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このところ、娘がテレビを観ていると、幾度か、
コマーシャルで『You Really Got Me』のメロディが流れてくることがあって、
私はそのたびに、ついつい一緒に歌っていたのだが、
娘がそれを聞いて不思議に思ったらしく、
「何の曲?」
と私に訊ねた。
これは、イギリスのロックバンド、キンクスの1964年のヒット曲だ。
ハード・ロックやヘヴィメタと呼ばれるジャンルの元祖とも言える名曲で、
70年代以降、幾多の著名アーティストによってカバーされて来た。
ロックファンなら、この曲を知らない者は居ない。
the kinks- you really got me(YouTube)
……のだが、私は自分自身が1964年生まれなので、
実はキンクスをリアルタイムでは聴いていないし、
この曲自体、いちばん初めは、彼らの演奏で知ったのではなかった。
私が、初めて『You Really Got Me』を最初から最後まで聴いたのは、
イアン・ミッチェルがベイ・シティ・ローラーズを脱退したあとに結成した、
ロゼッタ・ストーンというバンドの、デビューアルバムにおいてだった。
私は、それを1978年発売当時、買ったのだった(^_^;。
You Really Got Me by Rosetta Stone(YouTube)
この曲をよく知るようになってから考えてみると、
彼らのは、キの抜けたような『You Really Got Me』だった(殴)。
これが出会いだった私は、あまり幸せではなかったかもしれない。
しかし一方で、今聴いてみると、ロゼッタ・ストーンのメンバーたちは、
本当に60年代に音楽に出会い、ロックを愛し、
聴き込んだ少年たちだったのだとよくわかる。
何しろ彼らのデビューは、クリームの『Sunshine of Your Love』だったし、
最初のアルバムにはエーメン・コーナーの『If Paradise Is Half As Nice』や、
それに、勿論この『You Really Got Me』も収録されていたからだ。
私は、彼らがこうした名曲に憧れた心情には大いに共感を覚えるし、
彼らが何を目指したのかも、ある程度、想像できるつもりだ。
選曲から、彼らは、こういう音楽こそが好きだったということがよく伝わるし、
ルックス先行のアイドルとして騒がれるのではなく、
本格的にハード・ロックのやれるバンドになることを望んでいたのだと思う。
さてその後、本当の意味で、私に、
『You Really Got Me』の素晴らしさを教えてくれたのは、
ロゼッタ・ストーンではなく、残念ながら本家のキンクスでもなく、
野村義男でもなく(逃)、ヴァン・ヘイレンだった。
ロゼッタ・ストーンでこの曲を知ってから、一年経っていない時期だった。
ヴァン・ヘイレンの1978年のデビューアルバム『炎の導火線』
(……ってどーゆー邦題なのか。原題は『Van Halen』)に、
オリジナル曲に混じって唐突に、この曲が収録されていたのだ。
これが、格好良かった。
Van Halen - You Really Got Me(YouTube)
今聴いても、めちゃめちゃ格好いいではないデスか。
これほど強烈な魅力を付加できるバンドの手にかかれば、
カバーという手法も、その価値を増すというものだ。
特に、私にとってこの曲におけるデイヴ・リー・ロスはネ申だ。
彼と一緒にいると気が変になる、とエドワード・ヴァン・ヘイレンが
キッスのジーン・シモンズに打ち明けた、という逸話があったけど(^_^;。
だが勿論、この曲でヴァン・ヘイレンが成し遂げたことは、
彼らだけの功績なのではなくて、キンクスとレイ・デイヴィスの築いたものが
まさしく本物であったということの証だと思うし、
私がヴァン・ヘイレン版で聴いたときにこの曲に反応したのも、もしかしたら、
先にロゼッタ・ストーンで出会っていたからこそ、と言えるかもしれない(^_^;。
およそ何事においても、先人たちは偉大だ。
私は感謝を忘れるべきではないのだ。
ところで、ソフトバンクのCFで流れている『You Really Got Me』は、
キンクス・バージョンなのだろうか?それとも別人(別グループ)?
としたら、一体、誰?
私は聴いてわかるほど、キンクスの演奏に通じているとは言えないので、
テレビから流れてきた音だけでは、もうひとつ判断がつかない。
しかし、まあ、こう並べてみると、クドいようですが私には、
やっぱりヴァン・ヘイレンがダントツにイイわ♪ということで(殴)。
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CHABO(仲井戸麗市)FCからメールが来た。
忘れてはいけないので、メモメモ♪
……しかし、クラブクアトロということは、スタンディングか(汗)。
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HIROSHIMA CLUB QUATTRO 10th ANNIVERSARY FINAL
CHABOの恩返し⑨
奥田民生 with 仲井戸“CHABO”麗市
会 場:広島 CLUB QUATTRO
公演日:2012年1月29日(日)
時 間:開場17:00/開演18:00
料 金:全自由 6,500円(税込・入場整理番号付)
※当日1ドリンク代別途必要 ※未就学児童入場不可
チケット発売:2012年1月7日(土)
・チケットぴあ 0570-02-9999[Pコード:158-231]
・ローソンチケット 0570-084-006[Lコード:67555]
・e+(http://eplus.jp)
問:広島クラブクアトロ 082-542-2280
追記:クラブクアトロに電話をして訊ねてみたところ、この公演は、
部分的に椅子席があり、残りはスタンディング、という配置だそうだ。
『全自由』という設定なので、椅子席限定のチケットというものはなく、
当日の入場順に早い者勝ち、先に椅子が埋まればあとは立席とのことだ。
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T.M.Revolution(西川貴教)のファンクラブに入っていると、
T.M.R.の会報やチケット案内などと一緒に、
適宜、サンリオ関連のイベントのお知らせが同封されて来る。
T.M.R.は2005年にサンリオと協力してグッズ製作をしているし、
去年もT.M.R.15周年とサンリオピューロランド20周年をあわせての
スペシャルショーを開催したりして、関係が続いているからだ。
その、Turbo(T.M.R.ファンクラブ)から先日送付されてきたものの中に、
Sanrio Entertainment『マイメロディの 星と花の伝説』のチラシがあった。
マイメロディの 星と花の伝説
今回、T.M.R.オリジナルノベルティグッズも企画されているそうで、
Turbo会員限定の引換券もついていた。
家族で遊びに行けば、それなりに楽しめそうだ。
……が。
私が今、注目しているのは、実はそこではない。
マイメロディのチラシの下半分に、小さめに一緒に掲載されていた、
同時期上演の『ハローキティとオズの魔法の国』のほうだ。
なんと言っても制作スタッフが、
作・演出・・・小池 修一郎(宝塚歌劇団)
作曲・編曲・・・太田 健(宝塚歌劇団)
衣裳デザイン・・・有村 淳(宝塚歌劇団)
フィナーレ振付・・・若央 りさ(宝塚歌劇団)
たとえ顔面がキティとダニエルであろうとも、彼らが何を着ていて、
大階段(あるに決まっている。外部だから中階段くらいか)で、どんな踊りをするか、
私はもう観なくても想像できるぞ(爆)。
大羽根を背負った猫を観ることができるのは、とりあえず全国でここだけだろう。
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西川貴教主催の『滋賀フェス』に約3万人が集結(ORICON)
T.M.Revolution、被災地にエール「パワーを届けたい」(ORICON)
娘と私も、その3万人の中の誰かだったわけだが(笑)。
『イナズマ』が『滋賀フェス』とさえ呼ばれるなんて、
ふるさと観光大使の西川氏としては本懐を遂げた思いではないだろうか。
西川貴教のことは、友人が彼に夢中になった2000年頃から
私も道連れにされて(笑)聴き始め、当時から面白いとは思っていたし、
更に娘が5年ほど前に西川氏の大ファンになってからは、
私も以前よりいっそう気をつけて彼の情報を集め、
ライブも逃さないよう心がけて来た。
しかし、今年3月に東日本大震災があって以来、私は徐々に、
西川氏が単に強烈な魅力を持った歌い手であるということだけでなく、
その、一本、筋の通った態度に、改めて強い感銘を受けることが多くなった。
「滋賀の元気を集めて日本中を元気にしよう」、という今回のイナズマは、
まさに今の彼の面目躍如というライブだったと思う。
彼はツイッターでも34万を超えるフォロワーを持っているが、
私の知る限り、地震このかた、彼は一度たりとも、
今回の惨事は誰の責任だとか、何が悪かったとか、早くこうすべきなのに、
とかいうような、非難も批判もしたことがない。
日本はもう駄目だとか、子供達の未来はどうなるんだ、等々の泣き言も無かったし、
ファンを思想的に牽引することも全くなかった。
ツイートすることの大半は、先の楽しみになることや、皆が明るくなる話で、
西川氏は自分が変わらず元気でいることにより、皆を励まそうとした。
「西川貴教」は「活動家」や「評論家」ではないし、無論「政治家」でもなく、
ただ、ひたすらに「エンターテイナー」であったからだ。
地震直後こそ、避難や救助に関する情報を「拡散」する役目も率先して果たしたが、
原発事故以後は、この人の、情報面でのリツイートは、
恐らく意図的に控えられるようになった。
その一方、知名度と影響力とを駆使して大規模な募金プロジェクトを立ち上げ
(東日本大震災チャリティ・プロジェクト Stand up!JAPAN 2011)、
同時に全国ツアーを通して、各地でのライブ活動も3月後半からずっと行って来た。
勿論、東北を初め被災地にも行った。
個人として・私人としての彼には、恐らくいろいろ言いたいことがあったと思う。
地震や原発の話題で発言したいことを持たない人は、今日本には居ないだろう。
しかし西川氏は敢えてそれら一切を表に出さなかった。
知名度を利用して社会派の発言をし、オピニオン・リーダーを気取ることのほうが、
遙かに注目を集めやすいし、ヒロイックな達成感も得られたに違いないのに、
西川氏はそこに踏み込まず、頑ななまでにエンターテイナーとしての分を守った。
有名人に関しても身近な人に関しても、実のところ私は原発事故以来、
緊急事態において、その人が何を言い、どう行動する人だったかを知って、
申し訳ないがいたく失望したことも、少なからずあった。
しかしまた同時に、相手によっては、改めて深い敬意を覚えたり、
その人の言動から、新たな感銘を与えられたりしたことも、多々あった。
どちらも、ある意味、今回の大惨事があった「お蔭」で体験できたことだった。
そして西川氏は私にとって、後者の典型だった。
彼は非常時においても、逃げることなくアーティストとして正面から事態と向き合い、
エンターテイナーでなければできない仕事だけを、次々と実現させて来たからだ。
西川貴教ツアー無期限続行!被災の栗原で歌うまで…(スポニチ)
現在、西川氏はT.M.Revolution名義での全国ツアーを継続中で、
当初の予定を超えて、47都道府県のすべて、
それもできるだけこれまで行っていない市や町のホールを優先して回っている。
中でも、本来4月3日に公演する筈だった宮城県栗原市のライブが中止になったままなので、
西川氏は再建なった栗原市文化会館での公演実現を、目下の大きな目標としている。
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きょうの大トリは勿論、西川貴教ソロ名義のT.M.Revolution!
BASARA等アニソンがメインのラインナップ、
アンコールはしょこたんと「空色Days」、
そしてイナズマ初回から皆勤のMICROさんと「Lakers」。
ラストナンバーは「CHASE THE THRILL」、
今回は私もちゃんと、abingdon印のだけどマフラータオルを持参したぞ(笑)。
これを振らないと「CHASE THE THRILL」は歌えないのだ。
そして、イナズマのフィナーレを飾るのは、
恒例、琵琶湖上空に上がる、この夏最後の花火。
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晴天に、気持ちの良い風!
居並ぶ屋台を冷やかし、娘と私で、焼きそば・たこ焼き・焼き鳥を食べ、
更にアイスクリームも食して、ライブの準備万端(笑)。
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田村響を聴いたあとイナズマで西川というのは、
……強烈な1日だったorz
ちなみに6時過ぎからは、完全に、晴れ。
ライブ中、一滴も降らず。
恐るべし晴れ男・西川。
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(写真は、滋賀のふるさと観光大使・西川貴教をモデルとした、
ゆるキャラ「タボくん」。イナズマ会場内あちこちに出没(笑)。)
今年のイナズマ初日は、なんといっても、
「嵐を呼ぶ女」しょこたん(中川翔子) VS「太陽神」西川貴教。
午後2時過ぎの、しょこたんライブのときは果たして土砂降りだった(笑)。
このあと、西川貴教がヴォーカルを務めるバンドabingdon boys shoolが
夕方6時半からステージに出る。
今のところ、天気は、降ったりやんだりだ。
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・We will rock you!
きょう9月5日は、フレディ・マーキュリーの誕生日だ。
googleのトップには、だから、朝からふれで先生が出ている(笑)。
Googleトップページがフレディ・マーキュリーでノリノリ(ITmedia)
フレディは1946年生まれだから、今年で65歳ということか。
ブライアンやロジャーの活動を見ていると、確かに年齢は感じるけれど、
やはりQUEENとしての輝きは色褪せることがないので、
ここにフレディがいてくれたら、どんな歌を歌っていただろうかとか、
何を言ってくれただろうかなどと、ついつい、今でも考えてしまう。
ジョンだってフレディがいれば、今も現役だっただろうに。
私自身は、「クイーン+ポール・ロジャース」も否定していないのだが、一方で、
「フレディの声以外でQueenの曲を演奏するのは考えられない」
というジョンなりの筋の通し方も、ファンとして尊重したいと思っている。
・Rock and roll all night!
私が幼イーヴォ事件(笑)にかまけている間に、
KISSのジーン・シモンズがツイッターで重大発表をしていた。
『Oct 1st. The big day. Check out http://www.GeneSimmons.com』。
なんだ?と行ってみたら、なななななんと、ジーンは結婚するのだそうだ!
お相手は勿論、長年、事実婚状態だったシャノン・ツイード。
ジーンはこれまで、彼なりの考えがあって、
シャノンを結婚というかたちで独占することはしない、
と語ってきたのだが、このたび、ついに決心してプロポーズしたようだ。
「よく映画で『「キミなしでは生きられない」などという台詞があったが、
今の自分がまさにそうだ、愛している、結婚して下さい』、
等々と語ったのだそうで。おめでとうございます(^^)。
……と、それは本当に素晴らしい話なのだが、オイ、この記事は↓なんだ。
KISSのジーン・シモンズ、長年のパートナーと10月1日挙式予定と発表(シネマ・トゥデイ)
『68歳にして結婚という決断を至った心境は、ファンならずとも気になるところだ』
いや、ジーン社長は、まださすがにそこまでのトシじゃないから(^^ゞ。
・♪ぼくのクリッパ~~
私はfacebookのポゴレリチファンクラブの世話に明け暮れていたワケではない。
昨日は、納戸部屋(私がパソコンをやっている場所だ)の片付けに精を出した。
官舎から引っ越してきて以来、一度も開けていない箱がまだあった。
娘の、もうどうでもいいような古い文房具が山ほど出てきて、捨てた。
その中に、爪切りが二つあった。
見るからに古いもので、昔うちの祖母(パンスーではないほうの、母方の)が
「馬の爪切り」と呼び習わしていたタイプの、大きな爪切りで、
しかも『○○舟唄保存会』と『○○銀行』のネーム入りだった。
「かなり古そうだし、捨てていい?」
と私は主人に訊いた。
もともと爪切りに趣味のある主人は、自分用の、具合の良いカーブのものを
特に選んで使っているし、娘もカバーつきの可愛いのを愛用している。
家族が少ないのに、爪切りばかり数があっても仕方が無いだろうと私は思ったのだ。
ところが、主人は言った。
「なんで捨てるんね!おかーちゃんが、使いんちゃい!!」
私かよ(--#)。……ああ、でも以前、あったな、似たようなことが。お互い様か。
……ということで、私はひとりで二つの爪切りを所有することになった。
前足用と後ろ足用に、分けて使おうと思います。
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・T.M.Revolution(西川貴教)CLOUD NINEツアーの追加公演が決定された。
宮城県栗原市での公演が実現するまで、今回のツアーは終わらせない、
というのが西川氏の決定だそうだ(ツイッター金魚草@kingyo_sou様速報より)。
娘が当然、行きたがるだろう。行けそうなのは京都・大阪あたりか。
今回は敢えて、これまで行っていない小さな会場を重点的に回るツアーなので、
近県でも交通の便を考えると必ずしも短時間で行けるわけではない場所も多い。
その中では京都会館第一ホールは、私にとっていろいろと思い出もあるので、
できればこういうところで西川氏を聴くのが良いのだが……。
問題は、むしろ娘の学校の予定のほうだろう。
なにしろ最近は、休日でも連休でも模試がよくあるので侮れないのだ。
・三宅裕司、リハビリ専念理由に年内芸能活動休止(ORICON)
S.E.T(スーパーエキセントリック・シアター)の三宅さんが、
腰部椎間板ヘルニアを悪化させて先月30日に緊急手術を受け、
そのリハビリの必要があり、年内のスケジュールをキャンセルすることになった。
ということは、今年は11月のSET本公演が中止されるということだ。
私はかなり初期からSETに注目して来たほうだと思っているのだが、
座長の体調の問題で本公演中止というのは、初めてではないだろうか?
過去にそのようなことがあったかな。
何にせよ、体あっての舞台なのだから、この機会に十分に休養して、
良い状態で復帰企画を考えて頂ければと思っている。
・和央ようかがドラキュラ伯爵を熱演!!(リラルライブ)
たかこ(和央ようか)さん主演のミュージカル『ドラキュラ』
@東京国際フォーラム ホールC が、昨日8月20日、初日を迎えた。
私は残念ながら来月の大阪公演まで待たなくてはならないのだが、
宝塚歌劇でない場所で、男性の俳優との共演の中で、
彼女がどのようにドラキュラ伯爵を造形したのかには大変興味を持っている。
人間の生き血を吸って数百年も生き長らえてきたドラキュラという設定は、
生身を感じさせない、異世界の時間軸の中にいるようなたかこさんの舞台姿に、
似合う要素が大いにあると私は思っている。
ときに、92年映画『ドラキュラ』で主演したのはゲイリー・オールドマンだった、
というのを私は最近になって思い出した。
私はこの人の、映画出演二作目が未だに忘れられず、
そのために、たぶん彼の名前を私は一生忘れないだろうと思っている。
その作品とは、86年『シド・アンド・ナンシー』だ。
今になって、ドラキュラつながりになるとは(笑)。
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