続いて午後3時半開演の第二部は、
『芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』から。
時蔵の至芸を堪能できる舞台だった。
安倍保名(松也)の妻の葛の葉(=実は白狐)と
本物の葛の葉姫を時蔵がひとり二役・早替りで演じるところと、
保名との別れを覚悟して、障子に歌を書き残す場面での曲書き
(筆を口にくわえて書いたり、裏文字で書いたり等々)の場面とが、
いずれもケレン味たっぷりで、見応えがあった。
葛の葉姫は赤姫のこしらえで、本当に瑞々しい御姫様なのだが、
白狐の葛の葉は保名の妻として子も成していて、女ざかりの美しさ。
それをあっという間に演じ分けるのが見事だった。
信田庄司(松太郎)の訪いに葛の葉として応える場面など、
顔だけしか見せない芝居だったのに、葛の葉姫とは全く雰囲気が違った。
そして、ここでも私は松也のある種の「マザコン」役者ぶりに
打たれることになるのだった(汗)。
狐の葛の葉が歌を残して森へ帰ってしまったあと、真相を知った保名が、
『狐を妻に持ったからといって、ちっとも恥ずかしくなどない』
という意味のことを言って、あとを追うのだが、
あのときの松也の声には、私はドキリとした。
男性として妻を追い求める言葉というより、
どこか、母を恋い慕うような声音に聞こえたからだ。
私はマザコン芸が根底にある役者に、昔からことのほか弱いのだ(汗)。
参ったな(爆)。
さて、第二部後半、最後の演目が『御所五郎蔵』。
五郎蔵(菊之助)と土右衛門(松緑)が正面から対決する、
私にとって今回の最大眼目とも言える演しものだ。
菊之助が純然たる立役というか、いわゆる男伊達で出るのは、
もしかしたらほとんど初めてではなかっただろうか?
冴え冴えと響き渡る声音、すっきりと粋な立ち姿、
未来の八代目菊五郎が垣間見えた五郎蔵だった。
そこに松緑の覇気に満ちた星影土右衛門が相対すると、
両花道の効果も相まって、まさに火花の散るような見事さだった。
これだ、これを観に来たんだっっ(感涙)!
更に亀三郎の甲屋与五郎が加わると、もう美声の三乗!!
傾城皐月は梅枝、傾城逢州が右近、
こんなに美しくて匂い立つような若い女形が二人もいるなんて、
菊五郎劇団はなんと充実しているのだろう、と嬉しかった。
『伊勢音頭恋寝刃』の油屋の場面と同様、遊女たちは座った場面が多く、
動きがなくとも、男達の台詞の展開に従って内面の芝居が進行するのだが
ここでの皐月・逢州も、それぞれの思いが観る者によく伝わった。
一方、この芝居の男達は、福岡貢のように耐える人は居なくて、
誰も彼も最初から煮え切っている(笑)ような人間ばかりなのだが、
結末はというと、これまた私の感覚では若干相容れない悲劇、
…というか、何よりわからないのは、土右衛門が妖術使い…??
土右衛門が、いいところで姿を消してしまい、
最後にまた出てきて五郎蔵と正対する、という展開が、
何度観てもよくわからないワタクシなのだった(爆)。
と、それはともかく、第二部は私は二階桟敷席から観ることができたので、
第一幕など花道の松緑が目の前にいて、臨場感が素晴らしかった。
五郎蔵と土右衛門が盃のかわりに白扇を投げ合う場面では、
ふたりの手元から白粉がぱっと巻き上がるのまで見え、
それはもう、素晴らしい迫力だった。
明かり窓の開閉が照明のように機能する様もよく観察できた。
なお二階桟敷席の観客は、もしセットなどの陰になって舞台が見えにくければ、
一階最後部に設けられている「青田組」という腰掛け席へ、
移動することも可能である由、案内の方々が言われていた。
「青田組」というのは販売されずに常に空けてある場所なのだそうで、
江戸時代には世話役や検閲の人が、ここから観ていたということだった。
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その他、
・小屋は涼しく、明かり窓が全開になっていると、結構、風が通った。
外気温によっては、足下など冷えを感じるかもしれない環境だった。
・トイレは外にしかなく休憩時は混雑する(が、観客の年齢層が高いせいか、
宝塚大劇場・東京宝塚劇場のトイレほどには客の出足は早くない。
宝塚で慣らした人なら、少し急ぐだけで楽勝)。
・二階への階段はかなり急勾配なので、脚に不安のある場合は、
時間の余裕を見て上り下りは慎重にしたほうが良い。
・車椅子で観劇できるスペースも、一階平場後方に少しあった。
・席はマスごとに指定されているだけで、その中でどこに座るかは
早い者順だった。そのため、開場前から並ぶ人も多数。
・敷地内露店で、お弁当やお菓子、飲み物、アイスクリーム、
等々を買うことができたが、お弁当は第二部前半で売り切れていた。
トンボ玉などのお土産品もあった。自販機、コインロッカーの設置もあった。
以上、十数年ぶり二度目の金丸座での、覚え書き。
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