転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



この秋から通い始めた漢詩鑑賞の会で、きょうは忘年会があった。
小規模な会なので、あまり詳しく書くわけにいかないのだが、
ここの会員さんは80代の方々も少なくない、
と、今回の宴席で喋っていて発見し、私は驚愕した。
60~70代の方々が中心だろうと思っていたのだが、甘かった。

何人もの方が、昭和ヒトケタ前半生まれで、
子供の頃は世界恐慌の真っ最中、
五・一五事件だって二・二六事件だってリアルタイム、
満州事変はともかく日中戦争からはバリバリ実体験。
旧制中学や女学校の頃は学徒動員や疎開で授業にならず、
空襲で幾度も死ぬ思いをしたそうだ。
南京陥落を祝っての提灯行列をしたという、
うちの母なんかとは、ひどく話が合いそうだった。

この年代の方々が、戦中戦後を生き延び、現在80歳を超えて、
曾孫も何人かある境遇になり、ご自身のお仕事も自営なら現役で、
同時に、こうして趣味の漢詩の会に来られたりしているわけで、
一回の人生が、これほどに、世の中の変革とともにあったなんて、
昭和初期世代って凄いかも、と私はひたすら感心してしまった。

それに加えて、生物学的な成長曲線は一定のものがあるにせよ、
老化のスピードは完全に個人差なのだ、ということを、思い知った。
きょう来られていた方々は、実年齢は確かに80歳を超えておられたが、
全くご老人でもご隠居さんでもなく、
ごく普通に「社会人」である、という以外のなにものでもなかった。
とにかく話の反応が速くて柔軟なことに私は畏れ入った。
中年以降、トシを取ってないとしか思えなかった。

アンチ・エイジング、ここに極まれり(O_O)。


追記:今日もうひとつ驚いたことは、年齢層の高い宴会なのに、
喫煙者が皆無だったことだ。半数は男性だったにも関わらず!
煙モウモウを覚悟して行った私にとって、あまりに嬉しい誤算だった。

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