転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



原爆で焼かれた広島にとって、カープは復興のシンボルだった、
と上の世代の広島の人達は言っている。
昭和25年に、カープは親会社を持たない市民球団として発足した。
当座は球団経営が苦しく、資金不足で球団消滅の危機に瀕したこともあったが、
ファンが「たる募金」でお金を出し合い、地元企業が協力して支えてきた。
その後に生まれた私たち被爆二世には、昭和50年、
球団設立25年目の「初優勝」がカープの新たな原点となった。

72回目の「原爆の日」の今日も、カープは横浜で試合をした。
皆が野球を観て熱くなれることも幸せなら、
エルドレッドやジャクソン、ヘーゲンズらアメリカから来た選手たちを
広島の人達が心から支持し応援していることもまた、
平和そのものだと私は思った。


8月6日の夜には毎年、広島市内の爆心地近くを流れる元安川に、
慰霊の思いを込めた色とりどりの灯籠が多数、流される。
カープの選手たちも、ピースナイターの際に
灯籠にメッセージを書き入れることが、近年は恒例となっている。
今年は、大瀬良大地と鈴木誠也が、チームを代表してそれぞれの言葉を記した。

 大瀬良大地「平和の思いをボールにこめて」
 鈴木誠也「未来へ届け平和のアーチ」

この二つの灯籠は、今夜、ほかの8000個の灯籠と一緒に、元安川に放たれた。
大瀬良も鈴木も、もともとは広島の人ではなかった。
若い彼らが広島に縁を得たことで、8月6日に心を寄せてくれることになり、
私は嬉しく思っている。


なお、昨日、松山竜平と安部友裕がそれぞれ、一打席を終えただけで早々に降り、
横浜スタジアムをあとにしたのは、本日朝の広島平和記念式典に出席するため、

……………………などでは、ありませんでしたからね勿論(^_^;。

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