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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



ショパンのマズルカ作品59-2を練習し始めた頃に、
ショパンを弾くならパデレフスキ版の楽譜をきちんと見るべきだ、
と助言して下さった方があり、それに端を発して、
私はこのマズルカを通して、いくつかの版を読み比べる面白さを知った。
出ている版をすべて網羅したわけでは勿論なかったが、
それでも、シンプルで本質的な原典版の意義を改めて認識したし、
研究の成果を様々に記録した、各種校訂版の存在価値も、
自分なりに感じられるようになった。

それまでは私は、漠然と、
「日本語解説がついていて使いやすいし、安価だし、丈夫」
という理由で、何をするにも全音や音友の楽譜を使っていた。
楽器店の楽譜コーナーに行けば、輸入楽譜が各種あるのは知っていたが、
よほど手に入りにくい曲でない限り、
こんな高い専門書みたいなものは、自分には関係がないと思っていた。
そもそも、演奏会で取り上げられるような曲の大半は、
自分では弾けないのだし、楽譜を買うとしても聴くための補助用で、
だいたいの音符が確認できれば、細かいことはどうでも良かった。
『細かいこと』は、楽譜でなく演奏家が提示してくれるものだった。

私がこうなったのには、自分が受けてきたピアノ教育の影響もあった。
昭和40年代から50年代の先生方は、ほとんど、
ハノンやツェルニー、ソナチネアルバムなどを
全音ピアノ教本のシリーズで、生徒に与えていらしたのではないだろうか。
少なくとも私自身はそうだったし、周囲の友人たちも同じだった。
それは上級教本になっても変わらず、友人はバッハの平均律も全音で、
ベートーヴェンソナタ集は春秋社の井口基成版を
先生から渡されて、使っていた。
それらには、時代感覚を反映した解釈や、日本人学習者向けの提案が、
いろいろと書かれていた面はあったとは思うが、
それにしても、私自身も、身近にいたレッスン仲間や友人たちも、
外国の出版社が出している、「本家」の原典版を参照する、
という発想は、この時代、ほぼ無かったと思う。

先生方にもきっとご苦労はおありだったと、今なら想像できる。
最初から本気で専門家を志す子供ならいざ知らず、
「ただのお稽古ごと」に過ぎず、いつやめるかもしれない生徒に、
たった一曲の勉強のために5000円もする原典版を買わせることは、
到底できなかっただろうし、保護者だって承伏しなかっただろう。
また、特に探求心があるわけでない生徒(私か!)にとっては、
先生から渡される楽譜がすべてだったから、中学生くらいまでは、
同じ題名の曲なら、どの本でも同じことが書いてあるのだと思い込んでいた。
たまに、バッハのインベンションを最初からブゾーニ編で与える
という指導者もあったわけだが(笑)、
そういうのはきっと、先生ご本人がそれで勉強をなさったとか何か、
特別にその楽譜に親しまれた経緯がおありだったからだろうと思う。

しかし私だって、「なんか変なんじゃないか」と思うことは、あった。
それは、全音版のソナチネアルバム第一巻(昭和50年頃の発行)の、
モーツァルトのソナタKV545の第一楽章の、とあるアルペジオで、
『この「C音」は原典版では「D音」である』
と、欄外の注釈にサラっと書いてあったことだった(汗)。
……え?「ド」と「レ」じゃ全然違うよ?なに勝手に改編してんの!???
いや何か、研究の成果で、根拠があって書き直されたのだろうとは思うが、
理由説明一切ナシで、「ホントは違いますんで」と言われても……。

さて、そういうわけで、過去にはわからぬままにいろいろあったが、
今は大人になり、子供時代のお小遣い生活よりは、多少裕福にもなり(^_^;、
自分の判断で、趣味にお金をかけることも、ある程度可能になった。
知識のある方々から教えて頂いたり、自分でネットで検索したりして、
どの楽譜にどういう意味や特徴があるかを、徐々に知るようになり、
自己満足でもいい、読んでみたいと思う楽譜を自分の判断で買うことが
ほぼ完全にできるようになったのだ。
だから私は、これからベートーヴェンのテレーゼをやるにあたって、
少なくともヘンレ版とウィーン原典版にはあたろうと思っている。
ヘンレ版は王道だし、ウィーン原典版にはアイディアが多く掲載されているので
自分が弾くという観点から楽譜を読むには、どちらも、
きっととても興味深く、得るものが多いことだろうと思う。

これらとは別に、私は既に、出たときほとんどすぐに買った、
春秋社の園田高広校訂版のテレーゼも持ってる。
園田版に関しては、弾く人により、合う合わないがあると聞いているし、
ひとりの演奏家(研究者)の見解という内容だとは思うのだが、
これはこれで、自分の見たい(弾きたい)一曲だけで買えて、
製本も良く、譜面台に置くにも練習に持ち歩くにも最適なサイズで、
内容的には指使いの提案やペダルの指示も細かく出ており、
私には実用面で、とても便利だと感じられたシリーズだった。
買った当時は、自分が弾くためにはほとんど活用していなかったが、
このほど原典版を勉強することにより、いっそう、園田流アプローチが、
私のような者にも、鮮明にわかるようになるのではないかと思っている。

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風邪
先週水曜の晩から自覚した風邪は、ほぼなおったのだが、
まだうっすらと咽頭炎の感触があって、鼻炎もある。
全快した、と言うには、あと少しはかかりそうだ。
風邪のウィルスは100種類以上(もっとか?)あると聞いたことがあるが、
確かに、罹るたびに微妙に経過が違うのは実感のあるところで、
全然熱が出なくても、咳や倦怠感が長く続くしつこい風邪もあれば、
ハデに寝込んでも数日でどんどん回復するようなのもあり、様々だ。
また、こちらの体力や疲労度など、受け入れ側の状況も関係があるだろう。
今回のは、最初はシンドくて症状が強かったが、幸い、咳に発展しなかったし、
発表会含め、スケジュールにはほとんど影響しないで済んだので、
かなり良いほうの部類だった、……と、思うことにしよう(^_^;。
ちなみに先に始めた主人も、今は咳払いが残っているだけになった。

追記:……と褒めていたら、夜から主人も私も風邪が再燃してきた。
ふたりとも咽喉の不快感がまた募ってきた。まだ終わっていなかった。


ピアノのおけいこ
日曜日にマズルカの本番が終わったので、私は一応、元通り、
ハノンとツェルニー30番とバッハの小プレリュード、
という、のどかな練習の日々に戻った。
テッテー的に勉強するような、クドい練習も良いが、
こういう、筋トレか何かみたいな(笑)稽古も私は嫌いではない。
次なる目標としては、これは一生の課題曲のひとつになりそうだが、
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第24番『テレーゼ』作品78をやろう、
と今は思っている。
この曲は、一楽章も二楽章も嬰へ長調だ(変ト長調ではない!)。
この調性は私にとってとても魅力のあるもので、
ショパンだと『舟歌』が嬰ヘ長調だが、
現世とは質の違う、天国の光が射している調だと私は感じている。
ときに、嬰へ長調は♯が6つもあって譜読みしづらいという人もいるが、
考えようによっちゃ、どの音も大抵♯つけとけば良いってことでは(爆)。

広島のマエストロ!
大植英次さんが指導 「第九ひろしま」の合同練習(RCC)
年末恒例の「第九ひろしま」、今年は『広島のマエストロ』が指揮をなさる。
Twitterによると『メトロノームと小節線は音楽の敵です!』との
歴史的名言(笑)もあったそうで、日曜は熱い指導の一日となったようだ。
リンク先からRCCニュースの動画で練習風景も見られるようになっている。
小柄な大植氏なのに、こうして舞台に立っていると、
全員をむこうにまわして、ひとりで包みこんでしまうほど存在感があり、
全身から音楽が発散されている感じだ。
今年は、ひとつ新しい第九が完成するかもしれない(^^)。

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10時半から、ヤマハ広島センター7階スタジオで、
ザラフィアンツの公開レッスンがあったので、行った。
私は偶然、友人某氏からこういう催しがあることを教えて貰い、
早い時期に自分からファクスを送って申し込みをしてあったのだが、
どうもきょう聴講に来られていた方々は、大半が、
ピアニストやピアノの先生方のようだった。だから受付で、
「転妻よしこ先生ですねっ」
と呼ばれ、名簿をチェックされた。
そのまま返事だけして、参加費を払って通ったが、
すみません、先生じゃないどころか、実は近所の主婦です(爆)。

スクリャービンのエチュードとノクターンのレッスンがある、
ということは事前にチラシを見て知っていたのだが、
『公開レッスン&演奏』というタイトルの『演奏』のほうが、
予想以上の豪華版で、一時間を超える事実上のリサイタルだった。
曲目は、ザラフィアンツが現在取り組んでいるシューマンが中心で、
『子供のためのアルバム』から8曲、『幻想曲』、
それにショパンのマズルカが数曲あった。

ザラフィアンツの音楽は、とにかく懐が深い。
聴く人により、彼の演奏のどこが心に響くかは結構違うかもしれない。
それくらい、彼の音楽には多くのものが内包されていると思うのだ。
それと、彼は特定の○○弾きではなくて、
非常に幅広い時代と形式の音楽を、これまでに取り上げているのだが、
それだけにザラフィアンツの演奏からは、その作曲家の特徴とか、
その曲の時代背景や様式感などが、実に鮮やかに伝わって来る。
過去に私は彼の実演としては、リサイタルと、マスタークラスを聴き、
それ以外には接点はCDしか無かったのだが、
とてもアカデミックで、しかも繊細な感覚を持ったピアニストだと
今日も間近で演奏を聴きながらしみじみと思った。

リサイタル形式の『演奏』のあと、30分の公開レッスンがあり、
課題曲は予定通りスクリャービン2曲だった。
受講されるのもピアノの先生で、専門家の方だったので、
レッスンとは言え、模範授業という趣の、高度な実技内容だった。
ザラフィアンツはかなり日本語がうまく、
レッスンも直接に日本語で行い、
しかも音の柔らかさを言うのに『うどんのように』とか
巧まざる可笑しさがあって、良かった(爆)。

スクリャービンのノクターン作品9-2は、ザラフィアンツによれば、
スクリャービンらしくない作品で、それゆえに、
途中に見える、数少ないスクリャービンらしさのある箇所
(和音やバスの進行など)は意識的に際立たせて弾くのが良い、
とのことだった。
また、サロンのスタイルを忘れないように、という指摘もあった。

エチュード作品45-2のほうは、円熟したスクリャービンの様式で、
しかもショパンの影響が強く感じられる、ということだった。
エチュードなので技術的な安定感は必要だが、
音楽としては、次々と先を急ぐ展開になっており、
転びそうになるぎりぎりのところで走り続ける感じ、だそうだ。
『コンクールのためには、スクリャービンにはゴメンナサイだが
左手をまずきちんと弾かないといけない。
だが演奏会では、右手のほうを中心に考えて……』
というユーモラスで実際的な(笑)アドバイスもあった。

ザラフィアンツには次の機会には広島市内でもリサイタルをして頂きたい。
今回は福山公演だけだったようなので、近いうちに是非とも!と思った。
また30分という短いものでなく、公開レッスンやマスタークラスも、
もっとまとまった時間が取れれば、なお興味深いものになると思うので、
併せて検討して頂けたらと思った。
参加なさった方々も、先生方だけあってマナーが洗練されており、
不用意な拍手が出ないどころか、曲と曲の間も咳払いひとつ無い集中で、
本当に弾き手も聴き手も素晴らしいひとときだった。

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夏から引っ張り続けた、マズルカ作品59-2の本番だった。
課題は多々残ったと思うのだが、とりあえず、
あれほど垣根を感じていたショパンの作品、特にマズルカを、
なんとか一曲弾くところまで仕上げることが出来たのは、
私にとっては、大きなことだった。

実は今朝、一応、家でも一度は弾いてから出るかな、と思い、
まだ着替えもしないうちに、アップライトに向かって、
ヘッドフォンなしに、音を出してマズルカを通して弾いてみた。
そうしたら、まあ、なんということでしょう、
このときは、ビックリするほど巧く弾けたのであった(爆)。
かねて、自分的難所だと思っていた複数の箇所など全く問題なく、
やろうと予定していたことはひとつも忘れず、
すべて絶妙のタイミングでピタリピタリと決まって、
おい待て、あたしゃ天才だったんかい!(殴&蹴)、
という出来映えだった。
ああ、今のが本番だったら良かったのに!!
…………寝間着だよ(爆)。

ピークに持っていったのが、どうも若干、早かった。
残念ながら本番は、朝の起き抜けに較べると、いくつもミスをした。
しかし何も無かったフリをして最後まで通すことは、できた(殴)。
何より、これまでの練習のとき幾度かやらかした、
『これをやったら収拾がつかない!!オワってしまうぞ!!』
という致命的な大事故だけは、きょうは、起こさなかった。
それが何よりだった。

とにかく無事に本番が済んだ。
良かった良かった。
指導して下さった先生、助言を下さったたくさんの方々、
この拙日記を見て下さった方々、
そしてきょう聴いて下さった皆様に、心からの御礼を申し上げます。
本当に本当に、ありがとうございました<(_ _)>!!

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昨夜は、イェルク・デムスのリサイタルがあって、
アステールプラザまで聴きに行った。
バッハの平均律第2巻全曲演奏会の一環で、
昨日のはその第二夜という位置づけだった。
第一夜は11月2日にあったのだが、私は多忙で聴けなかった。


イェルク・デムス ピアノ・リサイタル
11月16日(金)18:45開演
@アステールプラザオーケストラ等練習場
――平均律クラヴィーア曲集 第2巻 全曲演奏 第二日目

平均律クラヴィーア曲集 第2巻より
 プレリュードとフーガ 13 Fis-Dur BWV 882
 プレリュードとフーガ 14 fis-moll BWV 883
 プレリュードとフーガ 15 G-Dur BWV 884
 プレリュードとフーガ 16 g-moll BWV 885
 プレリュードとフーガ 17 As-Dur BWV 886
 プレリュードとフーガ 18 gis-moll BWV 887
*******
平均律クラヴィーア曲集 第2巻より
 プレリュードとフーガ 19 A-Dur BWV 888
 プレリュードとフーガ 20 a-moll BWV 889
 プレリュードとフーガ 21 B-Dur BWV 890
 プレリュードとフーガ 22 b-moll BWV 891
 プレリュードとフーガ 23 H-Dur BWV 892
 プレリュードとフーガ 24 h-moll BWV 893
半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV 903


私は平均律についてもデムスについても、
よく知っているとは到底言えない聴き手なので、
特にどこを聴きたいとか、何を聴き取りたいとかいう前提は無しに、
昨夜はただ、ひたすらに音楽を受け取らせて貰ったのみだった。
聴き手として、一音一音を追うような聴き方になる箇所もあれば、
ある意味で集中がなくなってイメージの世界に遊んだ箇所もあり、
全体として私はとても自由に心地よく、楽しく聴くことができた。

そのような中で、私の中に始終浮かんでいたキーワードは、
『ブゾーニ』だった。
デムスの弾くバッハは柔らかくて色彩があり、懐が深くて、
それは私にとって、ブゾーニ編のバッハに通じる、
自由さや躍動感に溢れたものとして聞こえたからだ。
どうして私がこのようにブゾーニに親和性があるかというと、実は、
私が自分のピアノ学習の中で、最初にまともに出会ったバッハは、
ブゾーニ編の二声インベンションだったのだ(大汗)。

当時の先生のお考えは、今となっては不明なのだが、
初心者の私には、懇切丁寧な楽譜が良いということだったのだろうか。
ともかく、あれのせいで、…じゃない、御蔭で、私は結果的に、
初対面のバッハと「普通」とは言えない出会い方をしたと思う。
私はかなり後になってから、自分の唯一知っていたバッハが、
世の中で広く一般的にバッハだと思われているものと、
少なくとも楽譜上、どうも一致していないらしい、
ということを知った。

バッハのインベンションを弾いたことのある方で、
ブゾーニ編をご存知ない方は、機会があればどうぞ楽譜をご覧下さい。
トリルやプラルトリラーの箇所が、ほとんどすべて音符で書き出してあり、
スラーやスタッカートなど、こと細かく書き込まれ、
曲ごとに速度指定があり、詳細なペダル指定までなされていて、
一目でほかの楽譜とは違うことがあきらかなのだ(^_^;
(14番なんか全部の音価が倍にされていて、とっても読みやすい・殴)。
原典版系の楽譜でバッハを勉強なさった方なら、ブゾーニ版バッハには、
その、あまりの鬱陶しさ・お節介さ加減に呆れられると思う。
そして、デムスのバッハは、私がブゾーニで知っていた独特の彩り、
……ケナして言えばそうしたウザさ(爆)を連想させるものが
ふんだんにあった、と思うのだ。

今、多少なりとも趣味でピアノを聴くようになってみると、
ブゾーニの楽譜は、バッハ解釈の中でも非常に即物的に、
「どう弾くか」を具体的に示そうとしたものだったと感じられる。
そしてそれは、バッハが作曲をした時代から200年近く経って、
楽器もグランドピアノへの進化を経る中で考案された弾き方だった。
チェンバロと異なる機能を持つ、現代ピアノであればこそ
美しく効果的な演奏法を、ブゾーニは数多く提案した。
モーツァルトやベートーヴェン、ショパン、リスト、
そしてシェーンベルクまで知った世代が、それらの経験の上に、
現代ピアノを使って、改めて取り組んだ結果生まれるバッハが、
ブゾーニの提案したバッハだった、と私は今になって思っている。

昨夜のデムスを聴いていて、私はその流れの延長上に、
デムスの立ち位置があるようなイメージが、幾度も浮かんできた。
ブゾーニが、自身のピアニストとしての知恵を結集して
現代バッハの弾き方を書き残そうとしたように、
デムスもまた、80歳を過ぎた今、バッハを弾くことに、
彼のピアニスト人生の総括を見出しているのではないかと思った。
帰宅してから改めてデムスの経歴を読んでみたら、
1956年にブゾーニ国際コンクールで優勝し、
これを機に、世界各地で演奏活動を行うようになった、とあった。
やはり、昨日の私のキーワードは『ブゾーニ』だったようだ(笑)。

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10日の川西公演が中止になり、心配されたルプーだが、
本日夜の東京公演は予定通り行われることになった由、
昨日、KAJIMOTOから発表があった。
演奏したいというルプーの意志は、強かったことだろうと思う。
川西公演については、本当にあまりにも残念だったが、
療養の甲斐あって、あれから演奏可能なところまで体調が戻ったようだ。
ファンは、待ち望んだルプーの演奏を聴きたいのはヤマヤマであっても、
指に不安のある彼に無理をさせることなど、望んでいない。
曲目変更の有無は問題ではなく、リサイタルが行われるだけで、
東京の聴衆はきっと何よりも喜ぶと思う。

ラドゥ・ルプー 11月13日(火)東京公演につきまして(KAJIMOTO)
『2012/11/12 | 大切なお知らせ
■ラドゥ・ルプー 11月13日(火)東京公演につきまして
来日後に左手中指に蜂窩織炎(ほうかしきえん)を発症し、療養に努めておりましたラドゥ・ルプーは、明日の11月13日(火)19時より、東京オペラシティ コンサートホールにて、予定通り公演を行います。
お客様にはご迷惑、ご心配をおかけいたしましたことをお詫び申し上げます。
なお、指の回復状況により演奏曲目に変更が生じる可能性がございます。
何卒ご了承いただけますよう、宜しくお願い申し上げます。』

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KAJIMOTOから、ルプーに関して、以下のような発表があった。
13日東京公演については、行う予定で経過観察中とのことだ。
症状の改善を祈りたい。
ラドゥ・ルプー 来日公演について(KAJIMOTO)

『2012/11/10 | 大切なお知らせ
■ラドゥ・ルプー 来日公演について
現在来日中のピアニスト、ラドゥ・ルプーは、11月7日(水)に左手中指に蜂窩織炎(ほうかしきえん)を発症。11月9日(金)夕刻、症状の悪化に伴い演奏が困難であると診断され、翌日の11月10日(土)の川西みつなかホール(兵庫県)でのリサイタル公演をやむを得ず中止するに至りました。現在、治療を続けながら11月13日(火)の東京オペラシティコンサートホールでの公演実現に向け、経過観察中です。ラドゥ・ルプーは、指の支障をなんとか克服して演奏に臨むべく療養に努めており、現時点において11月13日の東京公演については行う予定でおります。今後、状況は随時HP等でご案内いたします。お客様にはご迷惑、ご心配をおかけいたしますが、何卒よろしくお願い申し上げます。』

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2012/11/10:
「ラドゥ・ルプー ピアノ・リサイタル」公演中止のお知らせ
(みつなかホール)
『【公演中止】
ラドゥ・ルプー氏が、左手中指の蜂窩織炎により、ドクターストップとなりました。
そのため、明日の公演は中止せざるを得なくなりましたので、お知らせ申しあげます。』

昨夜、上記の告知が、みつなかホールのサイトに載った。
チケットを購入されていた方々には、直接に連絡もあったそうだ。
なんということだろう。
ファンは勿論、ルプー本人もどれほど無念に思っているだろうか。

私の聴いた6日の大阪公演が素晴らしかったのは既に書いた通りだし、
Twitter等で見ていると、ここまでの東京や名古屋での演奏会も、
いずれも大変に絶賛されているので、
このあとの公演を待ち望んでいたファンは、本当に多いことと思う。
13日の東京公演については、どのように決定されるのだろうか。
実はルプーは、前回2010年秋に来日したときも、
急な体調不良でツアーを中止せざるを得なくなった
という経緯があり、
ファンなら誰しも、今回の来日公演には「今度こそ」の思いが強かった。
上記の文章に『ドクターストップ』とある以上、ルプー本人もまた、
症状があっても演奏することを望んだのではないだろうか。

文面からは病状の程度はわからないが、蜂窩織炎ということは、
私の知っている範囲では、抗菌剤と鎮痛剤での治療になると思われ、
薬が合っていれば、比較的速やかに改善するのではないかと思う。
しかし完治させなければいけないし、患部が指ということでもあり、
経過が良くても決して無理をせず、治療を優先させて貰いたいと願っている。
ルプーのピアノ、あの音は、もはや世界の宝だと私は思っているので、
今はできる限り安静にし、指を大切にして、回復に努めて頂きたい。
何よりも、まずは少しでも早く痛みが取れますように……(祈)。

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昨日は、大阪いずみホールで、ラドゥ・ルプーを聴いた。
昨夜のルプーは、もはや『神』の領域だった。
音楽を「楽しむ」などという気楽なものではなく、
かと言って、自己と「対決する」というような凄惨なものでもなく、
ルプーは、厳しく神聖な、霊的な世界に身を置き、
音のひとつひとつを、限りなく繊細に積み上げていた。

演奏というのはある種の降霊術だと思う。
演奏が高度な再生芸術であるということを、
私に最初に考えさせたのはイーヴォ・ポゴレリチだが、
そもそも演奏家が何を「再生」しているかというと、
それは、偉大な作曲家たちが書き記した「言葉」なのであり、
現代音楽でない限り、そうした作者たちは皆、既に故人だ。
演奏家は、死者の声を聴き取り、自分の手技でそれを形にして、
私たち聴き手に届けてくれる。
演奏という行為で作品が再生されている間だけ、
私達は、今この瞬間に蘇った作曲家の言葉を聴くことができるのだ。

昨夜のルプーは、シューベルトひとりと、深く深く対話していた。
シューベルトの、音楽への純粋な敬愛や畏怖、逡巡する言葉、
ルプーの中では、それらが天上の歌となって木霊していて、
彼はそれをつぶさに追って再現しつつ、
この美しい音を重ねているのだろう、と私には思われた。


 ラドゥ・ルプー 11月6日(火)19時開演 いずみホール
 シューベルト・プログラム

 16のドイツ舞曲 D783、op.33
 即興曲集 D935、op.142
  1.ヘ短調 2.変イ長調 3.変ロ長調 4.ヘ短調
  *******
 ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D960(遺作)
  *******
 アンコール:
  スケルツォ 変ニ長調 D593-2
  楽興の時 D780より第2曲 変イ長調


プログラム冊子に、ルプーの過去の来日公演の記録が掲載されていて、
1973年の初来日以来、前回2010年までの十回に及ぶ来日公演の、
公演地とプログラムが出ていた。
今回はルプーの11回目の日本ツアーとなったわけだが、
こうして改めて眺めてみると、ルプーは本当にショパンを弾いていない
(87年リサイタルで、ピアノ・ソナタ3番を取り上げたのみ)。
シューマンもブラームスもよく弾くのに、ショパンと、それにリストは、
ルプーがその言葉を聞き取ろうとする作曲家ではないようだった。
演奏家が弾く作品を選び、プログラムを組むときには、
作曲家のほうでも、言葉を託す演奏家を選んでいるに違いない。
その時点で、作曲家と演奏家の霊的な交流は
既に始まっているということなのだろう。

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詳しい方なら、きょうのはタイトルだけでおわかりになると思う。
U3Eとは、1966年から1970年初めまで販売されていた、
YAMAHAのアップライトピアノの品番のひとつだ。
2012年の今、実は私は未だにこのタイプのピアノを所有しているのだ。
……ということを、昨日、確認した(笑)。

そもそも昨日は、毎年恒例「村の神社の例祭」があって、
この数年で、すっかり村時代の感覚と常識を取り戻した私は、
御玉串料も御供えの和菓子も忘れず、今年は余裕のよっちゃんで
実家まで行って来たのだが、そのときにちょっと元・自室に寄り、
私は今更ながら、自分のピアノについて調べてみたのだ。
このピアノは私が幼稚園に行っていた頃に買って貰ったもので、
両親も祖父母も楽器の知識など何も無かったので、
知人に意見や助言を求め、楽器屋さんの説明を聞いたうえで、
「縦型の中では大きく、孫の代まで使えるというから、これにした」
と、あとで言っていたものだった。
それで今回、具体的にそれがどういう番号のなんという型だったのか
今の私ならその意味も理解できるかもしれないと思いつき、
久しぶりに昔の自分の部屋に行き、ピアノの天屋根を開けてみた。

現マンションにある、10数年前に買ったピアノの場合は、
フレームの右のほうに品番と製品番号が印字されているのだが、
実家のは何しろ古いので、様式が違った。
『NO.U3』という文字は読めたが、品番がU3のどれなのかわからず、
製造番号も、ちょっと見たくらいではわからなかった。
目をこらして見ると、フレーム中央の、音叉のロゴの下に、
黒い字で7桁の製造番号が入れてあるのがわかった。

ちなみに、この三矢のごとく音叉を組み合わせたロゴには結構変遷があり、
実家ピアノについているのは、そうしたYAMAHAロゴマークの中では
言うまでもなく、最古のデザインのものだった(汗)。
そして何より感心したのは、『NIPPON GAKKI』の文字があったことだ。
ある世代以上の者には実に懐かしい響きで、
YAMAHAは、当初は『日本楽器製造株式会社』が社名であり、
確か1980年代まで、この名前は残っていた筈だった。

それから調律カードを出してみた。
これは今のピアノと同様に、壁面にとめ付けてあったが、
名前が『調律検査カード』とあり、記録様式が現在のと若干違った。
ここで詳しい品番と製品番号が確認できた。
品番U3Eで、その横に、101…で始まる7桁の製造番号があり、
昭和45年2月某日に出荷検査、同年4月に初回調律の記録があった。
最初の2年間は半年ごとに調律して貰ったことも書かれていた。
以後は毎年1回調律を続け、私が家を離れて弾かなくなってからも、
同じ調律師さんがずっと通って下さっており、
そうした記録がすべて、このカードに綿々と書き入れられていた。

私が来た以上、久しぶりに音を出してやらなければと思って、
ショパンのマズルカ作品59-2を弾いてみた。
現マンションのピアノより、微妙に黒鍵の幅が狭いように感じたのだが、
照明の具合が今の家と実家では違ったせいだろうか。
指に返って来る感触は、記憶にあった通り、重めだった。
音は、部屋が乾燥しているので乾いて硬めの、良い響きだった。
楽譜なんか持って来ていないから暗譜でやるしかなく(汗)、
ミスしても止まらずに最後まで弾く、という気構えでやったが、
今、曲の中でどこが弱いか、どこが忘れやすいか、たちどころに判明した。

********

かつてのマイ楽器との邂逅を果たしてから階下に戻ったら、母と叔母が、
「芸予地震のとき、あまり揺れたので家のピアノが勝手に移動して困った」
という話をしていた。
私のピアノが漏れ聞こえて、そういう話になったのだろうと思われた(^_^;。
2001年3月の芸予地震は、最大で震度6弱という大きさだったから、
当時今治に置いていた私の現YU1Wnも、地震で揺られてズレまくり、
官舎の床にキズを作って、退去点検のとき修理代を請求されたものだった。

それから、叔母の話は去年の3月11日のことになった。
あの日、なんという偶然か、叔父は出張で東京にいたのだそうだ。
霞ヶ関だか大手町だかのビルの中で仕事をしていて、
いきなり、あの揺れが来たものだから、最初は皆騒然となり、
とにかく避難だと、部屋を出たが、エレベーターは動かないから
仕方なく三十何階という高層階から階段で地上にまで降り、
皆、真っ青になって事態の推移を見守ったそうだ。
それから、余震はあるものの、落ち着きそうだという話になり、
もう仕事は中断で、後日やり直しと決まり、解散になったのだが、
帰るとなると、荷物を取りに戻らねばならず、
それは地上三十何階の、さっきまでいたあの部屋なわけで、
叔父たちは再び階段をひたすら上り、やっと荷物をまとめたが、
家に帰りたいのであれば、またしても、あの階段を下りなければならず、
……叔父は、地震でなく階段でシヌと思ったということだった。

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