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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



今月後半から、英語も中国語も脇においといて、
とりあえずしばらく、フランス語に集中してみることにした。
自分のフランス語が、あまりにも長い間、多分この数年間ずっと、
同じところで停滞しているので、ちょっと考え直すことにしたのだ。
別に仕事関係でも何でもないし、渡仏予定なんかも全くないから、
フランス語なんか今、出来るようにならなくても一向に構わないのだが、
いくら趣味でも、進歩の無いウダウダ状態に自己嫌悪を覚えたので、
この不快感をこのあたりで一掃したくなったのだ。
心境としては、例えば、長らくひどく散らかったままだった部屋に、
あるとき突然キレて、ワーっと掃除を始めるような感じだ。

文法としては、接続法現在を普通に使うところまでは来ているのに、
モノによったら不規則動詞の直説法現在の活用でさえ大嘘で、
あれ?この動詞、一人称複数のときってどうだっけ?
みたいなことが、ラジオ講座を聴いていても日常結構ある(汗)。
清岡智比古先生が、「フランス語の動詞の9割はer動詞」と仰っていて、
確かに語彙全体を見渡すならば、数としてそれは正しいのだろうけれど、
反面、よく出会う動詞に限っては、結構多くのものが不規則動詞だ。
別に、学習用テキストが意地悪をしているわけではなくて(^_^;。

実のところ、これはほかの言語でも道理なのであって、
皆がしょっちゅう使うものは、触れられ過ぎ、使い崩されるというか、
類型からは外れた、独自の活用形を持つようになるものなのだ。
英語だって、be、do、have、go、give、getなど、日常使うものほど、
どれも-edを付けて済むような活用では済まされない。
フランス語も事情は同じで、テキストで出会う程度の語彙は、
普段の語であるがゆえに、かえって不規則活用の動詞が多いのだ。

また、私の場合、どうしても英語に頼ったフランス語になっているので、
語彙としては、読み方も意味もわかっているつもりでも、
綴ってみたら、語尾やアクサン記号がデタラメ、というのが多い。
ラジオ講座主体の勉強をしているのも良し悪しで、
ただ眺めているだけでもその日の放送分はこなせてしまうので、
書くことがおろそかになり、定着率が悪いまま、流れているような気がする。
ちゃんとテキストには書くための問題も用意されているのだが、
放送がない箇所は、ついつい、後回しになり、結局やらない、
という悪循環に陥ってしまっている。

Listen more, speak less.
Read more, write less.

というのは語学学習の基礎的な姿勢として、
故・松本亨先生が(英語に関して)かつて仰っていたことで、
私も基本的にはその考えでいつもやっているし、
NHKのラジオ講座も、概ねこの路線に沿ったものが多いと感じるのだが、
今の私は、作文以前に単語を書くことについてデタラメ過ぎる。
ここを直視して、シンドくてもちゃんと埋めていかないと、
何年やっていても、なんちゃってフランス語の域を出ることができない。

……いやまあ、その、強いて言えば、この秋冬からはちょっと、
ポゴレリチのフランス公演が重なるので(^_^;、
その関係の記事や書込が、これまでより楽に読めるようになるといいな、
という消極的な願望も、今だからこそ、ある(^_^;。
このあとポゴレリチは、11月にボルドー、12月と3月にパリ、
それに4月にはベルギーのブリュッセルでの公演もあって、
フランス語圏での演奏活動が割と続いているのだ。
私はどれも、現地までは行くことなど望めないが、
せめて地球の反対側で、フランス語だけでも共有しようかと。
……そうでも思わんと、目標だけ掲げてもすぐ挫折するだろうし(T_T)。

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10月から、ラジオ講座の第二外国語系はいずれも新規開講となるので、
性懲りもなく心機一転、再スタートしようとしている私である(笑)。
外国語をいかした仕事をしたい、などとは全く考えていなくて、
現在の私の語学学習は、完全に趣味と化している。

フランス語との付き合いは、これで結構、長くなって来た。
2008年に、天中殺に入ったことだし大人しく勉強でもしようと考えて、
スペイン語を聴き始めたのが、NHKラジオ講座再開の第一歩だったが、
そのとき、多少心得はあったので「ついで」に聴き始めたフランス語が、
紆余曲折あって、今ではラジオ学習のメインにまでなってしまった。
今季の初級編は2011年春季の再放送で『あなたにきっと起こること』、
応用編は新作で、梅本洋一先生の『映画の話をしよう!』だそうだ。

世の中でよく言われるように、英語学習に関しては、
中学1年で開始してから、これほどの年月を費やして来たにも関わらず、
私は未だに、全く自分の英語力に満足できたことがない。
しかし、例外的に、フランス語をやっているときだけは、
「これ、英語だったら簡単に言えるのになぁ」
と思うことが多く、そのときばかりは自分の英語力の蓄積を
多少なりとも実感でき、シアワセな気分になれる。
……とても志の低い話で、すびばせん。

もう1カ国語は、続くかどうかわからないが中国語にした。
こちらも既にやったことのある、2011年春季講座の再放送で、
楊光俊先生の『おもてなしの中国語入門』だ。
ニュースを見ていると、昨今は、
日中関係が急速に悪化している、という報道が多く、
ネットなどに出ていることが間違っていないのだとすれば、中国では、
『日本』というだけで悪感情を抱く中国人も多いらしく、残念なことだ。
しかし私の側には、『中国』というだけで悪感情を抱く理由など無いし、
せっかく入り口だけでも知った中国語を忘れてしまいたくはないので、
再放送ではあるし、復習として聴いてみたいと思っている。

そういえば、漢詩の会は解散になったのだが、
来月から、また新しい指導者の方をお迎えして、勉強して行こう、
という話が、今、出ている。
会員某氏の御紹介で、新しい先生となって下さる方は既に決まっていて、
その先生のご専門の関係もあって、これからは、漢詩だけでなく
漢文全体を扱う授業になるだろうとのことだった。
御高齢の会員さんの中には、このたびの漢詩の先生の御引退に合わせて、
このあたりで勉強は一段落にする、と仰る方もあったが、
かたちは変わっても、ひきつづき漢文に触れてみたいというお考えの方も
何人もいらっしゃるようだった。
強制などは全くされていないのだが、私も来月のいつか、聴講してみて、
ついて行けそうなら、また勉強しに通うことにしようかなと今は思っている。

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さて、『みよし風土記の丘』に着いて、
私達は最初に、歴史民俗資料館に入った。
ロビーに展示されていた、地元神楽の写真を、まずM氏は熱心に見ていた。
彼は、昔から日本に興味があったために、能や狂言にも関心が強く、
「神楽は神事でしょ?能の祖先が神楽?」
といきなり答えにくいことを訊いて来たりした(爆)。
「直接には、古代に中国から伝わった猿楽や田楽が、
のちに、能・狂言に発展したと言われているのですが、
……神楽は田楽とは関係がありそうだけど、能と神楽の関係は、
……どうなんでしょう…(逃)」
と完全しどろもどろな、自称ガイドのワタクシであった(殴&蹴)。

それから常設展示室に入り、出土品や復元の展示を見た。
縄文・弥生時代から古墳が出現する時期に至るまでの、
土器や埴輪、青銅器・鉄器の発展についてや、農業の発達、等々、
私自身も随分と復習になった(笑)。

続いて、いよいよ外の古墳ゾーン散策に出かけた。
風土記の丘には、なるほど無数の円墳・方墳があった。
「古墳は、4~7世紀の支配者階級の埋葬用の塚で、
埴輪や宝飾品など副葬品も一緒に納められています」
「前方後円墳の最大のものは大阪にあります。
それは、以前は仁徳天皇陵と言われていましたが、現在は諸説があります」
と、私は、通訳ガイド試験のために覚えた懐かしい台詞を言ったが
M氏は既に、日本の歴史については十分な基礎知識があったので、
本当のところ、私の言ったことはあまり役に立たなかったと思う(爆)。

しかし、たったひとつ、M氏が、
「鉄器を使っていたというけど、材料の鉄はどこで取れたの?」
と訊ねたとき、私が、
「島根県に近い山地の川で取れた砂鉄から作りました」
と答えることができたのはポイントが高かった。
勿論、私は知っていたのではなく、そのへんの表示に書いてあった、
日本語解説を英語にしただけだったが(殴)。



風土記の丘には、古墳時代の遺跡ばかりでなく、
江戸時代の「旧・真野家住宅」(重要文化財)もあった。
これは中国地方を代表する古民家で、
もとは世羅町戸張にあったものだということだった。
さきほどから、園内の古墳や高床倉庫など、
暑い中、ずっと歩いて見学して来たので、
こうした屋根の深い日本家屋に入ると、途端に涼しくなって助かった。
ここはいわゆる日本式の住宅で、広い土間にクド(かまど)があり、
その上手に囲炉裏の設けられた茶の間、納戸ふたつ、座敷と床の間、
という間取りになっていた。
茅葺き屋根、入母屋造り……thatched、えーと、ああもう、なにroofだか(殴)。

「Ah, this is ……、Takara in Japanese?No?」
とM氏が軒下に触れて屋根部分を指さしながら言うので、
「屋根、ですか(^_^;」
と言ったら、
「ソウ、『ヤネ』!『ヤネ』!roof、ヤネ、デスネ!」
と日本語で喜んでいた。なぜ『屋根』が『宝』になったのか???
それで、そうだったM氏は日本語を勉強しているのだったと思い至り、
「お若い方でも、これだけ歩いたら、さすがにお疲れのようですね」
と私が日本語で言ってみたら、ちゃんと通じた(爆爆)。そして、
「疲レテナイデス。暑イダケ」
と巧い日本語で返してきた。
をいっ、それくらいできたら日本語遠足でも良かったんじゃないかっ(--#)。

しかし本当に、良い天気の残暑の中を歩き回って、大汗をかいたし、
くたびれたのは確かだったので、このあと我々三人はワイナリーに戻って、
喫茶店の外のパラソルのあるテーブルで、ソフトクリームを食べて休息した。
そして、M氏がこれまで日本で出かけた旅行先のことや、
今後、日本でやりたいこと、アメリカに帰ったら何を勉強して、
どういう順序でキャリアアップしたいと考えているか、などなど、
彼の過去と現在と未来の話を聞きつつ、こちらもいろいろ質問し、
ときどき彼の日本語力を試したりなんかもして(笑)、しばらく喋った。

三次バスセンター15時ちょうど発の、帰りのバスは、とても空いていた。
冷房の効いた、快適な座席で安楽に座り、
信号もなく渋滞もしない中国自動車道をまっすぐに走り続けていると、
とても気持ちが良くなり、朝からの疲れも出て、やがてM氏はお休みになった。
優しいK子さんがM氏の側の窓にそっとカーテンを引いてあげて、
西日が遮られると、ますますM氏は本格的にお昼寝になった。
最初はそれでも、私たちに気を遣って寝たフリしているのでは、とも思ったが、
M氏は途中から、もうすっかり口を開けて無邪気にお休みだった(^_^;。
それで、そこからは、K子さんと私のMoms' Talkの時間だった。
勿論、日本語炸裂だっ(爆)。

M氏「ZZZZZ………」

そして、オバさんたちの話をものともせず70分ほど爆睡したM氏は、
広島バスセンターのひとつ前の、中筋駅になると、
ムクっと起き出し、サングラスを外して窓の外を見、
「Uh……Where am I?」
と訊いた。どういう巧い体内時計になっているのか(笑)。

**************

無事に広島に帰り着いたM氏は満面の笑みで、
きょうは本当にありがとう、良い旅行だった、と言ってくれた。
そして、これから晩ご飯を作るからまっすぐ帰るよ、ということで、
市内電車かバスに乗って広島駅に向かうつもりだとも言った。
K子さんと私は、笑顔で手を振って、M氏を見送った。

偉い。なんとマメなアメリカ人なのだろう。
K子さんと私は、おもむろにバスセンター下のデパ地下に行った。
私たちは、もう、これから晩ご飯を作るつもりなど、毛頭なかった。
夕方のタイムサービスで、お弁当やお総菜を買い、
今夜はそれを並べて、晩ご飯ということにしようと目論んでいたのだった。
私たち二人は、その点でとっくに、完全な意見の一致を見ていた。

異国の青年とさんざん三次観光したのち、夕食は出来合い(^_^;。
それは、M氏が日本に来て驚いたという、
『家族のことを全部やってあげているお母さん』像から、
相当に隔たった姿であることは、間違いなかった(爆)。

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……というワケで、昨日は、だから「英語遠足」だった。
「明朝9:10、広島バスセンター切符売り場集合。私達のバスは9時半発」
と、集合時刻の予定を前日に(英語で・笑)メールしたら、M氏から、
「Sounds good! See you then!」
とノリの良い即レスが来ていたのだが、
昨日の朝、約束の時間が過ぎても彼は来ず、
もしや時間にルーズなタイプの外国人だったか…(^_^;?と
最初は少し、焦った。

しかし、M氏はいい加減な人ではなかった。疑って悪かった。
9時20分をまわった頃、駆け足で姿を現した彼は、かなり慌てていた。
遅れると思って、息せき切ってやって来た様子がありありだった。
彼が何か、言葉にならないことを言いかけていたので
(大阪弁でいう『いや、ちゃうねん…』みたいなことか(爆)?)
「大丈夫、まだあと7分あるから」
と私が言ったら、ようやく彼はホっとした表情になった。
そして、バスの切符も無事買って、やや落ち着いてからM氏が、
「昨夜あんまり寝ていない」
と言うので、忙しかったのかと訊ねたら、
「いや興奮してしまって」
と笑って答え、するとヨコから、K子さんまで
「私も」
と言った。

転妻「三次に行くこと考えて、眠れなかったんですか?」
M氏「そう(^^)」
K子さん「遠足楽しみな小学生みたいよね」
M氏「ホントホント(^_^;」

そうか、そんなに楽しみにしてくれていたのかっ。
ともあれ、間に合ったので予定通り9時半発の高速バスに乗った。
窓際からM氏、K子さん、私(は補助席)という順序で着席し、
バスは無事定刻に発車した。
それで、ツアコンよろしく私が、きょうのこれからのスケジュールを
『しおり』片手に確認しようとしたら、M氏が
「夕べ寝られなくて、今朝はバタバタして、バナナ一本食べただけ…」
と言い出したので
「それなら、先に三次ワイナリーへ直行して、ランチにしましょうか」
と私が予定変更を提案し、果たしてM氏はとても喜んだ。

三次までは80分弱ほどの所要時間で、快適な路線だった。
我々は騒がない程度に、気ままに愉快に喋って過ごした。
M氏は、アメリカにいたときから日本語を大学で専攻しており、
将来は大学院に進んで大学で教授職に就きたいとのことだった。
学生時代の副専攻は演劇だった、と彼が言うので、
「演技する能力は、教える仕事においても大いに力を発揮する」
と私が言ったら、彼は、まさに!まさに!と目を輝かせていた。

またM氏は、日本に来てアメリカととても違うと思ったのは、
お母さんが家族のことを、ひとりで全部やってあげていることだ、
と言った。

M氏「僕の家では、ママが家族全員のお弁当を作ったりしなかったよ」
K子さん「それぞれが自分で作るの?」
M氏「そう。洗濯も。自分の服は自分で洗ってた」
K子さん&転妻「え~?」
M氏「でも兄はあんまり洗濯はきちんとやってなかった。
 それで無断で僕のシャツを着たりして、『あ、それ俺の!』みたいな」
K子さん「彼女とは一緒に住んでいるの?お料理はどちらが?」
M氏「アメリカ人は基本的に半々にやるものだと思うんだけど、
 僕は料理が好きで、彼女は好きじゃないと言うから、今は僕が75%やってる」
K子さん&転妻「ほ~~(この人は、良い夫になれそうだな)」

……そんなこんなで、他愛もないことを喋っているうちに、
予定通り10時47分に三次バスセンターに到着し、降りてみると、
有り難いことに、呼ばなくても最初からタクシーがいてくれた
(ここと三次中央病院は、割と多くの場合、
タクシーの待機が期待できるそうだ@地元タクシー会社情報)。
御蔭で、我々は即座に三次ワイナリーへと向かうことができた。

ワイナリーは、平日昼だというのに、駐車場に車が既にたくさんあり、
団体の観光客も次々とやってきて、かなり賑わっていた。
M氏のご希望で、バーベキューでなく喫茶のランチに行くことになり、
食事をしながらここでも英語会話が続き、
これぞ、トータル・イマージョンの英語レッスンさながら(^_^;、
『全没入方式の訓練で、昼食時にも講師が同行します』
という某英語教室の宣伝文句を、私はつい思い出してしまった。
あれは、つまり、こういう状態のことだったのだな。
いや~、感謝せねばな(^_^;、今回タダでこんな英会話して貰って(爆)。
それから、ワイン売り場に行って、飲める人は試飲をし、
買ったお土産のワインボトルは重いので、自宅送りの手配をし、
更に、地下のワイン工場も見学した。

余談だが、ここでの雑談のとき、M氏は
ボジョレーヌーヴォーというものを知らないと言った。
「秋になって解禁日になると、日本のお店にも出て、たくさんの人が買う」
「フランスのボジョレーで、その年に収穫した葡萄で造った、
その年度の『新酒』のことです」、
等々と説明してみたが、彼は全く知らないと言った。
英語でもBeaujolais Nouveauだと私は思っていたが、
これでは通じなかったのだろうか?
それともアメリカ人の習慣には無くて知らないということなのか?
ちなみにここでM氏が、
「まだブドウを見てないよ。どこでブドウを作っているんだろうね?」
と言うので、ワイン売り場の人に尋ねてみたら、
ブドウ畑は、ここから車で5分ほど山のほうに行ったところにある、
ということだった。

さて、そのあと、我々はいよいよ、『風土記の丘』へ向かうことにした。
さきほど乗ってきたタクシーさんが、会社の番号を書いたカードを
降車時にくれていたので、そこへ電話して、
三次ワイナリーまで迎えに来て貰った。
乗ってみると、三次バスセンターからワイナリーまでの距離と、
ワイナリーから風土記の丘までの距離は、あまり違わないくらいで、
タクシーで7~8分、という感じだった(どちらも料金1200円ちょっと)。
朝からM氏とずっと英語で喋っている弊害(爆)がこのあたりから出てきて、
私は、タクシーの運転手さんに変な英語で御礼を言いそうになって焦った。

(つづく)

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……というわけで、ついに本日、「英語遠足」に行って来た。
計画が二転三転して、日取りも途中で変わったりしたので、
カナダ人R氏とその奥様はご都合がつかず、
更に、もうひとりの日本人生徒のYさんもお仕事があって来られず、
なんときょうは、M氏と、日本人K子さんと、私、の三人だった。
もうじき広島を離れるM氏の見学可能な日が最優先だったので、
今回はとりあえずこれで出かけるほかなかった。

いやはや、M氏を真ん中に三人で朝9時20分から夕方16時半まで
古墳を見てもワインを飲んでもソフトクリームを食べても、
四六時中、英語で喋り続け、私はしまいに頭がオカシくなった。
備北タクシーの運転手さんにまで、
しどろもどろな英語で礼を言いそうになった(爆)。
英語の巧いK子さんが居て下さらなかったら、
私は途中で発狂していたのではあるまいか(^_^;。

とにもかくにも、無事に行って来ることができた。
天気に恵まれ、大変スムーズな遠足になり、終わりよければ全てよし。
ワイナリーも風土記の丘も、満喫できた(^^)。

……疲れたので、詳しいことは、多分、また明日。

ぱたっ………

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今でも忘れられないのだが、大学時代、私の天敵だったのは、
英語表現法(=英会話)担当のB・ヒギンズ先生と、
英語講読担当のC・チャップマン先生の御両名だった。
どちらの授業も、先生のお話のなさり方が私には不快で不可解でならず、
しまいに「自分が英語など専攻したのは間違いだったか」と思い悩み、
悶々とした日々を少なくとも一年くらいは過ごした。
どこでそれが克服できたかの話は、長くなるのでここでは書かないが、
いずれにしても、今にして思えばお二人は、
私に英語表現の骨格となるものを与えて下さった先生方だった。
当時の私にはそれがなかなかわからなかっただけだった。

英文学科2年次の必修だった英語表現法という科目では、
毎回、英語のディスカッションをさせられ、
その日のテーマに沿って、進行役の学生が話を仕切り、
残りの者は英語で各自の意見を述べ、先生は間違いを直して下さったり、
もっと適切な表現がある場合にはそれを提示して下さったりする、
……という授業だった筈なのだが、ヒギンズ先生のはそれだけではなかった。
私たちが
「I think……」
などと、意見めいたものを何か言おうものなら、
「Why?」
「Why not?」
と間髪入れず突っ込んできて、
私達が黙ると、助け船を出すどころか
「What stops you?」
と畳みかけ、そのせいで教室がシーンとなったり、
曖昧な微笑でごまかそうとする学生がいたりすると、今度は、
『わからないことがあるなら、どこがわからないか言いなさい。
質問は?無いの?じゃ全部わかったの?ではどうして発言しないの?
英語を話す授業ですよ。あなたたちは何をしに来てるの?』
と、(英語で)真剣な顔で仰った。

チャップマン先生には、やはり2年次必修の英語講読で担当して頂き、
簡単に言えば現代文の国語の授業の英語版みたいなもので、
英語の小説や論説を読んで、背景を理解したり、登場人物の心情を考えたり、
という内容だったのだが、これがまた和やかに行かないのだった。
『主人公は、この場面で何を考えていると思う?』
などと振られて、私たちは例によって怖々と
「Well, I think……」
と自分の考えを言い始めるのだったが、先生は聞き終わった途端、
「Why do you think so?」
と笑みを浮かべつつもヒギンズ先生同様のツッコミをなさり(^_^;、更に、
「Too general! Be more specific!」
と、よく仰ったものだった。
『もっと明示的に言いなさい、曖昧過ぎて意味がわからない』と。

「違和感がある」はマズい(BLOGOS)
『…というのも、この「違和感がある」というコメントというのは、向こうでは単なる感情を表現しただけの言葉であり、まったく論理的だとみなされないからです。』『では論理的で知性の高い人物は議論の時にどうすればいいのかというと、「なぜ違和感があるのか」を説明しなければならないわけです。そしてそれを説明できなければ、単なる「無能」と見なされてしまいます。』

上記の文章を読んでいて私は、「そうだ、英語だったらそうだな」と
久しぶりにヒギンズ先生とチャップマン先生のことを思い出した。
話題にもよるが、少なくとも日本語で話しているときだったら、
『違和感がある』と誰かがコメントを出しても、それで通るし、
ましてその場の人達の感覚の中で、
「そりゃ賛成できんという人がいるのも、まあ、わかる」
となんとなく(!)思える話なら、発言者は理由など説明せずとも、
『無能』だなどとは、ほぼ誰からも思われないだろう。
というより、一から十まで言葉にしないと気が済まない人のほうが、
むしろ、日本的に言えば『無能』かもしれないのだ。
言い過ぎるのはクドいし、言われなくとも察するのが知性、だと。

私は、『海外で(=英語圏で)こうだから、日本人は学ぶべき』
という論調を、必ずしも支持しない。
日本での考え方や話の仕方が、現在のようになったのには、
それなりの経緯があるのだし、日本にいる者なら理解できる事柄も多く、
それらをすべて古いと見なしたり、
ことごとく欧米流に改めて行くことが「進歩」であるとは私は思わない。
郷に入っては郷に従え、ではないが(笑)、
ヨソからは理解不能でも、その土地においては優先されること、
というのはある、と私は思っている。
カドを立てないよう、和らげた表現で曖昧に喋っているうちに、
はっきり言わなくても、なんとなく結論めいたものが皆の間で共有される、
という方式は、今もなお大多数の日本人の感覚に添っていると私は感じる。

ただ、英語を使うときには、日本流ルールでは通用しないことが多い、
ということは、知っておくべきだ。
英語を喋るときに、日本的な「察し」を求めていても相手には全く通じないし、
日本語話者は、それを踏まえて英語国民に合わせた話し方をしないと、
一方的に『無能』と見なされてしまっても、仕方がないと思うのだ。
ヒギンズ先生が仰ったように、何か述べたら、言いっ放しでなく
必ずbecause~で理由を説明しなければ、相手には理解されにくいし、
またその内容も、言うまでもない式の感覚優先の話でなく、
チャップマン先生が要求なさったように、いちいち明示的でなくてはならない。

つまり私は、日本で日本語を使って話しているときは、
「やっぱりなんだか違和感があるんですよね」
「ですよね」
でまとめる会話は、アリだと思っている。
これだけで、話し手の「なんだか納得していない」気分は表現できているし、
その理由も聴き手にだいたい想像がついているという状況だからだ。
ここを深追いしていては、日本的には流れの良い会話にはならないだろう。
しかし英語で話をするときには、
「私はその考えに同意しません。なぜならば、以下の点について――」
という順序で喋ることが必要だと思う。
話し手側の前提が、聴き手にも共有されていると期待してはいけない。
話し手が、『なぜなら』抜きで自分本位に話を展開しておいて、
『どうして』『なぜ』と次々に質問が来たらムっとするなどというのは、
英語としては、なっていないのだ。

……というふうに、話し方を言語によって使い分けている、と私が言ったら、
某アメリカ人は『キミはダブル・スタンダード』と言いやがったのですよ(爆)。
しかし、私にしてみれば、自分の考えや主張内容はどちらの言語でも同じなのだ。
単に、表現の方法や順序が異なっているだけで。
日本で「なんで?」「どうして?」を毎回やったら、めぐりの悪いKYだし、
アメリカで「違和感あるんで」「常識で考えて」とやっていると『無能』なワケで、
シングル・スタンダードを押し切るのは、私には無理です~~(逃)。

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「英語遠足」計画の話のつづき。

そういうわけで、『みよし風土記の丘』に行くことになった我々である。
あれから皆の都合を確認し合って、決行日は来週の某日と決まった。
それで私は、昨夜までにネットであちこち検索して、
『風土記の丘』サイトから資料をプリントアウトし、
高速バスの時刻表や三次からの乗り換え案内を印刷し、
現地情報も少々リサーチし、三次市内タクシー会社も調べ、
それら諸々をまとめて即席の「しおり」モドキを作って、
参加者の面々にきょう配布した。
互いの携帯番号とメアドの交換も、した。

予定としては、来週某日、朝9時半に広島バスセンターから高速バスに乗り、
三次バスセンターまで行き、バス乗り継ぎ、或いはタクシーで目的地へ。
やはり「墓を見に行く」というのが当初の話のとっかかりだったので、
園内でも特に『古墳ゾーン』は必見と思われる。
ここは、七ツ塚古墳群・浄楽寺古墳群など、各種円墳・方墳のある、
西日本では最大級の古墳ゾーンが、見学可能なように整備されているのだ。
ほかにも帆立貝形古墳日時計とか、横穴式石室なども見られるようだが、
そのあたりは、まあ、当日の気温や我々の耐久力次第ということで(汗)。

お天気に恵まれなかったら困る、というのが不安材料ではあるのだが、
バスも見学も全く予約制ではないから、大荒れになれば当日中止するとして、
普通程度の雨なら、最低限の遺跡観光と、資料館見学は出来なくはないだろう。
そう思って、今はまだ、スケジュール変更について厳密には考えていない。
天気のことは、早くから思い煩ってみてもどうしようもないだろうし。

そして、もしかしたら結果的にはこちらがメインになるかもしれないが、
天気に関わらず、『みよしワイナリー』にも寄ることになっている。
『風土記の丘』見学のあと、ちょっと遅めの昼食、
という流れになれば、一番良いのではないだろうか。

広島 三次ワイナリー

風土記の丘からほど近く、バスでもタクシーでも簡単に行ける距離で、
ここなら、ワイン博物館もあるし食事もできるし、お土産も買えるし、
万が一、『風土記の丘』がハズレでも(殴)、
ワイナリーで遊べば、帳尻が合うのではないかと私は思っている(殴殴)。
提案しておいて、私自身は全くアルコールを飲まないのだが、
まあ、見学は楽しそうだしソフトドリンクもあるし、
家族のためにワインを買って帰るのも、悪くないだろう。

……っていうか、あれからよくよく考えてみたら、思い出したのだが、
そういえば私は一応、通訳ガイドだったのだよね(爆)。
現地に行ったこともない、実働したこともない、自称ガイドさん。
こんなんアリか(^_^;。
とりあえず、大学の後輩の中に広島在住で先輩ガイドの人がいるので、
これから彼女にメールを送って教えを乞おう。
彼女が三次を案内したことがあると良いのだがな~~(他力本願)。

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突然ですが。
ワタクシいつぞや、エゲとアガの話を、したやないですか?
(2012年7月30日:恵下山に行こう(いずれ。今は暑い)
あれから、あの話が予想もしなかった方向に発展してしまい、
どうやら来月中に、私は「英語遠足」をするハメになりそうです。

**************

コトの起こりは、週1で通っている英語教室でのことだった。
今月の初め、何の流れだったが、古代史の話題になったときに、
私はついつい、
「広島市内にも古墳時代の遺跡や住居跡の復元があります」
と自分でも調べたばかりの話を披露した。
アメリカ人講師のM先生も、ほかの出席者も、誰もそれは知らなかったので、
そんなものがあったのかと、皆、なかなか喜んで聞いてくれた。
そして、「それは見学可能です」と私が言ったものだから、
だったら、そのうち実際に行ってみようよ、という話になった。

しかしその時点では私は、まだあまり深く考えていなかった。
全く行くつもりのない社交辞令ではなかったにしても、
『今度いっぺん行こうや!』
という話は、えてして、その場の勢いで終わってしまうものだ。
現実には、皆それぞれ予定があって忙しいものだし、
具体的に決めなかった以上、本当に実現する可能性は低いだろうな、
という程度に、そのときの私は考えていた。
まあ、行ければ行く、くらいのこと。当分の間、予定は未定。
だいたい、今はまだ毎日暑いし……。

ところが、アメリカ人にはそんなニュアンスは全くなく、
まさに、「文字通り」だったのであります(^_^;。

「ヨシコ!古墳、見に行こう、いつが暇?9月○日はどう?」
と先週、アメリカ人講師M氏は、手帳を片手に、陽気に私に言った。

えっっ。行くの?ホントに?もう?

そうだった。
長らくアメリカ人と私的な付き合いがなかったので、私はうっかりしていた。
彼らは、例えば日本語からの直訳風英語で、日本人から、
『是非、我が家に一度、お越し下さい』
などと言われようものなら、まんま、
『一回のみ、招かれている。二度目は無いらしい』
と考える人々だ。つまり、この考え方で行くならば、
『今度、行ってみましょう』
となった以上、今月か来月か、そう遠くないうちに本当に出かけるのが、
英語としての「筋」というものだった。
行きましょうと言ったくせに、いざ行こうと言われて意外そうにするなんて、
ロジックとして、全然なっとらんのだよ>自分(^_^;。

ほんなら、行こうやないか、この際。

ところが、M氏は、やや、誤解もしていた。
恵下山は安佐北区で、広島市内の北寄りの場所だ、
と私が前回言ったのを覚えていて、
「広島の北部の、古墳だと言ったよね?ってことは、三次?庄原?」
と彼は言った。
うぅむ。三次市や庄原市となると、それはもう広島市内ではない。
既に「広島県の北部」になっとるぞ(^_^;。
いや、最初の私の英語が、その程度にいい加減だったとゆーことか(爆)。

しかしこれがまた、ひとつのきっかけになった。
県北まで出かけてみても良い、という勢いがあるのなら、
広島市内の恵下山で手を打つよりも、いっそのこと、
「みよし風土記の丘」に行ってみられるではないか、と私は思いついた。
恵下山も悪いとは言わないが、ごく小さな遺跡とその復元に過ぎないから、
わざわざ出向いて行っても、見るのは短時間で終わってしまう。
それなら、多少遠くても三次市の「風土記の丘」のほうが、
西日本最大の古墳群が見られるし、資料館もあるし、
天気や時間や体力に応じた散策コースも選べて、良いのではないだろうか。
私も話に聞くだけで行ったことがないので、どんなところか興味があるし、
M氏だって、もう広島滞在期間はあまり残っていないと言っていたから、
こういう機会は、今後、二度とは無いかもしれないではないか。

広島県立みよし風土記の丘・広島県立歴史民俗資料館

ということで、本日、この「みよし風土記の丘プラン」を
改めてクラスで提案してみた。
果たして、OKだった。
M氏も、同じクラスの日本人生徒のK子さんも、
更にカナダ人講師の先生も参加したいと申し出て下さって、
午前中に広島バスセンターから出て、90分くらいで三次市内に着いて、
あとは路線バスかなんかで現地まで行けば良いだろう、
という話が、簡単にまとまった。

よしっ。来月某日、三次ツアー、ケテーイ♪

それでさきほど帰宅して、私は早速にネットで、バスの時刻表を調べてみた。
三次方面まで行くなら、高速バスでないと駄目だろう。
昔、松江転勤の頃によく広島との往復で乗った、一畑電鉄のバスなんかが、
この路線ではなかったっけか。懐かしいなぁ。
検索してみると、広島―三次は、1時間に2~3便出ていることがわかった。
試みに鉄道を検索してみると、JR広島駅―三次駅では「みよしライナー」が
所要時間としては84分で最速ではあったが、日に二往復くらいしか無いし、
かと言って各停に乗ったのでは、100分超の乗車時間になってしまうから、
やはりバスのほうが何かと便利であるように思われた。

さて、広島バスセンターから三次バスセンターまで、高速バスに乗る、
……と、これは良いとして、問題はその次だ。
「風土記の丘」へ行くには、三次バスセンターから
更に乗り換えをしなくてはならないのだ。
三次市内のバスって、どこの会社になるのかな?と思って調べたら、
備北交通、または中国バス、であることがわかった。
そして、なななんと、風土記の丘発着は、日に4便しかなかった。
そういえば、青森のJR野辺地駅から六ヶ所村スワニーまでの路線が、
下北交通バスで一日4便
という話が、確か、あったよねえ(^_^;。

これは接続をちゃんと考えて出発しないと、えらいことになりそうだ。
乗り換え後は20分で着くようだから、さほど遠いとも思われないが、
それにしても、三次バスセンターというのは、どんなところなのだろう。
乗り継ぎ便を逃した場合、タクシーをすぐ拾えるような場所だろうか。
かつて広島―松江をバスで往復していた頃に、毎回通過していたとはいえ、
休憩所は島根との県境の赤名峠だったし、私は三次で降りたことがなかった。
松江から、中国山地を越えて三次まで来ると、
とても開けた街に出た、という気分になったことは覚えているのだが、
バスセンターというのは、サービスエリアくらいの感じだろうか?
いっそ、余裕を見て早めに着いて、ここで一旦休憩したり食事したりして、
改めて路線バスに乗って風土記の丘に行く、というほうが賢いかしら?

……と思って、「三次バスセンター」で検索してみたらば。
バスセンターと名乗っているものの、発着箇所は一箇所しかない。
そのため○番乗り場という番号なども当然ながら存在しない。
待合室の中にはトイレと売店、自動販売機などがある。
』(Wikipedia)

すみません、思いっきりナメてました(逃)。

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9月号が来た。
いよいよ来月で、今年度前期が終了するということだ。

今年度上半期は、5月にポゴレリチ来日騒動で頭が変になって、
初夏から真夏にかけて本当にサボり倒したので、
中国語でまず簡単に脱落し、次いでスペイン語も駄目駄目になった。
フランス語はさすがに学習歴が長くなったので、初級編は大丈夫だったが、
応用編は、やはりただの聞き流し状態に陥って久しい。
後期は仕切り直して頑張ろう、と思うものの、
後期初級編は、あの『とっちらかって頭に入らない』という評判の、
クニパト、こと國枝先生とパトリス・ルロワさんコンビの再放送だ。
またしても笑っているうちに、なんだか半年終わってしまうのか。
どうなる、私のフランス語(汗)。

***********

前期番組が終わる、ということは、つまり、さくら・百合の話も、
とうとう9月号テキストの最後で一応の完結を見るわけだ。
テキスト(の和訳部分)を流し読みしてみたところ、
姉のさくらは、10月から大学で日本語を教えることになったそうだ。
マンガやアニメなど日本のオタク文化に惹かれ、
日本語を学びたがっている学生がフランスにはたくさんいる、
とジュリアンもさくらも言っている。

ちなみに、ジュリアンとさくらは、来年、結婚式を挙げるとのことで、
式に来てね、と百合に言っているのがジュリアンなので、
この件は、さくらひとりの先走りではないようだ。
百合は、ここまで2ヶ月半、フランスに滞在し(長っ!!羨ましい!!)、
今回の旅行を通して、フランスの様々な面をじかに見ることができ、
また、日本の良さも再発見できた、と最終話で総括し、
「いつか日本とフランスの架け橋となるような仕事が見つけられたら」
と、将来の夢を語っている。
外交官の娘で親の代からフランスには因縁浅からぬものがあるのだから、
それこそ百合には相応しい仕事だろう。
……しかし、この不況だぞ。『いつか』なんて言ってる暇はあるのか。
百合は学生でなく『無職』だと、シリーズ冒頭で自ら言っていたよな??
がんばれ百合、就活!!

***********

ところで、百合と、姉夫婦(←事実上)、ピエール夫妻の夕食時の会話で、
フランスにいると日本の何が恋しくなるか?という話題が出ている。
東京滞在経験のあるジュリアンは、「パン、ケーキ、チーズ」を挙げ、
フランスにもあるが、日本のものと違うし値段も高い、と言っている。
一方、さくらは、「大福、せんべい、カラオケ」と言ったあと、
「でも一番欲しいものは、温水洗浄トイレ(les toilettes-bidets)」
だと述べている。
……お食事中に、いきなりビデなんて言われたら、
日本の食卓なら雰囲気が途端にシュ~~~……という感じやね(爆)。

折しも数日前に、Twitterの私のTLでは、
シャワートイレの是非に関する話題が出ていたが、
あれは確かに、ひどく日本的な発想のものなのだろう。
私の意見では、温水洗浄は、健康人ならば無くても問題は無いし、
マンションやオフィスビル、ホテル、百貨店など、
どこもかしこもウォシュレットを初期設定にしなくても良いだろう、
とは、感じている。
車椅子用トイレのように、一画にひとつウォシュレット個室がある、
という程度で数としては十分ではないかと思うのだが、どうだろうか。

一方で、あれは「拭くのをサボってシャワーに洗浄させる」のとは
根本的に異なる機能を果たすものでもあるので、
医療用やそれに準ずる装置としては、
私はシャワートイレを非常に高く評価している。
さくらに負けずにセキララに言ってみるならば、
私がこのことを体で痛感したのは、出産直後だった。
それまでの私は、ウォシュレットなんて堕落した人間の使うものだ、
とせせら笑っていたが、自分が普段と違う体になって初めて、
あの装置の、本当の意義と使用方法と、偉大さがわかった。
御蔭で、それまでの日々の痛みと辛さが、ひとつハッキリと解決できた。
理解できない・必要ない、という考えの人にまで押しつける気は毛頭ないが、
ああしたトイレで救われる人もまた、確かに存在するのだ。
この発言をしたさくらも、産後だよな。気持ち、よぅわかるぞ。
日本は、シャワートイレの灯を消しては、ならんよ(笑)。

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仏語検定を境に語学に関しては正気に戻りつつあり、
最近は、フランス語とスペイン語を一応、聴いている。
今年度後半はこのまま続けるか、またはフランス語だけにして、
そのかわり精度を上げたいと思っている。

そんなことより、今、目が離せないのは『まいにちフランス語』初級編だ。
今年度の上半期は、3年ぶりに藤田裕二先生とシルヴィさんの担当で、
前回シリーズの主人公さくらの、妹・百合を中心とした物語なのだが、
7月から、姉・さくらもついに再登場したのだ。
ご記憶の方もいらっしゃると思うが、前シリーズは実に面白かった
さくらは、あのあと2009年3月号で、ついにパリに乗り込んだ。
ホテルに着いて彼女は早速ジュリアンに電話をし、
お愛想か本心か知らないが、『早くあなたたちに会いたいわ』と言い、
結局、ジュリアンと恋人ソフィーと、さくら、の三人で、パリで遊んだ。
最終回は旅の終わりにさくらが別れを惜しんで?涙ぐみ、
ソフィーが『さくら、あなたは来たいときに来て良いのよ』と優しく寄り添い、
ジュリアンも『僕らはいつでも大歓迎だよ』と笑顔を見せたものだった。

さて今シリーズの冒頭では、今度はさくらの妹・百合がパリにやって来た。
よくよくフランスとフランス語に縁のある姉妹なのだが、
それもその筈、なんと実は、この姉妹の父は外交官であり、
彼女たちは過去に10年間フランスに住んでいたことがあるのだそうだ。
そんなん今年初めて知りました、私。
このあとのスキットでも触れられることだが、姉妹のフランス語は完璧らしい。
姉さくらがジュリアンと初めて会ったとき、フランス語が出来るかと訊かれ、
un peu(少し)、などと言っていたが、ヤなヤツだったんだねえ、本当に。

それはともかく、ド・ゴール空港に着いて、百合はタクシーに乗り、
 運転手『日本の方ですか』
 百合『ええ、そうです』
 運転手『東京からいらしたんですか』
 百合『いいえ、仙台です』
 運転手『学生さんですか?』
 百合『いいえ、無職なんです』
と、かなり厳しい会話をした上で、パリ市内に入った。

百合もまた、着くや否やピエールという男に電話をして呼び出したが、
彼は妻帯者で、ここには三角関係の気配は無さそうだった。
それからパリを観光し、Japan Expoを見に行ったりもして楽しく過ごし、
百合は6月号の最後に『姉のさくらに会いに来週レンヌに行く』と発言した。
さくらは、この4年間のうちに、とっくにフランス在住になっていたのだ。
ちなみに百合は、ピエール夫妻とも姉の紹介で知り合ったらしかった。

さてさて。それで。
翌7月号にて、『お姉ちゃん!』と思わず日本語で再会した、百合とさくら。
さくらは、どーなっていたと思います?
やはり、彼女はあのまま引き下がるような甘い女ではなかった。
さくらは、いつの間にかジュリアンと同棲し、それどころか、
9ヶ月前にはアンジュという娘まで生んでいたのだった。そして、
『子供ができたから、私たち結婚を考えているの。そうでしょ、ジュリアン?』
と、もう逃さないわよ状態の、マダームさくら。母は強し。
On y pense, c'est vrai.(うん。そうだよね)、
とビビりながらも、観念せざるを得ないジュリアンであった。

ちなみに、かつてジュリアン自ら、une petite amie(恋人)と紹介していた、
あの美貌のソフィー嬢、
『さくら、あなたは来たいときに来て良いのよ』、
などと、日本女にちょっと寛大に振る舞ったツケは高くついたな、
と私は勝手に思ったが、彼女がまた見上げた女だった。
ジュリアンの話によると、彼女はジュリアンと別れたあと、
なんと今は京都で、浮世絵師と暮らしているのだそうだ(2012年8月号現在)。

なんかもう、ロックなヤツらばっかりで、オバちゃん開いた口が塞がりません。

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