾(又五郎)らの赤穂浪士吉良邸討ち入りから、
いずれ切腹、となることが明らかな時期が描かれているのに、
この芝居では登場人物が皆明るく、満足感、ひいては幸福感さえ
舞台の端々に感じられる。
それらの間に、粋な俳諧のやりとりが垣間見え、
不思議なバランスの上に成り立っている世界を、味わわせて貰った。

百回忌ともなると、この公演を観に来た観客の誰一人、
生前の三世歌六の舞台を知らないということになるが、
歌六の名前は今日もこうして立派に受け継がれ、
歌六がかつて演じた芝居も、歌六が残した芸も継承され、
死後100年を経た今も、現代の観客の前でかたちを変えて再現されているのだと
大変に感慨深く思った。
伝統芸能、とりわけ世襲の芸の面白さを、また、感じた。



昼の部『幡随長兵衛』『お祭り』『沼津』については、のちほど。

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