転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



12月にスタニスラフ・ブーニンが山口県岩国市で演奏するという。
シンフォニア岩国公演情報
(他にも全国各地で公演が予定されている

広島からだと一時間かからずに行けるし、
日曜日の昼間の公演だし、出来れば行きたいと思っている。

ブーニンというと私にとってやはり忘れられないのは、
85年のショパン・コンクールを放映した同年のNHKの特番と、
その翌年の初来日での大騒動である。

私は85年の秋、東京の狭い下宿で、偶然、
NHK特集『若き挑戦者たちの二十日間』を観ていて、
その年の第11回ショパンコンクールの覇者ブーニンの演奏に
あまりにも目覚ましいものを感じて釘付けになった。
その年の暮れに放映されたNHK芸術劇場も勿論観た。
今、思い返しても、あの頃のブーニンには『何かあった』と思う。
あのコンクール前後のブーニンは神懸かり的に強烈だった。

その翌年の春、初来日が発表され、チケットが売り出されたとき
私は萌えに萌えて電話にかじりついて頑張ったのだが、
クラシック音楽とは思えない大規模なツアーだったにも関わらず、
私はただの一枚も取ることができず、涙をのんだ。
7月分の東京労音が招聘した演奏会のほうに、
聴きたいプログラムが多かったので、
『当日券は出ませんか!?』と詰め寄ったが、
労音はハッキリと『無い』と断言した。あれは忘れない。
『本当に一枚も出ないんですか!?』と重ねて訊いたのだが、
『申し訳ございませんが』と言われたのみだった。

にも関わらず!
ああ、これは今思い返しても本当に許せない。
あとで実際に行った人から聞かされた話なのだが、
初日のNHKホールには『当日券あります』と貼り紙がしてあって、
そればかりか、あちこちに空席があったというのだ!!
一体どういうことだったのか。
出ない出ないと断ったのは何だったのだ!
・・・いぢわるな宝塚ファンがそんな光景を見たら、
ブーニン、がらがら!って言うところだぞ(--#)。

そののち私は、追加公演で発売になった、
8月分招聘のジャパン・アーツ主催の人見記念講堂の券を
奇跡的に電話で取ることに成功し、初来日公演は結局聴けた
(ちなみにジャパン・アーツは当日売りが無いことが多かった。
前売りで本当に売り尽くしていたらしかった)。

そう。確かに、聴けたのだ。
私は、待ち望んだブーニンの生のリサイタルを、ついに、聴いた。

が。
期待が大きすぎたのか、ほかの理由なのか、わからないが、
あれほど願った実演に接してからは、私は落ち着いてしまった。
私のブーニン熱は、86年8月の人見記念講堂の追加公演をもって
皮肉なことに、はっきりと沈静したと思う。

しかし私はシツコい人間だ。
ブーニンに関してはそれからもフォローしたのだ。
二度目の来日も勿論聴いたし、その後も何年も聞き続けた。
広島でも、東京でも、大阪でも、八ヶ岳でも聴いたし、
育児中でさえ松江公演だけは逃さなかった。

ブーニンの音楽が内省的になり、同時に精緻なものとなり、
それが恐らく、世間で言う「円熟」なのだろうということは、
私なりに感じてきたつもりだ。
私は決して、ブーニンが嫌いではない。
今も、充分に魅力的なピアニストだということは知っている。

だが、私にとって、今も昔も、コンクール時のブーニンが、
最も鮮烈で美しいものだった。これが残念なのだ。
友人が、モスクワ放送の録音だと言って聴かせてくれた、
ショパンのエチュード全曲は、目を見張るような出来だったが、
これもショパンコンクール直前か直後の時期のものだった。
私は出来ることなら、もう一度、ブーニンの虜になりたい。
あのような出会い方をしたために、私はもう、
容易なことでは満足できなくなってしまった。
勿論、若いときと同じ方向の演奏ではあり得ないとわかっている。
今のブーニンだから出来る音楽を聴きたいと思うのだ。

コンクール特番で私が釘付けにされたのは、決して、
彼の並はずれたテクニックによってだけではなかったはずだ。
ブーニンには何かがあった。
かたちは変わっても、あれに、どこかでもう一度、出会いたい。

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