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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



今朝がた、なーちゃんが夢に出てきた。

設定は、退団後の、女優のなーちゃんで、髪も短くないのだが、
カジュアルな、白っぽいパーカみたいなものを羽織ってらして、
なんだか、宝塚の頃の、出待ちで見たなーちゃんみたいでもあった。
とても、軽やかな印象だった。

私の夢の中で、なーちゃんは、都会の、
ビルの前みたいなところに、なぜだか一人で立ってらして、
感じとしては、迎えの車を待っている、という雰囲気だった。
だからそんなに時間はなさそうだった。
でも、私が「あ、なつめさんだ!」と思って近づいていくと、
ニコっと微笑んで下さった。

近くで見た、なーちゃんは、透き通るように肌が白くて、
『昔と変わってないなあ』
と夢の中の私は見とれていた。
とてもほっそりしていて、儚げな感じも以前と同じだった。
自己紹介もしていないのに、ファンだとわかって下さって、私が
「お会いできて良かったです」
と言ったら、
「ありがとう。次の公演がなくて、御免なさいね」
と、あのちょっとハスキーな、低い、温かい声で仰った。

私は、了解していた。
なーちゃんは、もう行ってしまうのだ、と。
そして、そこに行ったら、二度と帰って来ない。
だから、次の公演は、どんなに待っても実現しない。
夢の中で、私は、これから、なーちゃんが天国に行ってしまう、
と理解しているのだが、そのことは、どうしてか、
なーちゃんが宝塚歌劇団を退団してしまう、
ということと、とても似た意味を持っているのだった。

だから私は、残念で仕方がなかったけれど、泣いていなかった。

「みんな同じとこに、行きます」
と私は言った。全然言葉足らずで、変な言い方だった。
なーちゃんがこれから行く場所に、先に行った人もいるし、
ずっと後になってから行く人もいるし、勿論、私も行くし、
ひとりの例外もなく同じなんだと心底思って、そう言った。

ただ、『順番が違う』ところが、たまらないと思った。
でも、それは、目の前のなーちゃんには、言えなかった。

「いいのよ」
となーちゃんはまたとても良い笑顔で言って下さった。
何がどう『いい』のだか、話として必ずしもかみあっていないのに、
夢の中の私は、なーちゃんの気持ちがわかっていると、
(おこがましくも)納得していた。

なーちゃんには、なんの葛藤もないみたいだった。
ちょっと寂しそうだったけど、なーちゃんは、とても綺麗だった。

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女優の大浦みずきさんが死去(共同通信)
『元宝塚歌劇団花組のトップスターで女優の大浦みずき(本名阪田なつめ)さんが14日午前7時、肺がんのため東京都内の病院で死去した。53歳。東京都出身。葬儀は近親者のみで行う。お別れの会は12月2日午後2時から東京都新宿区南元町19、千日谷会堂で。喪主は姉内藤啓子さん。1974年に宝塚歌劇団に入団。ダンスが得意で、88年から花組男役トップスターとなり「会議は踊る」「ベルサイユのばら」などに出演。』

前に書いた『宝塚に熱中していたために、一時期、
RCサクセションのライブに行かなかった
』というのは、
まさにこの、なーちゃん(大浦みずき)率いる花組に
惚れ込んでいたときのことだった。

なーちゃんは、私の知る限り、最高の男役だった。
この人に出会わなかったら、私は宝塚を、
これほど真剣に観るようには、なっていなかったと思う。
彼女の、美しかった舞台姿、奇跡のような場面の数々を
私は生涯、忘れない。

なーちゃんは、きっと、ふわりと、天に昇っただろう。
彼女の、繊細で軽やかなダンスに本当に相応しかったのは、
もしかしたら雲の上の舞台だったかもしれない。
私も、いつかそれを観ることが出来るのを、
今は、これからの楽しみとして、待っていたいと思う。

なーちゃん、またお目にかかりましょう。
握手して貰ったときの、なーちゃんの細い指の感触、
素顔の、可愛らしい微笑み、今も目の前に蘇ってきます。


大浦みずきさん死去=元宝塚トップスター、ダンスの名手(時事通信)
来年復帰のはずが…元宝塚トップ大浦みずきさん逝く(スポニチ)

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宝塚OGシメ(紫苑ゆう)さんが、毎年、神戸で開催している、
ディナーショウ『再会』を、私はここ数年必ず見に行っているのだが、
2009年は『再会』十周年を記念して、バウホール公演をやる、
という発表が、昨年、シメさんご本人からあった

が、詳細が明らかになってみると、日程が10月30日~11月3日で、
あまりにも私には都合が悪すぎる、とわかった。
バザー前々日準備の日に始まり、村の秋祭り当日に終わるって(泣)。

ということで、私は、人一倍、これを楽しみにしていたにも関わらず、
今回の公演を、ただの一度も観ることが出来なかった。
シメさんが舞台に立たれる機会は、非常に限られたものなので、
私は千載一遇に等しいチャンスを逃すことになる、
と自覚していたが、この日程では全くどうしようもなかったのだ。

紫苑ゆう公式サイト Legend of Shion

行った友人のメールによると、実に良かったようだ。
今回のバウ公演は、一幕30分、二幕50分という構成で、
共演者は、なーちゃん(大浦みずき)と同期の未央一さんだったそうだ。
シメさんは、軍服も黒燕尾も、現役時代同様に素晴らしく似合って、
当時を知る者にとっては懐かしい「シメさんワールド」全開、
その舞台姿は、現役トップと言ってもなんの不思議もないほど、
相変わらず美しく、見事な男役ぶりであったとのことだ。

(公式サイトによると、音楽は吉崎憲治先生の書き下ろしで、
更に黒燕尾の場面の振付をかって出てくれたのは
ヤン(安寿ミラ)ちゃんだそうだ。なんて豪華で、良い話なんだ。)

宝塚に対する、惜しみない『愛』を訴えるシメさんの姿は、
これからも大切に宝塚を観よう、という気持ちにさせてくれた、
と友人はメールに書いていた。
シメさんほど、宝塚を愛し抜いたトップスターは居なかったし、
退団後もなお、宝塚を愛していると公言してはばからない、
熱い卒業生もまた、シメさんをおいてほかにないと、私も思う。
宝塚歌劇団は、もはや、昔のままとは言えないだろう、
と私は正直なところ、年々、観ていて感じるのだが、
それでもシメさんの、宝塚を思う気持ちは少しも揺らぐことがない。
それは毎年の『再会』でも、痛いほど感じられる。

来月行われる恒例の『再会』には私も行く予定にしており、
そこでは今回のバウ公演の逸話も聞かせて頂けるようなので、
とても楽しみにしている。
また、今回、会場にはCSのテレビカメラも入っていたそうなので、
公演の模様が、いずれなんらかのかたちで、
テレビで観られる日も遠くないのではないかと思われる。
宝塚を愛して愛して愛し続けているシメさんの心は、
きっと画面からも伝わることだろう。
放映を楽しみに待ちたいと思う。

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本日11時の宝塚大劇場星組公演を観てきた。
先月26日に初日を迎えたばかりの、柚希礼音(ゆずき・れおん)の
新トップお披露目公演で、演目は『太王四神記Ver.II』、二幕もの。

私は基本的にテレビが嫌いなせいで、韓国ドラマを全く知らなくて、
また宝塚として初演だった花組の『太王四神記』とも全く接点がなく、
したがって、きょうは何一つ予備知識も前提もない、
良くも悪くも白紙状態での初観劇だった。

今夜は詳しく書く体力も時間もないので、
とりあえず印象だけ記録しておくことにするが、
れおんくんは、歌も踊りも芝居も注文のつけ様がないほどで、
これだけ三技能に揃って秀でている主演者も珍しいのでは?
と、本当にその舞台姿に圧倒された。
それでなかおつ、大変に若い、というのが素晴らしいと思った。
また、ショーでもダンサーとしての面目躍如で、
本当にこれ以上言うことがないような巧さだった。

同時に、別の意味で私が最も気に入ってしまったのが、
すずみん(涼紫央)の演じた『大長老』だった。
『先代萩』の仁木弾正がめちゃめちゃパワーアップしたような、
手つきだけで妖気が漂う、徹底した作り方が、実に面白かった。
私は今回、終始すずみんから目が離せなかった。
いつの間に、こんなに色気のある個性的な敵役が出来るほどに
すずみんは大きく成長していたのかと、感無量だった。

それにしても、私がきょう、とても疑問だったのが、
エクスカリバー、じゃない、カウリの剣とかいうもののことだ。
「真の王は、カウリで刺されても死なない」
と、主人公の父で高句麗王のヤン(一樹千尋)が言った筈なのだが、
その舌の根も乾かぬうちに、そのヤン本人が、カウリで自害した。
私は、ヤンは王だから、死んだと見せかけて、実は死んでなくて、
周囲の目を欺いたのち、蘇って息子のために活躍するのだろう、
と期待していたのだが、ヤン王は、最後まで死んだままだった(爆)。
ってことは、ヤン王は、真の王ではなかったの??(爆)。


……とゆー程度に、物語について理解していない私が観たなんて、
いささか、猫にコンバンワだったかもしれない。すみません。



追記:宝塚ファン仲間に、カウリ剣について教えて貰った。
あれに刺されて死なないのは、「真の王」ではなく「チュシンの王」、
だった。とりあえず、私の耳が悪かった(爆)。
つまりヤン王は、「高句麗(の真の)王」ではあったが「チュシンの王」ではなかった。
「チュシンの王」とは、二千年に一度この世に生まれるという、
「世界を統一し平和をもたらす王」のことだと、芝居でも言っていた。
その部分は確かに聞いていたのだが、主人公タムドク(柚希礼音)には、
偶然にも「チュシンの王と認められる」ことが、すなわち、
「高句麗の王位を継ぐ」ことに等しかったものだから、
私は「チュシンの王」は単なる「高句麗王」の言い換えであり同じモノ、
的な勘違いを、途中からしていたようだった。

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まとぶん(真飛聖)は、私にとっては、
詳しく知っているとは言い難い生徒さんなのだが、
今回の広島公演を観ていて、私は、ちょっと久しぶりで、
私の知っていた昔の「花組」らしいトップさんが来たな、
と感じて、嬉しく思った。

私が最も熱中して花組を観たのは大浦みずき時代なので、
どうしても、花組というと当時の舞台が私の中の初期設定なのだが、
私の思う「花組の路線系男役」というのは、
振り返ってみると、そこまでの途中で星組を経由していて、
「ダンスの花組」の象徴だった、洗練されたスタイルの基礎に、
星組系のキザな魅力を併せ持っている人が多かった。
私が勝手にまとぶんに感じた「花組らしさ」というのも、
そういうことなのだろうと思う。

まとぶんが星組育ちであることは私も漠然と知っていたのだが、
今回、少し調べてみたら、まとぶん本人の宝塚志望動機として、
『星組の日向薫、紫苑ゆう、麻路さきが黒いスーツを着て、
旧宝塚大劇場の赤い絨毯の上に立っているグラビアを見た瞬間、
ハッとしてここに入ろう、と思った』
という言葉がウィキペディアで紹介されていた。
私はこれで、まとぶんに感じた、「星組経由・花組主演者」の
根拠がよくわかった気がした。
私も、日向・紫苑・麻路の三人がいた頃の星組が
どのようなものであったかを、実際に観て知っているし、
そのエッセンスを、確かに今のまとぶんの中に見ることが出来る、
と改めて思ったからだ。

いずれどこかで主演をしたには違いなかっただろうが、
私は、まとぶんが花組に来てくれて本当に良かったと思った。
勿論、まとぶん以前の、最近の花組主演男役だった生徒さんたちを
否定する気は毛頭なく、皆、それぞれに素晴らしかったと思うのだが、
まとぶんには、私の好きだった「昭和終盤の花組」が持っていた香りを
久しぶりに感じられたので、それが私にとって懐かしかったわけだ。

しかし、まとぶんの演じた『哀しみのコルドバ』のエリオ役は、
私の印象の中の、ヤン(安寿ミラ)ちゃんの演技とはかなり違った。
ヤンちゃんは、飽くまで私の抱いたイメージの中で、
いつも、孤独な陰を持っていた男役さんだった。
実際にはコメディセンスも卓越したものがあったし、
明るい役柄や光り輝く舞台姿も記憶にあるのだけれど、
私が一番ヤンちゃんだと感じるのは、彼女がたったひとりで、
孤独な心と向き合うような演技をするときだった。
彼女の演じたエリオは(私の記憶ももはや古いので確かではないが)
華やかなマタドールでありながら、その内側には深い寂しさがあり、
エバとの幸福そうな愛でさえ、その結末が絶望的なものであることが、
無言のうちに暗示されているような雰囲気だったと思う。

その点、まとぶんのエリオは、伸びやかだった。
才能と勝負強さに恵まれたエリオ、彼の前途は洋々と開けて見えた。
周囲の者たちをも明るい光で包むようなエリオは、実に魅力的だった。
その彼の、運命のカギを握ることになったのが、エバ(桜乃彩音)。
生来の大らかさで、エリオは真っ直ぐに彼女を得ようとするのだが、
ふたりには何の非もない、その愛のために、彼は身を滅ぼすことになる。
まとぶんのエリオは、その運命の転換、コントラストが鮮やかだった。
登場時からエリオが「正」のエネルギーに満ちていればいるほど、
最後の彼の、大観衆の中で散る終焉の姿が、
「負」の極みとなって、際だち、印象的だった。

今回の舞台にはヤンちゃんが振付家ANJUとしても関わっていたので、
ある意味、両エリオの共演でもあったわけだ。
全国ツアーだったからこそ広島公演があり私も見ることが出来たのだが、
この公演は大劇場で上演すれば、もっと面白かったかもしれない、
と見終わってから思った。

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主役をさしおいて、なんでゆうひ(大空祐飛)くんを語っているのか、
我ながらおかしいのだが、もうひとつだけ、ロメロのことを書くと、
決闘の直前に、エリオとエバの出生の秘密が明かされ、
絶望のただ中に突き落とされたエリオを前にして、ロメロもまた、
深い打撃を受けたことが、今回の舞台ではよくわかった。
残念ながら私は正確な台詞を覚えていないのだが、
『どう申し上げたら良いのか』みたいなことを、
ロメロがエリオに向かって言葉少なに言う箇所があって、
この言い方が、ゆうひくんのはとても巧かった。
短い台詞だが、大変に印象に残ったのだ。

ここではもう、話の中心はエリオのほうに移っているし、
ロメロの発言は、言い様によっては蛇足にさえなりそうなのに、
ゆうひくんの声のトーンからは、ロメロの立ち位置がよく伝わって来た。
彼は彼で、エバを愛し、これまでに彼女との間に築いたものがあり、
エリオのことも、エバを通して彼なりに知るようになっていた。
多分、この場でエリオの苦悩の意味が、最もよく理解できたのは、
エリオの母親でもなく友人たちでもなく、
エリオと同じ女性を見つめてきた、このロメロだったと思う。

あとで調べたら、ゆうひくんは92年初舞台なので、
95年初舞台のまとぶん(真飛聖)より、3期ほど実際に上級生だった。
この学年差の御陰で、今回の配役が巧く行った面もあったかもしれない。
ロメロは路線男役にとって大変難しい役だと改めて思った。
それをあそこまでかたちにして見せたゆうひくんは、さすがだった。
広島で彼女を見たのは、『ジャワの踊り子』のハジ・タムロン、
『ダルレークの恋』のペペル、そして今回のロメロと三度目だったが、
どれも彼女ならではの魅力があり、高い完成度だったことがよくわかった。
彼女はこのあと、宙組主演男役に就任することが決定しており、
まさに満を持して、と言える、良い時期に昇格が決まったと思った。

さて、このあとは、記憶が新しいうちにまとぶんのことを書かないと(^_^;)。

(続)

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ロメロがレット・バトラーほど年齢の高い男だとは思わないが、
明らかに、主役のエリオより年長の男性だということが
ゆうひ(大空祐飛)くんの演技から自然に伝わってきた。
エリオが、情熱的で眩しい、いかにも青年らしい存在であることに較べ、
ロメロは、財力も社会的地位も兼ね備えた、陰のある大人の男性だった。
オペラグラスを持っていなかったので、細かいことはわからなかったが、
ゆうひくんの演じるロメロは、芝居の流れが能動的な場面でも、
冷たく硬い表情を維持していたところが多かったのではないだろうか。
舞台の雰囲気やロメロの風情からは、そのように見えた。

最初にロメロを良いと思ったのは、別邸での夜会の場面の立ち姿で、
私の観たい・私好みの、男役の上着ラインが、実に綺麗に見えた。
「ただまっすぐ立っているとき、どんな男役に見えるか」
というのが、究極的な試金石みたいなものだと私は常々思っていて、
今回のロメロには、その点で「!」と心惹かれるものがあった。
ただ、このときは、ゆうひくんだと全然気づいていなくて、
『誰か知らんが、さすが、花組の男役だなぁ』
とひたすら自分勝手な感慨にふけっただけだったが
(高汐巴の時代以来、私の中では『花組の男役』というのが、
宝塚男役のエッセンスを体現する用語みたいなものだ(殴))。

そのあと、しばらく、ビセントとメリッサの道ならぬ恋のほうに
話の力点が、一旦、移動してしまったような印象があって、
私はこのあたりはビセントが二番手だと勘違いして観ていた。
ビセント(愛音羽麗)には破滅的な美しさがあって、とても良かった。
年齢だけでなく役柄的にも、本来はロメロよりビセントのほうに、
主役に準じる味付けとか場面構成などが与えられているようだし、
もっと濃く演ってもおかしくないのでは、と観ながら思ったが、
後半、ビセントの登場場面がなくなり、軽い扱いになってしまうので、
芝居全体のバランスを考えると、難しいところだったのかもしれない。

メリッサを巡ってビセントと争う司法長官がまた、実に端正で
ロメロほどの年齢は感じなかったが(でも本当はオッサンなのでは?)
誰が演じているのかと思ってあとで調べたら、こっちは眉月凰だった。
エリオ、ロメロ、ビセント、司法長官のセバスチャン伯爵、
それにエリオの師アントン(夏美よう)、と、
どちらを向いても型の見事な二枚目が並んでいて、
こういうものが観られる組はやはり豪華でいいなあと思った。

さて、ビセントとメリッサの後を辿るように、
その後、エリオとエバも危険な恋に身を投じるのだが、
エバを愛人にしていた(「妻」でないところが良い!)ロメロは、
これを看過できず、自身の愛と誇りを賭けて決闘を申し込んでくる。
芝居では、エリオの葛藤がとても丁寧に描かれていて、
まとぶん(真飛聖)は勿論、文句なしの好演だったと思うのだが、
私は、ここでロメロのほうの内心が吐露される場面がほぼ無いというのが、
柴田先生の計算なのか、主役じゃないから仕方ないのか(!)と、
客席で再び悶々としてしまった。
ロメロみたいに誇り高い大人の男が苦悩するところって、
観てみたいではありませんか(殴)!
ゆうひくんが、エリオの前では、感情を露わにするぎりぎり手前で、
ようやく踏みとどまったような演技を見せているので、よけいに!
エバもロメロには逆らえず、一旦、連れて帰られたわけだが、
あのあと、どうなったと思います(殴)!?


(続)

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(5月17日(日)11時公演 広島ALSOKホール)

『哀しみのコルドバ』と言ったら、峰さを理じゃないか。
なんという古典的名作を今頃掘り起こして来たのだろうかと
最初にこのツアーの演目を知ったとき、とても懐かしく思った。
それで先ほど、遅ればせながら上演記録を調べてみたのだが、
峰さを理による初演は85年、とあった。
そんなもんか。だったら、私の中では、あんまり昔でもなかった(汗)。
初演は70年代かと思っていた。私の記憶は無茶苦茶だ。

再演が安寿ミラ主演(95年)だったことは、よく覚えている。
が、私の中で第一次宝塚ブームを起こした大浦みずきが退団し、
ちょうど、ファンとしてはモラトリアムのような時期だったのと、
松江に住んでいて大劇場が遠かったのとで、観に行かなかった。
テレビでは観たのだが、肝心の舞台のことより、
番組表か何かで、『哀しみのコバルト』という、
オオウケな印刷ミスを発見した記憶のほうが強烈だったりして、
結局、大馬鹿なことに、細部は全然、覚えていないのだった。

ということで、私は、なんとなく『名作』感があっただけで、
その実、かなりあやふやな状態のまま、今回の観劇に出かけた。
キャストも、ろくに把握していなかった。
失礼な!と怒らないで下さい。
私は、歌舞伎でも、席についてから「うそぉ!踊りだったか!」
と初めて演目に気づくような人間
なので。

主役がマタドールのエリオだというのは、観る前からわかっていたが、
私は最初、二番手男役がやるのはビセントだと勘違いしていた。
そう考えてしまった理由は、初演で日向薫がこれを演じたからだと思うのだが、
しかし後で調べてみたら、85年当時のネッシー(日向薫)さんは
単独二番手とは言い難いポジションだったようだし、
更に95年の再演時に二番手だった真矢みきが演じたのは
この役ではなかったことも判明し、
私の記憶が、どんだけいい加減に混乱しているかが、
改めて自覚できただけだった。

で、今回、観劇時にはまだビセントが二番手だと思い込んでいたわけだが、
芝居が進むにつれ、どう観ても私の目には、
オッサンな筈のリカルド・ロメロのほうがイイ男に見えて、困った。
ビセントも勿論、それなりに雰囲気があって、ゾクゾク来るのだが、
ロメロが出て来るたびに、私は「この人をもうちょっと観たい」と思った。
立ち姿が綺麗で、型どおりの台詞でも『何かある』感じがしたからだ。
しかし私はオペラグラスも持っていないうえ、最後列に近かったので、
顔がわからず、誰が何を演じているか定かでなかった。

私が以前から感じているのは、「大人の男性を演じられる男役は少ない」、
ということで、今回のロメロにはそれが出来ていたから凄いと思った。
宝塚の二枚目男役は、少女漫画から抜け出したという例えがあるように、
通常、描線の細い、綺麗で若い青年が多く登場している。
しかし時々、レット・バトラーのように、かなり年齢の高い男性を、
路線の二枚目男役が務めなければならない演目があって、
そういう役は、本来女性である男役スターには、とても難しいように思う。
異性を演じなければならないうえに、年齢まで表現する、というのは、
男役の側にそれなりの力や貫禄がないと、出来ないことだからだ。

終盤、主人公のエリオが、ヒロインのエバを巡ってロメロと決闘する、
という展開になって、私はついに、ロメロを演じているのが誰なのか、
配役を見なくても確信できた。

大空祐飛だった。


(続)

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きょうの11時公演を観てきた。


(感想を書くつもりなのだが
昨夕からパソコンのモデムが具合悪く
今ネットに接続できないので
詳しいことは復旧してから…)

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今朝、主人の観ていたテレビの星占いでは、
私「カニ座」は12星座中12位、つまり最悪の運勢だった。
トラブルが続出する的なことが書かれていて、
ラッキーアイテムは『割り箸』、
幸運のおまじないは『前髪を少し切る』、だった。

**************

星占いを見終わって主人が出勤し、私もすぐ家を出た。
きょうは、11時開演の宝塚月組バウホール公演を観る予定で、
間に合うためには8時台の新幹線に乗る必要があったからだ。
広島駅に、のぞみは予定通り来た。
朝食をとっていなかった私は、駅弁を買って乗ったのだが、
封入されていた割り箸以外に、売店でも割り箸をつけてくれていて、
期せずして、ラッキーアイテムを手に入れてしまった(苦笑)。

私が朝急いで宝塚に向かうときの乗り換え手順は、
新大阪まで行ってそこから特急でJR宝塚へ直通、
というふうに、毎回決まっている。
新大阪からJR大阪に行き、梅田を経由して阪急で宝塚南口に行くとか
新神戸で降りて三宮に向かい、阪急に乗って西宮北口乗り換えとか、
いろいろと試みた結果、結局は、乗り継ぎさえ良ければ、
JRで特急利用が最速であることを私はかなり以前に発見したのだ。
今朝も勿論、そのつもりだった。

ところが。
新大阪に降りる直前になって、車内アナウンスで、
琵琶湖線で人身事故・京都線で線路内侵入、と二件のトラブルがあり、
JR福知山線にも影響が出ている、ということがわかった。
新大阪に降りてすぐ、駅員さんに特急は来るかと尋ねたら、
「遅れはない」という返答だったにも関わらず、
案の上、待っても待っても、予定の特急は来なかった(汗)。
こんなことなら、新神戸で降りて阪急に乗るべきだった。

前髪を少し切って来なかったのは失敗だった
変な顔になるだけだと思い、相手にしなかったのだが。

**************

結局、28分遅れで、JR宝塚に着いた。
バウホールに駆け込んでみたら、
なんと、本日はビデオ撮影の日だった(大汗)。
すっかり開演してから、暗い客席を、案内嬢の後ろから、
ヨタヨタと入っていく、私のデカい後ろ姿は、
きっとカメラに入ったと思う。
カットされていることを祈るのみ。
申し訳ありませんでした。
割り箸は、つまり全然、効果なかったぞ(涙)。

**************

舞台は、とても面白かった。
二人の貴公子パラモンとアーサイトは、
従兄弟同士で、似た者同士だが、その存在感は明らかに陽と陰、
二人の運命は、そこかしこで暗示されていて、
それを演じる龍 真咲と明日海りおが、また実にハマり役だった。
下級生時代の瀬奈じゅんと霧矢大夢みたいな雰囲気があって、
「宝塚」として受け継がれていくものが確かにあるのだなあ、
とオバさんファンとしての感慨があった。

しかしなんと言っても私の今回のお目当ては、
萬あきら・磯野千尋の両氏が並んでご出演だったことだ。
こんな素敵なオジサマが今時、どこの世界にいようか。
私はこのお二人には魂を捧げても良いほど惚れ込んでいるので、
同じ作品に出ておられるということだけでも嬉しかったのだが、
役柄としても、今回はアテネ公爵テーセウスと、その親友ペイリトオス、
という配置で、豪華な舞台姿に改めて惚れ惚れしてしまった。

ニの線もできる上級生、あるいは専科の職人的男役、
という存在が、今の宝塚歌劇団にはこのお二人以外にはほとんどなく、
その点だけが大変残念であることを、きょうの舞台で痛感した。

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