午前中、松本和将氏のペダル講座を聴きに行った。
きょうの会場で聴講なさっていたのは、ご自身で演奏なさる方々や、
生徒さんを指導なさっている先生方が大半だったと思うので、
私のような、学習者かそれ以下の者が混じって申し訳なかった。
「ペダル!!ペダルだけ習うの!?踏むだけじゃないの!?」
と、朝、娘が呆れていたが、そうなのですよ転娘さん。
ペダルは、その『踏むだけ』が一生モノの課題なんス。
折しも私は先日来、ショパンのマズルカ作品59-2をもたもたと弾いていて、
譜面に書いてある音を拾うこともさりながら、
何よりペダルをどうしたら良いか全然わからんな(T_T)、
とゼツボー的になっていたところだった。
自分の楽譜(大昔に買った全音のショパン・マズルカ集)の指示通りに、
ペダルを使っているのに、踏んだ途端に曲が物凄く変になり、
かと言って、使わないともっととんでもないものになり、
踏み込みの深さや効かせ方など、一応考えたつもりではあったのだが、
それ以前に、どうも私は、ペダルを根本から誤解しているのではなかろうか?
と、このところ、かなり困惑していたのだった。
それで、きょうは何か答えがあるかと思ったのだが、
……答えは得られたが、ある意味、もっとゼツボー的になった(爆)。
松本氏の実演と解説を聞きながら、
ダンパーペダルひとつでも様々なことが実現可能であると知り、
更に、絶妙にコントロールされたシフトペダルを組み合わせると
際限なく多彩な表現があり得るということがわかり、
また、ペダリングと打鍵のこの上なく繊細な関係も目の当たりにし、
……たのは、すべて、本当に本当に良かったのだが、
それらは、私には、もうもう、とてつもないことばかりで、
聞けば聞くほど、『わしゃ無理っっ!!!』の心境になった。
勿論、ペダルへのアプローチはひとつしか正解がないわけではなく、
松本氏は、箇所によっては、ペダルを使用しないという発想も適宜含めた上で、
様々な楽曲について、具体的に説明をして下さっていた。
きょうのお話にも出ていたが、例えばゲルバーはほかの多くのピアニストより
足が不自由であろうから、彼のペダリングは一定の制限の範囲内のものであり、
そのぶん打鍵のコントロールで、大半の表現を実現させていると思われる。
つまりピアノは、ペダルに依存して初めて成り立つ楽器というわけではなく、
ペダルを限定的にしか使用しない奏法も、ある、ということになる。
しかしそれは極めて高度な次元の話だ(汗)。
ピアノが、打鍵だけでどうこうできる楽器でないことは明らかだし、
弾き手は、やはりペダリングの研究をおろそかにすべきではなく、
出来うる限り、追求し熟練するに越したことはないのだ。
とりあえず私は、曲を台無しにしているだけの、現在の自分のペダリングを
今回のマズルカを勉強することで、多少なりとも改善せねばならない。
我が家にあるのは、最小サイズに近いアプライトだけだから、
シフトペダルの表現については当面、ほとんど考えられないが、
最低限、マズルカのリズムが、何か別の意味不明な三拍子になってしまわないように、
ダンパーペダルの使い方、特に、タイミングと深さについて、考えたい。
先日、調律のとき油を差して貰って、ぎしぎし言わなくなったことだしぃ(爆)。
Trackback ( 0 )
|