goo blog サービス終了のお知らせ 
転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



(以下は、雪組公演『カラマーゾフの兄弟』および原作小説に関する、
ネタばれを含む文章です。結末は自分で見る(読む)まで知りたくない、
とお考えの方は、絶対に下の文章をお読みなりませんように。
私は以下の記述で、殺人事件の真犯人および物語の結末を明かしています。)


*************

アレクセイの沙央くらまは実に好演だったと思う。
思いやりがあり、純粋で、しかし自分の考えを持っている、
まっすぐな青年を、原作のイメージ通りに演じてくれた。
アレクセイは、最も年若く穏やかな性格であるために、
常に淡々と優しく、ほとんど能動的になることのない存在なのだが、
沙央くらまのアレクセイは、決して影の薄い青年ではなかった。
家族の争いに心を痛める優しさが、出番ごとにきちんと出ていて、
物語の根底を静かに支える存在感があったと思う。

スメルジャコフの彩那音も良かった。
設定も見た目も、原作よりずっと綺麗なスメルジャコフで、
彼の母親も無邪気さが強調された存在だった。
宝塚歌劇だし、そういう脚色は充分あっても良いと思った。
不気味さの点でも妖しさの点でも、
彼女のスメルジャコフは普通の人でない雰囲気があった。
どの場面も良かったが、やはり白眉は、最後に、
イワンに事件の真相をすべて語って聴かせるところ、
そして自分もまた「カラマーゾフの兄弟」であったのだと
明かすところだ。
受けるのが彩吹真央だから、尚更成功したのだとも思うのだが、
あのあたりのテンポや緊迫感は、展開を知っていても目が離せず、
3000ルーブルを出して見せるところなどゾっとさせられたくらいだ。

父親のフョードルに未来優希、うまいだろうなと思った通り、
とても巧かった。妙齢のお嬢さんとは思えません(爆)。
こちらも原作よりずっと美しいお父様で、品格ある道化だったが、
これくらい男ぶりの良い父親なら、単にお金の力だけでなく、
男としての魅力も相まって、女達をたぶらかすことが出来るだろう、
と見ていて思った。
ドミートリーの回想シーンで、母のアデライーダがいながら、
父フョードルが大勢の女達と次々に遊ぶ場面があったが、
あのヤらしい手つきなど、ハマコさんに目が釘付け(O_O)だった。

カテリーナの大月さゆ、とても綺麗だったのだが、
私の思っているカテリーナと、ちょっと違った。
それは脚本的な問題だったかもしれないとも思うのだが、
私としては、カテリーナは知性が高く、なおかつ美貌で、
自身もそれを自覚しているがゆえにプライドが高く、
常に張り詰めた細い金色の糸みたいなイメージがあったのだが、
大月さゆちゃんのカテリーナは、もっと柔らかい感じがした。
だから一旦はイワンを拒絶しても、すぐ結ばれそうに見えたし、
裁判の場で、ドミートリーのために証言したあと、
すべてを撤回するに等しい証拠を持ち出すに至るまでの、
彼女の、気の狂いそうになる葛藤は、あまり感じられなかった。
「イワンを救わなくては!」(←この台詞も凄いと思った、
まとめれば彼女の乱高下するような胸のうちはこの一言になるかと)
の一瞬でカテリーナの心がすべて簡単に決まったように見えて、
私としては物足りなかった。カテリーナは千々に乱れて欲しかった。
ただ原作のイメージから私が離れるならば、
大月さゆちゃんのしていたカテリーナも、アリだとは思った。
イワンの愛を受け入れる、可愛らしさや柔らかさがあったと思う。

Trackback ( 0 )




(以下は、雪組公演『カラマーゾフの兄弟』および原作小説に関する、
ネタばれを含む文章です。結末は自分で見る(読む)まで知りたくない、
とお考えの方は、絶対に下の文章をお読みなりませんように。
私は以下の記述で、殺人事件の真犯人および物語の結末を明かしています。)


*************


主演の、長男ドミートリー・カラマーゾフ役は水夏希で、
男っぽい役で色気の出せる彼女に、よく似合っていて良かったと思った。
登場時から、ドミートリーは女をめぐって父親と激しく諍っており、
特に物語の前半は、猛り狂う姿が大変印象的なのだが、
ミズくんは台詞や設定の際どさの中に、一定の品格をきちんと保って、
宝塚歌劇の香りを端々に見せてくれたのが、大変良かった。
幕が下りたあとの挨拶で、ミズくん本人が、確か、
「ドロドロの人間模様を、宝塚らしく」演りたい、という意味のことを
話していたと思うのだが、それは確実に実現できていたと思った。
ラストで、手錠(縄か?)をかけられた両手を、
グルーシェニカの頭の上から背中側に回して抱き寄せ、キスする、
あの構図は実に魅力的だった。

グルーシェニカの白羽ゆりは、美貌は勿論のこと、
目力が素晴らしく、生き生きとしたロシア女性を見せてくれたと思う。
アントワネットなどの女王様然とした役の印象が今まであったのだが、
今回は、女が才覚と身ひとつで世の中を渡るしたたかさが、
全く無理なく出ていて、とても良かった。
身のこなしや衣装の着方など、かなり工夫したのではないだろうか。
低い声にもハっとさせられるような艶やかさがあった。
娘役と女役の中間にあるような役柄だと思うのだが、
となみ(白羽)ちゃんの舞台経験あってこそこなせた役かもしれない。
高利貸しのサムソーノフに囲われ、三兄弟の父フョードルをたぶらかし
ドミートリーを虜にし、さらに心の中ではポーランド人将校を想う、
という物凄い設定だが、そういう一筋縄でいかない女でありつつ、
ドミートリーの愛にあたいする魅力をも発揮していたのは、
となみちゃんの巧いところだと思った。

イワン・カラマーゾフには彩吹真央で、今の雪組なら確かに、
彼女でなければイワン役は務まらないだろうと私も思った。
これだけ歌えて踊れて芝居ができて、なおかつ二枚目が演れる、
という役者さんは、そんなにいない。
ファンの中には彼女の巧さをとっくに当然のことと思っている人も多く、
「また、いつものゆみこ(彩吹)でしかなかった」
という手厳しい感想も、某掲示板で見かけたのだが、
彼女の演じたイワンは、原作や映画と較べても、非常に魅力があり、
脚本・演出の斎藤吉正がプログラムに書いている「頼もしい彩吹真央」
という表現は、まさに言い得て妙だと私は思った。
イワンは一見クールで理知的だが、大変繊細であり、
心の奥には非常に病んだ部分をも持ち合わせている人物だ。
前半、それらが均衡を保っていた間のイワンは、常に冷静だが、
終盤でスメルジャコフの告白を聞いてから、彼の中の何かが崩壊する、
このあたりの壊れていくような演技も、ゆみこさんは大変巧みだった。

そのイワン・カラマーゾフには、原作でも「もうひとりのイワン」がいて、
原作や映画では彼の幻覚症状のようなかたちで登場し、口をきくのだが、
今回の演出では、最初から舞台上に、「イワンの幻覚」がいた。
演じるのは専科から出演の名ダンサー、五峰亜季
本来は娘役さんだが、この舞台では敢えて性別がわからないような存在で
まさに、実体を伴わない、イワンの心の中の、もうひとりの彼、
という雰囲気が、存分に表現されていたと思う。
「イワンの幻覚」は、物語の大半では、イワンのそばに付き従い、
彼の内心を代弁し、それはイワン本人にとっても心地良い囁きなのだが、
終盤になって、急に、「幻覚」は隠し持っていた刃を光らせるように、
イワンに続けざまに打撃を与え、彼の内心をズタズタにする。
ただ、原作のイワンは、生きる力さえ枯渇した存在になって終わるが、
今回の舞台では、カテリーナが彼に寄り添う結末なのが救いだった。

(続)

Trackback ( 0 )




(以下は、雪組公演『カラマーゾフの兄弟』および原作小説に関する、
ネタばれを含む文章です。結末は自分で見る(読む)まで知りたくない、
とお考えの方は、絶対に下の文章をお読みなりませんように。
私は以下の記述で、殺人事件の真犯人および物語の結末を明かしています。)


************

・全体としては、あの長い小説を、よくぞ二時間にまとめた、
と驚くような脚本の出来映えだったと思った。
私は今の宝塚には、殊更に贔屓の生徒さんはいなくて、
今回は題材に惹かれて見に行ったのだが、
私にとっては、期待を裏切られない充実した舞台だった。

・限られた上演時間、若い女性ばかりのキャスト、ミュージカル仕立て、
という、およそドストエフスキーとは相容れない(爆)条件にも関わらず、
原作小説の骨子となった部分を過不足なく巧く取り入れられるとは、
私は観劇前には予想もしていなかった。
特に、ドミートリーとグルーシェニカの恋愛を中心にしながらも
イワンの悲劇、スメルジャコフの存在意義、アレクセイの立ち位置、
など、触れるべきどころにはきちんと触れていたのが良かった。

・原作小説では、下男スメルジャコフの父親が誰なのかは不明瞭で、
訳者や解説者によっては父親はグリゴーリーとする説もあるが、
今回の舞台では、映画(1968年・ソ連作品)と同様、
スメルジャコフの父親はフョードルである、という設定になっていた。
これの御陰で、スメルジャコフもまた「カラマーゾフの兄弟」であった、
という筋が通り、タイトルの意味合いがいっそう鮮明になる効果があった。
また、スメルジャコフがイワンの思想に共鳴し心酔した理由も、
彼がカラマーゾフの兄弟のひとりであればこそ、
理論だけでなく「血が呼び合った」ような納得感があった。

・イワンの分身であり陰である彼自身のもうひとつの声を、
最初から『イワンの幻覚』として別の役者にさせる演出も秀逸だった。
『イワンの幻覚』は物語の大半ではイワンに寄り添い、
彼にとって不愉快ではない彼の内面を代弁する役割を果たすが、
終盤、法廷でイワンが証言したところから、
俄に『イワンの幻覚』はイワンとは別の自己主張を始める。
真犯人はスメルジャコフだと言明したイワンをみて、傍聴人たちは、
「下男に罪をかぶせて。次男が真犯人か」と誹謗中傷し、はやしたて、
彼らの得手勝手な興奮と悪意にさらされたイワンが
「何なんだ、こいつらは」と愕然とした時、
「これが、お前が救おうとした民衆の真の姿だ」
と『イワンの幻覚』が冷たく告げる、あの展開は素晴らしかったと思う。

・原作から入った者としてウケたのは二幕冒頭の『大審問官』だった。
原作ではこの部分は極めて重要な思想的ハイライトのひとつであり、
一大物語詩『大審問官』とそれに至るイワンの思考には
相当の頁数があてられているのだが、なんとこの舞台では、
「♪だ~い、しん!もん!かん!」
とスバラしく元気な長調の行進曲風になって登場したので畏れ入った。
しかも、「我々は、(貴族だけでなく)神をも裁く、大審問官だ」
という一言で大審問官を定義されていたのも凄かった。
あの長大なドストエフスキー作品をもとに、
『筆者の主張を二十字以内で簡単にまとめなさい』
と言われ、やってみたら、出来た、みたいな現実に私は脱力した(逃)。

・ラストは、有罪判決を受けシベリアに送られるドミートリーに、
グルーシェニカがついて行く、という結末だった。
小説では未来ある少年たちが、アレクセイを囲んで力強く万歳を叫ぶ、
将来を暗示するようなラストシーンになっているのだが、
映画と同様、この舞台もアレクセイの物語には力点が置かれていないので
少年たちも全く登場しないし、ロシアの未来への予感も描かれない。
何もかもなくしたドミートリーに、グルーシェニカとの愛が残り、
絶望したイワンのそばにはカテリーナが寄り添い、
アレクセイも俗世に戻ってリーズと婚約する、
という、いささかご都合主義だが後味は悪くない決着で、
このお芝居は閉じられている。
・・・そのあとにつく、超ポピュラーなロシア民謡のフィナーレは、
ベタな感じはしたが、宝塚歌劇なので、あれもアリかなと(苦笑)。
フォークダンスでお馴染みコロブチカなんかを
まさかカラマーゾフの悲劇のあとで聴こうとは思わなかった。
歌詞が橋幸夫と一緒かどうかは、確認しなかったが(爆爆)。


(続)

Trackback ( 0 )




雪組公演《カラマーゾフの兄弟》観劇中。

今、一幕終わったところなのだが、
『かなりイイんでないか?』と思える私っておかしい?(爆)

この公演の評判も何も知らないで来たし、
宝塚でカラマーゾフは無理だろうなあとも覚悟していたし、
現に見ながら『え~!そんな話だったっけ~~?』
とびっくりしたところもあったのだが、
全体としてなんだか凄くイイ。
キャストも予想以上だ。
ハマりそうな気がする。

もしかして、私が宝塚に求めてるものが既におかしい?(爆)

Trackback ( 0 )




先日、なーちゃん(大浦みずき)が急病のために
予定されていた舞台を降板するという出来事があった。

大浦みずきが胸膜炎で舞台降板 代役は杜けあき(ORICON)

降板決定以前に、『スーザンを探して』の制作発表の会見を
なーちゃんが欠席したことはニュースで読んで知っていたのだが、
宝塚時代、およそ病気休演など考えられなかった彼女でも、
長い舞台人生にはこんなことがあるのだなと、驚き、また心配にもなった。
なーちゃんが休むというのは、よくよくのことだと思ったからだ。

幸い、後日のニュース等では、彼女の容態そのものは安定しており、
ただ公演日が来月で、治療の後では充分な稽古ができないという理由で
降板を決めたと書かれてあったので、一応、安心することはできた。
胸膜炎は原因疾患が何であるかによって、治療内容も予後も違うが、
何であれ、普段はない、休養のための良い機会ということで、
体のメンテナンスの時間を取られるのが良いのではと思った。

********

私が宝塚で最も敬愛した男役スターは、この、大浦みずきなのだが、
私が宝塚に熱中した80年代後半から90年代初頭にかけては、
彼女ほど、男役としての美学と、技術的なレベルの高さが
見事に釣り合っていた男役は、ほかに無かったと思う。
その彼女の舞台のうち、サヨナラ公演(91年)の映像が、
このほど初めて、DVDとして発売されることになった。

大浦みずき のサヨナラ公演、初DVD化!

収録が「東京宝塚劇場」というのが、とても嬉しいことだ。
これは勿論、今とは違う、旧・東宝の映像だ。
当時、宝塚大劇場での公演から、東京公演までの期間が、
今よりもっと開いていて、数ヶ月はかかっていたので、
大劇版と東京版は、内容的に、微妙に違うことが多かった。
この公演も、私は東京版のほうが遙かに気に入っていたので、
そちらがDVDとして残るのは大変喜ばしいと思っている。

だが、大浦ファンだったら、ほとんどの人が最も観たいのは、
『ロマノフの宝石』『ジタン・デ・ジタン』の東京公演(89年)
のほうではあるまいか、と私は思っている。
恐らく、トップとしての大浦みずきが一番輝いていた時期の公演だった。
NY公演後の晴れがましい気分の中、退団発表の気配は未だ遠く
(今みたいに、トップ就任直後に退団発表などということは当時は無かった)、
そこに、まさになーちゃんのために書かれた二作品がまわってきて、
演技者の充実と作品の方向性とファンの高揚感とが、
絶妙な配置でバランスの取れていた、実に幸福な時期だったと思うのだ。

勿論、今回発売されるサヨナラ公演あたりも文句はないし、
堂々たる余裕の主演者ぶりで、とても素晴らしいのだが、
なーちゃんに時折、疲労の色が見えるので、その点が私には少し切ない。
サヨナラのひとつ前、『ザ・フラッシュ!』で疲弊しきったあと、
回復しないまま、退団公演に突入してしまった印象が拭い去れないのだ。
でももしかしたらそれは錯覚で、必死で観ていた当時の私が、
とても疲労していたことを、思い出しているだけかもしれないが。

何であれ『ロマノフ』『ジタン』が見事な公演だったことは間違いない。
大劇場版の『ロマノフ』だけはテレビ放映があったのだが、
あれは実は、東京ではかなり手を入れられて、完成度が全く違った。
加えて、『ジタン』は大劇・東宝ともに全く放映されておらず、
当時のことなのでビデオ販売もなく、完全に幻の公演になっている。
これらがDVD化されることがあれば、私は必ず、
鑑賞用と保存用の二枚は買う(爆)。
それくらい、私にとっては最高の公演だったのだ。

TCA様、お願い致します<(_ _)>!!

*************

ちなみに、今回の大浦降板で代役となる杜けあきの、
旧大劇場におけるサヨナラ公演が、忠臣蔵(92年)だ。
この公演、日本物を得意としたカリンチョ(杜けあき)さんが、
もう、本当に輝くばかりに美しくて、しかも伸びやかな歌声が素晴らしい。
一路真輝を二番手で使ってしまうという贅沢も、どうですか、これ!
また、キャストには出ていないが、若き日のたかこ(和央ようか)さんが
読売役で「さぁさぁ」歌っているのが観られる公演だ(爆)。
しかし冗談ではなく、このたかこさんを観ると、
この段階で既に明らかなトップ候補だったことがわかる役付で、
私は、彼女は将来、雪組でトップになる人だと信じて疑わなかった。
宙組が出来るなんて、考えてみたこともなかった。
・・・どういう大昔の話なんだ。

もうひとつ、前の記事で触れたシメ(紫苑ゆう)さんは、
紫禁城の落日(92年)に二番手で出ている。
ネッシー(日向 薫)さんのサヨナラ公演の映像だ。
当時、日向薫・紫苑ゆう・麻路さき、というと、
もう、目のくらむようなきらびやかさだったものだ。
こちらはデータを見ると大劇場での収録となっている。
私は東宝しか観ていないので、これもちょっと欲しかったりして。

Trackback ( 0 )




ここ数日、アクセス解析を見ると、この日記の検索ワードの第一位が、
連日、『紫苑(しおん)ゆう』になっている。
例年、『再会』のあとは増えるものなのだが、今年は特に多い。

シメ(紫苑ゆう)さんご本人が、オフィシャルサイトにて、
直筆メッセージで言及なさったので、私もわかる範囲で書いておくが、
こんな辺境サイトまで来て下さっている皆様が、
今、いちばんお知りになりたいのは、これ↓ではないでしょうか?

2009年11月 紫苑ゆう宝塚バウホール公演

シメさんは、例年秋に神戸で開催して来た『再会』が、
来年で第10回目を迎えるということで、
「バウをやる決心ができました」
と、今年のショーの中で仰った。
時期については11月というお話だったと記憶しているが、
確定的な日時までは言われなかったので、
変更の可能性はあると思うし、正式発表を待ちたい。
ただ、複数回の公演が予定されているとのことではあった。

内容については、「演出家の先生について頂いて」と
シメさんが仰っていたので、なんらかのショー形式になるようだ。
が、それ以上の話は『再会』の時点では出なかった。
どのようなものになって行くかは、まだこれからということだろう。
毎年、「老化した、老化した」と笑っていらっしゃるシメさんなので、
とりあえず激しいダンス・ショーにはなるまい、と思うが(爆)。

そして来年は、このバウ公演のほか、『再会』もあるそうだ。
なんと、来年の秋は、宝塚バウホールと、ホテルオークラ神戸の、
両方で、シメさんにお目にかかれることになりそうだ。

・・・が、バウはチケットが取れるかどうか、と考えると、
私は今から絶望的な気分だ。
チケットを一般発売していない『再会』だけでも、
毎年必ず、一度に1000名以上がやって来るのだ。
たった500名しか入らないバウ公演で、
もしチケットが普通にプレイガイドで販売されるとなると、
私など、どうやっても入手することは出来ないと思う。orz

あ、いや、こんな、はるか手前の段階から
早くも諦めたりしては、いけない・・・(涙)!

ということで、2009年はシメさんの貴重な舞台が、実現する予定です。

Trackback ( 0 )




今年も、シメ(紫苑ゆう)さんの『再会』で、
ホテルオークラ神戸に行った。

紫苑ゆう『Legend of Shion―再会Part8』
紫苑ゆう『Legend of Shion―再会Part7』
紫苑ゆう『Legend of Shion―再会Part6』

退団後14年になる今も、1000人以上が集まるこの催しは、
いつも、シメさんの、宝塚への「愛」が本当に強く感じられ、
それが、男役・紫苑ゆうの吸引力の根源であるわけだが、
皆も、そのようなシメさんを通して宝塚を見直すこのひとときが、
大好きだからこそ、毎年、こうして変わらずにやって来るのだと思う。

死んでもいいほど宝塚が好きだという気持ちで舞台に立っていたと
彼女のようにはっきり言えるOGは、そんなに居ないのではないだろうか。
シメさんの舞台を知っていて私は本当に幸せだったと
今夜は改めて思った。
あの頃の思い出があるからこそ、贔屓がいてもいなくても、
私は宝塚歌劇を見続けているのだと思う。
シメさんには本当に、心からお礼を言いたい。

Trackback ( 0 )




昨日出かけた音楽会では、スロバキアの管弦楽団が演奏して、
それはそれは素晴らしかったのだが、
最後にアンコールになったとき、私にとって、
音楽そのものとは別次元で、とてもショーゲキ的なことが、あった。

指揮者(日本人)のかたが
「皆さんは、聞く機会があまりおありでないと思いますので」
と紹介なさって、スロバキア国歌の演奏があったのだ。

始まった途端、私、悶絶。

そ、それ、知ってるーーーー!!!
しかも、なんだか、日本語歌詞で歌えるーーーー!!!

宝塚歌劇団演出家・谷正純センセイの、1990年大劇場デビュー作、
主人公の人格が途中で激変する、花組公演『秋・・・冬への前奏曲』、
あの中で、音程のヤバい人やヤバくない人や、いろんな人が、歌ったーーー!!

なんと私は、宝塚歌劇の御陰で、スロバキア国歌を覚えていたのだ。
そういえばあの芝居は、私はバレエダンサーの話として記憶していたが、
そもそもはチェコスロバキアの独立問題がテーマだったっけ。

で、この感動(爆)を誰かに喋りたくなった私は、
帰宅してから、当時の花組観劇仲間であった某嬢にメールをした。
スロバキア国歌を今夜の演奏会で聴いてしまった、懐かしすぎた、と。

すると、彼女から来た返事が。
『♪○○の○○、○○に○○ぬ
 ♪○○の○○、○○に○○ぬ
 ♪★我がと~も、互いに手~をとり ともに○○まん
(★繰り返し)

銃声
悲鳴
(ルボル~)

(※○○はまったく記憶なし)』

はははは!!!それだ、それだ!!!
その、抜け殻というか、骨だけになったような、
某嬢の記憶が、また、とてつもなく可笑しくて、
腹のよじれた、ワタクシであった。


(以前私が書いた、『秋・・・冬への前奏曲』についての文章は、こちら
(現スロバキア共和国・国歌のMIDIは、こちら

Trackback ( 0 )




e+プレオーダーで、雪組『カラマーゾフの兄弟』が一枚、当たった。
やはり今年は、私の道楽の神様が、カラマーゾフをやれと仰せだ。

雪組公演『カラマーゾフの兄弟』(宝塚歌劇団公式HP)

梅田のドラマシティだし、上演時間は3時間を超えないだろうから、
推理モノの展開にならざるを得ないだろう、という気はするのだが、
キャストを見ると、イメージが膨らみそうな、素晴らしい面々だ。

ドミートリーが主演の水夏希、グルーシェニカに相手役の白羽ゆり。
ミズ(水夏希)くんは、こういう個性の強い、激情家の役は、
少なくとも外見上はよく似合うと思う。
ただ私の観察では、この方は案外、表現の点では、
「素直で爽やかな二枚目」のほうが合っていることがあるので、
「見た目ドリートリー、内面はアレクセイ」にならないで欲しい、
というのが、当面の私の一方的な希望だ。

となみ(白羽ゆり)ちゃんは、大仰な女帝キャラが似合うので、
私はグルーシェニカには結構期待しているのだが、
ただグルーシェニカは、ドレスや宝石の似合う女王様ではなくて、
大地に根ざした生命力あふれるロシア女としての美人なので、
単に見目麗しいのではなくて、その圧倒的な逞しさみたいなものが
うまく演技の中に出てくれるといいなあと願っている。

父親のフョードル・カラマーゾフが未来優希、というのは
容姿的には随分華やかなお父様になりそうだが、
実力や存在感の点では文句無しだと思う。
原作では、スケベでどうしようもない道化者なのがこの人の魅力だが、
宝塚歌劇という範疇ではそれがどうなるか楽しみだ。

次男イワンが彩吹真央、今の雪組で上演するなら、
彼女以外にはあり得ないだろうというキャストだと思う。
イワンは大変難しい役であり、能動的でないが、本当は彼こそ主役だ。
脚本にもよるが、原作のニュアンスを維持するなら、
この舞台の成否はイワン役が握ることになると私は思っている。
彼女なら容姿実力ともに期待に応えてくれそうな気がする。
ポスターを見ただけでも既にかなりイケそうな感じで嬉しいのだが、
ゆみこさん、眼鏡はご使用になりませんか(逃)。

下男スメルジャコフに彩那音、これまた難しい役だと思うのだが、
彼女がやるとすると結構、小綺麗な下男なのだろうか。
ひょろひょろでも悪くないが、声がふらふらでないことを願う(^_^;。
スメルジャコフの不気味さや妖しさが、
この人なら良いほうに表現されるかもしれないとも思う。

アレクセイ(沙央くらま)、カテリーナ(大月さゆ)は
どの程度の扱いになるのか、時間や内容の制限など考えると
今のところどうも予測できない。
短い時間でもアレクセイは皆に愛される青年として存在して欲しいし、
カテリーナの気品や自尊心、裁判の場面があるなら彼女の狂気、
なども、欲張りなようだがうまく見せて欲しいと思っている。

Trackback ( 0 )




福岡に来たのだから博多座を逃してはと、出かけた。
月組《ミー・アンド・マイガール》。

私はこの作品をきちんと全部観たのは今回が初めてだと思う。
大昔に剣幸がしたのを観た記憶はあるのだが
あれは多分TMP音楽祭か何かで、部分的にだった筈だ。

ミーマイは月組でしか上演されない演目であり
私は今まで月が贔屓組だったことがないので
出会う機会がなかったのだ。

観ていて思ったのだが《ランベス・ウォーク》というのは
なんという名曲なんだろうか。
メロディも歌詞も以前から一応、知ってはいたが、
物語の流れの中で聴くと、この曲の楽しさ、躍動感が、
二倍にも三倍にも大きくなって感じられた。
観客が作品のハッピーエンド以上に更に幸せな気持ちになれるのは
この曲の魅力のお蔭だと思った。

Me and My Girl The Lambeth Walk(YouTube)

Trackback ( 0 )



« 前ページ 次ページ »