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・昨夜からきょうの昼頃まで、まとまった雨が降った。
広島としては二週間ぶりくらいの雨だった。
梅雨入りしたと発表されてから、逆に降らなくなっていたので、
この雨にはさすがに「良かった、やっと降った」と思った(^_^;。
・ふくやま書道美術館の菅茶山の特集展示を見たいと思っていたのだが、
果たせないまま、展示期間が明日で終わってしまう。
頼山陽史跡資料館の展示もそうだし、映画でもそうなのだが、
一定期間公開されているものは、いつでも行けそうでいて、
その実、結局忙しくて逃してしまうことが、私には多い。
私のような者でも、日々それなりに用事はあるので、
時間を取ってゆっくり出かけることが、なかなかできないまま、
またそのうち……と思っているうちに日が過ぎてしまうのだ。
・お友達の境山様が教えて下さったのだが、
このほど、大変なモノがCDのかたちで蘇ることになった。
『「TBSのライブラリー」に眠っていた貴重すぎる音源が、SACD(ハイブリッド)で甦ります!』
と書いてあるのだが、よくぞこのようなものが今まで残っていたものだと
本当に驚いてしまった。
何でも、有るところには有るものなのだな。
私としては、ハイフェッツとバックハウスとカッチェンは是非欲しい。
速報!“TBS Vintage Classics”シリーズ化決定!(TOWER RECORDS)
以下、抜粋。
<第1回~8月リリース;5タイトル>【8月14日発売】
SACDハイブリッド(最新リマスター)各¥3,300(税込)
1)ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)の最後の来日公演。1954年。神田共立講堂。
2)ベルギーの巨匠ヴァイオリニスト、グリュミオー初来日公演。1961年。
3)ロストロポーヴィッチ、貴重な日本初演。1958年。
4)バックハウス(ピアニスト)の最後の来日公演。1954年。日比谷公会堂。
5)日本でショスタコーヴィチ作品を初演した上田仁による、ショスタコーヴィチ:交響曲第12番の日本初演!しかも、上田仁自身による解説入り!
(演奏)上田仁指揮 東京交響楽団
<第2回~9月リリース;5タイトル>【9月18日発売】
SACDハイブリッド(最新リマスター)(予定) 各¥3,300(税込)
英国の巨匠マルコム・サージェント、東京交響楽団招へいによる初来日公演の記録。
6)マルコム・サージェント指揮 東京交響楽団+渡辺茂夫(ヴァイオリン) 1954年。
7)マルコム・サージェント指揮 東京交響楽団
8)ヨーロッパ以外のアーティストとして初来日したアメリカ人ピアニスト、
ジュリアス・カッチェン(28歳)の初来日公演。1954年。
9、10)カザルス+平井丈一郎
カザルス指揮(ドヴォルザーク:チェロ協奏曲)
カザルス指揮(ベートーヴェンの交響曲第4番、シューマンのチェロ協奏曲)
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先日は、ポゴレリチ12月来日が急遽、決定・発表されたばかりだが、
今度は、10月にラドゥ・ルプーとファジル・サイの公演も決まったそうだ。
娘の様子を見がてら、東京遠征を敢行せよ、
との天(=道楽の神)の声なのか、これは……(^_^;。
http://www.kajimotomusic.com/jp/news/k=1424/
●速報!ラドゥ・ルプー、ファジル・サイのリサイタルも今秋開催!(KAJIMOTO)
[ラドゥ・ルプー ピアノ・リサイタル]
10月17日(木)19時 東京オペラシティ コンサートホール
S\12000 A\9000 B\6000 C\4000
カジモト・イープラス会員先行:6月28日(金)12時~7月2日(火)18時
一般発売:7月7日(日)10時~
シューマン: 子供の情景 op.15
シューマン: 色とりどりの小品 op.99
シューベルト: ピアノ・ソナタ第20番 イ長調 D959(遺作)
ルプーはアバド指揮ルツェルン祝祭管弦楽団の来日公演で
ソリストも務めることになっており、そのほうの公演日は、
10月20日(日)時間未定 / 21日(月)19時 サントリーホール
*協奏曲 曲目未定 (ピアノ: ラドゥ・ルプー)
ベートーヴェン: 交響曲第3番 変ホ長調 op.55 「英雄」
*料金未定
カジモト・イープラス会員先行:6月21日(金)12時~25日(火)18時
一般発売:6月30日(日)10時
ということだ。
実は10月の三連休のところで、親戚関連の用事で東京に行く予定が、
既にだいたい決まっているので、その滞在をもっと延ばすことで、
ルプーの演奏会のどれかが聴ければ、願ったり叶ったりなのだが、
……そんなことが許されるのでしょうか(^_^;。
一方、ファジル・サイの公演も、これらのすぐ後に予定されている。
[ファジル・サイ ピアノ・リサイタル]
10月29日(火)19時 紀尾井ホール
全指定席\8000 プラチナ席\13000
カジモト・イープラス会員先行:6月26日(水)12時~30日(日)18時
一般発売:7月6日(土)10時~
*曲目発表は今しばらくお待ちください。
加えて、ちょうどこの時期、マレイ・ペライアも来ることになっていて
(マレイ・ペライア ピアノ・リサイタル(JAPAN ARTS))、
私はそれにも、以前から目を付けてはいた。
ペライアは生で聴いたことがないのだが、録音に秀逸なものが多く、
近年は更に磨きがかかって素晴らしいと、友人からかねて聞き及んでいたのだ。
ペライア ピアノ・リサイタル 日程
10月15日(火)すみだトリフォニーホール
10月19日(土)彩の国さいたま芸術劇場
10月24日(木)サントリーホール
日本って、いや東京って、本当に凄いところではありませんか。
世界の超一流演奏家たちが、こうやって次々に向こうからやって来てくれる。
今年の10月中旬は、いっそのこと10日間くらい東京に滞在したい。
とは言え、娘の下宿に泊まるという選択肢は、無い。
狭すぎて二人は寝られないし、仮に少々広かったところで私は願い下げだ。
娘だって私とひとつ部屋にいるなんて、まさに冗談はヨシコさん状態だろう。
ウィークリーマンションみたいなところを探そうかしらん。
私の道楽の遠征で多大な負担となっている部分は、交通費と宿泊料なのだから、
そこさえ抑えられるなら、あとはチケット代だけで、地元の催しと大差ない。
なんとかならんかっっ。
まったく、この10月は豪華なものが重なり過ぎだ。
いくら痴れ者の私でも、同じ月にそう何度も出たり入ったりするのは厳しい。
そもそも、10月はゲルバーが来るので、西宮の券を先日買ってしまった。
これは逃したくないので、関西遠征のほうが既に確定なのだ(汗)。
ルプーのためでも、ゲルバーを断念するわけには、さすがに行かない。
さぁさぁ、ここが思案のしどころよ。
ブルーノ=レオナルド・ゲルバー ピアノ・リサイタル
10月26日(土)14:00
兵庫芸術文化センター KOBELCO大ホール
A席 \5,000/B席 \4,000/C席 \3,000/D席 \2,000
(後日記:ゲルバーの首都圏公演も、当然のことながら、あった。
やはりここは、東京長期滞在かっっ(涙)!
10月16日(水)13:30開演 横浜みなとみらいホール 大ホール
10月19日(土)14:00開演 東京文化会館 小ホール)
それにしてもだ。
こうして考えてみると、私はどれだけ東京に居続けたところで、
娘の下宿を訪ねる暇など、結局、ろくにないのではないか。
東京に行くとなれば、音楽会だけではなく、
歌舞伎だって宝塚だって観なくてはならないのだ(ならないのか)。
ついこの前の、三泊四日の東京旅行だってそうだった。
私は少ない滞在時間であれもこれもしようとして忙殺され、
娘とは、ちょっと晩ご飯を一緒に食べただけで、すぐサヨナラだった。
次は既に、7月の上京を検討しているところなのだが、
これだって、初日は名古屋で遊ぶので、東京には前回同様に深夜到着、
翌日は歌舞伎座の夜の部を観なくてはならないし、
その次の日は日比谷の東宝で丸一日過ごして……、
となると、三泊したって、娘とは夕食をともにする機会さえない。
『東京着いた。元気か』
『らっしゃい。変わりないよ』
などと、娘とメールでやりとりするだけになりそうだ。いや冗談ではなく。
それじゃ広島からメールを送っとるのと変わらんじゃないか。
どこが『娘の様子を見』になんだか、さっぱりわからんぞ>自分(--#)。
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発表会があって、例のツェルニー4曲を弾いたのだが、
残念ながら、総仕上げとしての本番!にはならなかった。
リハーサルのときのほうが、楽器の良さも味わえて、
ミスもあまりしなかったし、巧く行った気がしたのだが、
それに較べると本番は不本意な箇所があちこちあった。
それでも、途中で止まったり弾き直しをしたりしなかったのは、
唯一、良かったことだった(^_^;。
……という反省もすべきなのだが、もう忙し過ぎてダメだ。
何しろ明日から三泊四日で遠出しないといけないので、
今朝、発表会に出かける前にも掃除や片付けをしていて、
帰宅してからも夕食を挟んでまた準備その他いろいろ、
もう気がついたらこんな時間になってしまった。
明日は午前10時には宝塚大劇場に着いていないといけないので
広島を7時過ぎに発つ新幹線に乗ることになっており、
これまた早起きして朝食と掃除と洗濯をしなくてはならない。
いやもう、そんなに忙しいときに掃除なんかせんでも、
……というのはわかっているのだが、
ビョーキですね私は。ホントに(^_^;。
ああ、でも、そうだ、もはや娘の弁当を作らなくていい、
ということだけは感謝しなくては。
ありがとうございます(←……誰に?)。
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今月下旬に某ホールで内輪の発表会があって、
私はツェルニー30番から4曲、弾くことになっている。
自分で弾きたくて積極的に選んだのは25番で、
その他は、3月このかたの入院騒動と通院で準備の期間がなく、
「とりあえずウケそうなもの」「無事に弾けそうなもの」
を足して、与えられた演奏時間を満たすよう4曲構成にした(汗)。
練習時間がないにしても、例えばモーツァルトやベートーヴェンの
小品など仕上げたほうが、本当は良かったのかもしれないが、
私はツェルニーを偏愛しているので、せっかくだし一度くらい、
ホールのフルコンでツェルニーを弾いてみたかったのだ。
私は常々、自分の感覚に偏執狂的なものを自覚しているのだが、
長年の、ツェルニーへの深い愛(笑)もその類いかもしれない。
私は基本的に、練習曲とともにシツコく過ごすことが性に合う。
日常も、ハノンから始めて、リズム変奏を試したり移調したりして、
それからツェルニー30番を弾いて、速度を変えて弾き直したりして、
……主婦の道楽だから、すぐ家事の時間になり、練習は以上!
という日が、結構あったりする。
そんな基礎練習に時間をかけて何になる、と仰る向きもあると思うが、
私はむしろ、ハノンやツェルニーを弾くこと自体が目的なのだ。
何かほかの憧れの曲を弾くために、我慢して鍛錬しているのではなくて、
私はツェルニーそのものを、美しく見事に弾けるようになりたいのだ。
どうして世間はツェルニーをあんなに毛嫌いするのだろう、
と私は不思議なくらいだ。
私にとって弾く快感が最も大きいのは、多分ツェルニーなんだが(爆)。
それと、もうひとつの偏執狂的な傾向として、
私は、一冊の本をくまなく仕上げるのが生理的に好きだ。
だからツェルニーなども全曲やるのが良いのだ。私には(笑)。
今やっているツェルニー30番なんて、子供の頃にもやった曲が多く、
実質的には、ほとんど二周目だ。
一周目の穴を埋めたり弱点を補強したりしながらの二周目なので、
より綺麗に速く弾けるようになった実感があり、嬉しく思っている。
これはピアノの練習に限らず、普通の読書でもそうだし、
語学の演習などの問題集や参考書でも同じだ。
このブログがこれだけ続いていることから見ても、
『途切らせない』ことへの、私の異常な執着は、
きっとご理解頂けることと思う(^_^;。
「ソナチネ・アルバムの昔やり残した曲たちをつぶして行って1冊を埋めたい」
という希望も実はあったのだが、先生の御返事は、
「そこまでやる人は普通、居ない」
と、どうもあまり芳しいものではなかった(^_^;。
そうだったのか。実に残念だ。
それでいて、私は『聴く』ことに関しては、
別にエチュード系が好きなわけではないし、
ベートーヴェン・ソナタ全集とか、
ショパン全曲録音などという企画そのものに、
さほど意義を感じるわけでもない。
多分、私の聴きたいピアノは純粋に『音楽』だが、
私の弾きたいピアノはかなりの部分、『筋トレ』なのだ(爆)。
いや、でも今月末のは人前で弾く発表会なので、
私なりに、ツェルニーの『演奏』の面に力を入れたいとは思っている。
例えば第2番なんて、スラーの付け方が普段のツェルニーと違い、
フレーズ処理の多彩さが、相当問われている曲だと思うのよ(^_^;。
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昨日は、菊地裕介&松元綾 ピアノデュオコンサートがあって、
午後から広島県民文化センターまで行った。
この演奏会のことは友人某氏から教えて貰って知ったのだが、
行ってみたら満席のうえ立ち見の出ている大盛況だった。
公演の前評判が高かったのも理由だと思うが、それに加えて、
これが広島デビューとなる松元嬢への、地元からの熱い支援を感じた。
私はひとりだったので、場所はどこでも良いと思い、
最初、上手寄りに空いている席をみつけて適当に座ったのだが、
隣が体の大きな男性客で、肥満体の私が並ぶと窮屈過ぎたこと、
また、反対隣にぴょんぴょん動き回る小さいお子さんがいたこと、
更に、私の前の高齢男性が、プログラムを丸めて右手に持ち、
演奏中も延々とそれで自分の頬を叩き続ける人だったこと(爆)、
と、なかなかの悪条件が重なり、前半は忍耐を強いられた。
折悪しく、前半の演奏曲目がまた、
松元綾嬢が ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ第2番、
菊地裕介氏が リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 で、
……一年前、ポゴレリチの強烈な演奏に出会ってしまったせいで、
私にとっては平常心で聴くことができなくなっている二曲だった。
なんでまた、この二曲が並んでしまったんだ(T_T)。
強いて言えば、松元嬢のラフマニノフには、
ときどき、はっとするような物凄くイイ音がきらめいていたこと、
菊地氏のリストは、私が想定していたより深刻でない曲に聞こえたこと、
くらいしか、今、思い出すことができない。
やはり、聴くときの外的な状況と、
聴き手としての内面のコンディションは大事だ(汗)。
これは私のほうがモたない、と観念して、
後半は自主的に席を立ち、私は立ち見客になった。
会場の一番後ろか、出入り口付近、あるいは両サイドの壁際など、
立つところはいろいろあり、演奏中にうろうろしないのであれば、
こうした場所のどこを選んでも許される雰囲気だったので、
立ち見のほうが昨日の私にとっては快適だった。
また、立てば視点が上がってステージ全景が見えるし、
後ろほど、音の左右のバランスが良いという点も良かった。
後半は二台ピアノで、
ルトスワフスキ:パガニーニの主題による変奏曲
ドビュッシー作曲、ラヴェル編曲:三つの夜想曲
ストラヴィンスキー作曲:ペトルーシュカからの三楽章
という構成になっており、アンコールは連弾で、
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
が演奏された。
私の状態が改善したので、主観もあるだろうとは思うが、
後半のほうがおふたりのエンジンも全開になり、
前半より自由にのびのびと演奏されたのではないかと思った。
また、昨日は松元嬢の地元デビューだったためか、
後半の三曲はすべて菊地氏がセコンドで、
演奏全体を支えることに徹していらしたという印象だった。
ショパンその他の人気曲でサービスをするような面が全くなく、
小さい生徒さんにはいささか大変な内容だったかもしれないが、
そうそう聴けないようなプログラムで、意欲的なものだった。
松本嬢はほっそりした女性なのに、パワフルな演奏で、
思い切りの良さがリズム感の冴えになって現れていた感じがした。
ラフマニノフでの「イイ音」も忘れ難いし、
次の機会があればまた聴かせて頂きたいと思った。
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夕方四時から、近所のカトリック幟町教会で
パイプオルガンの演奏会を聴いた。
ここはいつも、毎月第一日曜の16時~17時に
パイプオルガンの演奏会が行われていて、
入場無料で誰でも聴くことができる
(オルガン維持のための献金があるが、飽くまで任意)。
前々から行ってみたいと思っていたのだが、
なかなか今まで機会がなく、きょうようやく、
時間的余裕があった御蔭で、聴くことができた。
演奏は、戸澤眞弓・村上敬子の両氏で、
プログラムは『オルガン編曲による名曲集』。
ホリンズ:トランペットメヌエット
バッハ/ヴィエルヌ編曲:フルート・ソナタ第2番2楽章
モーツァルト/リスト編曲:栄えあれ、まことのおからだ
ツィポリ:パルティータ イ短調
ギルマン:ヘンデルのユダ・マカベウスの合唱によるパラフレーズ
バッハ:オルガン小曲集より
イエス、キリストよ、われ汝に呼ばわる
愛する神にのみ従うのもの
バッハ:最愛のイエスよ、われらここに集いて
ワルター:ヴィヴァルディ氏による協奏曲
ショパン/リスト編曲:前奏曲作品28-4
リスト:コンソレーション第4番
ワーグナー/カルク=エーレルト編曲:
楽劇「ニュールンベルクのマイスタージンガー」第一幕への前奏曲
バッハのコラールのように、いかにもオルガンに相応しい曲もあったが、
それだけでなく、様々な楽器向けに作曲された作品を、
オルガン用に編曲したものが今回はいろいろと演奏されて、
私のような予備知識のない者にも、楽しい演奏会だった。
フルート・ソナタがオルガンで演奏されるのを聴くと、
なるほどパイプオルガンは鍵盤操作で演奏する「管楽器」なのだ、
ということが音から感覚的によくわかったし、
合唱曲では、パイプオルガンの音色の多彩さや音域の広さが、
人の声とは違った厚みを持って響き、興味深かった。
ショパンの曲もまた、声部ごとに音色の異なるオルガンで聴くと、
ポリフォニーとしての構成が、ピアノで聴くよりももっと
強調されたかたちで伝わって来て、発見があった。
リストによるオルガン編曲作品も、今まで知らなかったので、
今回聴く機会が得られたことは私にとってはとても良かった。
演奏内容については言うことなしだったのだが、
コンサートホールでなく教会のパイプオルガンなので、
楽器と演奏者席が、列席者の背後にあたる位置にあることと、
何しろ古い聖堂なので、座席が硬くて狭くて(殴)、
長時間座っているには快適とは言い難かったこと、
だけが難点だった(^_^;。
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書く機会を逸していたのだが、4月26日の夜は、
広島県立美術館で、イェルク・デムスのリサイタルを聴いた。
バッハ平均律クラヴィーア曲集の第四夜にあたる演奏会だった。
広島で、デムスは昨年から、平均律全曲演奏を手がけており、
第一夜は2012年11月2日(第二巻 第1番~第12番)
第二夜が11月16日(第二巻 第13番~第24番)、
第三夜が2013年4月2日(第一巻 第1番~第12番)、
そして完結の第四夜がこの26日(第一巻 第13番~第24番)だった。
平均律全曲演奏がメインだったが、どの日もそのほかに、それぞれ、
半音階的幻想曲とフーガ、或いはフランス組曲やパルティータのどれか、
等々が合わせて演奏されるプログラムになっていた。
26日のは、前半が平均律第一巻の13番から18番までと、
引き続いて、パルティータ第6番ホ短調が演奏され、
休憩を挟んで後半が、同第一巻の19番から24番、という構成だった。
私は残念ながら四夜すべてを聴くことは叶わず、
家庭事情などにより、第二夜と第四夜しか行けなかったのだが、
それでも本当に聴けて良かったと思っているし、
デムスについてはこの後も、機会ある限り逃したくない演奏家だと
聴き終えて改めて思った。
年齢的なこともあるのかもしれないが、デムスのバッハには
随所に軽やかな躍動感があって、テンポやリズムも柔軟な印象だった。
平均律に関しては、私はエル=バシャのCDを愛聴して来て、
彼の非常にタイトで抑制の効いた演奏が気に入っているのだが、
それとは別に、デムスの柔らかさや自由さは素晴らしいと感じた。
なんの足かせもないバッハだった。
使用楽器が19世紀のベヒシュタインであったことも、
彼の演奏の空気に、ぴったりと合っていたと思う。
その一方で、私は今回、デムスの右側にあたる席から、
演奏をこれまでよりつぶさに観察することができたのだが、
演奏中、デムスの姿勢の変わらなかったこと、
特に肩の位置、腕のポジションがきっちりと保たれていたことには、
とても感銘を受けた。
体を揺らしたり、腕を振ったりするような「動作」は
デムスのバッハ演奏には無縁だった。
それでいて、デムスの演奏態度には、窮屈さが全くなかった。
豊かな音量も速いパッセージも、ただ手をそこに置くだけで、
なんの無理もなく実現できる、というお手本のような演奏だった。
アンコールは、同じく平均律第一巻第1番の前奏曲とフーガだった。
平均律のすべてを弾き終えたあと、こうしてまた第一巻第1番に戻る、
あるいは再度ここから「始める」、という意味で、
音楽は途切れることがない、デムスの追求は終わることがない、
と、何か象徴的に示された気がした。
ピアニストにとって、平均律全曲演奏それ自体が大きな挑戦だが、
1928年生まれのデムスが、それをすべてを暗譜で、
しかも全回、完全に予定通り演奏会を実現させ、成功させたのは、
まことに見事な成果だったと感じた。
このあとデムスは、今年の秋に再び広島で、
『演奏家生活70周年記念演奏会』を行う予定だとのことで、
それもまた私は大変楽しみにしている。
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ところで、デムスの演奏会では、
客席がよけいな音をたてることは御法度だ。
自分の咳やクシャミが心配な人は、予め出口近くの席に居るようにして、
いざ出そうになったら速やかに退出するように、
という主旨の説明が、開演前にあるし、
それを書いた掲示物も、会場内に貼ってある。
こうしたことを、「窮屈だ」「肩が凝る」と嫌がる人も結構あるようだ。
だが、私にはむしろ不思議だ。
正直に言うが、
音を、それも限りなく繊細な音を、聴きに来ているのだから、
客席でそれ以外の物音など立てないように細心の注意を払うのは、
聴き手として、当然ではないだろうか?
デムスが怒ると怖いから、きょうだけ特別、というのではなく、
どのような演奏会でも、これは本当は当たり前ではないのだろうか。
私は、少なくともクラシックを聴くときに、
客席がゴソゴソ動くのを良いことだとは全然思わない
(一緒に手拍子したり、自然にリズムに乗って体が動くような、
勢いのある音楽のときは、この限りではないと思うけれども)。
私自身、聴いている最中には、自分が身じろぎすることにも抵抗がある。
周囲を気遣うからだけではなく、自分が細大漏らさず聴き取るためにも、
不用意に動いて、この場の空気に客席の側から穴をあけたら台無しだ、
という感覚があるのだ。
美輪(明宏)様の公演でも、開演前のアナウンスで、
デムスの演奏会とほぼ同様の注意が流れる。
音をたてるなら退出、とまでは言われないが、
「咳をする際にはハンカチやタオルなどで口元をおおって下さい」
という言葉が、決まって読み上げられる。
ついでに携帯もマナーモードは不可、全員、電源を完全に切るように、
という具体的な指示まで、必ずされる。
これらのアナウンスのとき、客席からはお約束のように、
「え……」「ゎ……」などと、一瞬ざわっとした反応が起こる。
しかし私には、これが特別厳しいことだとは思えない。
例えば、公演中に、発作的・事故的にひどい咳き込みに襲われた、
というような状況は、もちろんあり得ないことではないし、
それをいちいち徹底的に糾弾すべきだなどとは言わない。
けれども、聴衆の誰でも皆、咳が出そうならしても良いのが前提、
ということはないだろう。
「音」を聴くために、チケットを買って人々が集まっている場所なのだから、
一瞬だろうと「雑音」を入れることは、本来、最もいけないことだ。
会場に来られるほどの健康状態なのだから、その大半の人たちが、
咳やクシャミに対する配慮を求められるのは当然だと私は思っている。
それにつけても思い出すのが、2005年10月のポゴレリチの公演だ。
彼も若い頃から、客席の物音に対して決して寛大ではなかったが、
このときは、彼のほうから意思表示をしたわけではないのに、
最初から、客席の緊張感が物凄かった。
6年ぶりの来日のうえ、演奏内容が尋常でなかったせいもあろうが、
とにかく客席全体の集中力が凄まじかった。
ショパンもスクリャービンもラフマニノフも、
ソナタの楽章と楽章の間さえ、咳払いどころかコトリとも音がせず、
満席のサントリーホールが、耳鳴りのしそうな静寂に包まれ、
空気の隅々まで張り詰めていたことを、私は今も忘れない。
生理現象だなんだと言うが、つまり皆、やろうと思えばできるのだ。
普段はただ、本気でそうせねばならないとまで考えていないだけだ。
「東京の聴衆は素晴らしい」
と、あとでポゴレリチがインタビューで褒めていたものだった(汗)。
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去年、話題にしたファジル・サイの裁判だが、
『禁固10ヶ月、執行猶予5年』という有罪判決が出たそうだ。
トルコの著名ピアニスト、「イスラム侮辱」のツイートで有罪(CNN)
『イスタンブール(CNN) トルコの裁判所は15日、世界的に活躍するトルコ人ピアニスト、ファジル・サイ被告(43)に対し、ツイッターにイスラム教批判を書き込み、「市民が信仰する宗教的価値観を公然と侮辱した」として、禁錮10カ月、執行猶予5年の刑を言い渡した。』『サイ被告は昨年6月、ツイッター上での発言を巡ってイスタンブールの裁判所に訴えられていた。問題のツイートでは、イスラム教の天国の描写について「ワインの川が流れているというが、天国は酒場なのか。1人に2人ずつ女性が与えられるというが、天国は売春宿なのか」などと書いていた。』『同氏はフェイスブックを通し、改めて無実を主張。「私個人というよりトルコ全体の言論の自由、信教の自由が懸念される」との声明を出した。担当弁護士はCNNに、「無罪判決を予想していた」と語った。最大野党、共和人民党(CHP)も「トルコの民主主義にとって恥ずべきことだ」と判決を非難した。』『同氏はまた、10年以上前から同国の政権を握るイスラム系の公正発展党に対しても批判的な発言を繰り返している。』『一方原告側は、「言論の自由というのは他人を見下したり傷つけたり、侮辱したりする権利のことではない」と主張した。』
問題となっているイスラム教の天国の描写については、
ファジル・サイ本人が書いたものではないという説もあったが、
何であれ、イスラム教批判と取れるツイートを書いたこと自体は、
確かなようだった。
そうしたものを、個人の言論の自由と取るかどうかは、
それぞれの国内事情および宗教的背景も絡むことだし、
主張の分かれるところなのだろう。
いずれにしても、『執行猶予5年』ならば、多分、
今後のサイの演奏活動が大きく制限されることまではないと思われる。
トルコの刑法など私は全然詳しくないから希望的観測だが(汗)、
ただちに懲役ということではなかったので、
彼の演奏を聴きたい者にとっては、一安心だろう。
ちなみに、サイの演奏で最近私が感銘を受けたのは、これ↓だ。
Fazıl Say "Appassionata" 3rd Movement Variations(YouTube)
友人某氏に教えて貰った動画なのだが、開始10秒で圧倒された。
ファジル・サイは、イっている。あまりにも。
熱情の三楽章が、私にとって、なんだか別の意味を持ってしまった。
こうなると、ラン・ランの百面相なんてモノの数ではないと思った。
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本日のカツァリス演奏会@西宮、遠征断念しました(T_T)。
理由は、背中の筋肉痛(多分)のため(T_T)(T_T)。
痛くなったきっかけは、よくはわからないのだが、
昨日フランス語教室のグループレッスンに出たあと、
途端に背中の下半分(右寄りの場所)が筋肉痛になり、
動くと痛みが出る、という状態になってしまった。
感じとしては、ぎっくり腰の軽めの痛みのようだった。
フランス語の授業中、物凄い緊張で全身を強ばらせて、
しかも板書を見ようと変な斜め座りになっていたのが
もしかしたら悪かったのかもしれない。
かっつぁんには私は未練たらたらなのだが、
既に、このあとの来日公演も予定されていることだし、
私自身、今は家の状況を考えても無理はできないので、
きょうのところは、遠くから演奏会に思いを馳せることにする。
何であれ不調が起きるというのは、疲れているときなので、
きょうは安静にして寝ます(T_T)。
************
そのフランス語教室、昨日は前回とは違うスクールの、
グループレッスンの無料体験をさせて貰ったのだが、
普通の生徒さん同様に当てられて、とても緊張した。
二日連続してフランス語を聞いていると、
ある程度の慣れは出てきて、理解するのは早くなったが、
自分の語彙力の無さは急には改善されないので、
発言にはやはりエラく大変な思いをした(^_^;。
しかし期せずして、プライベート・レッスンの学校と
グループ・レッスンの学校を体験できたのは、なかなか良かった。
今まで英語教室にしか縁が無かったが、
世の中にはフランス語学習中の、巧い人たちがいて、
授業の上手な先生方もいらして、
大袈裟だが「こういう世界があったんだ!」という感動があった。
……本式に入会するかどうかは、今後の私自身の意欲と、
何より、月謝と相談なのだけども(^_^;。
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昨日は、友人に誘われて西区民文化センターのピアノ試奏会に参加した。
ステージでヤマハフルコンサートピアノCFⅢSを使って、
……いつもの練習をしてきた(爆)。
ハノン49番、ツェルニー30番の23番・25番、バッハのプレリュードBWV933。
このような機会に、私を思い出して誘って下さった某氏に
心から感謝しております。ありがとうございました<(_ _)>。
昨年夏に別のホールの試奏会でCFXを弾いたが、
私は感性がニブいので、このふたつの楽器を弾いて較べても、
両者の間に価格ほどの差があるとは、正直なところ感じなかった。
そもそも私の中では、今でもヤマハのC3あたりが自分の初期設定なので、
上等な楽器が、自分の演奏を余分に「手伝ってくれる」ような状況は、
自分の予想している音がしないために、かえって落ち着かないのだ。
やはり、長年、小さいアップライトでしか弾いて来なかった者は、
こういう感覚から抜け出すのに時間がかかるのだろう。
しかし勿論、広いホールでよく整えられたフルコンを弾くのは、
とても気持ちが良かった。
弾いている間だけ、格段に腕前が上がったような錯覚ができた(殴)。
写真は、ステージでピアノを弾く私の写真だ。
一緒に試奏会に参加したもうひとりの友人が、撮影してくれた。
「ブログネタに、どうぞ(^^)」
との文面とともに、メールで送られてきた。
これまた、ありがとうございました~<(_ _)>。
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