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・mixiのお友達が前々から誘って下さっていたので(ありがとうございます)、
このところ、アプリの「まちつく!mixi版」で遊んでいる。
私は目が非常に悪く、特に動体視力が良くないので動画が嫌いで、
ゲーム類は大抵、気分が悪くなって駄目なのだが、有り難いことに、
「まちつく!mixi版」というのは、建物を選んで建設し街を作るゲームであり、
「サンシャイン牧場」の「畑」と同じく、画面は常に静止画だ。
誘われてからかなり長い間、始める決心がつかずに放置していたのだが、
少し前、何かの拍子に「犬のいる家」を地図上に出してみたら可愛かったので、
最近は花壇を飾ったり、道のパーツを並べたりして、ちょっとずつ楽しんでいる。
犬のいない、普通の一軒家も増やしたし、道路も東西南北に伸ばしつつある。
地域モノのアイテムもあり、昨日は広島市民球場を模した野球場も置いてみた。
それで改めて気づいたのは、「犬のいる家」の「犬」はとてもデカいということだった。
市民球場もどきと較べてみると、この犬は一匹で、
本塁から外野フェンスまでの全体を占拠しそうな大きさなのだ。
私は「犬」が気に入って、「犬のいる家」を既に四軒建てたのだが、
なんということだろう、私の町は、怪獣犬が四頭もいる有様になっていた。
しかも「オフィスビル」「店舗」「警察」等を建てることに、頭がまわっていなかったので、
気づいてみれば、住民が200人弱しかいないのに、その半数以上が失業者で、
犯罪件数も80件を超え、まさに「人を見たらドロボウと思え」状態。番犬最強。
今朝、「人口が6人減りました」と表示されていた((((;゜Д゜)))。
・KISS来日延期は決定だが(複数ファンがUDOに電話等で確認済み)、
詳細発表があるのは月曜以降とのことだ。
私含め、かなりのファンが、3月1日の先行発売で決済をしているので、
既にチケット購入済という立場になるわけだが、
これから、返金その他どういう手順になるのだろうか。
単なる「延期」であれば、返金手続きは必要ないのか(汗)。
噂では、夏に来るとも秋に来るとも言われているが、
とりあえず今年の夏は、ポールのところに赤ちゃんが生まれるから、
さすがに日本までは来ないだろう(大汗)。
去年のサマソニのときも、KISSは出演が正式に決定していたも同然だったのに、
直前になって出演者欄から名前が消えて、来ないことになってしまった。
日本に来たい意向がないことはないが、結局、実現は難しいというわけか。
ともあれ、今回のことで私は、
「急に決まってすぐにチケットが発売される来日予定は、危ない」
という教訓を得た(逃)。今更だけど。
・娘は学年末考査の真っ最中だ。
先週金曜から始まり、この週末を挟んで、水曜まで試験が続く。
仮定法がどうした・比較表現がどうの、等々の娘の英文法の問題を見ていると、
私は胸がときめくのをおさえることができない(爆)。
というのは、過去に私の英語力(英会話力)が飛躍的に伸びたのは、
学生時代に街の英会話スクールに通ったときではなくて、
その後、大学受験生に、英文法と英文解釈を徹底して教えた数年間だったからだ。
あの当時の体験を思い出し、今、私は二匹目のドジョウを狙い、
娘の学校英語につきあえば、自分の英語がもう少しマシなものになるのではないか、
と、ついつい考えてしまうのだ。
しかし娘の突拍子もない答を聞いてイライラするのは、私の精神衛生に大変悪く、
血圧が上がるだけなので、やはりあまり見ないほうが自分のためでもあるのだった。
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KISS来日延期!
ちょっ……、なっ……、ええええええ!!!(涙)
やっぱそれって、わ、わたしのせい(爆)!??
私の言霊って、百万人力(爆爆)!???
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ロンドンで大盛況…「クイーン展」が日本にやってくる(zakzak)
『今年で結成40年を迎える英ロックグループ、クイーンの偉大なる歴史を振り返る展覧会がロンドン東部にあるビール工場跡地のギャラリーで開かれ大盛況だ。』『大ヒット曲「ボヘミアン・ラプソディ」の世界初3Dビデオや、フレディがドラムをロジャーがギターを弾くという滅多に見られないリハ風景など映像コーナーは見どころが満載。録音スタジオの再現や、フレディが実際にステージで履いたバレエ靴など貴重なグッズ500点が一堂に。』『日本でも「クイーン&ミュージック・ライフ展」の開催が決まった。東京・東武百貨店池袋店で、4月28日から5月5日まで開かれる。』
この展覧会の話題は少し前に他の記事で読んで、
日本に来るなら見たいと思っていたのだが、
東京のみで、しかもこんな短い期間では、私が見ることは難しそうだ。
私がQUEENを知ってファンになった頃が、まさにこの展示品の時代で、
『5枚目のアルバム「華麗なるレース」まで初期の6年間』
のレコード、特にLPは、私が熱く熱く幾度も聞き返したものばかりだ。
ロンドンでの、2月25日の一般公開に先立つ前夜祭には、
フレディのママもいらしたとのことで、お元気そうで何よりだ。
私は映画『フレディ・マーキュリー』の中で彼女が、フレディのとこを、
「He is still my baby」
と表現なさっていたのが、本当に印象的で忘れられない。
45歳の息子も、ママにとってはいつまでも可愛い子だったのだな、
という当たり前のことが、フレディが世界的なスターであるだけに、
なおさら、とても切なく感じられたものだった。
“地獄の軍団”KISS、4年半ぶりの来日ツアー(zakzak)
『米ハードロックを代表する大物バンド、KISSが4月に4年半ぶり10度目の来日ツアーを行うことになった。』『1973年に結成。83年トレードマークだったメークを落とした新生KISSはヘヴィ・メタルの雄となり何度かの黄金期を繰り返してきた。2009年には11年ぶりとなるオリジナルアルバム『SONIC BOOM』を発表。ビルボード誌のチャートで2位に初登場を飾り、ワールドツアーは売り切れ続出。“地獄の軍団”は、そのド派手なステージを日本に持ち込む。』
突然来日が決まって、嬉しいには違いないがビックリした。
2月25日の夜くらいにネット上でファンが話題にし始め
(最初の情報源は、FM802の『ロックオン』での伊藤政則氏の発言)、
26日に公式サイトにあたるKISS OnlineにReturning to Japanと掲載され、
27日に招聘元であるウドー音楽事務所のサイトに詳細が載った。
そして28日には各種新聞にKISS来日の広告が出て、
3月1日にはネット会員向けのチケット発売が始まった(除:北海道公演)。
一体、どうして何もかもこんなに急なのか。
まるで2008年のポゴレリチみたいだ。
2008年11月7日に突然、1月来日と報じられ、一週間後の14日にチケット発売開始、
12月24日には、早々と来日キャンセルが発表になったという、…………、
おい、KISSは、ほんまに来日するのやろね!?(爆)
しかも、『11年ぶりとなるオリジナルアルバム『SONIC BOOM』』は
日本盤は、レコード会社との契約が切れているとかで未発売なのだ(--#)。
私は発売後すぐに輸入盤を買ったから持っているが、
どうするのだ、『SONIC BOOM』がないままで日本公演をやるのか。
さらに、28日に新聞に載った来日告知の写真というのが、
ジーン・ポール・トミーは8年前の、エリックに至っては10年前のものだった。
そりゃ傍目には、彼らはメイクだから何十年経っても同じ顔かもしらんが(爆)、
そうは問屋がおろさんのだ、コスチュームが違うのだよコスチュームがっっ!!!
ちなみにわたくし、神戸公演のチケットを発売開始4分後にゲットしましたの(笑)。
KISS来日公演詳細(UDO Artists, Inc.)
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KISSが五年ぶりに来日するらしい、
というニュースが昨夜遅くからネット上を駆けめぐっているのだが、
肝心のウドーのサイトにはまだ出ていない。
KISS Onlineにも掲載されていない話だし、
噂レベルも含めて情報の早いYahoo!のKISSグループでも
これまでのところ誰も書いていなかったはずだ。
あそこでの最新ニュースは確かポール・スタンレーのCNN出演、だった(笑)。
一応、現段階で出ている情報は、以下の通り。
4月13日(水) 名古屋/愛知県体育館
4月14日(木) 横浜/パシフィコ横浜
4月17日(日) 埼玉/さいたまスーパーアリーナ
4月18日(月) 神戸/ワールド記念ホール
4月20日(水) 東京/日本武道館
4月21日(木) 東京/日本武道館
4月23日(土) 札幌/真駒内アイスアリーナ
チケットの一般発売:3/12(土)~
(問):ウドー音楽事務所
本当だとすると、今言って半月後にはもうチケット発売開始、
って、いつぞやのポゴレリチみたいな(爆)にわか決定じゃないか。
公演数も少ないし、KISSもまたアジア公演のついでの来日か???
私には、まあ夏フェスよりは百万倍ありがたいけれど。
追記:2月26日付のKISS Onlineに掲載された。これで確定だ。
Returning to Japan
ついでに、ポール・スタンレーと夫人エリンの間に、8月に第三子誕生予定とのこと。
彼のViper room(毒蛇部屋)は再びDiaper room(オムツ部屋)と化すのね(笑)。
追記2:27日、ウドーのサイトに詳細がUPされた。
KISS 公演詳細(UDO Artists, Inc.)
3月1日より、インターネット先行予約開始。
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西川貴教、『おくさまは18歳』でTVドラマ初主演(BARKS)
ツイッターでフォローしている西川貴教のツイートに、
最近、ロケや撮影の話題がたびたび出て来るので、
何に出演するのだろうかと調べてみたら、なんとTVドラマ初主演だった。
高校教師と18歳の女子高生が周囲には内緒で結婚している、
という設定だそうで、もちろん西川氏がその先生役だ。
リンクした記事によると、70年代の初めに放映されたもののリメイク、
とあったので、私は最初、『おさな妻』のことかと思い(殴)、
なんとゆーヤバいものに主演するのか!と仰天したが(蹴)、違った(恥)。
私が想像したのは官能小説の富島健夫だったが、
今回のドラマの原作はそれではなく、少女漫画の本村三四子の同タイトル作品だった。
(記事中に木村三四子とあるのは本村三四子の誤りだろう。)
ちなみに富島健夫『おさな妻』のほうも、ちょうど1970年の作品で、
やはり高校生の主人公が、おとなの男性と結婚する話だったのだが、
女性の初婚年齢がまだかなり低かったあの当時でもさすがに、
十代の女の子が人妻になるというのは、新鮮かつ衝撃的な設定だったようだ。
ウィキペディアによると、『おくさまは18歳』『おさな妻』『ハレンチ学園』等は、
『(当時の)既成の性のモラルを挑発的に捉えた作品』と位置づけられるようだ。
2011年現在に置き換えて考えてみると、やはり今でも、
高校生で正式な婚姻届を出して人妻になり、なおかつ学校にも通ってきている、
という人は非常な少数派だろうとは思うが、40年前とは違い、
今や『既成の性のモラル』自体がかなり曖昧なものになってしまっているので、
「高校生の女の子がオトコの家から学校に通ってきている」
という実態そのものには、昔ほど皆が驚かなくなったのではないかと思う。
それでいい、とは言いませんけど(汗)。
しかしそれは別として、以前、高校教諭になった友人(男性)が言っていたが、
「教え子と恋愛関係になる」というのは、男性教諭にとって、
絶対にしてはならない、タブー中のタブーなのだそうだ。
当たり前か(苦笑)。
これは教諭が独身男性であっても、だ。
仮に結婚を望むとしたら、独身男性教諭と女子高校生の組み合わせは、
法律的には年齢等の条件に何も違反していないのだが、
直接の教え子となると、やはりそこに「道ならぬもの」が感じられる、
ということなのだろう。
しかし一方で、教師をしている人の夫人が「もと教え子」というのは
世の中、結構、多い話だと思う。
私の知っている中にも、何組かそういうご夫婦がある。
話を聞くと、「先生と生徒だった頃にはなんとも思っていなかったが、
卒業して何年も経って再会して、それがきっかけで交際するようになり、
結婚に至った」、という意味のことを異口同音に仰るのだが、
それって果たして、完全に本当だろうかねえ(殴)。
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以前、友人某氏と話していて、つくづく意見の一致を見たことなのだが、
私たちが中学生の頃というと、インターネットをやるどころか、
テレビをビデオ録画するということさえ、あり得なかったので、
海外のアーティストに実際に触れることができる機会は、
本当に本当に、一生に何度あるかというくらいに、限られたものだったと思う。
ゆえに、うっかりそんなことが実現しようものなら、その感激はただごとでなかった。
1970年代の中学生の情報源は、雑誌くらいしかなかったから、
例えば私が77年にQUEENのファンになり、彼らの情報を得たいと思ったときでも、
窓口になってくれるのは、本屋にあったMUSIC LIFEとRockShowだけだった。
海外の雑誌などそんなに輸入されていなかったし、田舎で買えるものではなかった。
日本で発売されるレコードと、ラジオで放送される番組を除けば、
国内の洋楽雑誌記事とその掲載写真しか、私たちの手に入るものがなかったのだ。
当然、「動いている」彼らを見る機会など、普通、なかった。
私自身が、映像で初めて「動いている」QUEENを見たのは、
何かテレビの深夜番組で洋楽を紹介するコーナーがあったときで、
どうしてそんな、「11PM」より遅い時間にテレビを見るのかと父親に呆れられた。
そこでQUEENが観られる、という情報だって、ネットで検索する時代ではないから、
新聞のテレビ番組欄を見ていて、偶然に気がついたことだった。
同様に、「動いている」KISSを初めて見たのは、
初来日武道館公演がNHK「ヤング・ミュージック・ショー」で放映されたときだった。
家の和室にあった14型テレビの前で、正座して観た。
そのような状況だから、地上波(しかなかった)の映像でも、
私たち世代は、ファンともなれば息をするのも忘れるくらい懸命に見入った。
録画も出来ない時代だったので、放映中に観られるものがすべてだった。
テレビの前にテープレコーダーを置いて録音していたら、家族が入ってきて台無しに、
……という経験を持つ人も少なくないと思う。
こんなことでも本気で泣いて抗議するほどの、取り返しのつかない損害だった。
雑誌記事は穴があくほど熟読し、これぞという写真は切り抜き、
透明の下敷きに丁寧に挟んで、学校に持っていったものだった。
街中では、レコードコンサートやフィルムコンサートが行われることがあった。
アーティスト本人たちが来るのでは勿論なくて、
広い会場で大音量のレコードが聴けるとか、映像が上映されるとかいう催しだ。
こういうものにも、我々は血道をあげた。
映像に向かって本気で歓声をあげたり、拍手をしたりした。
アホか、と今の若い人には思われるかもしれない。
しかしあの頃の、些細なひとつひとつが「一期一会」だった、切実な感動は、
もしかしたら、今時の人たちには決して味わえない、
非常に純度の高い「至福」ともいえるものだったのではないか、
と、私はときどき思うことがある。
21世紀ともなった今は、アーティスト本人が多くの場合簡単に来日でき、
彼らがテレビ出演するなら、ファンは当然のごとく自宅で録画可能で、
ものによったら海外の番組でも日本に居ながらにして見られ、
DVDも各種販売され、ネットではYouTubeなどで今の新曲も過去のライブも見放題だ。
そんな恵まれた環境と較べると、70年代のファンの手に入ったものは
あまりにも不十分だった筈なのだが、
そのぶんファンの一瞬一瞬に対する思い入れは、今とは全く違った。
断片のような瞬間の中にさえ、貴重な貴重な、輝くばかりの至福があった。
あのような時代、何であれ映像を所有することすら難しかったのだから、
ましてや、来日した本物のアーティストに会えるとか、
彼らの演奏を直接に聴けるなどというのは、
大袈裟だが「死んでもイイ」くらいの感動だったのだ。
特に私のように田舎に住んでいた中学生にとっては、
「一生に一度でいいから、本物のQUEENが、生のフレディの歌が、聴きたい」
というのが、「死ぬ前に一度は叶えたい、究極の夢」だった
(これは1985年5月に、本当にただ一度だけ、叶った)。
もう一世代前、1966年のビートルズ初来日の武道館に居合わせた人たちが、
その後、申し合わせたように、
「カーっとなって、何を聴いたか全く覚えてない」
と言っていたのを、何かのラジオ番組で聞いたことがあるのだが、
それはもう、感激のあまり、その場でイってしまいそうな
或いは気が変になりそうなくらいの、陶酔の時間だったに違いないのだ。
私が今でも70年代までのロックを特別なものとして記憶しているのは、
自分が多感な中学生だったという時期的な要素もあるかもしれないが、
それ以上に、あの時代背景が理由となっているのではないかと思う。
特に、QUEENやJAPANのように、あの時代を超えることなく、
自分の中で終結してしまったバンドに対する思いは永遠だ。
息詰まるような幸福感とともに、彼らの姿は今も、私の中で特別な位置を占めている。
彼らへの思いは、その後に出会ったバンドに対するものとは、決定的に違う。
余談だが、CDが登場しネットが普及し楽曲ダウンロードの時代になっても、
あのときと全然変わらないで、ヘーキでビジネスの波に乗っているKISS、
というのも、けったいな、じゃない、恐ろしいバンドだなと思ったりする(苦笑)。
彼らが利用した媒体や、ビジネス戦略の内容を省みると、それはそのまま、
70年代後半から現在までの、この業界の変遷を知るための、
有益な資料となるのではないだろうか。
35年間彼らとともにあり続けているファンは、
その意味では実に貴重な歴史を共有したのだと思う。
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昨日、娘は学校で、多分アレルギー性と思われる鼻炎になったそうだ。
朝はなんともなかったのに、高3のための卒業記念礼拝で
高校部全員で学校内のGホールに入った途端、
娘ひとり、急激にクシャミ連発になり、
礼拝の間じゅう、ヒドいめにあったということだ。
ホコリか、花粉か、原因はよくわからなかった。
帰宅してもまだ娘は鼻をグスグス言わせていた。
転娘「もうね、ホールで座った途端に、ヘグヘグ!ってなって、
わたしゃ、礼拝の間中、邪魔したと思うよ。居てはいけないヒトだった」
転夫「『牧師様、くしゃみが止まらない!こっ、これは!!悪魔のしわざ!!』」
転娘「はははは!鼻の穴くすぐるなんて、えらいセコい仕事するね悪魔!」
っていうかー
神様や十字架の前に出た途端に、ひとたまりもなく発作を起こすなんて、
娘本人が「悪魔」だってことではないの?
にんにくをつきつけられて、急にジタバタする吸血鬼みたいなもんで。
とうとう正体をあらわしたわね、転娘!
……って感じ~~?
悪魔→反キリスト的→♪I am an anti-Christの歌詞を連想してしまい、
懐かしくなったので検索したら、あった。
Sex Pistols - 『Anarchy in the UK』Studio Version(YouTube)
(伝説的パンク・バンドSexPistolsのデビュー曲。1977年)
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4日にミック・カーンが亡くなり(元ジャパンのベース奏者、ミック・カーンが死去)
彼の所属したバンドJapanのことを改めて思い出していたのだが、
1970年代後半は私にとって本当に洋楽が楽しかった時代だった。
海外のロックを聴くようになったきっかけは、
小学校6年生のとき友人から教えられたBay City Rollersで、
そのあとすぐに私はFMラジオ番組で偶然聴いたQUEENに強烈に魅せられ、
MusicLifeやRockShowなどの雑誌を小遣いで買うようになった。
月に一冊買うのが精一杯だったから、店頭で中身を見比べて、
読みたい記事や特集によってどちらかを買っていたものだった。
KISSにハマったのもだいたい同じ頃だった。
そんなときに衝撃的なデビューをしたのが、このJapanというバンドだった。
彼らのことは日本デビュー前から上記雑誌の記事で読んでおり、
デビューアルバム『果てしなき反抗』Adolescent Sex(1978年)も出てすぐ買った。
強烈に華やかなビジュアルから想像した割には、
正統派の音楽だと、中学2年生だった私には思われた
Japan - Transmission(youTube)
(アルバム1曲目Transmissionのイントロで、
いきなりの♪ダバダバダー♪のコーラスは相当ショーゲキ的だった・爆)。
ヴォーカルのデヴィッド・シルヴィアンの耽美的な容貌が話題になったが、
彼に負けず劣らず印象的だったのが、ベースのミック・カーンだった。
髪が真っ赤で、眉毛を剃り落としていて、女の子みたいな靴を履いていて、
プロフィールを見ればキプロス出身、本名はアンソニー・ミカエリデス、
音楽家であるだけでなく彫刻家でもあり、猫をこよなく愛し、
大変な読書家で、オフには一日で何冊も読み終えるほど没頭しているとか、
……とにかくミステリアスな存在だった。
独特のベースプレイが話題になったが、それも実は完全な独学で、
ミックは楽譜を読むことを全く知らない、……これにも私はシビれた(笑)。
Japan - Don't Rain On My Parade(YouTube)
(デビューアルバムでこの選曲ってどうよ!?と(汗)。Japanは実に面白いバンドだった。
ちなみにこのときの映像ではミック・カーンは金髪に近い感じだ)
今こうして改めて聴いてみると、初期のJapanにはパンクに通じるものがあると思うし、
彼らが黒人音楽を敬愛していただろうということも感じ取れるのだが、
このあと彼らは更に独自の音楽を開拓し、ある意味では洗練されたバンドへと変貌する。
特に電子系に活路を見出して、積極的にシンセサイザーを使用するようになって行き、
そのことで、私は逆に彼らに対する熱い関心を失うのだが、
Japanの欧米での成功はむしろ後半の時期になってからだったし、
更に彼らは坂本龍一や高橋幸宏、土屋昌巳らとも交流を持つようになり、
日本での話題も、80年代初頭まで盛り上がっていたと記憶している。
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ところでミック・カーンもデヴィッド・シルヴィアンも1958年生まれなのだが、
日本の1958年というと、しりあがり寿が元日に生まれた……、のはどうでもよくて(爆)、
東京タワー竣工、皇太子明仁親王と正田美智子さんご婚約、等のあった年だ。
この年にはほかにも後の偉大なスターが大勢、誕生している。
マイケル・ジャクソン、マドンナ、プリンス、ケイト・ブッシュ、等々。
そしてクラシック音楽、特にピアノに関しても、
私にとっての重要な人たちが、奇しくも揃って1958年に生まれている。
アブデル・ラーマン・エル=バシャ、ダン・タイ・ソン、ジャン・マルク=ルイサダ、
そして勿論、イーヴォ・ポゴレリチ。
いずれも、1980年前後から国際舞台に登場することになる人たちだ。
1964年生まれの私より少し年上で、若かった私が憧れるのに相応しい年代の人たちだった。
46歳になった私が52歳のミックの訃報を聞く、ということは当時考えもしなかったが、
これからも、こうしてときどき、自分の憧れだった誰か彼かを見送って、
そうしてやがては、遅かれ早かれ、こちらの寿命も尽きるわけだ、
と、いつも思うことをまた思った。
終わらない人生はないので、客観的には何も不思議なことではないし、
抵抗のしようもないことだが、やはりまだミック・カーンは、
お別れを言うような年齢ではなかったのにと、思わずにいられない。
Rest in Peace, Mick……
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TM西川貴教が急性声帯炎、ツイッターで報告(Searchina)
『T.M.Revolution(ティー・エム・レボリューション)の西川貴教(40)が4日、急性声帯炎を患ったことを自身のツイッターで明らかにした。西川は「残念なお知らせです…年末から年始まで、いろいろと立て込んでたんで喉を酷使し過ぎてしまいました…プロとして情けない…」と綴り、診断書の写真を公開した。』
ツイッターで西川氏をフォローしているので、私もそのツイートと診断書を見た。
『急性声帯炎 左側声帯ポリープ(形成の初期所見)』という診断で、
『一週間の沈黙療法』が必要だと書かれてあった。
西川氏は年末から男性限定ライブがあって疲れていたうえ、
発熱のあと風邪症状が出ていたところを、連日のリハーサル、
元日と2日の武道館公演から引き続いてのBASARA5周年、という毎日だったので、
ツイッターで経過を読んでいただけの私のような者でも、
これは相当キテいるのだろうなと、想像はしていた。
ツイッターやmixiに見る限り、お正月の武道館に関するファンの感想は
いつにもまして盛り上がっていて、
『あの曲が聴けるとは』『涙が出た』
等々の書き込みもたくさんあり、公演が大成功であったことは感じられたが、
さしもの西川氏も、やはりタダでは済まなかったようだ。
西川氏の喉が驚異的に強いのは私もよくよく知っているが、
こういうときは何をおいても休養しなくてはいけない。
『公演に穴を空けない』ことと同じくらい、
『ひくべきときには、ひく決断をする』こともプロならばこそ重要なのだから。
5月の連休はT.M.R.の北九州公演に引っかけて長崎観光をしよう、
と、つい昨日、家族で決めたところだったので、
西川氏にはこの機会に休養・治療に努めて戴き
十分に回復されますようにと祈っている。
今では私より娘のほうが更に熱い熱いTMファンなので、
娘の生き甲斐のためにも、何卒よろしくお願いします(笑)。
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