転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



天井材が劣化し、いつ脱落するかわからぬ状態なので、
母が寝室にしていた部屋を急遽、片付けた。
転姑ばーちゃん→実家母、と2人で合計20年近く愛用したベッドを、ついに処分した。
母95歳が、サ高住からこの自宅に戻る可能性はゼロに近いし、
仮に機会あって、外泊などが万に一つも実現することがあるなら
そのときは介護ベッドをレンタルすれば良かろう。
なんであれこの部屋はもう使えない。
ここ数日は暑い晴天が続いているので、雨漏りはしていないが、
このあと台風でも来れば、またぞろ水浸しになるに決まっている。
天井裏は、悪化するばかりだ。

お願いしていた業者さんは、過去何年かに渡り、
この家には既に何度も来てくださっているので、
きょうの3名のスタッフさんの中には、
お顔に見覚えのある方もいらしていた。
ガレージやら土蔵やら、……本当にお世話になりましてすみません<(_ _)>。
素晴らしく手際良く、10時から一時間ちょっとで、この母の寝室と、
旧台所に積んであった、サ高住から持ち帰った父の私物とを、
綺麗さっぱり片付けてくださった。

この家も近い将来、売却する予定になっているので、
とにかく中身をどんどん出して、カラにして行かなくてはならない。
室内が天井裏と完全に開通する前に、売ってしまいたいものだ。
舅宅と同様、昔のアルバムなどは一応、持ち帰ることにしているのだが、
それも全部でなく内容をよく吟味し、取捨選択する必要がある。
その他のものは、基本的に処分する方向でやろうと思っているが、
着物・貴金属・骨董については、買取業者さんをこちらにもいずれ呼んで、
いかほどのものが有るか無いか不明だが、一応は見て貰うつもりでいる。

それにしても、こう何もかも無くなってみると、
この部屋が昭和40年代にどのような有様だったか、
今更ながら、思い出すことができた。
ここは古びた和室で、かび臭く、レトロな肘掛け椅子が置いてあり、
部屋の電灯は暗めの白熱灯で、室内は黄色というか橙色っぽかった。
壁には私の曾祖母の写真が掛けてあったものだった。
丸髷を結って紋付きを着た白黒写真だったから、多分遺影だったのだろう。
パンスーの祖母の姑にあたる女性だったワケだが、
その祖母の話によると、曾祖母は58歳のとき脳溢血で急死したということだ。
曾祖母の生まれは江戸時代の終わり、亡くなったのは大正半ば頃か。
写真の彼女は丸顔で猪首で太り肉(ふとりじし)、小柄な人だったそうで、
父と私はこのヒトに容貌が似ているのだった(汗)。血は争えぬ。

その曾祖母の写真と反対側の壁際には、棚がつくってあって、そこには、
ダイヤルの無い、交換手を呼び出す方式の黒電話が置いてあったものだった。
この電話機にはスピーカーがあって、村の役場?からの放送が流れたりした。
今で言う警報みたいな、農作業関係の天気に関する注意とか、
どこそこの誰某が何月何日に亡くなり、通夜葬儀はいつどこで、喪主は長男某、
みたいなことが、唐突に放送されたりしていた。
そのあと、昭和40年代の終わりに、ダイヤル式の電話がついたが、
これがまた農集(農村集団自動電話)で、一つの回線を5軒ぐらいで使っており、
ほかの家が使用しているときは、終わるまで待たねばならなかった。
受話器を上げると知らない人の通話が聞こえて、使用中だとわかるのだった。
市外通話はダイヤルではできなくて、100番に申し込んでいた。


ああ、思い出すだに、いろいろキショク悪(殴)。
古き良き時代、…とは全然思わんな。二度と戻りたくない。
早く片付け終わって、断ち切りたい(逃)。

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