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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日の、田村響ピアノ・リサイタルの続き。

2月25日(土)14時開演@高槻現代劇場 中ホール
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331「トルコ行進曲付き」
リスト:2つの演奏会用練習曲<森のささやき><小人の踊り>
ショパン:ワルツ第6番変二長調作品64-1「小犬のワルツ」
ショパン:ワルツ第7番嬰ハ短調作品64-1
ショパン:ポロネーズ第6番変イ長調作品53「英雄」
***********
J.S.バッハ(ラフマニノフ編):無伴奏ヴァイオリンのための
  パルティータ第3番から プレリュード、ガヴォット、ジーグ
ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調作品36
***********
アンコール メンデルスゾーン:無言歌集から「甘い思い出」
  ショパン:ワルツ第1番変ホ長調作品18「華麗なる大円舞曲」
(更に、演奏終了後、ステージでアフタートーク約30分)


前半は、愛好家にもピアノ学習者にも楽しめるよう配慮された曲目で、
後半は、この人の現在進行形のテーマがラフマニノフなのだろう、
と感じさせる選曲となっていた。
気力体力ともに充実した若い演奏家ならではの、精力的な内容だったと思う。
私は、田村響の、ダイナミックなところと精緻なところのバランスの良さが、
大変気に入っているのだが、それをステージで実現させているのは、
背後に、この人の徹底的な研究や妥協のない追求があるからこそだと、
今回も強く感じた。

巧く、かつ研究熱心な弾き手は、左手に関して用意周到なのと、
フォルテよりむしろピアニシモの中に、迫力と自己主張を持っている、
というのが私がいつも思っていることなのだが、
今の田村響からもそれを随所で感じた。
私の発見を引き出さずにおかないような魅力ある音の多くは、
左手の奏でる低いパートや、異色の存在感を放つ弱音の中にあった。
演奏会後のアフタートークで、会場からも、彼の弱音についての質問が出て、
田村響は「脱力はしなくてはいけないが、全部抜いてしまうのではなく、
指先はそっと弾いても、手のひらのほうに込めているものがあって、
音を掴むように弾こうと思っている。
静かな音であっても、鍵盤の底まで感じるように弾いている」
という意味合いのことを答えていた。

全体では特にラフマニノフのソナタのときに、今、彼の研究しているものが
非常に多く試みられていたのではないかと思ったのだが、
例えば、ある音が鳴ったところから、ふと新たな世界が開けるような瞬間とか、
多数の音が同時に響き合っている中で、重要な音がいくつか際立っていて、
そこだけ音色が異なっているとかいうような部分が、あちこちにあった。
また逆に、ここぞというキメ台詞みたいな音を出すところで、
音の持つ力を全部解放することを敢えてしないで、
音の出始めの瞬間を意図的に抑えているような、興味深い箇所も幾度かあり、
聴き手としては、否応なく、いっそう強く引きつけられる気分になった。
総じて、ラフマニノフ以外でも思ったことだが、音を存分に響かせるだけでなく、
数多く鳴っている音のうちのひとつを、わざと半分殺すというのか、
覆いをかけるようなテクニックがあったことが、大変面白く思われた。

アフタートークのところで、彼が何気なく
「あと5年間、二十代があるので」
と言い、私は彼がまだ25歳だということを再確認して、ため息が出た。
ポゴレリチ登場の1980年はおろか、ブーニン現象の起きた85年でさえも、
彼にとっては生まれる前の出来事なのだ。
なんと若い演奏家なのだろう。
私世代にとって息子と言っていい年齢だ(汗)。
この若さでは、課題も可能性も限りなく前途にあり、
その中で何を取り上げ、どのように弾くかを決定して行くのは、
ご本人にとっても困難が多く、同時にやり甲斐も大きいことだろう。
どうか良い出会いに恵まれますようにと、聴き手として祈らずにいられない。

このあと田村響は一度ヨーロッパに戻り、彼の地で演奏活動を行ったあと、
日本には4月に再び登場することになっている。
次回は、このたびのリサイタルでは弾いていなかったベートーヴェンが、
彼の新たな課題となるようだ。
毎回、あれほどの演奏を確実に実現させるためには、
演奏家としての内面の葛藤は大きいと思うが、
私はそのような全力投球の演奏に触れる実感を、いつも求めているので、
田村響の姿勢には強く心惹かれるものがある。
次の演奏会もまた、本当に楽しみにしていたいと思う。

グランプリ・コンサート(PTNAピティナ)
クラシックな休日を♪ in 音楽堂(神奈川県立音楽堂)


追記: トークで田村響は、自分のことを「心が弱い」と言っていた。
演奏会でも非常に緊張していて、余裕がないと自分で感じているそうだ。
傍目には、少年時代から日本を出たいと願い、十代で単身ヨーロッパに渡り、
ロン・ティボーで優勝したヒトのどこが「弱い」のかと私は思うが(^_^;、
自分で自分を「弱い」と認めるのは、とても大切なことだとも感じた。
他人の評価とは関係なく、自分で自分のことを考えるときに、
どこがどう駄目なのかを認めたうえで、そこから新たな努力をするというのは、
表層的なプラス思考などより、ずっと基本的で重要なことだろう。

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私は先週はこのうえなく勤勉に過ごし、確定申告も終わらせたし、
例の疼痛学会の論文の和訳も仕上げた。
すべては、この田村響のリサイタルを聴きに行くためだった。
仕事をし残したままでは出発しない、というのが
私の道楽人生における、若い頃からのポリシーであるっっ(自画自賛)。

今夜は疲れたので、明日、詳細を書きたいと思っているのだが、
遠征した甲斐のある、見事なリサイタルだった。
モーツァルト、リスト、ショパン、バッハ(ラフマニノフの編曲もの)、
ラフマニノフ、そしてアンコールにはメンデルスゾーンとショパン
……と実に幅広い年代と様式に目配りした選曲で、
自分の世界を積極的に広げて行きたいという田村氏の意欲が伝わってきた。
私としては、特にラフマニノフが、今の彼の力強さと安定感とに
非常によく似合っているように思ったのだが、
ご本人の評価はどうだっただろうか。

きょうの演奏会は、終了後にアフタートークという催しまであり、
司会者の進行で、田村氏が様々な質問に答えるという趣向になっていた。
作曲家への思いや、弱音を演奏するときのテクニックの話など、
聴き手としての私には初めて知ることも多く、興味深いものだった。
……のだが、彼は、喋ったら極めて真面目なヒトだった(^_^;。
もちろん、態度は丁寧だし敬語もきちんとしていて、
悪い印象など全くなかったのだが、
………オモシロかったわけでもなかった(逃)。

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遥拝  


明日の午前中、U女史のご葬儀があるのだが、
私はここ数日、ずっと何種類ものルートを考え、迷い続けた末、
今朝ほど、ついに出席を断念した。
広島から、斎場のある現地までの行程を考えると、
始発でも20分ほどの遅刻必至であるうえ、途中で列車が数十分遅れたり、
接続がひとつでも狂ったりすると、全く間に合わなくなってしまうのだ。

『最善を尽くしてみた結果として、式の終わりだけでも出席できれば良し、
仮に葬儀の済んだ会場に一人でたどり着くだけになっても、良いではないか』
とも一度は思ったのだが、やはりそれでは、かえって思いが残りそうだった。
何より私は、葬儀会場などを見てしまったら、
U女史が居なくなったことが、はっきりとかたちになってしまうから、
それが怖かった、というのも大きかった。

U女史の主宰なさっていた同人誌Concert en Rougeの会員有志で、
斎場へ生花をお贈りすることになり、
これは九州在住の会員某氏が、数日前から尽力してお世話下さり、
昨日、用意が整った。
皆様のご協力のお蔭で、大きな御花ふたつをお贈りすることが叶ったそうだ。
私も勿論、そちらには参加させて頂いたが、
それとは別に自分でも、今朝ほど、喪主のご主人様宛に弔電をお送りした。

会員は全国に散らばっており、海外在住の方もあることなので、
後日、改めて「偲ぶ会」を持ちたい、という声が既に上がっている。
私も是非、その機会には協力・出席をさせて頂きたいと思う。
できれば、U女史のこよなく愛した演奏家のうちの誰かが、
日本に来てコンサートを行っているときに合わせて集まれたら最高だ。
きっとU女史も一緒に聴いて下さるに違いないから……。

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(関係の方には、以下の情報でおわかり頂けると思います。)

コンセル・アン・ルージュConcert en Rouge主宰のU女史が
1月30日夜、お亡くなりになりました。
『Auguri di Felice Anno Nuovo!』で始まる、
1月25日付のNews "Concert en Rouge" No.476が最後になりました。

彼女の精力的な活動に心からの敬意を表するとともに
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

取り急ぎ、関係の方々へ、お知らせまでに。

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朝から、地元グリーンコンサートラインズの会員先行予約で、
ベルリン交響楽団(2012年7月6日@ALSOKホール)のチケットを取った。
最近はずっとネット予約が多かったので、電話が繋がらない!→リダイヤル、
という感覚を、ちょっと久しぶりに思い出した(^_^;。

昔、ドイツがまだ東西に分かれていた頃に、東ドイツのほうに、
『ベルリン交響楽団』というオケがあったが、今回来日するのはそれではない。
東ドイツの『ベルリン交響楽団(Berliner Sinfonie-Orchester)』は、
数年前に、『ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団
(Das Konzerthausorchester Berlin)』と改名しており、
現在、日本で『ベルリン交響楽団』の名で呼ばれているオーケストラというのは、
旧西ドイツの、比較的新しいオケである『ベルリン交響楽団(Berliner Symphoniker)』
のほうで、今回来日するのもこっちだ。
……改名の経緯よりも、なんでこんなややこしい訳名になるんだよ(^_^;。
『ベルリン・シンフォニカー』でも私は良いと思うのだが、カタカナでは軽くて駄目か?

恥を承知で正直に言うが、私はクラシック・ファンと名乗るには情けないことに、
交響曲もオペラも実はよく知らなくて、積極的に聴きたくなることも少ない。
私にとって、身近に感じられるのは、何をおいてもピアノなのだ。
しかし、時々例外はあって、今回ベルリン交響楽団を聴きたいと思ったのも、
曲目に特別な思い入れがあったことと、ソリストに興味を持ったのが理由だ。

今回の演奏予定曲目は、
 メンデルスゾーン:交響曲第4番イ長調『イタリア』
 メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調
 ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調『田園』
となっていて、指揮はリオール・シャンバダール、
ヴァイオリンはイリヤ・カーラー、ということだ。
メン・コンと田園は、私にとってはどちらも、中学の音楽の授業のときに、
先生のご趣味もあって、生徒全員がスコアを購入させられ、
それを見ながら何度も何度も聴くという学習をさせられた曲だ。
当初はスコア・リーディングなど初めてで、負担に思ったが、
ああしたやり方で親しんだ曲というのは、その後になって振り返ってみると、
やはり、自分の中での根付きが半端ではないものになっていた。
その二曲が今回、同日に並べられているのを見ては、
さすがに逃せないという気分になったのだ。

もうひとつ、ソリストがイリヤ・カーラーだというのも、私の関心を引いた。
前に何かで名前を知って、聴く機会がないものかと思いながら年月が経っていたので、
どんなおじーさんかという気分になっていたが、私よりひとつ年上なだけだった(爆)。
コンクール歴は申し分ないのに、日本では未だに、さほど有名ではないように思う。
今回の演奏会のチラシを見ると、カーラーについての箇所には、
『(パガニーニのカプリースのCDは)ハイフェッツを彷彿とさせる』と評されたとあり、
また彼の使用楽器は、1735年製のグァルネリ『ゼンハウザー』だとも書かれていて、
どちらも、私にとってはなかなかポイントが高かった。
ヤッシャ・ハイフェッツのメン・コンなんて、実家には今でもレコードが残っている。
私が物心ついたときには既にあったレコードのひとつだ。
そのハイフェッツはストラディバリウスの『ドルフィン』を愛用していたが
(これは今では諏訪内晶子の使用楽器になっている)、今回のはグァルネリだ。
先入観もあるとは思うが、私は昔から、華やかなストラドよりも、
グァルネリの暗くてシブいところが、なんだか気に掛かって仕方がないのだ。
ハイフェッツの再来が、グァルネリでメン・コンを弾くなんて、
私にはクラクラ来るような設定だと思った。
……で、買った(^_^;。

私がオケのチケットを先行予約で買うなんて、雪が降りそうな事態なので、
何卒、このまま変更無く演奏会が行われますようにと願ってやまない。
違う曲だったり、違うソリストだったり、違う使用楽器だったりしたら、
私、本当に怒りますよっ。
ちなみに火急の事情の場合、違うオケと違う指揮者は、許す(逃)。

***************

ついでに、自分のピアノに関する記録をしておこう。
いつもの、ハノン・ツェルニー30番・バッハの小プレリュードと併せて、
シューベルト『即興曲』変ロ長調 作品142-3を結局通してやることになり、
今、主題を終わって変奏に入ったところだが、
第一変奏で既に右手がツりそうだ(爆)。
ピアノの技術に必要な筋肉を、十分につけないまま大人になっているので
ソナチネ程度ならバレにくいが、こういう大きな曲をやろうとすると、
てきめんに筋肉痛や神経痛が出て、無理していることを思い知らされる。
鍛えることと同時に、腕や手を痛めない脱力を学ぶのが、引き続きの課題だ。
それと、この曲をやっていると、自分のペダリングの垢抜けなさがよくわかって悲しい。
ここっ!と思うタイミングのところは随所にあるのだが、足が鈍くて巧く入らない。
草履を履いて弾こうかしらん。

シューベルト/即興曲集 第3番 変ロ長調 ,D935,Op.142/演奏:今井顕(YouTube)

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午後から呉市文化ホールまで出かけて、
2012くれニューイヤーコンサートを聴いて来た。
金洪才・指揮による広島交響楽団の演奏で、
ピアノは三浦友理枝。

プログラムは、オール・チャイコフスキーで、
前半が歌劇『エフゲニー・オネーギン』より『ポロネーズ』、
バレエ組曲『くるみ割り人形』より『小序曲』『行進曲』
『こんぺい糖の踊り』『ロシアの踊り』『アラビアの踊り』
『中国の踊り』『葦笛の踊り』『花のワルツ』、
後半が『ピアノ協奏曲第1番変ロ短調』、
ピアノのアンコールが、同じくチャイコフスキー『四季』より『舟歌』。

前半はチャイコフスキーの定番曲から良いとこ取りをしたような選曲で、
メリハリもあり、とても楽しく聴ける構成だった。
バレエの曲であってもチャイコフスキーのは、舞踊作品の一部でありつつ、
同時に純然たる音楽としても鑑賞に耐える、
……というより、クラシック音楽としても超一級品だろう。
きょう演奏された曲目はいずれも、たとえバレエの振付を知らなくても、
音楽の力ゆえに、目の前に何か躍動的な、或いは表情豊かな情景が、
浮かんできそうなものばかりではないだろうかと、聴いていて改めて感じた
(その点、以前も書いたがミンクスやアダンなどの作曲家は、
単独で鑑賞されるような、曲として自立したものは書かず、
飽くまでバレエの振りを伴ったときに、最高の舞台効果を上げる作品ばかりを
書いた作曲家ではなかったか、と私は思っている)。

ピアノ協奏曲のほうは、ソリストが三浦友理枝だったので、
きょうは最初から大いに期待して聴きに行った。
三年前に、やはり広島交響楽団との演奏会で、
彼女がリストのピアノ協奏曲を弾いた
ときには、
どうも本調子とは言えないような出来映えで、残念な印象だったのだが、
きょうは彼女らしい、はつらつとしたところを聴くことができたと思う。

私はこの曲に関しては、ポゴレリチのCDを聴き込んでしまったせいで、
『この音とこの音は響かせて欲しい』『ここはこのテンポで聴きたい』
などという、変な欲求が前提としてできあがってしまっていて、
他の人の演奏を真っ新な状態で聴くことが、かなり難しくなっているのだが、
きょうの友理枝嬢の演奏には、ほとんど文句なしの爽快感があった。
この曲に関して、私としては希有なことだった。
やはり彼女の演奏は、私の感性に合っているのではないかと今回も思った。

オケについてもピアノと同様に、チャイコフスキーのピアノ協奏曲に関しては、
私の頭の中にはアバドとロンドン交響楽団の演奏が刷り込まれているので、
正直なところ、自分の前提とは違うところがいろいろと耳についたが、
それでもきょうの協奏曲は、私にはとても心地よく聴けるものだった。
どの程度のリハーサルが可能だったものかはわからないが、
ソリストとの呼吸もよく合っていたと思うし、
互いにモチーフを提示しあうような箇所とか、掛け合いになる部分など、
不自然さがなく、実に気持ちよく聴けた。

呉市まで行くのは、やや遠かったけれども、行って良かったと思った。
振り返ってみると、これまでも、呉市文化ホールには
私は良い思い出が多いように思う。
呉まで出向いてでも観たい・聴きたいと思う公演を選んでいるからでもあるが、
それらがいつも、期待に違わないものであることを嬉しく思った。

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今朝は気分良く起きられたので、家の用事を片付けたあと午前中から外出した。
まず某百貨店で主人関係の贈答品の手配をし、
ついでに地下で晩ご飯の買い物を済ませてから、
上の階の書店に上がって、年賀状作成ソフトを買った。
それから外に出て、某楽器店でニコラーエワのCDとシューベルトの楽譜を買い、
帰り道には郵便局に寄って、『しらかわメイト』入会金を送金した。
来年5月の、しらかわホールでのポゴレリチの演奏会のためだ(笑)。

昼前から外は曇りがちになり、やがて小雪がちらつき始めた。
ぱあっと晴れたかと思うと、しばらくしてまた暗くなり雪が降って来る、
ということが短いサイクルで何度も繰り返される、真冬ならではの空模様になった。
私は以前から、こういうのを内心で『松江の天気』と呼んでいる。
松江に住んでいた頃、冬は毎日がこのような有様で、
朝から夕方まで晴れて乾燥する日など、ほとんどなかったからだ。
今夜は近畿の市街地でも積雪になりそうだという予報が出ているし、
このあと、気温はいっそう下がってくるのだろう。

ちなみに、きょうはベートーヴェンの誕生日とされている日だ
(洗礼を受けたのが17日だとわかっているだけで、誕生日は推定らしい)。
私は心身ともに元気なときは、ベートーヴェンのクドさが一番性に合うのだが、
こう寒くては、私のエネルギーも「攻」より「守」に向かいがちで、
そのぶん、繊細な音を積み上げていくような音楽のほうに心惹かれる。
そして、こんな雪の日は、特にバッハが似合うような気がする。
音やリズムの硬質な感じが、静かに降り積もる雪に通じるものがある、
……というのは、多分こじつけで、これは、かつて私が、
ポゴレリチの『イギリス組曲2番・3番』を買ったのが、
とても寒い季節で、かつ、そのレコードをそれから毎日聞き込んだために、
空気の冷たさとともにバッハの音が私の脳にしっかりと刷り込まれた、
ということが、かなり影響しているように思う(笑)。

Glenn Gould - Bach, Prelude in D minor, BWV 935(YouTube)

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きょうは寒くて、お腹もグルグル動いていて、どうも気分がよくなかった。
つい先日までヘーキで、揚げ物やグラタンなど食べまくっていたくせに、
腹痛は癒着由来だろうと診断がついた途端に、すっかり病人モードになり、
晩ご飯は真鯛の切り身と絹ごし豆腐で鍋物にした。
もう若くないんだし、ちょうどいい、これから老人食主体でやって行こう。
……我ながら、なんと都合の良い(いや悪い?)人間なんだろうか。

**************

ピアノのレッスンでバッハの『小フーガと小プレリュード』をやっていて、
今はその中から『6つの小プレリュード』の中の一曲BVW935を練習しているのだが、
これのCDが欲しいと思って検索したら、お馴染みのグレン・グールドのほかに、
タチアナ・ニコラーエワのがヒットした。
そういえば、20年以上前だが、ニコラーエワのほとんど最後の頃の来日のとき、
大阪のシンフォニーホールの裏手の楽屋口で、彼女が、
集まったファンにサインしているところを私は見かけたことがあった。
そのとき私は何かほかの催しの帰り道で、ニコラーエワの演奏会は聴いていなかった。
彼女は、いつか聴きたいと思いながら、結局逃してしまった演奏家のひとりだ。
今ここで巡り会えたことを感謝して、彼女のCDを買うことにした。

もうひとつ、シューベルトの『即興曲』作品142-3も全曲やってみないかと
先生が言って下さったので、何年かかろうと(笑)それも良いかもしれない、
と思って、これは既に持っているCDの中からとりあえず選んで聴いてみた。
クララ・ビュルツの凛とした演奏が、なかなか気に入った。
ヴァレンティーナ・リシッツァのは映像が出ていて、手首の返し方など
とても柔らかな感じが印象的だった。
先のニコラーエワといい、ビュルツ、リシッツァといい、
どういうわけか、きょう私の目にとまったのは女流ピアニストばかりだった。

CDを聴くこと、ピアノを弾くこと、本を読むこと、等々、
私の趣味の多くは、家にいて楽しめることが多くて良かった。
最近のように体調不安なときに、アウトドア系の趣味が主体だったら、
私はかなり残念な思いをしていたのではないかと思うからだ。
生舞台を見に行くことは、あまりに体の具合が悪いときには難しいが、
それでも、無理をしない範囲で、選んで出かけることは可能だろう。
冷えが大敵のワタクシ、とりあえずポゴ氏が真冬に来日するのでないことを
感謝しておこう(^_^;。

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昨日のピアノの会は、仮装ぴあにすと様からお声をかけて頂いたもので
私に弾けるものと言ったら、今やっているハイドンのソナタしかなかったが、
ここはひとつ「全楽章を弾く」というのをやってみよう、
というのが、今回、自分にとってのささやかな、しかし新たな挑戦だった。
子供の頃の発表会というと、大勢が順番に弾くという時間的制約もあり、
ソナタやソナチネでは「第一楽章のみ」という形式が多かったのだが、
今回はオトナだし、ある程度、趣味を優先することが許されそうだったので、
腕前の点ではお耳汚しで申し訳なかったが、三楽章とも弾かせて頂くことにした。
どの楽章にせよ、単発で弾くのと、三楽章構成で弾くのとでは、
内容も気分も違うので、一度こういうのをやってみたかったのだ。

自分の出来映えとしては、……技術的にはヨロシくはなかったのだが(笑)、
ピアノを弾くことは全く専門でもなんでもないし、
「巧くなくてはいけない」という圧迫がないから、
今できるもののうち、最善かそれに近いものが実現できたらいいな、
というところでの、葛藤が若干あったのみだった。だから、楽しかった。
普段は望めないような良い楽器を使い、ほかの方々に聴いて頂くという環境で、
独り舞台をやるというのは、なかなか気持ちの良いものだった。
こんな機会がなかったら、素人のオバさんが何をやっているかなんて、
普段、どこのどなたが注目して下さるものですか(^_^;。

勿論、ほかの出演者の方々はもっと段違いに素晴らしかった。
愛好家としても相当なキャリアで、内容の充実した方々が多く、
音楽を専攻なさっていたり、現役で日々、演奏していらっしゃる方々もあって、
「タダで聴かせて頂いてしまって……」
と内心、恐縮してしまうような演奏もいくつもあった。
選曲にも各自の現在進行形の関心事や気持ちのあり方が反映されていたと思うし、
私同様(ただしレベルは遙か上だが)複数楽章や全曲ものを弾かれた方々もあって、
普通の演奏会ではちょっとあり得ないような曲が並び、聴き応えがあった
(例えば、リスト「コンソレーション」第1番~第6番まで全部を弾かれた方があり、
こういう聴き方をしたのは、私は今回が初めてだった。
これはこの順番で聴くべき曲集なのではないか、と開眼した思いだった)。

第一部と第二部がこうしたピアノのソロで、
第三部は連弾や、ピアノと他楽器のアンサンブルで、これまた面白かった。
私はここではシューマンの「かなしみ」を仮装様と連弾させて頂いたのだが、
実にシューマンらしい、複雑な和音の進行が楽しめる曲だった。
勿論、コード進行を握っているのは、仮装様の弾かれたセカンドのほうで、
私は最初、練習で自分のプリモのパートだけ弾いていたときには、
全体がこういう曲になっていたとは思いもせず、合わせてみて感動した(爆)。
ほかに他楽器としてはヴァイオリン、オカリナ、チェロ、それに声楽があって、
いずれも、普段ひとりで弾いているときには出会うことのない曲ばかりで、
新鮮な感激があった。

自分の趣味の中に、ピアノを弾くというパーツがあったことを、
とても感謝した一日だった。
お蔭で、昨日のような会に関わることができ、たくさんの演奏に出会うこともできた。
仲間に入れて下さった仮装様、ほか、素敵な音楽を聴かせて下さった出演者の方々に、
心より、お礼を申し上げます。
ありがとうございました♪本当に、楽しい午後でした。

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午後から、ごく内輪でのピアノの会(娘ではない、私のだ)があって、
ハイドンのソナタ35番の1楽章・2楽章・3楽章と、
シューマンの連弾曲「かなしみ」を弾いた。

まがりなりにも人前で弾くことにより、自分も大いに勉強になったが、
ほかの方々が演奏された曲を聴くこともまた、素晴らしい経験だった。

いろいろ書きたいことはあるのだが、今夜は時間がないので、
また、いずれ

************

(上記と無関係の、小ネタ)

帰宅途中、繁華街で耳にした、聞き捨てならない話。
女性A「蓮舫って、そもそも、どういう人だっけ?」
女性B「女優?」
女性A「宝塚じゃない?」
女性B「ああ、そうか!」

ちがーう!!納得するな!!
いくら防災服の襟を立てていたからと言って、
彼女は男役ではない、っていうか宝塚じゃないっっ!!

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