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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 

風邪  


・昨日、朝起きたら咽喉がぼんやり痛くて、風邪だなと思いつつ、
予定はすべてこなしたのだが、帰宅後、夕方になって微熱が出た。
体温は37度少々で、節々は痛いが寒気はなかったので、
これ以上はさほど上がらないだろうと判断し、
前に風邪をひいたとき内科で貰ったPL顆粒の残りを一服のんだ。
腰から脚にかけてが怠く昨夜は寝にくかったが、
今朝は咽喉痛と咳と鼻炎、という症状はあるものの熱は下がった。
専業主婦だった頃の私は、年がら年じゅう腹部不快や倦怠感などの
些細な苦情が多かった一方で、派手な風邪をひくことは少なかったのだが、
勤めに出るようになって以来、日常的なマイナートラブルは激減したかわり、
わかりやすい風邪を数ヶ月に一度程度、ひくようになった。
……気がする。
今回は、主観的には夏このかたの疲れが出たという気分だが、
直接的には多分、30日に宝塚大劇場で風邪を貰ったのだと思う。
私の隣と真後ろの人とが、観劇中かなり咳き込んでいたので(汗)。

『吉例 顔見世大歌舞伎 十一世市川團十郎五十年祭』
(平成27年11月1日(日)~25日(水))にて、海老蔵長男の勸玄くん初お目見え、
とのことで、これは何をおいても馳せ参じなくては、と思って演目を観たら、
なんと音羽屋の旦那(菊五郎)さんが御所五郎蔵ですって!!
土右衛門が左團次、与五郎が仁左衛門って、なんという豪華キャスト!!
海老蔵は信長を演るし河内山もあるし。
それに松緑が義経って、……こんな配役があり得たとは(笑)。
先代團十郎というと、私を最初に歌舞伎に連れて行ってくれた母方の祖母が、
その早逝を長く深く悼んでいたものだったが、はや没後半世紀なのか…。
と、それはともかくとして、歌舞伎座11月か、
となると、これと東京宝塚劇場の星組『ガイズ&ドールズ』を
組み合わせられんものかな、と早くもワルいことを計画する私であった。
大劇場で観た演目を日比谷まで追いかけたいと思うなんて、久しぶりだ。
しかし海老蔵の出る歌舞伎座、星ガイズ@東宝、
……どっちも、とてつもなくチケットが厳しそう(大汗)。
「以前はどうやって宝塚のチケット手に入れとったん」
と主人は笑うのだが、たかこ(和央ようか)さん在団当時は、
私は宝塚友の会に入っていたし、和央の会もあったし、
更に四方八方にファン仲間のネットワークを持っていたからこそ、
激戦の東京公演だってなんとかなったのだ。
さすがに今はもう、どれも(私に関しては)実働しとらんのだよ(^_^;。

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夕方に東京に着いたなら、そりゃ行くだろ、歌舞伎座(笑)。

羽田から京急に乗って直行したが、到着したのは18:30。
橋之助の『芋掘長者』はすぐに終わるところだったので断念し、
幕見に上がって、19:25からの『祇園恋づくし』を買い、
開演を待つ間、到着時に駅のコンビニで買ったお握りで腹ごしらえ。

扇雀は風邪をひいたのか、声がれ・鼻声で辛そうだったが、
芝居そのものは大変楽しかった。
京方の扇雀が次郎八と女房おつぎをひとりで演じて大活躍、
対する江戸方も一人二役が本来かもしれなかったが、
こちらは勘九郎の留五郎、七之助の染香。
分け合って演じるのがいずれも素晴らしい呼吸で、
勘三郎の息子二人は、ええ役者に育ったなぁと感無量だった。
もしこれが私にとっての歌舞伎初観劇だったなら、
私は帰りに、中村屋の後援会に入会していたのではなかろうか(笑)!
巳之助の文吉も、なよなよした可笑しさがありながら、
人柄の誠実さもしみじみ伝わって来て、好演だったと思った。

かつて、八月納涼花形歌舞伎で大活躍した、
八十助(三津五郎)と勘九郎(勘三郎)の息子さんたちが、
こんなに立派になったところを観ることができて、本当に良かった。
時の流れの中で、早すぎる別れのあることを恨んだりもしたが、
芸が継承され、新しい舞台が生まれる場所に立ち会うことができるのも、
こちらの観劇歴が長くなってきたお蔭だなと、今夜は有り難く思った。

ちなみに、新しい歌舞伎座になって幕見に上がったのは初めてだったが、
ちゃんとエレベーターが設置されていたことにも感激した(笑)。

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さあ、休暇の始まりだっ♪

東京に来た以上、まずはコレだね(笑)。

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秋に菊之助が『魚屋宗五郎』を演る平成27年度松竹大歌舞伎だが、
11月18日に広島公演があると知って喜んだのも束の間、
『歌舞伎美人』の情報を頼りに、主催の中国新聞に問い合わせてみたら、
なんと、この公演は通常の一般発売は無く、
往復葉書による応募・抽選での販売になる、ということがわかった。
その詳細は本日時点ではまだ決定していないそうで、
9月になってから中国新聞082-236-2244に電話をして、
改めて尋ねてみて欲しいとのことだった。
まるで、初めの頃のこんぴら歌舞伎のようだ。
早く並ぶとか電話を頑張るという次元ではなく、
ただただ葉書が当選するかどうかを祈るのみ、という。

となると、このまま手をこまねいて9月を待っている場合ではない。
私は自分のクジ運など全く信用していないし、
ハズレたらつまり、一度も観られないで終わってしまうではないか。
私はもう広島は半ば見捨てることにし、きょうはルネッサながとに電話をした。
我ながら、早い段階でルネッサながとの会員になっておいたのは大正解だった。

松竹大歌舞伎 山口県立劇場ルネッサながと
平成27年11月22日(日)
(開場は開演の30分前)
(1)開演12:00 終演予定14:00
(2)開演16:00 終演予定18:00

ここは普通に先着順の電話予約方式のうえ、今ならまだ、
8月5日の一般発売に先駆けて、友の会会員先行販売をやっているのだ。
多少の枚数制限はあるものの、会員特別価格で買えるし、
チケット郵送を頼んでも会員なら送料はサービスになる。
電話で訊いてみたら、昼公演は既にかなりの売れ行きだった。
こんなことなら会員先行発売初日に取るべきだったかな、
と少々後悔しないでもなかったが、でも良い、
菊之助の宗五郎なのだから、どんな席でも観られるだけで幸せというものだ。

ちなみに、ルネッサながと友の会は本当に素晴らしい。
ルネッサかわら版という機関誌には、早くも、
この公演の内容や配役に関する詳細な案内記事が掲載されていたし、
チラシも折り目なしで送付してくれた。
音羽会より早く送って来る主催者など、そうそうあるものではない。
また、サイトには開場・開演予定時刻のみならず、
終演予定時刻まで今の段階でハッキリと出ている。
観る側の心理を非常によくわかっている運営ぶりだと感じ入った。
きょうの電話対応も勿論、明晰でわかりやすく、大変行き届いていた。

……ということで、長門公演・昼の部1枚、確保(笑)。
もし広島も首尾良く手に入れば勿論行くが、
こうなると長門の夜の部を観るかどうかが、やや、悩ましいところだ。
夜の部も観て、そのまま長門でひとりで泊まって、
翌日ゆっくり帰って来る、というのもなかなか魅力あるんだよなぁ…。

菊之助、亀三郎、松也、梅枝「松竹大歌舞伎」秋季公演への意気込み(歌舞伎美人)


***********

などと書いていたら、さきほど、友人某氏のfacebookの投稿で、
10月の歌舞伎座もまた、えらいことになりそうだと知った。
これは行かねば!!

松竹創業120周年 十月大歌舞伎(歌舞伎美人)
紀尾井町のおじさま(二世松緑)二十七回忌追善狂言ということで、
昼には音羽屋の旦那(菊五郎)さんの『文七元結』、
そして夜にはなんと、あらしちゃん(松緑)の『髪結新三』!!
亀亀brothersも出るし、左近も共演する。観んでどうする!!

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結果的に、今年の上半期の私は鴈治郎の追っかけをしてしまった。
2月の松竹座(しかも初日)、4月の歌舞伎座、
そして博多座は逃したのだが、今日はまた地方巡業を観に行った。
80年代の『扇雀近松座』が鴈治郎一門と私との出会いだったが、
こうして息子さんの鴈治郎襲名披露を各地で観るようなことになろうとは、
さすがに30年前には想像することもできなかったね(汗)。
お父さん(現・藤十郎)のほうの鴈治郎襲名披露@中座に行ったことさえ、
割と最近のことのように思えるのだがね(大汗)。

尤も、私が、今年これだけ鴈治郎を観ることになった大きな理由は、松緑だった。
松竹座の初日を観たことだけで満足せず、こうして地方まで追ったのは、
昨今、松緑があまりにも私好みの役者に成長して来たからだった。
今回の鴈治郎襲名披露巡業にしても、東コースと西コースがあったのだが、
東西で配役が違い、東のほうに松緑(と亀寿も!)が参加するというので、
これを逃すテは無いと思った。
会社の無い日で、できれば日帰りできて、降りた駅から遠くないところ、
……私は候補となった会場HPの交通アクセスページを見比べ、検討を重ねた。
それで最終的に決定したのが、「穂の国とよはし芸術劇場PLAT」だったのだ。

以下、感想覚え書き。

*************

『双蝶々曲輪日記』の『引窓(ひきまど)』

壱太郎のお早、のれんの向こうからふと顔を覗かせた瞬間から、
なんとも、「そそる」感じの色っぽさがあって良かった。
ひなびた村の若い女房として、こしらえは飽くまで質素なのだが、
さすがに元は廓の女、という雰囲気が、出の一瞬からあった。
夫の十次兵衛に向かって言う、「長五郎よりお前は弱い!」の台詞は
私的にお早の試金石なのだが(笑)、
ためておいて落とす、ところの呼吸がこれまた愉快で、良かった。

松緑の濡髪長五郎は、ムシロで身を隠しながら、無言で花道から登場するので、
二階席にいた私が最初に観たものは、そのムシロと下半身だけだったのだが、
白っぽく塗った脚のラインが、なんとも、素晴らしかった。
音羽屋の旦那さん(菊五郎)もそうなのだが、松緑もまた、
むっちりした脚に色気があるというか、味わいのある人だなと感じ入った。
物語の設定としては、この時点での濡髪は既にお尋ね者なのだが、
松緑のは暗くなり過ぎず、むしろ人気者の相撲取りとしての華やかさがあり、
母親を慕うマザコン芸もあり(←私はコレに弱い)、かなり気に入った。

鴈治郎が十次兵衛、立派なナリだが実は侍になりたて、という雰囲気が、
本当に良く伝わって来て、愛嬌の中に柔らかな曲線美の上方らしさがあった。
しかも、愉快でありながら、どう見てもなかなかイイ男なのだった。
それも考えてみれば当然だった。
何しろ、元・遊女の、美貌のお早を女房にした経緯があるくらいなのだから、
十次兵衛は色恋のほうだって決して苦手ではない筈なのだ(笑)。また、
「親子なのに、どうしてそう隠し事をするのか」
とお幸(寿治郎休演のため鴈乃助)に詰め寄る台詞からは、
この生さぬ仲の母子の間の年月と信頼関係がよく感じられた。

改めて眺めてみれば、この芝居は、皆が良い人なのだった。
十次兵衛とお早の夫婦が、互いに惚れ込んでいるのは勿論のこと、
廓言葉の抜けないお早を、姑のお幸は可愛がって大切にしていたし、
お幸と十次兵衛の間にも、血のつながりを超えた母子の絆があった。
と同時に、幼い頃に手放した息子の濡髪のことも、お幸はいとおしく思い、
濡髪もまた、実の母にも義理の兄弟である十次兵衛にも感謝の念を抱いている。
更に、濡髪とお早も見知った間柄であり、互いの幸せを願っているのだ。
「めでたしめでたし」にはならないが、静かで温かい手ごたえの残る芝居で、
こうした地方巡業規模の襲名披露には、とても良い演目だったと思った。


『口上』

口上だけとは言え、先代鴈治郎である坂田藤十郎が登場したのには恐れ入った。
声には明らかに老いが感じられたが、舞台姿にはさすがの貫録があった。
夏場の巡業は、若い者でも決して楽ではないと思われるのに、
山城屋の年齢で欠かさず舞台に上るとは、大変な気力体力だと思った。

2月の松竹座のときには、松緑は
「鴈治郎にいさんには昔から可愛がって頂いております。
以前スティービー・ワンダーのコンサートに一緒に参りまして…」
と思い出を語って会場の笑いを取ったものだったが、今回もまた、
「父も藤十郎のおじさんと共演をさせて頂きましたし、
私自身、鴈治郎にいさんには大変お世話になり、何かと共通点も多うございます。
まず、誕生日が一日違い、そしてふたりとも四代目、
更に、両家の墓が隣同士。まさに揺りかごから来世までという仲でございます」
等々と挨拶して、大ウケだった。
ちなみに扇雀の、「わたくしは、ま、扇雀のままでございますが(笑)」
というのは歌舞伎座でも聞いたと思うのだが、
さすがにこれ以上は継ぐ名前が無いということか……。


『連獅子』

扇雀と、17歳になる長男の虎之介による親子獅子だった。
我が子を鍛え、育てるために千尋の谷に突き落とす親獅子の姿は、
そのまま、扇雀と虎之介の、芸の上での親子関係と重なるものだ。
扇雀も体当たりだったと思うが、虎之介も全身で取り組んでいるのがよくわかった。
帰り道、和服のマダムたちの間で、
「虎之介、ほんとに若いわねえ」「終わりに行くほど力が出ていて」
となかなか好評であった(笑)。
『引窓』では濡髪を捕えに来る二人侍だった亀鶴と亀寿が、
『連獅子』では僧のコンビで出ていて、どちらの役も味わいがあり面白かった。
『引窓』のほうでは、濡髪や十次兵衛の思いと対立する役でありながら、
決して悪役や敵役でなく、どこまでも端正な二人組であったし、
『連獅子』では格調高い松羽目ものの中で、文句なく楽しめる間狂言になっていて、
笑いもアチャラカでなく、言葉の質と呼吸とで聞かせるもので、実に良かった。

*************

きょうは台風が四国沖に迫っていて、天気がどうなるかと心配したのだが、
きっと帰り着くまではモつだろう、と楽天的に考えて出発した。
朝、広島は曇り、車窓から見ていると岡山は晴れ、京都を過ぎて降り始め、
三河安城あたりでは大雨、しかし豊橋で降りてみると、なぜか晴れ。
帰りも、瞬間的に強い風が吹いたりはしていたが、天気は依然として晴れており、
結局、夜9時に広島に帰り着くまで、一度も傘は要らなかった。
帰りの新幹線の中では、四国方面に向かう列車はほぼ運転終了したことが放送され、
岡山福山地区も明日の朝は運休が見込まれること等、案内されていた。
明日の春日井市民会館の公演も、どうか滞りなく行われますように…。

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平成27年度松竹大歌舞伎 平成27年11月1日(日)~25日(水)(歌舞伎美人)
岡山か長門か、と悩んでいた地方巡業だが、
発表になったのを見たら、なんとなんと、広島公演があった!!
水曜日だと!こりゃ昼夜両方行こうかしら(爆)。


 11月18日(水)広島 上野学園ホール 昼14:00 夜18:00

 一、教草吉原雀(おしえぐさよしわらすずめ)
 鳥売りの男実は雀の精:尾上 松也
 鳥売りの女実は雀の精:中村 梅枝
 鳥刺し実は鷹狩の侍:坂東 亀三郎

 二、魚屋宗五郎(さかなやそうごろう)
 魚屋宗五郎:尾上 菊之助
 家老浦戸十左衛門:坂東 亀三郎
 宗五郎女房おはま:中村 梅枝
 磯部召使おなぎ:尾上 右近
 小奴三吉:中村 萬太郎
 磯部主計之助:尾上 松也
 宗五郎父太兵衛:市川 團蔵


問い合わせ先の082-236-2244は中国新聞企画サービスだと思われる。
チケットのことなど近いうちに尋ねてみなくてはならない。

……勿論、これ行ったあと長門まで追っかけても構いませんことよ(^_^;。
長門公演は11月22日(日)、どう転んでも仕事は休みの日だから、
私は昼夜とも空いている予定である!
実は既に、ルネッサながと友の会には入会申込をしてあるのだ。
先日、この公演の情報が掲載されている「ルネッサかわら版」第八号が
届いたばかりだ。

ああ、道楽の神様は、私をお見捨てになりませんでした(涙)。

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15日に、国立劇場で『壺坂霊験記』を観た。
『第87回 歌舞伎鑑賞教室』ということで、
私の観た回には首都圏の私立高校二校が鑑賞に来ていた。

前半は、坂東亀寿による『解説 歌舞伎のみかた』。
亀寿の声と滑舌は素晴らしい上、
喋りすぎず飽きさせず、客席の空気を丁寧に捉えていて、
実に聞きやすくわかりやすい導入になっていた。
片岡當史弥による化粧や着付けの実演も見事だったし、
音楽や道具の仕事についての説明、
かつら・衣装担当スタッフの紹介もあり、
また、実際に高校生の男の子2人・女の子2人に舞台に上がって貰って、
女形の歩き方や衣装さばきなど体験して貰うという趣向も面白かった。

これが全体で40分ほどあり、そのあと一旦20分の休憩が入って、
後半が『壺坂霊験記』一幕三場。
派手な時代もののようなインパクトは無かったと思うが、
作品的に、起承転結のわかりやすい内容だったし、
役者の台詞と竹本とが融合して物語が進行するところなど、
いかにも古典芸能らしい趣があり、
初観劇の生徒さん達にとって、なかなか良かったのではないだろうか。

配役は、女房お里が片岡孝太郎。
壺坂は仁左衛門の家の芸だと私は思っていたが、
意外にも孝太郎にとっては初役だった。
慎ましやかだが芯が強く、夫の沢市を心から大切に思っている、
行き届いた女性であることがよく伝わって来た。
対する沢市が、坂東亀三郎。
自分の不甲斐なさを痛感していながらも、
卑屈になっているところがなく、まっすぐな人柄がしのばれて、
私にとっては大変好感の持てる沢市だった。
今回の国立劇場に来たのは、亀三郎の美声を聴きたかったから、
というのが私にとっての大きな理由のひとつだったのだが、
台詞の切れ味は言うに及ばず、地歌まで披露してくれて、
まったく眼福・耳福だった。

ただ、観ていて、ひとつわからなかったのは、
沢市が死を決意したのはどの瞬間だったのだろうか、
という点だった。
最初に、沢市がお里の不実を疑い、お里のクドキがあって、
誤解が解け、二人で壺坂に参ろうという話になるわけだが、
沢市はこのとき既に命を絶つつもりになっていたのだろうか?
それとも、実際に観音堂に詣でたあと、
祈っても目は治らないと嘆き、そこから気持ちが固まったのか?

壺坂詣でが決まったときに、沢市が家で袴をつける場面があり、
あれは死に装束としての着替えを暗示していたのかなと
今になってみると思わないではないのだが、
実際に観劇していたときには、普通に晴れ着のように見えた。
お里は勿論、参詣のために、夫に改まった服装を用意したわけだが、
沢市のほうは果たして、どういう気持ちでそれを身につけたのか。
私は『壺坂霊験記』そのものをよく知っているとは言い難いので、
いろいろと見逃したり聞き逃したりした箇所があったのかもしれない。

結末は、物語として若干うまく行き過ぎるところもあるが、
急に目の見えるようになった沢市の戸惑いや、
お里との喜び合い、『万歳』の踊りなど、
孝太郎・亀三郎の息の合ったところが堪能できて、
とても後味の良い場面になっていたと思った。

私は以前、実際に奈良の壷阪寺に行ったことがあるのだが、
この話に描かれている壺坂の観音堂は、もっとずっと寂しい場所だったことだろうと、
観ながら時々、風景を想像したりした。
女の身で、来る日も来る日も、真っ暗な山道を登って、
夫の病気が癒えるようにと祈願し続けたお里は、
本当に心優しく、そして逞しい女性だったということだなと思った。
なるほど、これなら沢市の目も開くはずだ。
まさに良い意味で、「女の一念、岩をも通す」(笑)。

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孝太郎と亀亀brothersの出る壺坂霊験記を観ようと
国立劇場に来たのだが
さすがに鑑賞教室だけあって客席は学生さんばかり。
まわりじゅうJKなんだが……、
あの、ここから後ろの一般(多分)の皆様、
私は断じて、この大はしゃぎな若い子たちの引率者じゃないからねっ(--#)

**********

芝居は素晴らしかったし、学生さんも一生懸命観劇されていたことがよくわかり、
こういう催しが積極的に行われるのは本当に良いことだなあと感じたのだが、
たったひとつ、
「前のめりに座るのは、後ろの人に対して大変迷惑なことだ」
という点を、観劇初心者の方々には是非、覚えておいて頂きたいと思った。

きょうの私は、ほぼてっぺんの席にいたし、国立劇場の三階は傾斜も急なので
実際に迷惑を被ったというほどのことはなかったのだが、
一般的な劇場では「前のめり」は、間違いなくワースト行為のひとつだ。
極端に身を乗り出すとか、伸び上がって観ているというレベルの話ではなく、
浅く腰掛けたり、背もたれから背中が浮いていたりするだけで、
もう、後ろの人の視界を著しく遮っているのだ。
『舞台観劇での基本的なマナーまとめ』より図解

夢中になっているからこそ、ふんぞり返って観てなどいられない、
というのは本当に本当によくわかるのだが、それでもやはりお願いしたい。
劇場内では、幕が上がったら、必ず、
座席に深く腰掛け、背もたれに背中をつけて座るように、
しっかりと意識をして頂きたい。
浅く座ったり、背もたれを使用しない姿勢で観たりするというのは、
自分の後ろ周辺のお客さんに舞台を見せてあげないことと、イコールだ。
それくらい、邪魔になっているのだ。

逆に、背もたれに背中の全面をぴったりとつけてさえいれば、
背筋や首そのものは伸ばして座っても、
決して、背後の人の迷惑にはならない。
劇場の座席設計自体が、そうなっている(人並み外れて高身長の場合を除く)。
前のめりこそが自分にとって自然な観劇体勢である、とか、
ちょっと背中が浮いたくらいでいちいち煩く言うな、
等々と主張する人は、最後列の席を買うべきである。
そもそも、自宅でテレビを独占して観ているのとは違うのだから、
劇場に来たら、見方や姿勢にある程度制限が設けられる、
――つまり、マナーだなんだと窮屈なことを言われる――のは当然なのだ。

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菊五郎・仁左衛門・幸四郎・吉右衛門、
この顔合わせが観られる機会は、私の今後の人生で、もう多くない、
と思い、始発で広島を出て、歌舞伎座昼夜通し。

妻平に民部、それに『夕顔棚』の婆さん、
1日で音羽屋の魅力を様々な角度から見せて貰えた。
いやぁ、つくづく、私は幸せなファンだなあ(^_^)。
やっぱりどんなときも、結局は私は菊五郎を愛してるんだなぁ♪

************

昼の部の最初が、『天保遊侠録』。
実は私は今回、とにかく『新薄雪』を観る!ということしか眼中になく、
始発で歌舞伎座に駆けつけて、予習も何もなく幕が上がり、
見始めて「これ、知っとぅ。宴会やって暴れる話や(^_^;」(爆)。
記憶を辿って見ると、ちょうど一年前、大阪松竹座で観たばかりだった。
それも、同じ橋之助の小吉で。
わかりやすい新歌舞伎だし、階級社会の悲しさ、子を思う親の情など、
泣ける要素がふんだんにあって、改めて良い演目だなと思った。
小吉と八重次(芝雀)の、大人の男女としての心の通わせ方も、
観る者の胸に静かに染み通るような良さがあるなと感じ入った。
……が、終わって隣のお客さんたちが、
「えっ。『りんたろう』って、森 林太郎じゃなかったの!?」
と会話していたのにはウケた。それじゃ森鴎外の話になってしまうぞ。
とーちゃん(橋之助)が「勝 小吉」と名乗っておったじゃろ。
あの聡明な息子は、勝 麟太郎、のちの勝海舟だぞよ(^_^;。


『新薄雪物語』の通しを私は今回初めて観たのだが、
単純に物語として眺めるなら、荒唐無稽だったという印象だ。
「なんでそうなる(^_^;」な展開が幾度かあり、
観ながら内心でツッコミを入れつつ耐えたところも結構あった。
しかしそれらを超えて、この公演は、あり得ないほど配役が良かった。
私がダレそうになると、それぞれの役者さんによる「燃料投下」があり、
そのお蔭で、私は最後まで集中力を保って観ることができたのだと思う。
作品よりも、役者の力業の凄さを堪能させて貰った舞台だった。

花見の、錦之助(左衛門)と梅枝(薄雪姫)が、まず鮮やかで良かったし、
吉右衛門(団九郎)と仁左衛門(大膳)の顔合わせは特に豪華だった。
妻平(菊五郎)と水奴たちの立ち回りも、実に明るく楽しく見せて貰った。
また、詮議の場で、幸四郎(伊賀守)と仁左衛門(兵衛)が相対し、
舞台正面に菊五郎(民部)・彦三郎(大学)が並んだ姿には、
「まさにこれが現在の歌舞伎界の頂点…!」
と圧倒された(もうひとり、吉右衛門が一緒には出ていなかったけど)。
ここでは何より、菊五郎の声を堪能できたことが、
ファンとして最高に幸せだった。
扇の下で、若い二人に手を取らせて諭すところも良かったし、
大学に向かって「お控え召され」と言ったときなどはもう、
目の覚めるような深々とした、音羽屋ならではの声音だった(感涙)。


昼夜にまたがっての通し上演なので、このあとからが夜の部。
昼を観ていない人のために、入場のときに登場人物相関図が配布されていた。
園部邸は、ほかの場より役者さんたちには「しどころ」が多い、
ということはわかったが、やはり感覚的に俄に納得できない展開で、
子らの行く末を思い、命を賭ける親としての苦悩と決断が、
大きなドラマとして感じられたのは、
仁左衛門の呼吸の巧みさとスケール感、
そして幸四郎の技巧のひとつひとつがあればこそだった。
更に、そこに女形として主張のある魁春(梅の方)が加わったことで、
三人笑いの場面が台詞にない部分まで立体的になり、
あの場の長さを、ひとつの味わいとして感じることができたのだと思う。

最後の正宗内も、ストーリーとして共感できないという点では同様で、
通しだというのに、ここまでの逸話を回収して行く快感が無かったし、
結局は団九郎の改心で…というのは、
少なくとも21世紀の観客である私には、かなりガッカリ感があった(殴)。
ここまで頑張って観て来たのに、最後はそこ!?という……。
吉右衛門の団九郎の結末を観るためだけにあった幕だった。
この団九郎が、単独で見るなら、なんとも快演で、良かった(汗)。
花見の場面の出来事とか、大膳(仁左衛門)に肝っ玉を褒められたこととか、
いっそ、無かったことにして観れば問題ないんじゃないか、と思った。
「すし屋」の権太みたいな役に書き換えれば……(逃!!!)。

ともあれ、私のように浅学な者にとっては、
『新薄雪物語』はかなり理解に無理のある演目だったが、
今回の配役ゆえに、どうにか最後まで脱落せずに見せて貰えたことを
大変嬉しく有り難く思っている。
通し上演自体が希であり、私が地方在住であることを考えるなら、
おそらく今後二度と、この配役で観ることは叶わないだろう。
貴重な上演を逃さずに済んで、観客として本当に幸運だった。


最後の『夕顔棚』、これは素晴らしかった。
待って待って実現した音羽屋の旦那さん久々の女形は、「婆さん」(笑)。
ついにここまで「兼ネル」役者になり、もう怖いもの無しの旦那さんであった。
……は冗談にしても、この婆さん、正真正銘、垂れパイ(爆)の婆さんなのに、
愛嬌があり、馥郁とした女らしさもあって、実に魅力的だった。
こんな華やかで笑顔の素敵な婆さんが最後に舞台を占領して、
午前中からの全部を吹っ飛ばしてしまうなんて(爆)反則だろう。
爺さん(左團次)のほうもまた、剽軽でイイ男で、
婆さんに酌をしてやるときの、
「よしよし♪」
という声の響きには私はシビれた。
そして、盆踊りに行こうよと、この老夫婦を誘いに来る、
「里の男」「里の女」として巳之助と梅枝が出ていた。
巳之助の立ち姿には、これから駆け上って行く人の覇気があった。
この二人に導かれて、更に何組もの若い人がやって来て賑やかになり、
村の若者世代が、この愛すべき爺さん婆さんを
皆でいつも心にかけ、大切にしていることが、よく伝わってきた。
田舎の、名も無い爺さん婆さんの、暢気で楽しい夕べ、
……こういう幸せなものを見て、歌舞伎座を後にするのは、
本当に良いものだなと、満たされた夜だった。
今月は、もし近所に住んでいたら、幕見で『夕顔棚』だけ通いたいかも(笑)。

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寺島しのぶ長男・眞秀くん、歌舞伎座に初登場(5月27日 スポーツ報知)
『女優・寺島しのぶ(42)、仏人の夫ローラン・グナシア氏(47)夫妻の長男、眞秀(まほろ)くん(2)が26日、東京・歌舞伎座に初登場した。』『この日は「團菊祭」千秋楽。眞秀くんは「め組の喧嘩」のラストに坂東亀三郎(38)の長男、侑汰くん(2)とはっぴを着て姿を見せると、物おじすることなく、祖父尾上菊五郎(72)のもとに駆け寄った。サプライズの演出に客席からは「かわいい!」の声が飛び交った。』『今月おけいこも始めた眞秀くん。歌舞伎が大好きで切腹のシーンを覚えれば、幼稚園でそのしぐさをやって見せるほど。祖母富司純子(69)と見守った寺島は「本人は楽しかったみたい。強制せず、自分が本当にやりたいことをやっていってほしい」と話した。正式な初お目見えをした後、初舞台を踏む。』

左團次のブログにも、楽屋写真が出ていた。
『千穐楽』(四代目 市川左團次オフィシャルブログ)
『左側の鳶が』『右側の鳶が』という紹介が、実に微笑ましい。
ちゃんと鳶口まで持っているではないか(^^)!

(寺島)しのぶちゃんのブログによると、まほろんと侑汰くんは、
このとき二人で手をつないで、舞台に出ていったそうだ(^^)。
どちらも2歳で、どれほどの記憶がこれから残るかはわからないが、
二人にとって生まれて初めての舞台経験は、
きっと、今までの人生で(笑)最も印象的な出来事になったことだろう。

よく、立派な役者さんたちが、
「祖父に抱かれて初めて舞台に出たときの記憶が残っています」とか、
「父に肩車されて花道を渡ったことを覚えています」等々と、
遠い日の、舞台経験の原点について語っていることがあるが、
将来、歌舞伎俳優として大活躍するようになったときに、
まほろんと侑汰くんとが、それぞれの言葉でこの日のことを回想するのを、
……私はもう年齢的に、聞くことがやや難しいかもしれないが(^_^;、
それでも、大いに楽しみに、様々な想像をしながら待っていようと思う。

め組の辰五郎ではなく、「ひーま」に戻った音羽屋の旦那さんの笑顔が感無量。
なんと幸せな千穐楽だったことだろう!


追記:亀三郎のほうは、ご子息の舞台登場に関してTwitterで、
『皆様と同様に嬉しいですが、お披露目、お目見得、初舞台とかではなく、告知もお知らせもしていない、菊五郎劇団の千穐楽の大人の遊びと言う素敵な空間に有難い事に出させて紛れ込ませて頂けただけなのです、役者への正式な一歩はまだ先です!なので、僕が発信する時には名前も顔もまだ伏せます。』
とコメントしていた(坂東亀三郎公式 @otowayabando)。
今の段階では、これまた尤もなことだろう。
歌舞伎を観る者のひとりとして、今後、こうした亀三郎の姿勢も尊重したいと思った。

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