田村響がベートーヴェンの「皇帝」を弾くというので、名古屋まで行った。
(行けて良かった(T_T)。お腹が不安で昨夜まで新幹線を予約していなくて、
なおかつ、もし朝起きて腹痛だったらと、今朝まで心配していたのだ。)
名古屋フィルハーモニー交響楽団 第390回定期演奏会
@愛知県芸術劇場コンサートホール、指揮はロリー・マクドナルド。
なるほど、ベートーヴェンの変ホ長調は「覇者」の調だった、
と聴いていて改めて思った。
田村響のピアノを聴いていると、
この調がいかにベートーヴェンを生き生きさせるものだったかが
本当によく伝わって来て、面白かった。
併せて、当時としてのこの曲の「新しさ」を、21世紀の今なのに、
まるでタイムスリップして体験させて貰ったような気がした。
音楽の組み立て、和音の使い方、リズムの面白さ、技巧のきらびやかさ、
……1800年代になったばかりの頃に、初めてこの曲に触れた人たちは、
次々と繰り出されるベートーヴェンの革新的なアイディアに
おそらく目を見張ったことだろう。
何しろ皆が、モーツァルトやハイドンなどを、
流行曲や新曲として聴いていた時代だったのだ。
ベートーヴェンの書いた、ピアノとオーケストラの目覚ましい対話は、
時に、かなり突飛で奇をてらったものとして、聴衆には感じられたかもしれない。
現代とは違い、こうした音楽が「創造」の真っ只中にあった時代、
働き盛りであったベートーヴェンは、それまで前例のなかったような、
数多くの挑戦をここで行ったのだ。
そして当時、腕自慢のピアニストであった若きツェルニーは、
この曲を、どんなに颯爽と弾いたことだろうか…。
……と、そのようなことも、本日のソリストが大変に若々しいだけに、
実に様々に想像させられた演奏会だった。
考えてみると、もうとっくによく知っている曲の「新しさ」を、
あたかも初めて聴くかのように曲のあちこちで感じさせてくれたのだから、
田村響の演奏は、この曲の本質と位置づけとに、ぴたりと添ったものだった、
ということではないかなと、あとで思った。
変ホ長調という調性について、ごく自然に納得させてくれたことも含めて…。
会場はブラボーと拍手に包まれ、ソリストは幾度もステージに呼び出され、
最後にアンコールとしてショパンのワルツ第1番を弾いた。
かなり速度があり、どこか「意気揚々」としたところのあるワルツだった。
故意か偶然か、この曲もまた変ホ長調だった。
だからベートーヴェンの「覇者の魂」がなんらかの影響を与えていたのか?
そのような演奏も、きょうの場合は良いと思った。
楽器はスタインウェイだったが、私の席はうんと下手寄りだったので、
音は、どうしても真正面から来るというわけには行かず、
その点だけは少し残念だった。
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