goo blog サービス終了のお知らせ 
転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



今日明日と、ちからワザで2連休を実現させた!!
本当なら今頃、東京に向かう新幹線に乗っていた筈だが、
全部やめた、すべてキャンセル!!
自宅で、時計を一切見ないで、スマホも電源を入れず、
他者との接触を全部遮断して、誰の話も聞かないで
次に何をせねばならないかと気を付けることもやめて、
ひたすら、ボケ倒して過ごすのだ!!
思う存分、できる限り、時間を無駄にして過ごしてやる!!


関係者の皆さん、2日間、サヨウナラ!!
「さ が さ な い で く だ さ い」(笑)


最高~~~!!!

Trackback ( 0 )




昨日は、十日ぶりくらいの休日だったので、
書類仕事や交渉事が、めっっっちゃはかどった!
電話やお喋りで作業を中断させる人が登場しなかったら、
仕事は、なぎ倒すような勢いで片付いて行くのだ。

正月巫女バイトのタイムテーブルを完成させ、
某税理士さんに税金関係の問合せ二件終了、
舅宅の植木屋さんに今年までで庭が終わる連絡を済ませ、
某金融機関と某生命保険の書類作成終了、
(これは道楽だが→)1月のポゴ氏遠征関係の打ち合わせ完了、
そのあと家の資源ゴミをまとめて、収集場所まで出しに行った。
更に、買い物ついでに外に出て、葬儀会社さんへの送金もできた。
All done!

近所の幟町教会を覗いたら、プレゼピオ(馬小屋飾り)ができていた。
小屋のつくりが、ここ数年は昔とは違う。
前は茅葺き屋根みたいなものではなく木造だったような
それに以前は、羊飼いも馳せ参じていたし、ロバも居たよね??
最近は、聖マリア・聖ヨセフ・東方の三博士、白ひつじたち、だけか。
更に、去年は藁の三角屋根だったが、今年はまた趣の異なる馬小屋になっている。
ともあれ、クリスマスイブの第1ミサ終了時までイエスは降誕しないので、
本日時点では飼い葉桶はまだ空いている。

  

実はこの週末に、歌舞伎座に行こうと思っていたのだが、
あまりにも、あまりにも過密スケジュールなので、断念した。
最初は、16日(月)17日(火)と連休にして雑事を片付け、多少は休息もし、
そのあと20日(金)21日(土)と東京へ、と考えていたのだが、
本日17日にも予定が入り、その瞬間に私の中で何かがキレた。
やっと、やっと、やっと自由時間が貰えると心の支えにし続けて来た連休が、
またしても消えてしまい、そのまま次の連勤に繋がることが決まった。
ならばもう、東京遠征の二日間をつぶしてでも、休日にするしかないと思った。

東京へ行けば楽しいには違いないが、完全な休息にもならない。
列車の発車時刻、劇場の開演時間に縛られて動かなければならないからだ。
更に、幕間にはどうせ、ズラっと並んだ着信履歴に対応せねばならないし。
年末年始はどのみち怒濤の連勤術師の日々なのだから、
手前でどこか休息(=誰も来ず、好きなだけ黙ってボケ倒して良い日)を
完全なかたちで確保しておかないと、心身が到底モたない。
それでも、来る日も来る日も市街地と実家の村を往復して、
その間、連休が1回だけ、というのでは脳の休息が全然足りないのだが、
そこは安定剤ソラナックス0.4で補うという……(汗)。

10月後半から、昼間ほとんど家に居たことがない。
現状、私以外には家族が主人だけで、
大人の一人暮らしが二人分みたいな日常だから済んでいるが、
事実上、我が家の家庭生活はとっくに崩壊している。
主人の出勤より早く私のほうが出て行くことも多いし、
当然、朝も昼も食事はそれぞれで、
夜でさえ、主人は外食、私は遅く帰り、買ってきたものを食べる、
みたいなことも結構ある。
料理が嫌いな私には良い面もあるが(爆)、
選んでしているのではなく、こうせざるを得ないからしている、
というのがヨロシくない。

このあと、○時○分に何が予定されているか、
○時○分までにどういう準備が終わっていなくてはならないか、の連続で、
あと何分残っているかを、常時、刻々と意識して動かねばならない。
ボーっとしていて良い日が、全くと言っていいほど無い。
夜、布団に入ってからでも、明日の朝起きたら何をどういう手順でやるか、
という段取りで頭がフル回転していて、止めるのに苦労する。
この日記にしても、今の日々の苛々を、記録したいというか
吐き出したいから書き始めて、私は入力だけは早いから打つのは負担ではないが、
午前8時までに終えなければ、次の仕事に支障を来すことは自覚しつつやっている。

心身ともに元気で、このような日常がこなせる状態であることを
感謝せねばならないとは、よくよくわかっている。
世の中、もっと超人的な激務に耐えて働いていらっしゃる方々が多いことも
私なりに、理解しているつもりだ。
しかし病気で倒れでもしない限り、決して休ませて貰えない、
という状況は、どう考えても「本当によかった」とは思えないのよ(T_T)。


それでも、多少なりともマシになったのは、
神社の帰りにサ高住に寄らなくてよくなったことと、
「親が入院した」「親が死んだ」
の電話がかかってきて万事休す、を恐れなくてよくなったこと。
スマホは枕元に置かず、別室に放置して就寝するようになった。

20日21日の二日間は、スマホ2つとも電源を落としておいてやろうか。
のっぴきならない連絡を私にするほどの人は、
漏れなく固定電話の番号を知っているのだから、スマホなんか不要だ。
知人友人御近所等には、私はどこかへ消え失せたと思って貰おう。
なんか本当にキレたよ私は。

Trackback ( 0 )




相変わらず多忙なので、常に三手か四手くらい先を読んで、
そのためには何分で今の作業を終えなくてはならないか、
何時何分のバスに乗らなければならないか、等々と
時計を睨みつつ動く毎日である。
ちなみにこのブログは11:45までにUPする予定である。
それを超えるようなら保存にして、出かけなくてはならない。

築100年超の実家は、ますますキショク悪い。
住む人がなくなって、既に6年?
昼なお暗い、ススけた土間や古い和室の数々。
天井は朽ち、障子は虫食い、納戸は裸電球ひとつ。
片付けなどしていると、だだっぴろい家屋に、私ただ一人きりだ。
ミシ、ミシと家鳴りのすることも多い。
昨日など、ヒィ…、ヒィヒィ…、ヒィィィ…
と女の声みたいな何か高い音がずっと土蔵のほうから聞こえていた。
隙間風の漏れる音か、それともネズミでもいるのだろうか。

何か・誰か、侵入しているのか?
もしかすると何かが取り憑いていて、
日々、霊障が起こっているのかもしれないが(笑)
私は今、煮え切っているので、それどころではないのだ。
仕事や勉強のときにはBGMさえ大嫌いな私が、
なんでヒィヒィ聞かされ続けなければならないのか!
用件山積みで、カウントダウンの中サバき続けて居るのに!
神経に障る!!邪魔!!!

いつまでもヒィヒィとうるさいので、作業しながらついに私はキレて

「やかましいわ!今、構っとれんのじゃ!」

と虚空に向かって叱ってやった。

途端に、音は、止んだ(爆)。

Trackback ( 0 )




すみません。
メールその他、いろいろ頂いているのですが、
多忙のため御返事することができません。
少なくとも11月11日が終わるまでは、私的な時間はほぼ取れません。
大変失礼を致しますが、どうぞ御理解をお願い致します。

Trackback ( 0 )




今年もやって参りました、
「多忙過ぎて怒り爆発、スマホを叩き割りたい」季節が。
秋祭から節分が終わるまでの間、神社仕事は怒濤の勢いだ。

去年も書いた通り、私はほぼ常時、怒っている。
一般的に人間はストレスが限界に達すると、
「涙が止まらない」とか
「死んだ方がラクになる」等と思うようになるそうだが、
私は、そういう状態にはほど遠く、その点ではまだまだ余裕がある。
深く「落ちた」心理状態には、これっぽっちもなっていない。
むしろ日々、烈火の如き気分で暮らしている。

とにかく、忙しい私の邪魔になる人・モノ、あれこれに腹が立つ(^_^;。
処理能力を上回る量の仕事を、毎年、秋~冬に割り当てられるので、
複数種類の用件が同時進行している最中に電話が鳴ったりすると、
「やかましいわ!」と床に叩きつけたくなる。
(もちろん3コール以内に取って、笑顔で応対しておりますよ(爆))

2022年3月初旬から、私は心療内科に年に数回、行くようにしており、
安定剤ソラナックス0.4を貰っては、頓服的に使っている。
1回の受診で最大30錠まで処方可能なので、これを3~5か月かけて使う。
週に0~数回、飲むペースだが、服用頻度は忙しさによってかなり幅がある(^_^;。
キンキンに張り続けた1日が終わり、尖った気分がおさまらないときに
この薬を半錠、ときに1錠、服用するのである。
飲むと30分ほどで、苛々の棘がマイルドになり、うっとりと眠くなる。
酒を飲む人の気分とは、このようなものではないかと想像している。

ベンゾジアゼピン系は依存症が出やすい、
という知識は勿論あり、ひととおりの注意をしてはいるが、
成長期でも妊婦でもなくなり、あとは人生終わるだけの年齢だから、
もはや遠い将来など考慮せずとも良く、薬の選択に関しては気が楽だ。
仮に今後、ソラナックスを毎晩飲まないと寝られなくなったとしても、
妊娠や授乳のため断薬せねばならない等の事態には、私はもうならない。
併用禁忌の薬も、そうは無さそうだし。
母など中年以降、ユーロジンを40年以上、飲んでいたものだ(^_^;。

幸い、娘は完全に独立していて、常日頃全くと言っていいほど交渉がないし、
転夫ころもん氏も、ひとりで思い通りにするのが好きな人で、
かつ、私が家庭を全く顧みていないことを受け入れてくれているので、
なんとか現状、生活が維持できている。
我が家は「一人っ子」が3人、の家族構成であり、基本的に互いに干渉しない。

しかし、こんなことをいつまでもやっていては、いけないだろう。
主人も私も、年々トシを取るのだ。
そろそろ晩年、老年期、というものが欲しい。
ころもん氏は、リタイアに向けて着々と動いている。
私も、神社仕事を、早く人に譲って終わりにしなければ。
これさえクリアできれば、かつて掲げた『53歳の宿題』、完遂である。
晩年に天将星を持ち、かつ総画39の女だからと半ば諦めてやって来たが、
「今年、心から幸せだったのはコロナに罹ったとき。10日も休めたから」
というのは、我ながらアカン1年だったのではないか(大汗)。


(余談だが、算命学&姓名判断的には、転夫ころもん氏も私と完全に同じで、
晩年に天将星があり、かつ総画39である。そういう意味ではバランスが良い。
だからお互い、家庭も壊さず、今のところ寡夫・寡婦にもなっていないのだろう。
知らんけど(笑)。
しかし老人としてはこのままでは、実に傍迷惑な存在になる可能性大である。
老化しているくせに意気軒昂で、いつまでもエラソーという(大汗))

Trackback ( 0 )




昨日は、マエストロ・ポゴレリチの御誕生日、
ポゴ氏はバースデー・ライブをマカオで行った筈だ。
そして今日は、我が父の命日、あれからちょうど一年。
去年のこのあと、葬儀関係と村の祭とで、
どんだけ忙しく大変だったか、
今でも「思い出し怒り」で身が震えるほどだ(^_^;。

きょうは、やっとやっと巡って来た休日だ。10月10日以来か。
運良く?転夫ころもん氏が1泊2日の東京出張で昨日から留守だったので、
昨夜は21時半に就寝し、目覚ましをかけず、今朝7時半まで寝た。
夢も何も見ない爆睡であった。
お休みって、ホントに素晴らしい、極楽である(涙)。

Trackback ( 0 )




石破茂新総裁、きょう午後「衆院解散」表明へ
…選挙日程は10月15日公示・27日投開票
(読売新聞)

昨日からさかんに「衆院解散表明へ」という報道がなされているのだが、
理屈だけを言うなら、衆院の解散権を持っているのは内閣総理大臣だ。
その昔、中学校の社会科「公民的分野」で習ったではないか。
そして、現状、日本の内閣総理大臣は誰かというと、岸田文雄だ。
石破茂は、自民党総裁選で当選が決まって3日目のヒト、でしかない。
まだ臨時国会も開いていないし総理指名も受けていないのだから。

岸田総理は、総理を辞めない選択が、明日までは、まだできる。
そうなった場合、総理になっていない、自民党石破総裁にできるのは、
内閣不信任案を提出することだけだ。
つまり岸田内閣が総辞職をせず、
岸田総理主導で衆院解散して総選挙に持っていくことは、
きょう現在の状況からは、依然として可能なのだ。
岸田内閣の信を問う総選挙。
結果によっては、総裁・総理の分離もあり得るのでは(^_^;?

……やったらオモロいのに(逃)。知らんけど(殴)。

Trackback ( 0 )




叔父の家族葬は、列席者5名であった。
まさに文字通りの家族葬。
叔父の兄姉たちは既に故人で、配偶者の叔母も先月亡くなったので、
叔父の子供たち2人のほかは、甥と姪(私)、叔父の従弟、
という顔ぶれであった。
形式的に来た人は皆無だったのだから、
本来的な、心のこもったお弔いであったとは思うのだが、
少子化の今後は、そもそも葬儀自体が消えて行くのかもしれない、
ということも感じた。

そもそも「お葬式」は、弔いであるとともに、世間への挨拶であった。
人ひとりがこの世から消えるにあたり、
気付いたら行方不明になっていた等の居なくなり方ではなく、
「某月某日、これこれの事情で故人となったことを確認し、遺体はここにあり、
このように関係者で手続を踏んで埋葬することになりました」、
と、世の中に対して明白に公表するのが葬儀だった、筈だ、
と私は思っている。
そのために、職場関係や御近所などにも連絡が回ったし、
遺族が把握しきれていない交友関係もあったことを考慮し、
新聞広告まで出して広く通知することを心がけたりした。

しかし「家族葬」が一般的になってからは、
世の中への公表の意味合いが薄らいで来た。
葬儀日程を即座に広く知らせることをしなくなったし、
世間の側も、自他ともに「親しい」と認める場合以外は、
家族中心の場に、わざわざ立ち入ることをしなくなった。
家族葬では、香典や花などを辞退することが多いので、
あとになって訃報を聞いた人たちも、
香典持参であらためて挨拶に出向くことはしないし、
御焼香を…と言いたくても仏壇のない家が既に普通になった。
更に、年賀状が廃れつつある昨今、喪中葉書を見る機会も減った。

そのうえ時代とともに非婚率が上がり、少子化が進んでいる。
我々の親世代は4人きょうだい以上の家族構成もまだあったが、
我々の年代だと2人きょうだいくらいが多く、
その下の世代では子供を持たない選択をする人も増えた。
近い将来、「家族葬」は故人とその子供(たち)だけ、
という形態が珍しくなくなり、それならきちんと火葬しさえすれば、
別に「葬儀」などの形式も要らないではないか、となるのではないか。
そうでなくても日本人は実質的には無宗教が多い。
遺体や遺骨がなくなったら天国に逝けない等と思っていないし、
「墓じまい」も増加しているから、
焼いた後は樹木葬や散骨などで終了、でもいい。

きょうだいが一人あるかないかの環境で育ち、
独身で子供も無かった人が、一定年齢以上で亡くなった場合、
関係者も既にこの世にないとなると、家族葬も成立せず、
自治体が火葬だけして終わらせるケースも増えそうだ。
通夜も告別式もなし、墓は生前の指定がなければ合葬墓など。
著名人でもなければ、世間に大々的に通知する機会も必要もないから、
何かの拍子に友人知人らの間で「死んじゃったんだ…」と知られたり、
あるいはそれすらなく、いつの間にか見かけなくなって、忘れられる。

それが悪い、という問題提起ではなく、
そういう流れは避けられないのだろうなと私は思っている。
報道されるような事件で死亡した場合は別だが、
一般的な経過で亡くなった人は、特段の挨拶や公表などなく、
いつの間にか、人知れず、消えて行く。
遺言があり、成年後見人の指名が為されていれば
天涯孤独でも、私的な意味での死後の始末はつけられる。
日本に関しては、いわゆる「葬式」なるものは
今後、一部の人達だけのものになって行くのだろうと、
5人きりの葬儀に参列していて、強く思った。

Trackback ( 0 )




南海トラフ地震臨時情報「巨大地震注意」対象地域は(NHK 2024年8月9日 19時11分)
『8日、宮崎県で震度6弱の揺れを観測したマグニチュード7.1の地震で、気象庁は南海トラフ地震の想定震源域では大規模地震が発生する可能性がふだんと比べて高まっているとして臨時情報を出し、引き続き巨大地震への注意を呼びかけています。』『これまでのところ、ひずみの変化はふだん見られるもの以外に特段観測されていないということで、引き続き監視を続けています。』

今回の『巨大地震注意』は、特段の変化がなければ明日15日で終わるが、
別に、明日以降が安全になる訳ではないし、あまり意味がない。
危険という意味では、既に以前からずっと危険なのであり、
今後、年月が経つほど危険度は上がって行く、と考えるべきだ。
南海トラフ地震は、今後30年以内に70~80%の確率で発生する、
という試算があり、厳密な数字はともかくとしても、
計算上、時間の経過に従って発生確率は高まることになるだろう。
南海トラフの「ひずみ」は、たまっていく一方なのだから。

会社の元同僚の外国人が、前に、
「日本に来るまで、日本がこんなに危険なところだなんて、
誰も教えてくれなかったよ(^_^;!」
と、笑いながらではあるが、言っていたことがあった。
日本じゅう活断層だらけで、日々、高確率で地震が起こるし、
あちこちで火山が噴火していて、四方が海だから津波の危険性が常にあり、
川や山の迫った地形が多く大洪水や土砂災害が毎年発生しており、
しかも、地理的・政治的にはロシアと中国と北朝鮮が隣国だしで、
よくもまあ、こんな危うい場所に平気でいられるね(^_^;!?
というのが、彼の見解であった。

彼はヨソの人だから、いずれ安定的な大陸地塊の国に帰るだろうが、
私は日本で生まれ育ったのだから、仕方ないのだ。
各国それぞれの事情があり、どこの国にも100%の安全は無いとなれば、
母国なりの危なさを、私は受け入れる以外にない(^_^;。
他国より地震災害が多いとしてもなお、
私にとって自分の今の居場所の変わりになるところは、ほかに無い。
自然災害は、備えたつもりでも運次第で助からない場合が大いにあるが、
同じ目に遭うなら、わざわざ外国に行ってそうなるより、
母国に居た結果として、…というほうが、私はまだしも諦めがつく(^_^;。

その点で、これから新たに移民として日本に来ようとする人は、
ちょっと考えたほうが良いだろう。
日本の治安の良さや永住権の得やすさ、福祉の手厚さ等に惹かれ、
住み着いてなんとか生活しようと考える、一部の若い外国人らが居るが、
キミら、これからは、大地震に遭うために来るようなものだよ(^_^;。
ほぼ、確実に、巨大地震は来るよ?
現に、阪神淡路大震災があったし、東日本大震災では物凄い津波が来たし、
この正月には能登半島地震を見たばかりだ。
あのテのことはまたすぐにあるってば(^_^;。

私ら日本人は、生まれたときからそういう場所で暮らしていて、
地震の備えや発生時の行動について、学校で習っているし、
国内の災害に関する報道もリアルタイムで見聞きして生きて来た。
我々の努力で地震が起きないようにすることは不可能なのだから、
「起きる」ことを前提に、各自可能な範囲で備蓄や対策をし、
住居の耐震・制震・免震構造などに注意を払ったうえで、
表面上、ごく普通に暮らしている、というのが現状だ。
自然はコントロールできない・完璧な備えなどないのは当たり前だが、
だからと言って、何も考えず無策で過ごしている訳ではないのだ。

一方、外国人はそれほど地震の知識を持っていないことが多い。
「マグニチュード」は知っていても、彼らは「震度」の概念はわからない。
出身国によっては、体に感じる地震に遭ったことのない人も結構いる。
基本的な経済力もなく、日本語もろくに出来ず、
震度3でパニックになるような外国人一家だったら、
南海トラフ巨大地震では、まず、生き残れないのではないか(^_^;。
津波が来るときは瞬時の判断が問われるし、大きな余震も再現なく起こる。
震源となり得る地域は、東海から沖縄までと範囲が広いから、
「ここなら安心」な場所など無いし、
もし東海寄りで起こったら全国の物流もアウトだ。
まあ、日本語すら不自由な、安易な移民計画だったら、
考え直したほうがいいだろうね。

Trackback ( 0 )




自宅マンションの玄関ドアを開けたところに、
アブラゼミが腹を出して引っ繰り返っていた。
掃除しようかと思ったが、見たらいわゆるセミファイナル状態で、
まだ死んでいないと思われたので、とりあえず、そっとしておいた。

「玄関ドアの前に、セミが倒れとるけぇね。
まだ生きとるけぇ、あのままにしといたほうがええと思うよ」
と、ころもん氏に一応注意しておいた。
彼は昆虫が怖いので、自分から触ったりするようなヒトではないが、
あのセミの存在には既に気付いてはいて、
「えっ!!あれ、死んどらんのん!!」
と驚いていた。

うん、死んではないと思うなぁ(^_^;。
だって、あのセミは脚が開いた状態だから。
死んだら、…これはGなんかも同じなのだが、
脚が全部縮こまった格好になる。
倒れていても、両手両足を広げて投げ出しているときは、
どのみち意識朦朧なんだろうとは思うが、
突けばジジっ!と鳴いたり、場合によっては飛び上がってきたりする。
静観したほうが良い。

「知らんかった~~」
と、ころもん氏は感心していた。
百万回言った話だが、私は素手でアブラゼミを捕って暮らしていたので。
生きたセミと死んだセミの見分け方は、
街っ子ころもん氏などより詳しくて当然だ。
どこを見ればオスとメスの違いがわかるかとか、
若いセミと年寄りのセミの区別のポイントだってある。
小学生当時ですら、これらは、ほぼ無用の知識だったので、
ころもん氏は全く覚える必要はないが(^_^;。


追記:なお、転夫ころもん氏の、とても可哀想なセミの思い出は、こちら
勿論、ここで『可哀想』なのは、セミではない。

Trackback ( 0 )



« 前ページ 次ページ »