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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



4月2日は、忌野清志郎の誕生日だった。

忌野清志郎56歳で初の誕生日ライブ(nikkansports)
『喉頭(こうとう)がんで闘病中の忌野清志郎が、56歳の誕生日を迎えた2日夜、都内で行われた来日中のブルース・ブラザース・バンドのライブにゲスト出演した。37年間の芸能活動で初の誕生日ライブで完全復活への手応えをつかんだ』『忌野は、60年代のR&B歌手ウィルソン・ピケットの「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」を歌った。RCサクセション時代の86年夏、日比谷野外音楽堂の伝説のライブのオープニング曲だ』

86年夏の、『the TEARS OF a CLOWN』と題された、
四日間の野音、もちろん私はそこに居た。
キヨシも三十代なら、こっちも二十代で、
そりゃもう二時間、立ち通し・歌いっぱなしの完全燃焼だった。
今、56歳の清志郎の歌を42歳の私が聴いたら、どう感じただろう。
この状況なら、多分、涙が止まらなかったのではあるまいか。

『まだ医師から完全復活のゴーサインは出ていない。「自転車に乗ったり、ゴロゴロしてる。ベジタリアンにもなったし」と、リハビリ状況も明かした。がんの告白で「新しいブルースを楽しむような気持ちで治療に専念できれば」と誓った忌野は、着実に完全復活への階段を上っている』

月並みな言い方だが、ちっとも急ぐことはないのだから、
治療のために良いことを今は最優先して貰いたいし、
我々は、日比谷で再会できる日を楽しみに待っていたいと思う。
ここ何年か、自転車に打ち込めるようになっていたのは、
彼のためには、とても良いことだったようで、喜ばしい。
こちらも体力蓄えて、来るべき日に備えておかなければ(^^ゞ。

ちなみに、最近は統一地方選挙で、この界隈も賑やかなのだが、
広島では外山○一氏のような政見放送は無いので、
私はとてもつまらない思いをしている。
仕方ないから、ちょっと以前のものだけれど、
中野六区(ロック)からイマーノ先生が立候補なさったときの、
政見放送の映像を観て、ときどき、楽しませて貰っている。

忌野清志郎kiyoshirou imawano:JUMP(YouTube)

なお、この歌に関しては、後半の、
『世界のド真ん中で ティンパニを鳴らして
のところを、聞き間違えて、
『世界のド真ん中で 立派にオナラして
だと、誤解していたファンが、相当数いたことが、
最近になって判明した。また、少数意見として、
『世界のド真ん中で ひんぱんにオナラして
というのもあった。

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先日、ネットで、ほかのことを検索していたら、
偶然、ベイ・シティ・ローラーズ(BCR)の記事を見かけ、
あまりの懐かしさから、私はつい、出来心で、
彼らのアルバム『青春に捧げるメロディー』のCDを買ってしまった。

BCRと出会ったのは、記憶が正しければ1976年のことで、
同じクラスだった友達ふたりから教えられて、
私は彼らのレコードを聴くようになったのだった。
短い間だったが私はBCRのレコードを熱心に聴く毎日を送り、
それを出発点として、間なしにQUEENに移って行った、という流れで、
私にとってBCRは「洋楽事始め」的な存在意義のあるバンドだった。

BCRのレコードは実家に今でも何枚か残っていると思うのだが、
私にとって最高の一枚というとやはり、今回買ったアルバムで、
恐らくこれが、彼らの人気絶頂期の録音だろうと思う。
と言っても、Bye Bye Baby(YouTube)とかSaturday Night(YouTube)は
収録されていないので(上記YouTubeの映像はどっちもクチパクですね・爆)、
当時ファンだったという人でなければ、このアルバムは
馴染みのない曲のほうが多いとお感じになるかもしれないが、
『二人だけのデート』(I Only Wanna Be with You(YouTube))だけは、
多分、聴けば大半の方が、何らかの記憶をお持ちだと思う
(残念だけど、この映像もやっぱりクチパクですね・爆爆)。

このレコードを買ったとき、私は中学1年生だったので、
英語を習い始めた時期でもあり、当時、なんとかして
彼らの歌を一緒に歌えるようになりたいと、
歌詞カードにカタカナを振って、日夜、練習したものだった。
「読書百遍」じゃないが、意味がわかってもわからなくても、
ひたすら繰り返して、ついて行けるようになるまで頑張った。
今考えたら、結構スコットランド訛りのあるレスリーの歌を、
英語初心者が、そうそうピタリと真似られる訳もなかったのだが、
あの頃は、そんなこと、わかりゃしませんでしたからね(^_^;)。

凝り性の私は、勿論、訳詞もなめるように読んだ。
山本さゆり氏の訳だった(QUEENは山本安見氏の訳が多かった)。
そこで気づいたのは、この『二人だけのデート』という歌は、
とても素敵なラブソングだとは思うけども、
男が歌う歌としては、なんだか、ヘンなのではないか?
ということだった。
レコードについていた訳詞は、無論、少年言葉になっていて、
レスリーが歌うに相応しい言葉遣いにしてあったのだが、
よく見たら内容が、どうも不思議だったのだ。

You stopped and smiled at me
And asked if I'd care to dance
I fell into your open arms
(直訳:あなたは立ち止まって私に笑いかけ、
踊りませんかと誘った
私はあなたの広げた腕の中に倒れ込んだ)
のあたりなど、内容的には男女が逆では?と、中学生の私は考えた。
女の腕に男が飛び込む??
そしたら、一緒に倒れて、女が後頭部強打、とか・・・(違っ)

で、これについては、私は高校生になったとき、ハタと思いついて、
あれはやっぱり、女性一人称の歌だったんだ!と結論づけた。
世良公則(YouTube)やチャゲ&飛鳥やアリスが、「あたい」「わたし」と
女性の歌を格好良く歌ってなんの違和感もなかったので、
そうか、BCRのアレもそーゆーたぐいだったに違いない!と、
自分で勝手に解釈してひとり悦に入っていたのだった。
私は自分のこの考えを、相当、気に入っていたものだったが、
なんのことはない、BCRのは女性歌手の歌が原曲だったと後に知った
(ダスティ・スプリングフィールド(英)のソロ・デビュー曲。
I Only Wanna be with You(YouTube)、1964年)。

余談だが、70年代には、KISSのアルバムLove Gunにおいても、
クリスタルズの往年のヒット曲Then He Kissed Me(YouTube)がカバーされ、
KISSなりのアレンジで収録されていたのを私は今でも覚えている。
尤も、こちらの場合は確か、ハッキリと、男性側の歌うものとして、
タイトルもサビもThen She Kissed Meに変えられていた筈だ。
ポース・スタンレーの野太い声で聴くのはなかなか面白かったものだった。
内容的には、やはり少々無理は、あったけれども(^^ゞ。

(脱線しまくりで申し訳ないのだけど、私にとって、
ポール・スタンレーというのは物凄く好きなヴォーカリストだ。
KISSとしても最高だが、↓は是非見たかったと今も思っている。
ポール演じる『オペラ座の怪人』(YouTube)(99年トロント公演)
ポールによるPhantomのCM(YouTube))

ということで話を戻して、歌詞の性転換の問題は、さておくとしても、
ベイ・シティ・ローラーズが私にもたらしてくれたものというのは、
やはり、ポップスを聴くことの楽しさだった、と今にして思っている。
彼らの曲は、こうして改めて聴いてみると、
実に秀逸なカバー曲が多かったのだ。
このアルバムの後半に入っているDon't Worry Babyだってそうだ。
もともとはビーチボーイズのヒット曲(YouTube)だが、
BCRとほぼ同時期にBJトーマス(YouTube)も
これをカバーしていて(彼のは二番の歌詞が違うのだけど)
私はFMで、そうした原曲やカバー曲に出会うのが、とても楽しみだった。
BCRの取り上げた曲は、どれもポピュラー音楽史に残るような名曲ばかりで、
彼らによって、そうしたナンバーへの手ほどきをされ、
カバーという手法を知ってひとつの曲を二度も三度も味わうことのできた、
我々世代は実に幸せだったのだと思う。

ときに、このサイト↓にはビックリした。
Unofficial Absolute Bay City Rollers website
もー、誰が誰だか簡単にはわかんないくらい、
彼らもオジサンになったのだなーと。
いや勿論、大ババな私に今更言われたくないとは思いますが。
にしても、パット・マッグリンだけ相変わらず美しいのは、なぜ?
80年代に一度、パット・マッグリン死亡説が流れたことがあったが(爆)、
現在、奥様とご一緒に活動なさっている由、よろしかったです(^^ゞ。


追記:もうひとつ、かなりくだらんことを思い出した。
前述の、『二人だけのデート』は、アルバムでは
最後、フェイドアウトするのだが、その、いよいよ終わりのところで、
何か小さく、人の声で、「すぽ」、みたいな音声が入っている。
これは恐らく、レコーディングのときのエンジニアの、
「Stop」という合図の声が残ったものではないかと思うのだが、
当時、我々の間では、これはウッディのくしゃみである、
というのが通説になっていた。ウッディは蓄膿症だったから。

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永ちゃん所属の東芝が音楽事業から撤退(日刊スポーツ)
『東芝は14日、矢沢永吉(57)松任谷由実(52)宇多田ヒカル(23)ら人気歌手が所属する東芝EMIの株式を英EMIグループに売却することを発表した』
『東芝は07年度上期に保有株すべてを約210億円で譲渡し、音楽事業から撤退する』
『東芝は、米原子力大手の買収や半導体生産の拡大に巨額投資を続けるため、主力事業に関連が薄い事業の切り離し、縮小を進めていく方針』

東芝EMIが、ついにそういうことになったのか。
東芝EMIといえば、清志郎ファンとして忘れられないのが、
RCサクセションのアルバム『COVERS』を突然、
この会社が「発売中止」にしてくれちゃった一件だ。

今の若い人はご存知ないと思うが、88年の夏のこと、
忌野清志郎の書いた、反核・反戦・反原発の歌詞が、
原発関連事業に力を入れる東芝親会社の意向と相容れないというので、
それらを収録した彼らのCD『COVERS』が、発売日を目前に、
あやうく葬り去られそうになった事件があったのだ。
あのとき、東芝EMIが全国紙に打った広告
「素晴らしすぎて発売できません」
は今でも記憶に鮮明に残っている。

(尤も、RCサクセションはこれで東芝EMIと袂を分かち、
一連の騒ぎと話題性の御陰で、このCDそのものは、
のちにキティレコードから改めて発売になったときには、
オリコン初登場1位だったのだけれど(^_^;))。

なんのことはない、東芝というのは、あの頃から、
音楽よりアーティストより、原発を取る会社だったのだ(--#)。

RC SUCCESSION - SUMMER TIME BLUES~LOVE ME TENDER(YouTube)

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朝からスポニチを買いに行った。

清志郎 がん告白後初!飛び入り熱唱(sponichi)
『喉頭(こうとう)がんで闘病中のロックシンガー、忌野清志郎(55)が、都内でスポニチ本紙のインタビューに応じ、「抗がん剤でツルツルだった髪も今月から生えてきたんだ」と経過を明かした。マスコミへの登場は7月にがんを告白してから初めて。17日深夜には、ソウル界の大御所サム・ムーア(70)の来日公演に飛び入りし、医師の許可がないまま歌声を披露した』

WEB記事には出ていないようだが、紙面のほうには、
ファンからの手紙やメールに励まされて『ありがたいね』、
『体が弱くなると涙もろくなって、随分涙を流した』等の発言や、
また、これまでを振り返ってみると、過去二回のCD発売中止、
自転車事故による骨折、そして今年の癌と、
自分にトラブルのあった年にドラゴンズが優勝していて、
『必ずセ・リーグ制覇するんだ。でも日本一にはなれないんだ』
など、イマーノ先生の話がいくつか紹介されていた。

『もう1曲歌おうとするのを関係者に止められたが「鳥肌が立った。新人時代に戻った気がしたよ。再起の第一声をムーアと一緒に歌えて幸せだ」と感無量の表情で振り返った』

何か凄いことになっていそうで、とても嬉しい(T.T)。

「久しぶりの来日だぜぃ!!」(「忌野日報」)

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昨日ブルーノートでのサム・ムーアのライブに
清志郎がゲストで少し出演したとの情報が!
おお~(ToT)

音楽評論家吉岡正晴のソウルサーチン日記

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こんな映画が制作されたなんて。
観たい観たい観たい観たい~(T.T)!
うっかり予告編を見て朝から泣きそーになってしまった。
フレディの話す英語を久々に聞いたと思った。

フレディ・マーキュリー 人生と歌を愛した男

・・・妹さんがソックリなのでウケました(殴)。


Another One Bites The Dust(QUEEN)(YouTube)
私の観た(聴いた)最後のフレディに、時期的に最も近い映像。


追記:DVDが出るようなので、予約した。
 しかし大画面で見たら、相当、泣いただろうな(^_^;)。

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清志郎宛に、皆で応援のメッセージをルーズリーフに書いて、
代表となる人にとりまとめて貰って、ファンクラフ経由で送ろう、
という企画を、先月、インターネットで知り、
脳天気な私は、かなり早い時期に参加表明をしたのは良いが、
結局、締切間際まで盆だなんだと忙しくしていて手が出せず、
今夜、ようやく完成させて、さきほど速達で送った(^_^;)。
もう、締め切りは明後日に迫っていたのだ。

私は、昔から、誰彼と夢中になってファンライフを送ってきた割には、
どうもファンレターというものを書くのが苦手だ。
いろいろと内心では思っていることがたくさんあって、
WEB日記になら、自分本位に書き散らすことは嫌いでないのだが、
もしかしてご本人が本当に読まれるのではという設定になると
途端に何を書いても満足できなくなって、手紙が完成しないのだ。

ウケたいとか、綺麗に書きたいとか、
自意識過剰になるから、失敗するのかもしれない、
という反省は毎回、あるのだが、どうもそこから脱却できない。
今までも、書き始めて断念したファンレターは数知れずだ。

今回ももうちょっとでリタイアしそうになったのだが、
しかしここで諦めてはダメだ、
せっかくの企画で、素晴らしい機会なのだから
ここはどんな恥ずかしいシロモノでも完成させるしかない!と
我ながらファンモードで頑張った。

中身は、清志郎の歌のどういうところが好きかとか、
先日の「雨宿りの恋」の平田紀彦役に萌え萌えした話とか(^_^;)、
秋には新CD発売で、清志郎サンは全然立ち止まってないのですね、とか
・・・そしてあとは、今までのお礼とか、次への期待とか。
焦らずに、でも熱く楽しく、《夢を忘れずに》待っています、とか。

とても月並みで、我ながらつまらないなーと思ったが、
今のワタクシにはこれが限界だった。
イラストなど描いてカラフルにレイアウトしたいのはヤマヤマだったが、
なにしろイマーノ先生は美大志望だった人で、
現に絵本なども出版なさっているかたなのだから、
字よりももっと絵のほうがヘタな私の作品をお送りするなど、
あまりにも畏れ多く、お目汚しにもならないのだった。

さて、内容はともあれ、完成させたのは良かったが、
それで安心してはいけなかった。
私が年甲斐もなくファンレターなんぞ書いていたなんて、
もし主人が知ったら、手を叩いて面白がるだろうから、
そこいらに放置しておくなんて厳禁だった。
それで私は、そそくさと、今さっき、雨の中を
近所のポストまで投函しに行って来た。

宿題が滑り込みで期日に間に合った爽快感と、
完全犯罪が無事に成立した興奮とを、同時に味わった。
実に、めでたかった。無事に、届きますように(T.T)。

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HOUND DOGが、私には何かよくわからないがバンド内で揉めて、
メンバーがヴォーカルの大友康平を除いて全員、
解雇されたという話を以前、聞いたことがあったのだが、
元メンバーだった橋本章司・八島順一・西山毅の三人で結成したのが、
HANBUN DOG(6-3)」だというのをこのほど知って、
ごめんなさい、ウケてしまいました(逃)。

大友ライブに自腹で“乱入”…一方的解雇元メンバー3人 (サンケイスポーツ)

しかし、ひとりになっても大友康平のソロではなく、
飽くまでHOUND DOGである、というところに、私は彼の主張を感じた。
より自由な自己表現を追求するために、
バンドを解散してソロとして独立したというのではなく、
今でも彼は、独力でHOUND DOGというバンドを維持しているのだ。
これまでのメンバーを失った、音楽的損失は恐らく大きいだろう、
と思われるのだけれど、そこを踏みとどまろうとするのが、
彼の意地なのだろうと想像している。

そういえば、このほど、甲本ヒロトと真島昌利が
ザ・クロマニヨンズを結成した、という記事を昨日読んだが、
このふたりは考えてみたらブルーハーツの頃から
ずっと一緒にバンド活動をしている。
ブルハもハイロウズも、そしてクロマニヨンズも、
ヒロトとマーシーが中心的な役割を果たすバンドであることは明白だ。
ならば、ヴォーカルとギターが動かないのであるから、
いちいち前のをやめて新しいバンドとして結成せずとも、
他の人についてはメンバーチェンジということで
ドラムとベースを補充すれば、それでバンドが維持できるのでは、
と素人考えでは思われるわけなのだが、
・・・やっぱ、そうもいかないもんなんでしょうね(逃×2)。

まあ確かに、RCサクセションが活動を停止してからでも、
忌野清志郎と仲井戸麗市の交友は続いていて、時々組んでいるし、
ベースの小林和生なんか清志郎とは幼馴染みという仲だし、
ドラムの新井田耕造もこの夏、清志郎と一緒に出ると言ってたのだから、
彼らは人間関係の問題で修復不可能な事態に陥っているとは思われず、
だったらRCサクセションそのものを、いつでも再開できそうなものだが、
現実には、なかなか、そうはなっていない。いかにファンが期待しようとも。
やはり、単にメンツが揃わないからバンドができない・揃えばできる、
というものではないわけだ(註)。

こういうことを考えるとき、私がいつも思い出さずにいられないのは、
かつて、谷村新司・堀内孝雄・矢沢透が組んでいたアリスだ。
このバンドを見ていて、正直なところ、私は当時、
キンちゃん(矢沢氏)がどういう役割を果たしているのか、
よくわかっていなかった(殴)。
谷村・堀内の両氏はいずれ劣らぬ素晴らしい歌い手だったが、
キンちゃんの歌は、ご存知ですか皆さん、そりゃもう物凄くて。

アリス解散後、谷村新司に私は引き続き「アリス」を期待していた。
もともと、この人が曲を書いて自分で歌ったのだから、
ソロになってもそのエッセンスは、かたちを変えて維持されるだろう、と。
ところが、違ったのだ。
ソロ歌手・谷村新司の歌は、まるでアリスではなかった。
それで私はアリスが解散したことの意味が改めてわかり、
同時に初めて、矢沢透が何者だったかがわかったのだった。

アリスの音を作り上げていたのは、ほかならぬキンちゃんだった。
キンちゃんのセンスがなければ、谷村新司の曲も歌も別物になり、
少なくともアリスとしての輝きを放つことは、なくなってしまうのだ
(とりあえず「アリス」が堀内孝雄じゃなかったことは明らかだろう。
だって彼は演歌歌手ですよ・爆)。

ということで、今更だがバンドというのは実に面白いものだと思う。
特定のメンバーひとりでも、バンドが維持されることもあるし、
メンバーがほぼ元通り揃って、一緒にやる意志を持ったとしても、
バンドとして再開されないものは、されない。
誰かが脱退し、メンバーチェンジでバンドが更に発展することもあれば、
目立つと見なされていないポジションのメンバーひとりが欠けただけで、
バンドの本質的な性格が崩壊してしまうことも、まま、あるわけだ。


(註)RCサクセションについては、大変、思い入れのあるバンドだけに、
語ると長くなるので、大幅に端折って言ってみれば、
私はキーボードのGee2wo(柴田義也)が居ないと
RCサクセションは成り立たない、と、実は個人的には考えている。
矢沢透の例とある意味同じで、RCサクセションのサウンドを支えたのは
Gee2woの持つ音楽的感覚だったと思われるところが非常に大きいからだ。
清志郎もそれを承知しているから、他のメンバーが揃えられそうでも、
Gee2woが参加しない限り、RCの再出発は考えない、
ということなのではないだろうか?違ったら御免なさい(逃×3)。

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午前中、雨が降る前にと思って買い物に行き、
そのあと、ちょっと書店に立ち寄ったのだが、
そこで私は、偶然に川村カオリの本を見つけた。

川村カオリ:Helter Skelter

私は彼女をデビュー当時から知っている。
川村カオリが、まだ二十歳になる前だった。
雑誌記事で見たのだったと思うが、物凄く顔が綺麗なことに加えて、
なんとも強烈なスター性があって、私はとても惹きつけられた。
その直後『笑っていいとも』のテレフォンショッキングに出てきて、
彼女の豪快な話ぶりを目の当たりにし、よけいに面白くなった。
それで、彼女の歌を聴くようになった。

私が見初めた頃の彼女は、「川村かおり」と名乗っていて、
その美しい顔はまだあどけなく、見た目はパンクでも、
歌はどこか線が細くて可憐だった。
だけど私は、そのギャップもまた、いいと思っていた。
ライブに駆けつけるほどの熱中はしていなかったが、
CDは欠かさず買っていたものだった。

が、一般に知られたのは実質、『神様が降りてくる夜』と、
あとは多分、『翼をください』くらいしかなく、
だんだんと、露出が少なくなって行った印象があった。
ハーフの彼女が、結局、日本国籍を選んだのは知っていたが、
その後は芸能活動をやめて、結婚でもしたかなと思っていた。
その彼女の名を、インディーズで聞くようになったのは最近のことだ。
それまでの間に、まさかこれほど数奇な前半生を送っていたとは。

川村かおり時代の、あまりにも懐かしい映像を、
あの宝の山のYouTubeで見つけることが出来た。

川村かおり:ZOO(YouTube)
(このライブの会場は日比谷の野音ではないか!)

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(YouTube関連リンクは音が出ます。ご注意下さい)

ポゴレリチblogのほうでも紹介したYouTubeだが、
日々、貴重な映像や面白い録画等がUPされていて、興味が尽きない。
自分にとっての「お気に入り」や「掘り出し物」を、
どこかに集めておきたいと以前から思っていたので、
きょうはここに、それらを私の思い出とともに記してみたいと思う。

大変、自己中心的かつ独りよがりな記録ですが、
もしも、同じ時代を共有して下さっている方、新しく興味を持たれた方、
いらっしゃいましたらとても嬉しいです。
よろしければご一緒に、『夜の散歩をしないかね(YouTube)』。

*******************

RCサクセション:ヒッピーに捧ぐ(YouTube)

今から20年前、日比谷野外音楽堂でのRCサクセション・ライブの映像で、
若い若い清志郎の歌だが、実はこの場に、若かりし頃の私も、いた。
というか当時の私は夏の野音、冬の武道館は皆勤だったのだ。
この映像は画面に89年と出ているが、86年の誤りだと思う。
私が卒業論文をやっていた記憶があるので、間違いない(爆)。

86年以降の野音はいつも真夏だったから、開始時にまだ外は明るく、
ライブの白熱とともに日が暮れて来たものだった。
師走の武道館に行くとき、凍り付く空気の中を、
九段下から田安門へと大勢のファンがなだれこむ光景も良かったが、
夏の野音で、照りつけるような日差しの残る夕暮れ時、
開演を待って更に熱くなる瞬間も、私は大好きだった。
全盛期のRCサクセションを観ながら、私はよく、
いつか彼らの最後のライブになったら、やっぱり我々は、
『トランジスタ・ラジオ』を、多分泣きながら大合唱するのかな、
などと、脈絡もなく想像したりした。そんな日はいまだに来ていないけど。

ライブは勿論、最初から最後まで二時間スタンディングだったのだが、
若かった私は、わかっていながら見た目重視で(←誰も見とらんのだが)、
この日、暑いのに着飾って、つけられるだけのものをつけた満艦飾状態で、
しかも高さ6センチのサンダルを履いて行った。・・・死にました(爆)。
終わって、日比谷公園の噴水の前で、最大限まで脱いで、
アクセサリー類を全部外し、サンダルも蹴っ飛ばして素足になり、
友人たちとアクエリアス一気飲みしたときには(ビールぢゃないのよ)、
「五臓六腑に染み渡る~(T.T)」と思いましたね。

それにしても、RCサクセション時代の清志郎は、
ステージでは滅多に笑顔を見せなかったし、客に頭も下げなかった。
それでいて、客を拒否するどころが包み込む魅力が彼にはあった。
当時から、独特のバランス感覚を発揮していた人だった。
現在の、年輪を重ねた清志郎を私はこよなく愛しているが、
それとは別に、若い頃にRCサクセションのヴォーカリストとして
ライブの帝王だった清志郎も、こうして見るとやっぱり格好良かった、
と改めて、この映像を眺めて溜息が出た。←ファン馬鹿


ヒカシュー:プヨプヨ(YouTube)

1980年、夜中にNHKの「ジャムジャム80」を観ていて、
偶然に知ったのが、このヒカシューというバンドだった。
当時はテクノポップとして分類されていた記憶があるのだが、
私はそんなことより、このヴォーカリストの巻上公一に
あまりにも強く魅せられてしまった。
いまでも、私は彼のことを深く尊敬しているのだが、
「人間の声」で自在にエンターテインメントの可能性を探る独自の活動を、
これだけ濃く展開している人はほかに居ないと思う。

バンド以外の分野でも、この人の活躍は実に多岐に渡っていて、
私は彼を、単にミュージシャンと定義することはできないと思っている。
例えば、巻上氏は「超歌唱家」であり「日本トゥバホーメイ協会代表」であり、
「日本口琴協会会員 」であり、「操体法」インストラクターであり、
更に、中国武術花架拳を燕飛霞老師に学んでいるという武道家でもある。
この人は喋ってもソツなく可笑しいし、役者としても味があって面白い。
多才とは巻上公一のためにある言葉ではないかと、私は思うのだ。


The Blue Hearts:リンダ・リンダ(YouTube)
The Blue Hearts:Train-Train(YouTube)

80年代後半から90年代初頭にかけて、私のアイドルは甲本ヒロトだった。
もし息子が生まれたら、名前は「ヒロト」にしよう、
と真面目に思っていたくらいだった。

当時、ライブでのヒロトには何かが憑いていたと思う。
例えば清志郎が、どんな奇抜なパフォーマンスをしても、
限りなく醒めた目で客を眺めているように見えたのに較べて、
ヒロトは爆発的な何かに憑依され、乗っ取られているかのようだった。
そして、その深いトランス状態によって、彼はファンをも狂わせた。
私にとって、ブルハのライブのシンドさは五指に入るものだった。

そういえば一部の媒体はブルハを「パンク」と分類していたが、
一般的にそのように思われているのだろうか?
私の思うパンクというのはシド・ヴィシャス(YouTube)にほかならないのだが、
日本のパンクとして私が納得できるものと言ったら、
私の狭い見聞の範囲では今のところ
遠藤ミチロウ(YouTube)くらいしか思いつかない。
徹底して破壊的な要素を持つ、限られた異常な音楽、否、
音楽以前のムーヴメントこそが、パンクだと私は思っている。
ブルハはその点、ヒロトがしょっちゅう服を脱いでいたことを除けば(爆)、
パンクではなく見事にロックの王道を行ったバンドだったと思うのだけれど。

*******************

こんな調子で語っていたら夜が明ける、ということがわかった(^_^;)。
ともかく、YouTubeは本当に宝の山だ。上記以外にも、
中川勝彦(YouTube)(しょこたん・中川翔子のお父様だ)とか、
Bo Gumbos(YouTube)とか、YAPOOS(YouTube)とか、
The Street Sliders(YouTube)とか、
懐かしいものがたくさん見つかって、とても楽しませて貰った。
ひとつ、ちょっと意外なことに、ヒルビリーバップスが見当たらなかった。
宮城宗典の歌う姿を、もう一度観たかったのだが、
メジャーになって以降の活動期間が短か過ぎたせいか、
今のところ、YouTubeと言えどもそのような映像は無いようだ。残念。

以上、飽くまで懐かしい宝物のごく一部について書いてみました。
「それ、知ってる!」というものがおありの方、
「私もファンでした」という思い出をお持ちの方、
よろしければメール下さいませ。昔話を致しましょう。

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