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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



17年ぶりに来てみた。
前回は新婚一ヶ月目に主人と二人で、今回は高校生の娘を連れて三人で。

今でも忘れられないのだが、前回、長崎旅行で来たのは
なんと偶然にも『平成5年8月豪雨』のときだった。
当時は福岡在住で、婚姻届は出してあったが挙式も披露宴もしていなかったので、
新婚旅行のつもりで、ハり込んで(笑)ホテル・マジェスティックを予約し、
一泊二日の休日を長崎観光で楽しもうと計画したのだ。
だが、ただひとつ失敗したのは、主人も私も仕事の都合があったために、
このときしか休みが取れず、結果として集中豪雨に当たってしまったことだった。

あの17年前の夏の午後、小雨の大浦天主堂は綺麗だった。
夕食後、雨がやんだときに訪れたグラバー園も風情があった。
だが、途中から雨が再度、強く降り始めて、ここから大嵐になったのだ(汗)。
一晩中、外はものすごい豪雨で、翌朝になってもやむどころか、
道路は浅い小川のように水が流れ、私たちは平和公園散策を断念した。
さらに午後には、JRが雨のため運休になってしまった。
私たちは結局、命からがらという風情で、
ようやく予約できたバスで福岡に戻ったのだが、窓から見える景色も尋常でなく、
民家が水の中を流れていく様子が見えたものだった(大汗)。

あのときを思えば、17年後のきょうは、素晴らしかった。
穏やかな五月の晴天に恵まれ、暑くも寒くもなく、気持ちの良い日だった。
天主堂の中でゆっくり祈祷席に座って、説明の音声を聞いたり、
外に出て暖かな日差しの中で写真を撮ったりした。
とてもとても、ありがたいことだった。
親子三人で、このような一日を過ごす境遇でいられたということは。

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どこに旅行しても中華街がある(笑)。
しかもここではメニューに長崎ちゃんぽんがある。
そういえば確か長崎ちゃんぽんは、
もともと中華料理から始まったものだったよな~と思い出した。

夜は中華街を散策し、某店で中華料理を楽しんだ。
宿泊も近くのホテルだったので、とても便利だった。
部屋風呂だけでなく大浴場があるのでこのホテルにしたのだが、
思った通り、広々としたお風呂はとても気持ちが良くて、正解だった。

その大浴場の使い方について、チェックイン時に、
「女性の方は、暗証番号を入れて解錠して頂くようになっていますので」
とフロントで説明があり、きょうの番号を書いた紙を渡された。
あとで娘が言うのに、
「『女性の方は』って言ったとき、よっちゃんのほうしか見とらんふうだった」。

例によって娘は『息子』だと思われていたのだろうか。
ちなみに長崎駅から中華街までタクシーに乗ったときには、
娘は運転手さんの手元をワザと注視していたが、
乗車記録をつけた様子はなかったということだ。
我々が降りてから記入されたのだろうか。
例によって『男2 女1』なのではないかと娘は期待して、いや疑っていたのだが。

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きょうから三泊四日の長崎旅行。
……の前に、吉野ヶ里遺跡に来た。

歴女の娘は、できれば大学に入ったら墓堀をしてみたいヒトだから、
こういうものは大好きなのだ。
主人は二十年くらい前、吉野ヶ里遺跡がほんの僅かに公開され始めたとき
職場の研修旅行で来たことがあったのだそうだが、
娘と私は全く初めてだった。

建物の大半は復元だから、本当にこのような姿だったかどうかは、
わからない部分も多いと思うし、推測が外れている可能性もあるだろうけれど
この地で日本人の先祖にあたる人たちが暮らしていたのだと考えることは
やはり感慨深いものがあった。
現在の気候から想像するに、寒さに凍えることはあまりなかっただろうけれど、
全体的に湿度が高いし、台風などは当時から脅威だったに違いない。
高床式倉庫などは見事な工夫の跡だと思うが、住居の多くは竪穴式で、
じめじめして暗く、今の感覚からすると快適とは言いがたい感じだった。

甕棺墓列を見ながら娘が、
「さすがに、『中のヒト』は、居ないのね」
と言った。出たな、ミイラ趣味!

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寝坊してホテルをゆっくりチェックアウトし
東京駅の、魚の粕漬けのお店『銀鯱』で昼食を取り、
それから八重洲ブックセンター本店に行った。
入り口で三人は別行動になり、各自見たい売り場へ散った(笑)。

主人や娘がどこに行ったか知らないまま
私はまず語学の棚を覗いてから東洋思想のコーナーに行ってみた。
こういう広い本屋には、えてしてとてもマニアックな本があるので
漢詩絡みで何かないかと期待していたのだ。

果たしてきょうは門玲子・著『江馬細香』というのを見つけた。
江馬細香というのは、化政期に優れた漢詩を残した女性なのだが
私にとってとりわけ彼女が魅力的なのは、
頼山陽の生涯の恋人であったという点だ。
山陽の人生には何人もの重要な女性が登場するが、
細香はその中でも、山陽の二度目の妻りえと「双璧」のように、
彼の精神生活に様々な影響を及ぼした存在だ。

あの時代に、自らの意志で独身を貫き、熱い恋愛感情を抱きつつも、
山陽との濃密な師弟関係を全うした細香は、異色の女性であったと思うし、
その細香を、女性や恋人としてのみ捉えるのではなく、
性別を超えて、彼女の詩才にまで惚れ込んでいた山陽もまた、
現代でも稀なほど「自由」な感性を持った男性であったのだと思う。

こんな評伝が出ていたとはきょうまで知らず、
これぞ出会いの本、と嬉しく思ったが、お値段なんと4200円……。
うぅむ、宝塚大劇場のB席を買ってお釣りが来るではないか。

しばし迷ったが、窓際の書見コーナーに持って行って、
少し落ち着いて目を通してみたあと、やはり買うことにした。
最初に店頭で手にとって中身を見る、という出会い方をしなければ、
なかなかこのような価格の本を買おうという決心はできないものだし、
心惹かれた本をその場で買わずに、『またそのうち』と先送りして
気づいたら絶版になっていた経験は、これまでたくさんあったからだ。

かくして、私の今回の東京みやげ(自分用)は『江馬細香』となった。

家族で二時頃集合し軽食をとって、午後三時半の新幹線に乗った。
午後七時半に広島着。

予報を見て覚悟したほどの雪にもならず
穏やかで良い二泊三日だった。

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遅く起きてブランチとして某ホテルのバイキングを楽しんだあと
雨模様だったがさほど悪い天気でもなかったので
娘が興味を持っている某大学を見に行った。
ちょうどどこかの学部が入試をやっているようだった。

そのあと上野の国立博物館へ行った。
入場券を買おうと並んでいたら、私達の前にいた男性が、
「アダルト。三枚」
と言っていて、何かR-18な響きに聞こえて私はウケてしまった。
しかしこのあと、博物館内部で再度お見かけしたときにわかったのだが、
この男性は、どうやら通訳ガイド(爆)の方であったようだ。

娘は博物館というものがもともと好きで、考古学趣味もあり、
将来は学芸員になれたらいいなあ、と途方もないことを言う人なので
(わかっている。それは漫画『ギャラリーフェイク』で仕入れた考えだ)、
今回もとても喜んで、自分の趣味の仏像や考古学関連の展示を見て歩いた。
それから、特設展の平山郁夫展も皆で見た。

博物館にいる間に、外はまとまった雨になり、
夕方からは傘をさしてホテルに帰った。
夜は一転して雨が上がり、月が出た。
赤坂の某中華料理店で夕食。

楽しかったが、大学に博物館にと、よく歩いて疲れた。

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東京  


予定通り家族で東京旅行。
名古屋~浜松は雪が多く新幹線は約15分遅れたが
あまり大きな影響はなく、ほぼ予定通り昼食→ホテルチェックイン。

夜は東池袋あうるすぽっとにて、劇団スタジオライフの
『11人いる!』を家族三人で見た(笑)。
休憩無しの二時間の公演は、結構、腰にキた。

詳しい感想は、多分、また、いずれ。

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頼春風は、山陽が脱藩事件を起こしたあと、
跡継ぎを失ったに等しかった長兄・春水の懇願に応えて、
自らの長男を、広島の頼家に跡継ぎとして送り、
春風自身は相続者をその後得られなかったため、養子を迎えた。

その養子というのが小園で、復古館は小園の三男・三郎の旧宅だったものだ。
春風館の西側、すぐ隣に建っており、頼惟清の旧宅ともほんの目と鼻の先だ。

**************

ということで、私の頼山陽趣味に主人はよくつきあってくれた(笑)。
そのあと、ふたりで某お蕎麦屋さんに行って、
初志通り、お蕎麦で昼食をとった。

私は温かい「鴨南蛮蕎麦」で満腹してシアワセになったが、
「通」である主人は、迷わず「せいろ」を注文し、
蕎麦を味わい、つゆを楽しみ、更に「せいろ」の二枚目も平らげたのち、
「あんた、もうちょっと観光しとって。ワシ、もう一軒、行くから」
と私に言った(爆)。

私はそれで、地酒のお店や無料公開の旧家などを覗きつつ
最初の頼山陽の銅像まで戻ってきて、写真を撮ったりして、待った。
主人はそのあと、別の店で「とろろ」蕎麦を食べたそうだ。
戻ってきての感想は、「まあまあじゃった」とのことだった。
滅多に絶賛はしないヒトなので、きっと美味しかったのだろう(^_^;)。

ちなみに本日は、娘は学校があったので一緒ではなかった。
彼女は学校が終わると、家で独りで昼食をとり、パソコンを独占して遊び、
午後から中高生絵画教室へ、という平凡な、かつ自由な土曜日を過ごした。

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山陽の叔父・頼春風の旧宅。
残念ながら、内部は未公開となっている。
春風は、父・惟清に仕え、頼家を守りつつ、その最期を看取り、
自らも晩年まで竹原の地で過ごし、この春風館に没した。

医師であった春風は、躁鬱病の傾向のあった甥の山陽を
常に見守り支え続けた、第二の父とも言える存在であったようだ。

叔父・甥という単なる親戚関係でなく、
一族誰もが、ものごとをすべて「家」の単位で考え、
頼家の繁栄を第一に考えて生きた時代だったということが、
伝えられている様々な逸話から強く感じられる。

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竹原の街並み保存地区の一角に、頼山陽の祖父の、
頼惟清(ただすが/これすが)の旧宅が残されている。
頼山陽を読む者にとっては、頼家発祥の地として、
重要な史跡と言えるだろう。

写真は、奥まで入って中庭側から撮影したものだ。

成人後、山陽がこの家での往事を懐かしんで作った、
『吾家昔日読書山』の詩が、石碑として庭の一角に建てられている。

頼家はもと紺屋を営んでいたが、
惟清の長男春水(山陽の父)と三男杏坪は、広島で藩の儒官となり、
次男春風は医者となって竹原に居を構えた。

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天気が良いようだったので、朝からバスで竹原に行って来た。
私は前から、頼山陽の関係の史跡を辿ってみたいと考えていたのだが、
先日、ふと気づくと主人が竹原の案内パンフレットを眺めていて、
訊いてみたら「蕎麦、食いに行きたいなあと思って」と言うので、
それなら一緒に行こうかという話になったのだ。
主人も私も、竹原に行きたがっているのは自分だけだと思っていたが、
話は聞いてみなければわからないものだ(笑)。

芸陽バス『かぐや姫』号に乗れば、広島駅―竹原駅が一時間ほどで、
しかもその大半は山陽自動車道をノンストップで走行するので、
とても快適で、あっという間だった。
竹原駅前で降りて、商店街を抜けて町並保存地区のほうに行くと、
最初に目につくのが、本川のそばに建てられている頼山陽像で、
「鞭聲粛々夜過河」の漢詩の刻まれた石碑もあった。

頼山陽本人は主として広島城下の育ちで、
名を挙げたのは成人して京都に出てからだったが、
頼家はもともと竹原の出であり、市内には今も山陽の祖父や叔父の住居跡があり、
山陽も存命中には、たびたびこの地を訪れた記録がある。

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