goo blog サービス終了のお知らせ 
転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



先日YAMAHAでアビテックスを見せて貰ったことから、
個人宅の防音室について、私も少し真面目に考えるようになった。
私の弾いているピアノは、ほかのお宅にはどの程度響くのか、
やはり集合住宅という点を考慮すると、防音部屋は必要か、
等々と、このところ思いを巡らせている。

現マンションは、ピアノ練習を考慮して買ったものではないが、
販売の段階では一応、遮音性がそれなりに高いというのがウリで、
壁や床が厚いので、楽器演奏も大丈夫、的なことがパンフレットにあり、
イラストには女の子とアップライトピアノが描いてあったものだった。
私の楽器は、小さいアップライトで消音装置がつけてあり、
夜の練習と、あまりにも譜読みの出来ていないヒドい状態のとき(笑)は、
ヘッドフォンを使っているのだが、昼間30分程度弾くだけのときは、
これまでのところ私は、そのまま、音を出して弾いている。

弾き方についてそのような判断をしたのには、一応の理由があって、
居住している私自身の感想として、真上のお嬢ちゃんのピアノは、
「ああ、何か練習しているな?」
とわかる程度には聞こえるが、特に気になったことはなかったからだ。
上のピアノは、こちらが静かにしているときなら気づくことは十分可能で、
精神統一して耳を澄ませば、メロディを辛うじて追えるくらいの音量だ。
私にとっては、それは生活の気配がわかる程度の音と変わらず、
これくらいであれば自分のピアノも許されるかなと、思ったのだ。

しかし、上階の音の感触から言って、私の音も下には聞こえてはいる筈で、
「全く漏れない」ことを初期設定として要求されるとするなら、
私のしていることも、迷惑行為だろうという怖れはある(大汗)。
上の階の方は、もしかしたら私が想像する以上に、
何らかの、防音の手立てを取られているのかもしれないし。
と、私が今、恥じ入っているのは、防音について検索していて、
マンションでのピアノに関する苦情の掲示板に偶然に出会い、
ピアノ練習をするお宅のせいで、どれだけ迷惑しているかを
非常に強い口調で書かれている文章を、たくさん読んだからなのだ。
「集合住宅では、電子ピアノ+ヘッドホン以外、ありえない」
「いくら音量を絞った電子ピアノでも、ヘッドホンでなかったら響く」
「300万以上出して、性能の高い完全防音室を作るならば、話は別」。

置き場所や窓の開閉など考慮したとしても、防音室無しの生ピアノは論外、
防音効果を謳うカーテンや遮音カーペットなど気休め、
……というのが、そうした掲示板での根強い意見だった。
官舎の時は「ピアノ練習等は、朝9時から夜8時まで」とだけ決められていて、
私自身は、近所のお子さん達のピアノにはある程度、慣れていたため
(とゆーか、官舎は生活音自体が筒抜けなので、お互い期待していない)、
こうした掲示板に出ているほどの、高水準を要求して暮らしたことがなかった。
それも、私の神経の太さを作り上げてしまった原因だったと思う(汗)。
悪かった。やはり防音室について、ちゃんと考えないといけなかったようだ。
ピアノは老後の楽しみになる可能性もあるから、
経済的にはかなり厳しいが、このあたりで、
ひとつ防音室については真面目に検討しようと思う。
それでも300万円は無理で、100万前後で分割払い、が精一杯ですが(殴)。
すみません、ワタクシあまりにも無神経だったでした<(_ _)>。

ただ、ご免なさい、ちょっと笑ってしまったのは、
「本当に迷惑。ぽかぽかと気持ちの良い昼寝時に限って、ピアノを弾き出す!」
というカキコミだった。
いや、おつらいのだろう、というのはお察しします。
しかし音量はともかくとして、時間設定に関しては、これは仕方が無いだろう。
ぽかぽかと気持ちの良い昼寝時、という時刻は、
ごく一般的な人なら、大抵、最も活動している時間帯だ。
一日のうち、家庭で音を出すための時間帯を選ばなければならないとすれば、
それは世の中の大半の人が登校・出勤して留守になり、太陽が高くなった昼時、
ということになるのは、消去法で行っても、無理もないことだと思う。
私も、娘が赤ん坊でお昼寝が欠かせなかった頃や、自分自身の体調不良などで、
昼の時間を様々な騒音に煩わされた経験は、たくさんあるので、
そのつらさはよくよくわかるのだけれども、それでもやはり真っ昼間は、
音に対して、ほかの時間帯より寛容さを要求されても仕方が無いと思う(逃)。

Trackback ( 0 )




(備忘録的、練習記録。11月1日現在)

きょうはYAMAHAのレッスン室を借りて弾いた(30分1000円)。
12月の仲間内の発表会で弾く予定になっている会場は、
コンサートホールではないが、グランドピアノが入っているので、
そろそろグランドで弾くとどうなるかを、確かめる必要があった。

果たして、レッスン室のClass XAで弾くと、
我が家の小さいアップライトの限界が、我ながら、よくわかった。
弘法筆を選ばずの逆で、私はあまりにもヘタだからこそ、
楽器の善し悪しが、大きく出来を左右するのだ。

まず、ペダルが全く違った。
うちのピアノでも、一応自分としては、深く踏む・浅く踏む、
徐々に緩めて行く、等々を考えていたつもりだったのだが、
グランドで弾くと、いかに私のピアノが単純な構造であるかが、
はっきりと感じられた。
我が家の楽器では出来ないような、微妙なペダルの効かせ方が、
グランド(特にXAともなれば)のペダルだと、更に何段階にでも、
というかほぼ無段階に、調節可能であるということがわかった。

家のだと、ある程度浅くするとすぐにペダルが効かなくなるので、
私はついつい、ペダルの効果を体感しようと、踏み込み過ぎていたらしく、
今までのやり方でグランドで弾くと、音が重なって響きすぎ、
特に23小節目から、声部が増えるところがウルサ過ぎて困った。
私の思っている音を出すためには、グランドなら、
ほんの、足指のあたりで短く踏む感じでも十分だった。
私が、パデレフスキやコルトーの指定や提案を読みながら、
「そんなペダリングで音楽になるとは思えないが…」
と不遜なことを感じた箇所も、グランドなら音楽になるのだった(爆)。

また、打鍵の点でも、グランドで弾くといろいろと違いがあった。
良い楽器だとそれだけ反応も良いので、不用意なタッチはそのままに
拡大されて音になってしまうという難しさはあるのだが(汗)、
一方で、アップライトでは音にしにくい「撫でる」ような弾き方でも、
グランドだとひとつひとつが表情を持って反映されるので、
pの指定箇所や、レガートの必要な部分では、
いつもよりずっと滑らかな弾き方も、可能であることがわかった。

特に、105小節目から最後までの、半音階~アルベジオは、
シルクの裾をスルスルと引いて退場するような、
このうえなく柔らかく滑らかな響きが、
……私の今の技術では完全にできないが、楽器のほうは「可能である」と
言っているように思われた(大汗)。

あとは、やはり「マズルカ」という曲の意味や規模を、
再度、考えることが必要だと思った。
グランドで弾くと特に、ショパンが劇的な和音や音使いを書いた箇所は、
その通りにドラマティックに音になるのだが、
それに酔って、音の幅や響かせ方を仰々しく広げて行くと、
どんどん、マズルカではなくなってしまうのだ。
華麗なワルツや大きなポロネーズではないのだし、
大仰な羽根や宝石を一杯つけて重々しくマズルカを踊ろうとするような、
場違いな感じにならないように、音の性格を考えないといけないと思った。
私はだいたいが、モーツァルトでもすぐにベートーヴェンもどきになり、
いつも何か間違えている学習者なので、感覚を磨かなければならない。

終わってから、同じフロアに防音室アビテックスの展示があったので、
中に入って、少しだけ弾かせて貰った。
3畳ほどのアビテックスの部屋に、ベビーグランドが置かれていて、
こんな小さいグランドでも、やはりなかなかに良く鳴るという印象だった。
尤も半分は、楽器の性能よりむしろ、壁の反射のせいもあるようで、
吸音板を張れば、もっと響きを押さえることも可能だと、
フロアの方に教えて頂いた。

ショパンのマズルカの御蔭で、今年は楽譜だけでなく楽器についても、
更にいろいろとよく知ることができるようになり、嬉しく思っている。
去年の年末に弾いたのはハイドンで、ペダル使用箇所が少なく、
声部の弾き分けなどの課題もあまりない楽曲だったので、
それに較べると今年は、自分なりにだが挑戦が多く、やり甲斐を感じている。
あと一ヵ月ほど練習できるので、頑張らなくては(^^)。

Trackback ( 0 )




(備忘録的、練習記録。10月26日現在)

弾けば弾くほど課題が出てきて、それは何より、
私自身が呆れるほどヘタだから、なのだが(泣)、
しかしヘタだヘタだと逡巡していたところで、
演奏がマシになるわけでは、全くないので、
とにかく練習と勉強あるのみ、とオノレに言い聞かせる毎日だ。
当面、『こう弾きたい』という方針の決まっている部分は、
まだ良いとして、それより問題なのは、
『駄目だということは明らかだが、どうしたら良いのかわからない』
と思う箇所のほうだ。

例えば、パデレフスキ版70小節目からの、
左手低音部での、テーマの再現のところが私には相当難しい。
左手に力強い旋律が来て、右手は軽やかな伴奏、
…ということは楽譜から読み取れるのだが、譜面の通りだと、
左右が似たような音型で右だけスタッカートがついており、
ここからは、ほぼペダルは使用しないことになっている。

スタッカートは本来、「音価が半分になる」という指示だから、
その通りなら、右手の音はどれも、左手の半分の長さのところで、
響きを止めなくてはならない?そして左手の音だけがその都度残る???
しかし、私の心の中で鳴っている音楽では、
少なくとも右手の音は、左手の音の半分というほど短いとは思えず、
もっとどれも寄り添っている感じだし、
ペダルも「あそこと、あそこでは、踏んでいる筈だ」という箇所がある。

私は、釈然としないまま、自分では少しも良いと思わない弾き方を、
「しかし楽譜の通りにはこうだから」という理由だけで、
不承不承、練習していたのだが、先日レッスンのときに先生から、
「そこだけ、なぜ突然ポロネーズみたいになるのか」
と指摘された(爆)。
稚拙なうえに喧しいスタッカートのせいで、
小節の終わりが毎回、タララッタッになっていたのだ(爆爆)。
やはり、自分が変だと思っている箇所は、
聴く人にとっても変テコなのだった(^_^;。

とりあえず、ここのスタッカートは「数量的に半分」ではない、
と先生から指導された。
そうか。「半分」の考えをまず捨てるべきだった。
あまりに原理主義的だったのだ私は。
むしろ、ここは音色を表現した記号と考えるのが良いようだった。
左手が豊かに歌うために、右手は軽やかに、かつ正確にリズムを刻むのだ。
そのためには、必ずしも右手の音がその都度「短く」なる必要は無いのだった。
そのうえで、左手の要所要所に明確についているアクセントを、
きちんと活かさなくてはならない、ということも指導された。
右手を軽くしようとして釣られて、左手の意味のある音まで、
変に弱まってしまい(それは技術的な問題)、ちゃんと歌えていなかった。

レッスンのあと私は、近所の大型書店に行って、コルトーの楽譜を見た。
パデレフスキ先生のご見解は、夏以来、集中的に伺ったので、
このあたりで、コルトー教授がなんと仰っているか、
一度、覗いてみたくなったのだ。
……のっけから、ビビった。
コルトー先生のは、私の今回の問題の箇所以前に、まず、
冒頭の主題のところに、すべて指番号が振ってあり、
それはパデレフスキとは違い、『親指を使わない運指』になっていたのだ。
な、なるほど、そうすると旋律的にまろやかな響きになるだろう。
親指は、ほかの指とは打鍵の角度が異なるので、
旋律の途中でこれを使うかどうかで、響きは確かに違って来る。
2~5の指だけでなんとかする、というのは全然考えたことがなかった。
畏れ入りました<(_ _)>。

それから、コルトー版では、和音や声部の取り方に関して、
パデレフスキ版とは左右の手の割り振りの違う弾き方が出ていた。
こういうことは、動画で見る限りバレンボイムなんかがお得意で、
右手で全部押さえる和音だと楽譜からは思われる箇所を、
「その音を左手親指で取るか(^_^;」
というような自由な割り当てにして弾くことが多いが、
確かに専門家のレベルになれば、出てくる音だけが大事なのだから、
最も演奏効果の上がる指を使えば良いということなのだ。

逆にコルトー版では、私が今回困っていた、70小節目からの、
左手の旋律部分には、ほとんど指番号の指定が無かった。
パデレフスキ版のほうでも、別に細かい指定はされていない部分だが、
私にとっては、パデレフスキの書いた左2番の指の使い方が難しく、
そのせいで装飾音も綺麗に決まらず、ずっと困っていたので、
ここは柔軟に考えることを支持された気がして、自信がついた(^_^;。
このテーマ再現部分と、このあとの終結部とは、コルトーによれば、
『後悔がまだ入り込んでいない幸福の壊れやすい思い出だけを
コーダの前に残そうとしている』と考えられるそうだ。

その他、パデレフスキ版とは音の違う箇所がひとつあり、
四声で和音が進行する箇所では、パデレフスキ版にないタイが
コルトー版にはついていたりもした。

本屋で目を皿のようにして読みふけった挙げ句、
私はコルトー版とは別れられない気がして、これを買うことにした。
何もかもこの通りに弾こう、というのではないが、
コルトー先生はたくさんのことをお話して下さるので、
もっと読ませて頂きたくなったのだ。
ヘンレの原典版みたいに高価だったら、それでも迷ったと思うが、
有り難いことに、この和訳版はマズルカに関しては三分冊になっており、
私の弾いている作品59は、第三巻の冒頭に出ていた。
2007年版、訳は八田惇氏で、2500円だった(^_^;。

Trackback ( 0 )




昨夜は、市内で遠藤郁子氏のリサイタルがあったので、出かけた。
私は不勉強なので、遠藤氏のイメージは長らく80年代で止まっており、
見事な経歴と知的な雰囲気を持つ、豪華なドレスをまとった演奏家、
という印象が最近まで変わっていなかった。
ところが、ポゴレリチが縁で知り合った、とある方から、
ここ20年ほどの遠藤氏が大きく変貌を遂げられたことを教えて頂き、
また別のポゴ仲間のひとりであった方から、奇しくもほぼ同時期に、
一度遠藤氏の実演に接してみたいと思いつつ果たせていない、
というお話を伺うことになり、私は遅まきながら、
現在の遠藤氏のあり方を、知ることになった。

23年前、乳がんを告知され、手術・療養・復帰を経て、
遠藤氏は今や、その独自の霊感に貫かれたショパン演奏をもって、
自身の芸術を世に問うピアニストになられていたのだった。
およそ、命や死と向き合うことのない芸術家は居ないとは思うが、
遠藤氏は、揺るぎない、徹底的な死生観を持たれており、
ショパンの残した言葉や、あの世に繋がる人生というものを
「音魂(おとだま)」として表現する境地に立たれていた。


遠藤郁子 ピアノ・リサイタル
2012年10月12日(金)18:30開演 広島県民文化センターホール

「ショパンの遺言」
ショパンの見たあの世。能のあの世 そしてピアニストの見たあの世。

前奏曲 第7番 イ長調 作品28-7
幻想曲 ヘ短調 作品49
練習曲 第3番 ホ長調「別れの曲」作品10-3
バラード 第1番 ト短調 作品23
スケルツォ 第2番 変ロ短調 作品31

**********

マズルカ 第47番 イ短調 作品68-2(遺作)
マズルカ 第50番 ヘ長調 作品68-3(遺作)
マズルカ 第1番 嬰ヘ短調 作品6-1
マズルカ 第2番 嬰ハ短調 作品6-2
マズルカ 第5番 変ロ長調 作品7-1
マズルカ 第13番 イ短調 作品17-4
マズルカ 第23番 ニ長調 作品33-2

練習曲 第10番 ロ短調 作品25-10
練習曲 第11番 イ短調 作品25-11「こがらし」
練習曲 第12番 ハ短調 作品25-12

アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調 作品22

**********

アンコール
 夜想曲 第20番 嬰ハ短調 遺作
 夜想曲 第5番 嬰ヘ長調 作品15-2
 ポロネーズ 第6番 変イ長調 作品53「英雄」


ステージには能舞台がしつらえられていたが、
実際の能楽が披露されるという趣向ではなくて、
遠藤氏の演奏そのものが、そこで奉納されたのだった。
登場した遠藤氏は、白いまっすぐな髪と、清らかな印象の和服姿だった。
能舞台でピアノを弾きたい、というのが遠藤氏の夢であったそうで、
それが実現できたことを喜んでいると、ご本人のお話にもあった。

「命には終りあり、能には果てあるべからず」
と世阿弥は『花鏡』で述べているのだが、
命の終わりを見つめたとき、遠藤氏のピアノが能の世界に通じたことは、
芸術としてごく自然なことだったかもしれないと思った。
この世での時間には限りがあるけれども、
ショパンの残した音楽が果てることはなく、
演奏で実現される世界も、おそらく無限へと繋がっているのだ。
私のような平凡な聴き手は、独力では到底、それを覗くことなど叶わないが、
遠藤氏のような弾き手に導かれれば、ふと、その片鱗くらいには、
触れることができそうだった。

ときに、昨夜のプログラムはオール・ショパンだった。
私は以前からときどき書いてきたように、決してショパンが好きでなく、
その理由は、ショパンの根底に、得体の知れない怖いものが渦巻いていて、
出口が無く救いが無く、私はそれを直視することに耐えられないからだった。
それに較べて、どうして私がベートーヴェンを偏愛するかというと、
彼の音楽は、重い苦闘を執拗に描いているときでも、どこかで必ず、
「神様は居るんだ」と言ってくれているのが、感じられるからだった。
私は、光や打開のないところには、長くは居られないと思っていた。
しかし昨夜の遠藤氏のショパンには、不思議な灯火が見えていた。
人間の煩悩や醜悪さも、天の高いところではこのように浄化され得る、
という、理屈でなくひとつのイメージが、私の脳裏に浮かんで来た。

あとでプログラムを読んだら、冒頭の「ショパンの遺言」という
遠藤氏の文章に、ご自身の闘病と再生についての言葉があり、
「当時、私の見たあの世は、とても暗く、重いものでした。しかし一昨年東京で開いた『ショパンの遺言』160曲全曲演奏の経過の中で、「あの世は亦、明るく軽やかなもの」という気づきもいただくことができました」
と書かれていた。
そうであれば、私の感じた灯りは、遠藤氏のご覧になっている、
明るく軽やかなあの世へと通じる道を照らすものだったのかもしれない。

当夜の使用楽器はShigeru Kawai(SK-EX)で、
音は全体的に、限りなく柔和な響きだった。
かなりソフトペダルを多彩に使用されているように感じられた。
一方で、バスは深く響き渡り、この年齢の女性の演奏とは
音だけでは容易に信じられないような、生命力が漲っていた。
二度目のアンコールのために登場され、愛らしいほどの微笑みで、
「では元気よく英雄ポロネーズを弾きます」
と仰ったときには本当に驚いたが、
これがまた、そこまでの演奏の疲労など微塵もないどころか、
弾けば弾くほど天から力を与えられるかのような「英雄」だった。
魂だけになったものは、もはや疲弊することなどないのだった。

単にピアノを楽しんだ、という次元ではない二時間だった。
遠藤氏が静かに、しかし力強く掲げて下さる灯火を頼りに、
私は永遠へと果てしなく連なる音楽のあることを教えて貰った。
けれども、時間の経過とともに、現実の演奏は進行し展開し、
やがて最後の曲になり、とうとう、リサイタルは閉じられた。
それは、遠藤氏の肉体はまだこの世にあり、
私たちもまた、時間に限りのあるこの世に生きている、
ということに、ほかならなかった。
私は束の間、果ての無い音の世界に誘われ、それを垣間見たが、
まだ、あちらへ渡るときは来ていない、ということだった。

Trackback ( 0 )




(備忘録的、練習記録。10月9日現在)

出だしから12小節目までのペダリングは概ね、決まった。
……のだが、弾くときは手元にほとんど全部気を取られているので、
響きが濁らないようにペダルを使えれば御の字だ。
3拍目に浅く踏むやり方を採用した箇所がいくつかあり、特にヤバい(汗)。
2拍目で完全に上げるのか、薄く残して3拍目に踏み直すかも含めて、
弾いていて瞬間的に迷うことがあって、本番は動揺するかもしれない。
勿論予め決めてはおくのだが、それでもいざ弾いたとき、
思った音と違う音が出ると、反射的に、足が迷うものなのだ。

16・17小節目、18・19小節目は、高いAs・Gという音連続のあと、
木霊のように低いAs・Gが繰り返され、面白い効果だと思うので、
せっかく自分でそう思うのなら、そう聞こえるように、
なんとかしろ、と思いつつ、ずっと出来ていない(爆)。
それに加えて、18小節目の高いほうのAsには装飾音がついているので、
これがまた心の中の理想の通りに鳴らなくて、欲求不満がたまる。

25小節目の中ほどから26小節目の終わりに向かっては、
パデレフスキ版は「<」のクレッシェンド記号が書いてあるのだが、
これが単に「音の大きさ」のことなのかどうかは、よくわからない。
ダン・タイ・ソンの演奏(エキエル版で弾いている)をCDで聴く限りは、
表面的にはデクレッシェンドのようにさえ聞こえる。
思うに、ここは音が「だんだんデカくなる」(爆)のではなくて、
音が「徐々に広がる」、もしかしたら「拡散範囲が広くなる」、
みたいな意味でのクレッシェンド記号かもしれないと思ったりする。

それと、あまりに姑息な話なのだが、私の場合ここでためておかないと、
このあと31小節目のffに向かって盛り上がらなくてはならないのに、
今の技術ではそこまでもたず、早くから最大音量になり、息切れするので
(こちらは30小節目にだけ、文字でcresc.とある)、
26小節目までと、27小節目以降をどういう配分でどう弾くかは、
もっと考え、かつ、それを忘れないようにしないといけない(汗)。
いつも足りなくなってからシマッタと思うような、
聞き苦しいことを繰り返していて、性懲りも無いとは私のことだ。

37・38小節目、39・40小節目のスラーは、楽譜の通りだと
私の場合、全くスラーにならない(爆)ので、ここは指使いを変えるか、
諦めてペダルに頼るか(泣)、難しいところだ。
それにここがまた、16・17小節目、18・19小節目と同様に、
高いAs・G→低いAs・G、のフレーズが和音になったかたちで再登場しており、
ということは上の声部だけはどうしてもスラーにしないと、
再現されている意味がないだろうと思う。
……できん、って(殴)。

45小節目からは、4小節ずつの音楽が変奏曲のように展開されるが、
和声感を含めて、手を変え品を変えの念入りな仕掛けがあるので、
それに左手の音の動きも考えて弾こうとすると、
私の能力で同時処理できる量を超えており、頭がハゲそうになる。
57・58・59小節目はずっとクレッシェンドして行くと書いてあるが、
これこそ、音量の問題というより、感情の高ぶりの記号だろう。
そのあとは、もうどうしてこういう和音を思いつきましたかと
訊ねたくなるような面白さ(泣)だ。
各声部、別々に弾いてみると気が変になりそうなのに、
合わせてみると絶妙のハーモニーで、ショパンの頭の中には、
一体どういう音が鳴っていたのかと。

69小節目からは左手に旋律が来て、低声部の独壇場なのだが、
私はもう、これ、手を交差させて右手で弾きたいくらいだ(爆爆)。
出したい音と、自由にならない左手とのギャップ、
合わないペダルに、それにウルサ過ぎる右手の和音の世話、
これらを同時になんとかしようとするのは、至難だ。

そして81小節目からが、まさにショパンの天才はここにありというか、
エチュード「別れの曲」を昔ちょっと弾いたときにも感じたことだが、
どないしたらこんなキショクの悪い和音進行を編み出せたのか、
一体それ何調が何調になって?という8小節が続き、
私の演奏では、普通に弾いているつもりでも現代音楽さながらだ。
聴く人が聴いたら、私が分析もせず理解もしないままで、
ただ楽譜をなぞって弾いているだけだということが、わかるだろう(汗)。

この和音のところから、息の長いクレッシェンド3小節、
次いでデクレッシェンド4小節という構成になっており、
曲としては実質的に、最大音で最高潮に達したのち、収束に向かうことになる。
先にも書いた通り、私に把握できるような和声感覚ではないという気がするので、
かくなる上は、覚えるのみだ。読書百遍、意自ずから通ず(爆)。
とりあえず声部ごとに弾いて、どう動いているかちゃんと確認して、
途中からでも弾けるようにして、幾度も合わせてみるしかないだろう。

残りは後奏だ。
しかし私の感性の中では、どうもまだ、さっきの81小節目から8小節間を
本当の意味でのクライマックスだとは、完全には納得できていなくて、
できたら、101小節目のa tempoのところから、もう一花咲かせたい、
みたいな気分が、どうしても、あるのだ(汗)。
もちろん、そのように弾くことは可能だと私は思っている。
105小節目からの下降音型はデクレッシェンド指定になってはいるが、
最後の108・109小節目には何の指定もないから、
明るさと強さのある音で、最後を鮮やかに締めくくっても良い筈だ。
a tempo以降、音型は昇る→降りる→昇るになっているのだし、
全体として駆け抜けるように、ジェットコースターか何かのように、
華やかにエンディングに向かう方法は、「あり」だと思う。

だがしかし不幸なことに、今の私の技術では、
「最後に一花咲かせたる!」の勢いで、しまいまで弾ききることは無理だ。
途中までは勢いづいて弾くことができても、
情けないことに、108小節目と109小節目にまたがるアルペジオを、
強い音で疾走するように弾くことは、私の手では出来ないのだ。
100発100中で最後が不協和音になり、台無しになること請け合いだ。
では最後だけ丁寧に弾くか?とも思ったが、それはやはり格好悪い。
イケイケ~!!と弾き始めたのに、フィニッシュ前に意気消沈しとる(大汗)。

なので、私は仕方が無いから次善の策として、
…いや、本来はこっちが楽譜からはあり得べき姿なのかもしれないが、
「一花咲かせる」考えは捨てることにし、a tempo以後は、
美しい後奏の最後のきらめきとして、飽くまでも優雅に名残を惜しみ、
もちろん107小節目まで支配しているデクレッシェンドの流れにも逆らわず、
最後はそっと、綺麗に、消え入るように弾こう(=弾くしか無いやんか)、
と思っている。

だけどそれでも、そのまま素直に終わるのはイヤだ。
何がイヤなのかよくわからないが、どうしても最後に何かしたい。
ので、最後は、楽譜では同じ音と休符でそっくりの二小節になっているが、
私は、110小節目と111小節目では、少し違うことをしよう、
と今は思っている。
ショパンがそんなことをしなさいと言ったかどうかは、
既に私の眼中になくなりつつあり、不遜の極みだ。
この、ヒトよりひとつよけいなことをしないと帰れない性格が、
これまでの人生でどれだけ災いしたことだろうか(爆)。
……あざといことやって、最後の最後で失敗しないと、いいけどねえ(涙)。

全体として、眼高手低というか、耳高手低の状態で、
思っている理想はある程度はっきりとかたちになっているのだが、
私の手足は、それを実現するようには動いてくれない。
出てくる音のしょーもなさに落胆することの連続だ。
それでもせめて、迷いのある箇所は、例えばエキエルなら何と言っているか、
コルトーはどうすると言い残しているか、この際、聴いてみようかしらん。
ちなみに、全音にはもう聞いた(逃)。

Trackback ( 0 )




……というわけで、昨日のエル=バシャは、私にとって、
ちゃんと聴けたとは言えない公演になってしまったのだが、
それでも感銘を受けた箇所はたくさんあった。
やはりエル=バシャは、実に見事なピアニストだと思ったし、
彼のエレガンスはほかに類を見ないもので、
こういう演奏家の、充実期の実演に接することができるのは、
聴き手としての私には、本当に素晴らしい幸運だと感じた。


アブデル・ラーマン・エル=バシャ ピアノ・リサイタル
2012年10月7日(日)午後2時開演 ザ・シンフォニーホール

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番ハ短調作品13「悲愴」
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番ニ短調作品31-2「テンペスト」
*****
ショパン:バラード第1番ト短調作品23
ショパン:バラード第4番ヘ短調作品52
ショパン:ポロネーズ第6番変イ長調作品53「英雄」
ショパン:ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調作品35「葬送」
*****
アンコール
 ラフマニノフ:10の前奏曲 作品23より第4番
 ラフマニノフ:10の前奏曲 作品23より第5番
 エル=バシャ:レバノンの歌


プログラム冊子を見ると、この大阪公演が日本ツアー初日で、
そのためか、ベートーヴェンはやや固い演奏だったと思った。
エル=バシャらしくないミスも、小さいものだがいくつかあり、
使用楽器の響かせ方についても、エル=バシャにはまだ、
試行錯誤が少し続いていたのではないか、という印象だった。

良かったのは、やはり楽器を把握した後半からで、
ショパンはいずれもほかではなかなか聴けない名演だったと思う。
バラード4番が終わったとき客席から、BRAVO!の声がかかったのも
当然という気がした。
エル=バシャはバラード2曲を続けて弾くつもりだっただろうと
私は感じたのだが、しかし熱狂的な拍手が起こったので、
1番と4番の間にも、きちんと立って、客席に応えていた。
総じて、前半も後半も一度も途中で袖に入ることはなく、
一礼してもすぐそのまま座って次の曲を弾いていたので、
エル=バシャが集中を維持しようとしていることが伝わって来た。

ショパンの葬送は、今のエル=バシャの到達点を表すような、
研ぎ澄まされた演奏で、また、私の知っている楽譜とは
微妙に違う箇所も途中にあり、研究の成果を問う内容でもあったと思う。
今年は既に様々な演奏家の弾くショパンを聴いたが、
エル=バシャもまた、ショパンの奥の扉を開け得た人のひとりで、
そこで彼の見たものが何であったかを、聴かせてくれる演奏だった。

アンコールは三曲あり、CDにもなっているラフマニノフの前奏曲からと、
最後は、自作のレバノンの歌が演奏された。
チケットを見直してみて驚愕したのだが、なんとこの公演、3000円だった。
興行の仕組みは、私など素人の理解が及ぶところではないが、
私にとってこの公演の手応えや充実度は、
たった3000円で済まされるものでは、到底なかった。
S席1万円設定などがあっても、全くおかしくない内容だった。

しかし、何より会場の反応が熱かったので、
演奏会全体としては完全な成功だったと満足している。
今から二十年以上前、私がエル=バシャの名を知った頃、
彼は日本ではまだ全くの無名で、かのU女史が、
どうやって彼を日本によぼうかと苦心なさっていた時期を
私は今でもよく覚えているので、
昨日は、華やかなシンフォニーホールで演奏するエル=バシャを聴き、
また大勢の聴衆から万雷の拍手とブラボーで讃えられる彼の姿を見て、
ついに、ここまで来ることができた、
ようやく、この人に相応しい評価が得られるようになって来たのだと、
心から嬉しく思った。

U女史もきっと、一緒に聴いて下さっていたと思う。

Trackback ( 0 )




大阪ザ・シンフォニーホールで、エル=バシャを聴いた。
素晴らしかった、とは思うのだ、……が。

きょうは、隣人が良くなかった(T_T)。
私はこれまで、数々のライブパフォーマンスに通ったから、
行きずりの、オモロい人やケッタイな人とたくさん出会った。
自宅の居間と、コンサートホールの区別が全然ついてない、
というタイプの人にも数多く遭遇した。
その都度、「をいをい(^_^;」と思いつつも、極力我慢してきた。
私だって、自分では気づかない奇癖の持ち主かもしれない、
と己に向かって問い直し、努めて隣人を受け入れるようにしてきたのだ。

しかしきょうの隣人は、その中でも屈指の迷惑さだった(爆)。

まず、隣の人は、際限もなく動き続ける人だった。
長いときでも三小節くらいしか、じっとしていられず、
どんな静かなフレーズのときでも遠慮無く姿勢を変えるのだった。
更に、なぜそうなるのか不明なのだが、手を自分の顔の前に
(位置としては鼻から口にかけてのあたり)に置き、
延々と、親指とほかの指とを強くすり合わせる動きを続けていた。
私がステージのエル=バシャを観ようとすると、
視界の隅に、必ずその人の、主として手のエンドレスな動きが
ちらちら、ちらちら、ちらちら、と入り続けるのだった。

しかしそれだけなら、私が目を閉じてしまえば済むことだった。
何よりいけないのは、その人の、指をすり合わせる動きが、
爪と爪を勢いよくこすりつけては、はじく感じで、
『小さな小さな指パッチンもどき』(爆)になっており、
かそけき「ペキ ペキ ペキ ペキ  ペキペキ ペキ ペキ ペキ ペキ
が、ず~~っっと、やまないことだった(T_T)(T_T)。

貧乏揺すり的な、ただの癖かもしれなかったが、もしかしたら、
何か心身の不調のためにその動きが止められないのかもしれない、
と考えて、私は最後まで隣人に苦情は言わなかった。
第一、その人は、動きこそ奇妙だったが、音楽は真剣に聴いていて、
居眠りもしなかったし(してくれたほうが私には良かったが・爆)、
終わると、大きな大きな拍手でエル=バシャを讃えていて、
本当に音楽が好きで聴きに来ているということは、よくわかったのだ。
その人なりに一生懸命聴いていて、その興奮が、
指の動きになっていたのかもしれなかった。
何にしても、エル=バシャを聴きに行って隣の人とトラブった、
という思い出になるのだけは、私にとって一番避けたいことだった。

隣で指すり合わされるも他生の縁(爆)。


高校時代、校外で某予備校の全国模試を受けたとき、
隣の男子が最初から最後までペン回しをしていて、
しまいにカーンと派手にペンを吹っ飛ばして、私に当てやがって、
殴ってやろうかと思ったことを、三十年ぶりに思い出した午後だった(爆)。

Trackback ( 0 )




リサイタルの最中に演奏を中断して病院に行かねばならなかった、
シプリアン・カツァリスの、その後なのだが、
ノーマン・レブレヒトの書いている続報によれば、
深刻なことにはならずに済み、順調に回復しているようだ。

Latest on pianist who collapsed in mid-concerto(Slipped Disc)
『シプリアン・カツァリスのニュースとしては、彼はベルリンの病院で回復しつつあるということです。脳卒中や心臓発作で倒れたのでは、とまで心配するのは、行き過ぎかもしれません。』『リストのピアノ協奏曲の自作編曲版を演奏中に体調が悪くなったあと、カツァリスはこのように言ったのだそうです。「今回のは、私の最高の演奏会のうちのひとつだった。何か特別なことが起こったんだ。私は、ギリシアとキプロスのため全身全霊をあげて演奏したよ。」』

少し体調が悪くなっただけ、ということで済みそうなら、
今後のことも特に心配ないのだろうし、とりあえず良かった。
それでも、仮に風邪や疲労などが原因であったとしても、
いっそう心身を労って、無理をしないようにして頂きたいと思う。
中年以降は誰でも、いつもと違う不調を感じたときは、
「頑張って、この場はとにかく最後までやってから…!」
などという無理は、できるだけしない方が良い。
それが引き金になって、大きな発作を呼んでしまうこともあるのだから。
終盤にまで進んでいたリサイタルを中断するのは、
演奏家として厳しい決断だったことは想像に難くないが、
このたびのカツァリスの判断は、本当に適切であったと思う。

Trackback ( 0 )




このブログでもときどき取り上げているカツァリスの話題だが、
今朝は、心配なニュースが出ていた。
ドイツの文筆家・評論家であるノーマン・レブレヒトのサイトに、
Just in: Eminent pianist rushed to hospital in Berlin
という記事が、10月2日付でUPされていたのだ。

『月曜(=10月1日)夜、ベルリン・コンツェルトハウスでのリサイタル中、ギリシア人ピアニストのシプリアン・カツァリスが故障を起こし、急遽、病院に運ばれたとの知らせが今入りました。それ以上詳しいことはまだわかっていません。彼のすみやかな回復を願っています。彼の回復状況について詳細が判明しましたら、どうぞお知らせ下さい。
こちらが、当『スリップト・ディスク』読者 からの報告です。
「私は昨夜、ベルリン・コンツェルトハウスで、シプリアン・カツァリスの演奏会を聴いていました。公演が終わりに差し掛かり、カツァリスがリストのピアノ協奏曲第2番の自作ソロ編曲版を演奏していたとき、彼は弾くのを中断し、左腕の感覚がなくなったと言い、客席に医師の方はいらっしゃいませんかと訊ねました。短い沈黙が流れ、カツァリスは『このような症状は初めてですので』と言い、再び、お医者さんは来ていらっしゃいませんかと訊きました。このとき数人が舞台に上がり、カツァリスを袖に入らせ、その後、病院に運びました。印象としては、演奏中に脳卒中の発作が起こったのではないかという感じで、私達は彼の病状が心配になりました。」』

カツァリスは半年ほど前、右腕の腱鞘炎の治療を受けていたが、
今回は左腕で、しかも痛みを訴えているのとは違うので、
『読者』氏の報告にあるように、脳血管障害の可能性も含めて、
病院で調べる必要が、おそらくあるのだろう。

しかし、ともあれ良かったのは、左腕の違和感を覚えるとすぐに、
その場で自分から医師の助力を求めたこと、
そしてその流れで、間を置かずに医療機関にかかったことだ。
状況がどうであれ、この御蔭でカツァリスは、
最善・最速の検査と治療を受けることが可能になったと思われる。
これ以上の対処は、考えられなかっただろう。
さすが、かっつぁん!素晴らしい判断力だ。

あとは彼の状況が良いことを、そしてこのあと順調に回復することを
日本のファンとして心から祈りたいと思う。
4月にキャンセルになった来日公演の、振替公演が、
年明けから組まれているので、私は楽しみにはしているのだが、
しかしそんなことより、まずは必要な治療を受け、十分に休養して頂きたい。
いつも朗らかで精力的なカツァリスだが、やはり年齢的に、
今は、心身を労るべき時期に来ているということではないかと思う。

Trackback ( 0 )




思えば、7月から譜読みを始めたのだった。
ショパンのマズルカ作品59-2。

素人オバさんの趣味のピアノなので、期限も何も無く、
極端な話、シヌまで練習していてもいっこうに構わないのだが、
とりあえず、師走の会で弾きたい、という目標は設定している。

夏からやっているので、もう、音だけは覚えた。
ゆっくりなら、違う鍵盤を触らずに最後まで弾くことは可能だ。
しかし、イン・テンポと言える速さにまで持って行くと、
今のところミスタッチが必ず出るし、ペダルも間違える。

そうなのだ、この曲は、手はそんなに速くないのだが
さりげないようでいて和声が複雑だし、ペダルも結構、難所続きなのだ。
ペダルの深さやタイミングを、今回はこれまでになく細かく、
自分なりに設定して弾いているので(←飽くまで自分比である)、
手と足の両方を間違えないで、テンポを保って弾くことは、
今の私には大変に難しい、……いや、正直に言おう、ほぼ不可能だ(爆)。

それでも、前半2ページ(パデレフスキ版。44小節目まで)については、
きょうの午後、我ながらペダルの解決をひとつ見出したので、
これまでより一歩前進した気が、今はしている。
解決を見出した、と言っても、理論があるわけではなくて、
弾いているときに偶然試みたことが、
「あら、今の、なんだかちょっとイイ響き♪」
だったので、それを採用することにした、というだけなのだが(殴)。

この曲は、全体どこを見ても、4小節がひとまとまりで、
それが変奏曲のように、少しずつ展開しながら移り変わって行くのだが、
前半(~44小節目)と後半(45小節目~)では、
元になる旋律も曲想も、かなり変わってしまう。
前半はワルツ風の長調で、鼻歌でも楽しめる(!)のだが、
後半に移ると、沈みがちになり、やがて不思議な半音階が交錯して、
一瞬だけ前半のワルツ風が蘇りつつも、これが解決しないまま、
もっと複雑な半音階が交錯するフレーズに繋がって、あとはもう後奏だ。

勿論、そこはショパンなので、こんな小品にも念入りが仕掛けがしてあり、
曲想が沈んだとしても、吸引力が落ちるというものではない。
いや、弾き手が悪いので、たいくつになる可能性は非常に高いのだが(汗)。
例えば、内声で前振りのようにさりげなく登場したフレーズが、
そのあと旋律のほうで、少しかたちを変えて再登場しているとか、
右手左手がそっくりな音型で動いているように見える箇所も、
右だけスタッカート、左はアクセントがついていたりして、
左右で全くニュアンスの違う音を出すように指示されていたり等々、
あなどれないところがテンコ盛りだ。

そうした、取り組み甲斐みたいなものは、勿論、いつも感じているのだ。
ただ、素人のワタクシとしては、歌うように明るく始まったマズルカが、
途中から別人(別曲)みたいに憂鬱になり、そのまま、最初に提示された旋律は、
華やかな決着を見る機会もなく終わってしまう、という印象が、拭い去れない。
「華やかな決着を見る」のは、マズルカでなくて、ワルツだということだろうか。
ショパンなのだから、何か意図があるのだろう、とは思うし、
私がろくにショパンの書いたものを読めていない、のは間違いないだろう。
しかし、それにしても、マズルカ作品59-2は、……59-3もその傾向があるが、
出だしは元気でカッキリしているのに、それは半分までしか続かず、
あとは、どんどん複雑な惑いの中に沈んで行って、二度と立ち上がることはない、
という曲に思えて、つまり、なんか、こう、尻すぼまり風、
……すみません(殴)。

と、なんとも歯切れの悪い話をしていたら、某氏、曰く、
萎え~の音楽なんですね」。

Trackback ( 0 )



« 前ページ 次ページ »