転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



父93歳(母94歳も)の検査や治療について、
私自身は身内として一貫した希望を持っていて、それは、
「本人ができるだけ苦痛なく過ごせるようにしてやって欲しい。
病気でも、何かが起こっていても、本人に苦痛が無いならそのままで良い」
というものだ。
ここで言う『苦痛』とは、文字通り、
どこかが痛い・苦しい・早くなんとかして!と感じる状態のことだ。
それは解決、…が無理でも、できるところまで緩和してやって欲しい。
悪性疾患とは事情は異なるが、緩和ケア的なことを私は望んでいる。

そういう意味で、先日来、父が救急車で二度、搬送されたことを、
私自身は、心から100%、肯定している訳ではない。
最初、6月13日にホーム系列病院から電話があったとき、
父の体の動きがおかしく、いつもできる食事が巧くいかないので、
これから救急病院を受診して頂こうと思う、という報告だったので、私は実は、
「遠くの病院に搬送され検査を受けることも父には楽ではないだろうし、
本人が今、解決したい苦痛があるというのでなければ、また明日でも――」
と言ったのだ。
しかしお医者さまのほうが、
「いえ、急性期の状態であると考えます」
と、私の呑気さを咎めるようなニュアンスで仰ったので、
そう言われて敢えて断るのも変だし、
検査で状態を把握するのは良いことでもあるかと考え直し、
救急車で24時間体制の病院に行くことに、結局同意したのだった。

『人生会議』のパンフレットは何度も読んだし、
蘇生措置等を望まないことは書面にして、病院にもホームにも渡してあり、
父本人も、「痛いところが無いのがいちばんいい」と前々から言っている。
私は、父がこのあと、どうかなったからと言って、
「早く対処すれば助かった!」等と病院を責めるような考えは無い。
嫌がらないのであれば・体が楽になるのであれば、
点滴や酸素吸入などはして戴けると良いのかなとは思うが、
僅かでも身体の拘束はあるのは確かなので、しない選択もあり、だろう。
安定剤や鎮静剤で和らぐ苦痛なら、内服や注射の方が良いかもしれない。
経鼻栄養やIVH、胃瘻などには私個人は賛成でない。
説明を聞いたうえで本人が望めば、敢えて止めはしないけれども。

しかし、私本人が在宅で納得ずくで24時間、面倒を見ているならともかく、
ホームにお願いしている以上は、職員さん方の思いもあり、
いくら看取りまでをカバーする施設であるとは言っても、
検査結果や診断によっては対処が変わる可能性もあるし、
できる処置があるかもしれないのに、手をこまねいているのは、
言葉はアレだが「見殺しにする」的な不安や罪悪感が耐え難く、
とりあえずは前向きに何かできることをしよう、となるだろう。
『なんで放っておいたんですか!』
と、最後になって突然文句を言い出す家族も、中にはあるのだろうし。

目下、コロナの急拡大その他の事情で、救急医療は逼迫しつつある。
医療リソースを費やす場所は、ここではないのではないか、
と私は、父の楽そうな寝顔を見るにつけ、思うのだ(大汗)。
「特に何もせず、いつも通り、そのまま過ごさせてやってください。
苦痛さえなければ、亡くなっても私は良いと思っていますので」
と私が再度、言うべきだろうか。
あるいは書面にしたほうが良いのか。
私がそう決めたのだから、施設も病院も、何も責任を感じることはない。
誰かが悪いのだとすれば、私が悪い、ということで構わない。
うちには『カリフォルニアの娘』も居ないので(^_^;、私の一存。

……と思いを巡らす、今日このごろです(^_^;。

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