転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



(写真は、さくらぴあ大ホールの所作台とミニ花道(笑))

昨日は、あらしちゃん(松緑)が広島に来たので、観に行った。
あらしちゃんの鳴神、対するは梅枝による雲の絶間姫、
亀寿の白雲坊に、萬太郎の黒雲坊。

いつも思うのだが、松緑の芸風には覇気があり、正の力が漲っている。
ご本人の頭の中は、……ブログ等を読んで私が観察した範囲では、
むしろ鬱屈したものが絶えず渦巻いている感じなのだが(逃!)、
舞台の上にいる松緑は、強い力を放射するような存在感を持っている。
昨日の鳴神は、「松緑の『正』の三段活用」だった。
初めは三千世界の龍神を法力で封じ込めていた高僧・鳴神上人が、
美しい絶間姫を迎え入れてしまい、抗しきれず破戒、
最後は欺かれて怒りが爆発し、文字通り「怒髪、天を衝」いて、幕。

まず序盤、高僧としての鳴神上人は清らかに美しかった。
ファンとしての私の欲目もあるのかもしれないが、
舞台上手の岩屋にいるところでは、あまりに鳴神が高潔な空気を醸し出しているので、
私は幾度も、穴の空くほどあらしちゃんを見つめたくらいだ(爆)。
義経のときも思ったが、静の松緑は実に洗練されて美しい。

ところが、絶間姫の色仕掛けに負けて鼻の下が伸びたあたりから、
同じ人とは思えないほど、鳴神が可愛らしくなったのだ。
とてつもない法力を持つ鳴神上人の素顔は、無垢な少年そのもので、
私好みのマザコン芸も垣間見え、物語半ばの鳴神は愛おしいばかり。
それでも一度は、「帝の命を受けた者であろう」と姫を疑って岩屋に駆け上がるので、
このときだけ美しい鳴神に戻るのだが、そのあと姫の涙にほだされてからは
もう再び、完全に愛すべきコミカル鳴神全開であった(笑)。

そして最後に、絶間姫に騙されたと知って憤怒の形相になる鳴神は、
これぞ歌舞伎の醍醐味、荒事の楽しさ全開!
松緑の父の初代辰之助の鳴神は、ここでの陰のエネルギーの放出が凄まじく、
隈取りが顔じゅう血だらけに見え、私は心底、
「こええええええーーー(T_T)!!!」
と思ったものだったが、
昨夜の松緑のはそれとは正反対と言っても良いくらいの、
破格の陽性パワーと、燃え上がるような勢いがあった。
これは私にとって、ある意味、大誤算だったのだが、素晴らしかった(爆)。
松緑の鳴神の怒りは、四尺玉・連発のような華やかさで、
私はただただそれに見とれた。
まさに『生きながら鳴る雷』、その雷鳴の痛快で心地よかったこと!
柱巻きの見得、立ち回りから幕切れの六方に至って、もうもう、完全燃焼。
いや~~、良かった!!!楽しかった!!!
あの鳴神なら、クワーっっ!!!!!と全力で走り出したことで
怨念が全部炎になり、火の玉と化して独りで天まで行ったかもしれない
(で、雲の絶間姫は結局、無事という(笑))。


今回の巡業プログラム冊子を見ると、松緑の談話として、
『祖父や父をご存じの方にはその匂いを感じて頂けるようなものにしたい』
という言葉が紹介されているのだが、こういうところにも、
私は今の松緑の充実ぶりが感じられるような気がした。
自分は祖父や父の足下にも及ばない・こんな自分が演じて申し訳ない、
というようなことを、松緑は以前よく日記に書いていたが、
そうした葛藤が、少しずつ良いかたちで昇華されつつあるのでは、
と思った。……だったら、いいな(^_^;。

****************

梅枝は、極めて美しいだろうというのは予想どおりだったのだが、
それ以上に、雲の絶間姫がどういう人間か、ということが
かなり鮮やかにこちらに伝わって来たのが素晴らしかった。
花道に登場したときの、あたりの空気がりんと透き通るような美しさは、
文字通り「姫」様の風情だったのだが、
今は亡き夫(恋人?)との馴れ初めを話して聞かせるところは、
うぶな鳴神など手玉に取ってしまう語り口で、
帝の命を受けた策略家であることがよく伝わって来た。
更に、鳴神上人を堕としたあと、去り際に手を合わせそっと詫びる姿には
彼女の真心が確かにあり、実に魅力的な女性なのだと改めて感じられた。
アンバランスな天才少年のまま大人になった鳴神には、
所詮、太刀打ちできぬ手練れ(^_^;、
しかし彼女には彼女の人生があり、健気な女でもある、
……という納得感が、私は大変気に入った。

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朝から実家母の通院介助をした。
実家からタクシーで15分くらいのところにある、
脳神経内科と眼科に行った。
暑かったが、天気が良かったので出やすかった。

まず、脳神経内科のほうは母の希望による初診で、
母が近年とみに転びやすくなり、下肢が弱った、
と訴えるので受診した。
母は、一時期のような寝たきりではないにせよ、下肢の痛みはあり、
何かにつかまらなければ家の中でも歩くことが難しいし、
また、自分では十分注意して足を踏ん張っているつもりでも、
予想もしない方向に転ぶことが、最近はよくあるようになった。
先生は、そういう母の訴えに従って下肢の反応を調べ、
末梢神経に問題がないかどうか、筋力はどの程度か等々、
診て下さったが、結局は年齢的なもの、と診断された。

末梢神経の反応は十分に良く、下肢の筋肉そのものも年齢の割に落ちておらず、
ここで更に積極的な検査をして「病名探し」をすることに意義は無いと思う、
と先生は仰った。
何しろ87歳なので、思い通りにサッサと動けないのは
自然なことと考えるべきで、受け入れるほかなさそうだった。
つまり現象だけ見れば何も解決しなかったし、薬も処方されなかったのだが、
母は、「特に悪いところはない」と言って頂けたことに大いに満足していた。
また私も、この医院の訪問看護や訪問リハビリの内容について尋ねることができ、
今後、母にとって通院が難しくなったときには、ケアマネさんに相談すれば、
それらの訪問サービスを受けることが可能とわかったので、
ある程度、安心することができた。

続いて、冬からお世話になっている眼科に行った。
白内障手術が巧く行って以来、母は目に関しては全く不満がなくなり、
「定期健診」とはいえ、今回はいささか御無沙汰気味での受診だった。
検査では、母の裸眼視力は左右とも0.9で、
もともと持っている乱視を矯正した視力は1.2、とのことで文句ナシだった。
診察でも白内障手術後については大変順調で問題ない、とのお墨付きを頂き、
あとは加齢黄斑変性の経過観察を主な目的として、3か月に一度程度、
検査と診察を受けに来れば良い、ということになった。

医院のハシゴをして母を実家に送り届け、
昼過ぎに中区に戻ってきたあと、私はさすがに疲れてうたた寝をした。
介助そのものより、話し相手をせねばならないことのほうが大変だった。
特に、眼科での1時間30分ほどの滞在時間に、母はずっと、
親戚の誰某に関して、60余年に渡る付き合いの歴史を遡りつつ
悪口(爆)を元気に言い続けており、
私は何かにアテられたようになって、消耗した。
親の話を聞けるのも今のうち、とはわかっているのだが…………。
「(年齢にも関わらず)実にしっかりお話もされていますし」
と仰った、脳神経内科の先生の笑顔が、私の脳裏を過(よ)ぎった(涙)。
30数年後にまだ私が生きていたら、娘に何を言うのだろうかね(大汗)。

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