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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



なんとっ
会場では清志郎からの「快気祝い」が配られているそうだっ!!

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今夜、日本武道館で、忌野清志郎が完全復活を宣言する。

さきほど、現地の友人からメールが来た。
九段下で降りた人の数の、あまりの多さ、
そして、その人たちの年齢層の高さに、
ただただ、驚き、感動したそうだ。

私がその場にいたら、田安門までの道を歩きながら、
既に、だーだーと泣いていたかもしれない。

おかえりなさい、清志郎!!!

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清志郎復活祭に行かねばと、京都のチケットを取った。
3月2日(日)、会場は京都会館第一ホール。

ここ数年、京都というと南座ばかり行っているけれども、
京都会館だって、私は実は、まんざら知らないワケではない。
このホールは、大昔、某バンドのファイナルツアーの
最終公演で、友人と一緒に行ったことがあるのだ。

私はそのとき、現地に到着して本当にビックリしたのだが、
ここのホールは、列番号が、最後尾から始まって1列、2列、
・・・となっており、つまり小さい番号ほどウシロなのだった。
入場して、手前から1列、2列、と数える、という考え方だろうか?
しかし、「33列」が最前列だと考える人って、普通多いですか?

そういえば、宝塚は旧劇場の頃は列表示が「いろは」順で、
東京宝塚劇場1階ヲ列などとチケットに書かれていて
何列目なのかわからず、ってかそもそも咄嗟に読めなかったりして
途方に暮れたものだった。
また、1階ヘ列、なんて前から六列目だから良い席だったのだけど、
「への六番」なんかに座るのが、ちょっとイヤだったりとか・・・。

で、さきほど、ネットで「京都会館」を調べてみたら、
やはり今でも、京都会館の列表示方法は変わっていないようだった。
そして、今回の私のチケットは、列番号のところに、
案の定、かーなーりー若い番号が書いてあるのだった(T.T)。

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きちんと観たわけではなかったのだが、
家族がテレビを流していたので、私も横目で時々眺めていた。

布施明の『君は薔薇より美しい』で宝塚OGが一緒に踊っていて、
とても美しい面々だったので目の保養になった。
この曲はゴダイゴのミッキー吉野の作曲で、
私はヒットした当時をよく覚えており懐かしかった。
ゴダイゴといえば、タケカワユキヒデが作曲して布施明が歌った、
CMソングの『開けてみれば愛』というのも名曲だった記憶があるが、
あの頃、布施明とゴダイゴは何か仕事上の繋がりがあったのかな??

そして、昨夜、この曲で、もうひとつ思い出したのは、
91年雪組公演の『華麗なるギャツビー』で、
杜けあきの演じるギャツビーが、デイジーに愛を告白する場面で、
「きみは、薔薇より、美しい」
という台詞を繰り返し、言っていたことだった。
あれを観たとき私は客席で、
「布施明かっ」
と内心でツッコんでいたものだった。
あの公演には、下級生だったたかこ(和央ようか)さんも出ていて、
デイジーの従弟だかなんだかの「エディ」役をしていた。
純名里沙さんと組んで一曲だけだがソロを歌う場面もあった。
これまたあまりにも懐かしかった。

で、昨夜の紅白の話に戻るのだが(^_^;。
懐かしいと言えば米米クラブにも感動した。
一昨年は氣志團を、昨年はDJ OZMAを観ていて、私は、
前者を「ヤンキー入った米米クラブ」、
後者を「エロ喧しい米米クラブ」、
と評して家族に呆れられたのだが、今回の紅白では、
やっと本家の米米クラブを、十数年ぶりに観た。
私は彼らを80年代から聴いていたから、
実家にはCDのほか、『罪と罪』『車輪の上』など、
米米クラブ大全集の配本なども、今でも残っているはずだ。
メンバーが何人いるのかわからない大所帯は相変わらずだった。
だが、今聴いても、なんという楽しいバンドなんだろうか。
彼らほど、多方面に渡ってライブの楽しさを体現したバンドは、
当時、ほかに無かったと思うし、それが今も色あせていない、
ということがわかって、今回、本当に嬉しく思った
(ところで昨夜、博多めぐみさんは、いらっしゃいましたか?)。

そしてこの紅白で、物凄く見直したのが、Gacktだった。
これまた私はマリス・ミゼルの頃から観ていたので、
自分の中で「こういう感じのヒト」という概念は既にあった。
私はファンだったことはないのだが、友人のひとりが、
それはもう、「きれいな男」というものが大好きで、
ガックンには惚れ込んでおり、自分の娘にまで見せていたほどで、
彼女の影響で私もよく聴かされていたのだ。
だが私は90年代には特に感心はしていなかった。
やたら綺麗なのに、案外面白いことを言う人だ、
とは思っていたが、それ以上のものではなかった。

それが今回、謙信役のGacktを初めてマトモに観て、
これは凄いと心底、感心させられてしまった。
上杉謙信に、こんな独特の雰囲気を付加した役者は
恐らく今までいなかったのではないかと思うのだが、
これもアリではないかという大変な説得力があった。
そして、そこから歌まで一気に持っていったGacktの存在感は、
もう大変なものだった。
十年以上知っていて、今更なんですが、
「なんて才能のあるヒトだったんだろう」
と、初めて、畏れ入りました<(_ _)>。

それにしても、パンツ脱がないんだったら鶴瓶の意味ないじゃん、
と思ってしまうワタクシは、頭が相変わらず80年代なのだった。
新しい人で興味があったのは、しょこたんくらいで、
しかしこれまた、中川勝彦つながりで、20年前の話なのだった。

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マイペースで遠くへ行こう
自転車  バンドマン忌野清志郎さん
(朝日新聞)

『秋元康 ナビゲート 夢中力』に清志郎が出ていた。
人間が本来持っている生きる力を追求したいと思ったのがきっかけで、
自力で遠くへ出かける自転車を選んだ、という記事も良いのだけど、
何より、『バンドマン』という彼の肩書きが最高だと思った。
さすが秋元康氏、『分かって』いらっしゃる、と嬉しかった。

『バンドマン』、という言葉は清志郎が好んで使うものだ。
RCサクセションが80年4月5日久保講堂で行ったライブのCD
(『Rhapsody』)のタイトル曲にもなっている、
『ラプソディ』のサビに部分に、この言葉が繰り返し出て来る。
これが彼の、ひとつの原点だと、ファンとしての私は思っている。

 ♪バンドマン 歌ってよ
 ♪バンドマン 今夜も また 
 ♪ふたりのための ラプソディ

いつまでもひとりのバンドマンであり続ける清志郎は、
『忌野清志郎ほど、若いミュージシャンたちに尊敬されているベテランもいないだろう』
などと言われることなど、本当は似合わないと私は思う。
でも、この人が築いたものに、多くの賛同者や崇拝者がいて、
彼に続く『バンドマン』たらんと志す若い人が
過去にも現在にも、少なくないのだって事実だ。
ボガンボスの「どんと」や、
ヒルビリーバップスの宮城宗典みたいに、
RCサクセションに憧れ、そして先に逝ってしまった人だっていた。

清志郎の完全復活祭が2月に東京であるが、
私は残念ながらそれには行けないことになってしまった。
でも、その追加公演が、3月に京都でも行われることになったので、
退院できたらそれを目標に頑張ろうと、今、思っている。
清志郎の経てきたことに較べたら、ごくごく平凡なものだが、
私なりに、「人間が本来持っている気力や体力」を思い出し、
自分流の「完全復活」を目指したい。
こうやっていつも目の前に清志郎がいてくれることに
自分勝手にだが、遠くから、そして心から、感謝している。

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清志郎が復活!武道館で“単独ライブ”(Sponichi Annex)
『喉頭(こうとう)がんから復帰したロックシンガー、忌野清志郎(56)が来年2月10日に「完全復活祭」と題して日本武道館公演(東京・北の丸)を行う。』『昨年7月に治療のため音楽活動を休止してから初の単独ライブで、05年12月25日の渋谷AX公演以来になる。退院後は昨年11月17日に米歌手サム・ムーアの来日公演に飛び入りするなどしながらノドの“試運転”。最近は自転車の長距離走行も続けており、体力もついてきたことから完全復活することになった。』『清志郎は「復活だぜ!ベイベー!!」と大張り切り。来月8日には日本武道館で開催される「ジョン・レノン・スーパーライブ」に盟友の仲井戸麗市(57)と一緒に参加。17日に名古屋でベーシスト藤井裕(55)のアルバム発売記念ライブに出演し、大みそかには幕張メッセでカウントダウンライブに登場する。』

忌野清志郎がライヴ活動を正式再開!武道館での完全復活祭も決定!(CDJounal)
がん克服清志郎2・10武道館で復活祭 (日刊スポーツ)

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忌野清志郎 完全復活祭!!
@日本武道館 2008年2月10日(日)

忌野清志郎
&NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORNS
plus 仲井戸"CHABO"麗市

三宅伸治、中村キタロー、新井田耕造、厚見玲衣、
梅津和時、片山宏明、渡辺隆雄

一般発売2007年12月16日 10時~

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ブライアン・メイ、ついに博士号取得へ
(写真は、ブライアン・メイが共著のかたちで出版した、
宇宙物理学の本『BANG! 宇宙の起源と進化の不思議』)

クイーンのギタリストB・メイ、宇宙物理学博士に(ロイター)
『7月25日、英ロックバンド、クイーンのギタリストB・メイが近く、中断していた宇宙物理学の研究で博士号を取得することが明らかに。』『[ニューヨーク 25日 ロイター]英ロックバンド、クイーンのギタリストのブライアン・メイ(60)が近く、音楽活動のため35年以上前に中断していた宇宙物理学の研究で、博士号を取得する。』『メイは1970年のクイーン結成当時、ロンドンのインペリアルカレッジで宇宙物理学を学んでいた。しかし、バンド活動が忙しくなったことから博士課程での宇宙塵(じん)の研究を中断。その後も宇宙物理学への興味を持ち続けていたという。』『今月25日にも博士号の最終課程となる論文を完成し、論文が大学側の審査を通過した後、来年にも博士号が与えられる見通し。』『メイは25日、自身のウェブサイトで「たぶん皆さんも僕たちが使っている望遠鏡をのぞいてみたいのでは」とコメント。クイーンのヒット曲「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞をもじって「ガリレオ、ガリレオ、生命は何と奇遇に満ちていることか」と付け加えた。』

ブライアンが宇宙物理学の研究者であることは、
私は70年代から知っていたし、当時も、
博士論文を断念していない、という記事は出たことがあった。
確か、日没の頃に黄道面に見える粉塵がどうとか・・・(^_^;。
また、アメリカの外惑星探査機ボイジャー1号2号の成果を
彼が大変熱っぽく語っていたインタビューも、
80年代のMUSIC LIFEで読んだことがあった。

ただ、宇宙物理学の研究は、飽くまでQUEEN結成以前の、
彼の経歴として終わるのだろう、と私は思っていた。
博士論文ともなると、その専門性も極めて高く、
かつ、学問の最前線に居なくては書き上げられないものではないか、
と思われたからだ。

しかし、ブライアンは断念していなかったのだ。
60歳にして博士号取得とは。
本当に打ち込むものを見つけたら、
決して、あきらめたり投げ出したりしてはいけない、
と、教えられた思いだ。
人生の時間が与えられている限り、
どんな夢も、見続けることが可能なのであり、
変わらぬ意志と能力とを持つ者は、
きっといつの日か、それをかたちにすることができるのだ。
功なり名遂げた人生とは、彼のためにある言葉だとつくづく思った。


ポール・スタンレー!
キッスのP・スタンレー、心拍数190超え公演見合わせ(ロイター)
『[ロサンゼルス 28日 ロイター]米人気ハードロックバンド、キッスのボーカル兼ギタリストのポール・スタンレー(55)が27日、米カルフォルニア州で行ったショーのリハーサル中に心拍数が通常の2倍以上に達したため、ショーへの出演を取り止めた。自身の公式ウェブサイト(http://www.paulstanley.com)で明らかにした。』『ロサンゼルスの東145キロにあるサンジャシントのカジノで同バンドがリハーサルを行っていた際に、頻脈に見舞われたという。』『スタンレーは、自身のウェブサイトに「私の心拍数は1分間に190拍を超えるほどになった。この状態が1時間以上続いたので、救急救命士を呼んで、一瞬心臓を止め、通常の状態に戻さなければならなかった」とコメントした。』『米国心臓協会によると、心拍数は通常1分間に60─80回。』『スタンレーは、ショーへの出演は危険と助言を受けたため、出演を見合わせた。メンバーのジーン・シモンズがファンに対し、3人でショーを行うと説明、スタンレーにささげる内容に変更した。』『キッスは1973年にスタンレーとシモンズによってニューヨークで結成。全盛期には「Rock and Roll All Nite」や「Shout It Out Loud」などがヒットした。』『スタンレーは昨年、ソロ・アルバムもリリースしている。』

ポール・スタンレーは、私はかなり好きなヴォーカリストなのだが、
長年、あのハードなステージを見事にこなしてきた彼が、
心拍190超えとは、一体、何が起こったのだろう?
ジーンが昔、火吹きの最中に髪に火が付いて倒れたのも驚いたが、
ポールが病気をするなんて、私は考えてみたこともなかった。
彼は心臓が悪かったんだっけ??
55歳、という年齢にも今更だがビックリしてしまった(^◇^;)。

KISSというグループは、あのメイクで知られている通り、
一見、派手なステージングで、キワモノのイメージがあるが、
メンバー、特にジーンとポールが最初から非常にオトナで、
自分たちの言動の効果も限度も、
すべてわきまえた上でやって来たからこそ、
ここまで続いたバンドだと、私は思っている。

彼らの神髄はライブにあると思うので、
ポールには充分に静養して貰って、
また万全の体制で、キッス四人のライブを展開して貰いたい。
「ポールに捧げるライブ」なんかじゃ、悲しいではないか(^_^;。

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62歳のロッド・スチュアート、32歳ブロンド美女と3度目の結婚(eiga.com速報)
『お相手は、ここ数年交際していた32歳のモデル、ペニー・ランカスター。ロッド・スチュアートは“ブロンドでスレンダーな美人好き”と自ら公言しているが、ペニーもスラリとしたブロンド美人。小柄なロッドと並ぶと2人の身長差は歴然で、「リトル・ロッドがまた大柄美人と……」と、からかわれているようだ。これに対し、ロッドは「言いたいヤツは勝手に言えよ。でもオレは身長154センチのチビじゃないぜ。157センチはあるんだ!」とジョーク交じりに反撃している。』

私は、昔、ロッド・スチュアートの歌の何がいいのか全然わからず、
世良公則を聴いて初めて、ロッドのどこを聴けばいいのかがわかった、
という変な思い出がある。

それはともかく、シンガーとしてのロッドの凄さは、
私には今ではよくわかるのだが、
彼が小柄だということは、あまり意識したことがなかった。
一体、本当は身長どのくらいなのだろう(^^ゞ?

昔、「三高」という概念があったように、
どうも世間的には、背が高いというのは無条件に素敵なことらしい。
しかし私の観察では、少なくとも男性のカリスマ・ヴォーカリストには、
普通より小柄な人が多いと思う。
というか、私が気に入るようなシンガーは、ほとんど小柄なのだ。

フレディ・マーキュリーも、忌野清志郎も、そして西川貴教も、
皆、背は全然高くない。
私は心密かに、「カリスマは小柄」という仮説を立てている。
「ウドの大木」「大男、総身に知恵がまわりかね」などと言うように、
だいたいが、図体の大きな人はなんとなく切れ味が悪いのだ。
ダンサーや体操選手など見ていると如実にわかると思う。
そういう意味で、小柄なシンガーだからこそ出来る、
強烈なステージ・アピールというものがあるのではなかろうか?


それにしても、ロッドは何度結婚しなおしたら気が済むねん(^_^;。

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昨日、風呂掃除をしながら、どういうきっかけか、

♪ほんとーならば今ごろ ボクのベッドにはー
♪あなたがー あなたがー あなたがー いてほしいー

と歌い出してしまい、何か凄く懐かしい気分に浸りつつ、
ほとんど最後まで歌えてしまって、
さて一体なんという題名の歌だったっけと小一時間、悩んだ。

ブルーハーツだということはわかっていたので、
タイトルを見つけるだけでなく、
この際だから全曲通して聴きたいと思って、
ネットに接続して、YouTubeで検索してみた。

あった。

THE BLUE HEARTS - ラブレター(YouTube)

前にも書いたが、90年代初期、私のアイドルは甲本ヒロトだった。
ベロ出していようと服脱いでいよう目がイっていようと、
彼ほど美しい言葉を紡ぎ出した人は当時、いなかった。
この『ラブレター』も、物凄い名曲だと、やはり、思った。

しかし。
こんな珠玉の一曲が、これほどフザケたビデオ・クリップになっていたとは。
このギャップが、あまりにも、可笑しすぎる(T.T)。
特に、イントロに合わせて体を揺らせ始めるとき、
ヒロトの、踏み出す足のかっこ悪さがたまらなくツボだ(逃)。


追記:こんなものもUPされていたなんて。YouTubeはやはり宝の山だ。
The blue hearts ブルーハーツ - リンダリンダ(YouTube)

『夜のヒットスタジオ』初登場の映像なのだが、
岡山弁ばりばりで「盛り上がるじゃろ」などと
言いたいことだけ言っているヒロトが最高だ。
「これ、うた歌えなかったら、ただのチンピラですもの(^_^;」
という古館氏の一言にもオオウケしてしまった。
この曲は映画リンダ リンダ リンダにも使われて、
ブルーハーツとしては古典の中の古典というくらいの名曲だが、
リンダさんが誰で、どうした歌なのか、終始一貫、完全に不明だ(爆)。

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