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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



●速報!!2016年 アーティスト来日情報(2015/08/18 | KAJIMOTO音楽日記)

KAJIMOTOより2016年12月のポゴレリチの来日予定が発表された。
今度の年末ではなく、もう1年あとだ。
こんな先の話になると、何かとカブっているかいないかなど
全く予想がつかない。
ポゴレリチの来日がこれほど早く決定・公表されるのは、
近年には無かったことだ(昔はあった)。

以前、ポゴレリチ自身が公式サイトで発表していた今後の演奏予定曲目によれば、
2016~2017年に関しては

 ショパン:バラード第2番、スケルツォ第3番
 シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化 作品26
   (休憩)
 モーツァルト:幻想曲 ハ短調 K. 475
 ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ第2番

という計画になっているようなのだが、果たしてこれが1年数ヶ月後にも
全く変更されないかどうかはわからない。
しかし勿論、ポゴレリチが弾くのであれば、何であっても私は楽しみだ。
どのような様式の楽曲であれ、彼が手がける以上は、
聴き手にとっても新たな発見に満ちたものになるだろうから。

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翻訳ではなく「日本語になおしなさい」レベルですが、とりあえず載せます(汗)。
英語力が及ばないことに加えて、書き手の芸術的な興味の方向に同意できず、
何が言いたいのか読み取れない箇所が多々ありました。申し訳ありません。
ピアノ批評の分野で有名な批評家による文章ですので、
私の語学力と感性とが駄目過ぎることは明白です(泣)。
もっと良い訳が、どこかほかから出てくれることを願っています(殴)。

**************

2006年にドイツグラモフォンから二枚組CD「The Genius of Pogorelich」が発売されたとき、ついていたのはよくあるブックレットではなく、ある美しい青年のポスターだった。そこには、濃い眉に茶色の髪、ジーンズとトレーナーを身につけ、瞳にかすかに憂いをたたえて無造作に腰掛けた若者の姿が写っていた。これが、若き日のイーヴォ・ポゴレリチの肖像であることを知らない者が見たら、どこかのバンドのメンバーかと思ったかもしれない。同様に、今回のボックスのケース写真からも、現象としてのポゴレリチ、という面が更によく伝わってくるのではないだろうか。1980年、彼はその非凡な演奏で大きな物議を醸して音楽界の一角を占拠したが、それだけでなく、その魅力ある容姿ゆえに、従来のクラシック音楽ファンよりもずっと幅広い層の支持を集めた。彼を、クラシック音楽という天空に現れた新星として歓迎した者もあった一方で、あっという間に燃え尽きる流れ星に過ぎないのではないかと懐疑的だった者たちもいた。しかしポゴレリチは、――1958年10月20日ベオグラード生まれだから今年で56歳になるわけだが、今もなお、かわることなく論議の的となっている。そしてなおかつ、彼の録音の多くは現在「ベンチマーク」的解釈としてのステイタスを欲しいままにしている。かつての若き反逆者は今や一目置かれる存在となり、いつのまにかひとつのプロセスとしての地位を確立したようである。

1980年夏まではポゴレリチの経歴はさして華々しいものではなかった。父親はクロアチア人のコントラバス奏者で、ポゴレリチは7歳でピアノを習い始めた。その5年後に給費生としてモスクワへの留学が認められ、16歳で中央音楽学校からチャイコフスキー音楽院へと進み、この間、エフゲーニ・ティマーキン、ヴェラ・ゴルノスタエヴァ、エフゲーニ・マリーニンらに師事した。しかしポゴレリチが、彼に決定的な新しい指針を与えることになるピアニストと出会ったのは、1977年になってからである。彼女は以後ほぼ二十年に渡り、彼の音楽家生活に多大な影響を及ぼした。彼女こそアリス・ケジュラッゼ(1937-96)である。ケジュラッゼ自身の師事したピアニストは、リストの高弟アレクサンドル・ジロティの直弟子であった。ポゴレリチとケジュラッゼはモスクワのとあるパーティで出会ったという。マティアス・ネーターが2014年1月にベルリン・モルゲンポストで行ったインタビューによると、ポゴレリチは以下のように述懐している。
「彼女がやってきたとき、私はほんの少しピアノを弾いていただけだったのに、彼女は私に、手の位置を変えたほうが良いと言いました。私は言葉もないほど驚いて彼女を見つめました。」
ネーターによると、ポゴレリチはそのとき、この女性からなら、自分がモスクワの著名な教師たちからこの六年間学べずにいたものをきっと学び取れる、とすぐに感じたという。
「私が自分の手のポジションを変えようと思ったのは四回目のことでした。数ヶ月後に初めて、彼女と私は並んで座り、ベートーヴェンのソナタから勉強を開始しました。四小節をやっと終えるのに、三時間かかりましたよ。」

21歳年上のアリス・ケジュラッゼは、弟子となったこの青年と1980年に結婚し、彼を成功へと導いた。彼は1978年に既に、イタリアの都市テルニで行われたアレッサンドロ・カサグランデ・コンクールで優勝し、その二年後、モントリオール国際音楽コンクールをも制したが、彼を本当に国際的に有名にしたのは、落選したコンクールのほうだった。それは、1980年にワルシャワで開催された、ショパン国際ピアノコンクールだった。批評家から「エキセントリック」として否定された特異なショパン解釈ゆえに、ポゴレリチは本選に残ることさえできず、協奏曲を演奏する場を得られなかった。自身もピアノ界での偶像的存在であるマルタ・アルゲリッチはこれに対し、「彼は天才よ!」の言葉を残して審査員を辞任した。間違いなく、この出来事のお蔭でポゴレリチは、コンクールで普通に優勝するより遙かに広く、その名を知られることになったのだ。誰もが「音楽の革命」を聴きたがり、ポゴレリチはそれから世界中に招聘されて協奏曲やリサイタルの演奏を行った。更に、ドイツ・グラモフォンが、伝統的には、ポリーニ、アルゲリッチ、ツィメルマンなど歴代のショパンコンクール優勝者と契約してきたにも関わらず、これを機に、コンクールで落選したために最も有名なピアニストとなった、この若い男に賭けることを決断した。

当然のことながら、ドイツ・グラモフォンはこの新星をオール・ショパン・プログラムで世に送り出した。たった二日間のレコーディング期間で、ポゴレリチは、前奏曲、夜想曲、3つの練習曲、スケルツォ作品39、そしてリサイタル最大眼目としてショパンのソナタ変ロ短調作品35を録音した。収録はミュンヘン・レジデンツのヘルクレスザールで、1981年2月7日と8日に行われた。この録音に対して批評家たちの陣営は真っ二つに分かれた。ポゴレリチの、変ロ短調ソナタの解釈は彼の個性的なショパン奏法の好例であろう。第一楽章は驚くべき独自の演奏方法に成功している。第一主題と第二主題のコントラストをポゴレリチほど力強く描き出したピアニストはおそらく他にいまい。彼はアジタートの箇所で途方も無い技巧の高さを披露している。右手の八分音符は休符で区切られているが、ポゴレリチはほかのいかなる弾き手よりもこれを短く演奏する。ポゴレリチの登場以前には、誰も、この主題がかくも悩ましく、息つく暇もないほど表情豊かな方法で演奏されるのを聴いたことがなかった。そして、ポゴレリチがそのようにとてつもない技巧を見せつけるのは第一楽章にとどまらず、第二楽章スケルツォでのオクターブや和音にも彼の目覚ましいテクニックのエッセンスを聴くことができる。終楽章プレストの無窮動においては、ポゴレリチは旋律線の展開を追求し、三連符オクターブを処理するスピードの点で妥協することなく、どこに照準を合わせるかを示してみせる。ポゴレリチのショパンはその究極のテクニックと崇高な響きと、そして何より演奏者の壮大なまでの音楽的想像力において、他の追随を許さない。彼は原典版の微細な部分への関心に捕らわれることなく、結果としてこのソナタの反復指定をすべて意図的に回避したけでなく、ショパンによる強弱表示を見事なほど黙殺している。

ポゴレリチのディスコグラフィーにおいては、ショパンが中心的な役割を果たしており、彼の三枚目のアルバムは1983年、クラウディオ・アバド率いるシカゴ交響楽団との共演で録音され、このショパン・ピアノ協奏曲第2番においてポゴレリチは、極端に幅広いルバートを駆使した演奏で再び聴き手の注目を集めることになった。ドイツグラモフォンでの彼の最後の録音となっているCDは、ショパンの四つのスケルツォへの彼の解釈に、不朽の名声を与えるものとなっている。フォノ・フォーラムに寄稿しているミカエル・ステンゲルによれば、この四つのスケルツォは「演奏者の手と詩情とが理想的な組み合わせとなって、同時代のいかなる演奏家をも凌駕し、文字通り聴く者の心を奮い立たせる解釈」を構成しているということだ。しかしポゴレリチの最も有名な録音は1989年のショパンの作品28『24の前奏曲』で、この曲からポゴレリチほど多彩な切り口と色合いを引き出すことのできたピアニストはおそらく他にはあり得ないだろうと思われる。ポゴレリチにこのようなことが可能であるのは、枠に捕らわれないテンポ設定と、アーティキュレーションの細かな部分において驚くべき自由さを確立する、高度に個性的なアプローチによってである。

ポゴレリチのドイツグラモフォンへの録音は数多いものではないかもしれないが、それらは確実に様式的な幅広さを持ち、バッハやスカルラッティからモーツァルト、ハイドンへ、そしてベートーベンからシューマン、リスト、チャイコフスキー、スクリャービンへと広がりを見せている。いずれも81年から95年までの間の録音であるが、どのディスクも未だに熱い議論の対象となり得るものばかりだ。聴き手を興奮させない録音はひとつとして無い。そして、世の中に無数にある没個性的で名も無い音楽を尻目に、彼のディスクは一枚残らず際立っている。無論、これはポゴレリチのピアニズムが群を抜いたものであるがゆえである。ピアニシモは夏のそよ風のように優しく、他方フォルティシモは威力と音量を誇っている。ディナーミクやアーティキュレーションという観点でのポゴレリチの、いくつもの名状しがたい独自性を考えると、鋭利なスタッカートから見事に深く描かれるポルタート、歌うレガートを持つ彼の演奏は、レコーディングの限界を知らぬように思われる。

こうした資質はすべて、バッハやスカルラッティの音楽の、見事に計算された録音において極めて効果的に現れている。彼のスカルラッティは――あるときは明るく陽気で、またあるときは憂鬱に病み衰えた顔を見せるのだが――いかなる点においても、ホロヴィッツの有名な解釈と並ぶ価値を持っている。ちなみに付け加えるなら、ポゴレリチの見解では、ホロヴィッツは学ぶべきもののある数少ないピアニストのひとりだということだ。また、ポゴレリチのバッハの批評において、評論家のクラウス・ベネルトは以下のように的確に言い当てている。
「高度に様式化された踊りと、表現力に富む動きと、感情とを兼ね備えたバッハの組曲の世界は、明らかにポゴレリチに適している。ポゴレリチの本領といえる箇所においてだけでなく、ピアノと解釈上の能力の、まさに頂点においても。」

心地よく鳴り響き、ときに強く心酔わせてくれる、ポゴレリチのラヴェルの録音もまた同様に繰り返し聴くに値する。プロコフィエフのソナタ6番でも、このピアニストは真骨頂を発揮している。ポゴレリチは、1940年2月に完成されたこの作品の中にある強烈なコントラストを決して軽視せず、なおかつ、野蛮な響きをあとかたもなく断ち切っている。作品中、最も曰く言い難い部分の響きを描き出す彼の能力は、ブラームスにおける詩的かつ歌の流れるような解釈にも見られる通り、圧倒的である。

ムソルグスキーの『展覧会の絵』では、ポゴレリチが、信じられないほどのゆっくりとしたテンポを採り、楽譜を無数の色合いで音にしながら限りなく自由な演奏をしていることがわかる。そして、リストのロ短調ソナタという偉大な作品からは、このクロアチアの巨人の手にかかると内心の惑いなどほとんど聞こえてきたことがない。遅いパッセージと速いパッセージの両方でポゴレリチの採用している極端なテンポでさえも、このピアニスト特有の印象を生み出している。

著書『Great Pianists of Our Time(1982年版)』でヨアヒム・カイザーは、イーヴォ・ポゴレリチについて次のように書いている。
「重要なのは、彼に何ができるか、ではない。これはほんの始まりに過ぎないのだから。大切なことは、彼がアイディアをいくつ思いつくか、音楽と自分自身に対してどれほどのことを要求するか、なのだ。つまり、我々は本気で彼に注目しなくてはならない。彼は尋常でない魅力を発散する、途方も無い才能を持ったピアニストである。要するにポゴレリチは、面白くてたまらない存在、ということだ。」
ここに集められた録音に照らして考えてみれば、このカイザーの言葉に付け足すことは何もない。


グレゴール・ウィルムス
(英訳:スチュワート・スペンサー、仏訳:ダニエル・フェスケ)

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グラモフォンから出たポゴレリチの全集CDボックスに、
長々とした(殴)解説が英語・ドイツ語・フランス語でついていたので、
連休で時間があるし、ひとつ訳して拙サイトにUPするかと取りかかり、
きょう半日で大半はできたのだが、
集中してキーボードを打っていたら手首が疲れた。
英語を読んで手が痛くなるなんて話を、私の若い頃に聞いたなら、
まさに、風が吹けば桶屋が儲かる的な意味のわからなさだっただろう。

原文がドイツ語で、私が参照したのは主に英訳版だったが、
事実関係を記した箇所が平易に感じられたのに比べて、
芸術論や解釈の話題の部分は、かなり読みにくかった。
第一には私の英語力が足りていないことが理由ではあるのだが、
それにしても、抽象的な話を主観をもとに語られた外国語は
本当に意味不明だと思った。
ポゴレリチの演奏を聴く者としての私自身は、
この書き手が力説している箇所には
実のところ、ほとんど関心がないように思われた(汗)。
CDの解説だから、主旨としては一貫して褒めているわけなのだが、
私にはピンと来ないところが大変多かったのだ。
というか、私はなぜか以前から、ポゴレリチをケナしている文章のほうが
言っている意味がよくわかるんだよね、褒めている文章よりもずっと(逃)。

そもそも、ポゴレリチの演奏や解釈が、
benchmarkとして価値があるとは、これ如何に!?
それに、sicklied over with melancholy、
ってどないな言葉使いか、シェイクスピアかっっ(--#)。
私は昔から、英米文学は本当に嫌いなんだっ(殴)。

フランス語訳を参照すると、また違った言い回しで書かれているので、
ドイツ語原文→英訳→和訳、という作業を経るとなると、
最終的に、かなり原文から離れてしまいそうだなと思ったり……。

そのような中でも最終段落で引用されていた、
ヨアヒム・カイザーの言葉だけは、観念的な話題でも格段にわかりやすく、
やはりさすがにドイツ批評界の帝王の文章は大したものだと感心した。


ともあれ、訳文を書き出していないのは、残り2段落ほど。

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ピアニストが語る!』の第二巻にあたる『音符ではなく、音楽を!
(焦 元溥(Chiao Yuan‐Pu) (著)、 森岡 葉 (翻訳))を早速読んでいるのだが
ジャック・ルヴィエのインタビューの中に、ポゴレリチ・ファンとして見逃せない記述があった。
それは、1980年6月にルヴィエ教授がモントリオール国際ピアノコンクールに
審査員として招かれたときのことで、ここで若きポゴレリチが優勝することになるのだが、
その審査の際、ソ連とブルガリアの審査員たちが揃って
ポゴレリチに対しひどく否定的であった、というのだ。

『彼は第一次予選で驚くべき演奏を繰り広げました。三曲のエチュードを弾いた後、さらにシューマンの《トッカータ》を弾き、聴衆の歓声が会場の屋根を吹き飛ばしそうな勢いだっただけでなく、私たち審査員、とくにリリー・クラウスと私も思わず感嘆の声を出さずにはいられませんでした。』『しかし、第一次予選からソ連とブルガリアの審査員は彼の演奏に否定的で、「平凡で、つまらない演奏だ」と言うのです』(『音符ではなく、音楽を!』p.342)

ルヴィエは国際コンクールの審査員を務めるのがこのとき初めてだったため、
自分は見聞が狭いためにポゴレリチの演奏に感銘を受けたのだろうか、と一旦は反省したが、
予選が進むほどに、やはりポゴレリチの才気もテクニックも非凡だと感じ入るようになり、
それに対して「聴くに耐えない」と極端に低い点をつけ続けるソビエト系の審査員たちは
悪意を持ち意図的に彼を落とそうとしている、としか思えなかったという。
ピアノの国際コンクールが、政治的な勢力争いの場となっていることを知り、
ルヴィエはこのとき大いに失望したと語っている。

この数ヶ月後の、80年10月のショパン・コンクールに関してポゴレリチは、
自分が予選で落とされたのは、モスクワからの政治的圧力が原因であり、
あのコンクールは正当なものではなかった、と今に至るも言い続けているのだが、
ルヴィエの証言は、ポゴレリチの主張を審査員の立場から裏付けるものとなっている。
私自身は当時の、特にモントリオールでのポゴレリチの演奏は聴いていないし、
コンクールの審査の過程で何が行われたかを検証できる能力もないので、
多くのことを推測で語るしかないのだが、
ワルシャワのコンクールの一参加者であったポゴレリチと、
モントリオールのコンクールの一審査員であったルヴィエとが、
師弟関係は勿論のこと音楽上の接点も無かったのに、
別の場で同一方向の証言をしていることを考えると、少なくとも、
あの頃のコンクールに、こうした政治的背景を連想させるものが存在したことは、
間違いないと思っている。

……それにしても、ポゴレリチの演奏をケナす言葉として、
『聴くに耐えない』は立派に通用すると思うし、その根拠も想像できる気がするが、
『平凡だ』のほうは、80年当時とはいえ、いくらなんでもハズしていたのではないか(爆)。

*************

音符ではなく、音楽を!』焦 元溥・著 / 森岡 葉・訳(アルファベータブックス)

『音符ではなく、音楽を!』は前作同様、極めて密度の高いインタビュー集となっている。
字数制限のある雑誌記事では望むべくもない内容となっていることは勿論、
取り上げられるピアニストの顔ぶれも、話題の方向も、
政治的・商業主義的制約が一切ないからこその、多彩で自由なものとなっていて素晴らしい。
ツィメルマンの哲学に私は大いに感銘を受けたし
(この本のタイトルは、ひとつにはツィメルマンの発言から来ていて、
彼は「音」を聴くことが「音楽」を聴くことではない、という持論を言葉を尽くして展開している)、
私の愛するタマーシュ・ヴァーシャーリに多くの字数が費やされていることも有り難く、
また、アシュケナージやキーシンのように、メディアに登場する機会の多い演奏家からも、
各自の内面に触れる言葉が様々に引き出され、かつ、著者しか知ることのない逸話が、
各部の『後記』としておさめられている点も、大変に興味深い。
このようなインタビューは、ほかには無いと思う。
訳者あとがきにある通り、『ピアノを愛するすべての人に』、
是非、読んで頂きたい本だ。


登場するピアニスト
クリスチャン・ツィメルマン、
ジェルジ・シャーンドル、
タマーシュ・ヴァーシャーリ、
ウラディーミル・アシュケナージ、
ベラ・ダヴィドヴィチ、
リーリャ・ジルベルシュタイン、
エフゲニー・キーシン、
ロジェ・ブトリ、
テオドール・パラスキヴェスコ、
ジャック・ルヴィエ、
ジャン=フィリップ・コラール、
ミシェル・ベロフ、
ラベック姉妹、
パスカル・ロジェ

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amazonでは3月31日発売となっているポゴレリチCD全集の、
グラモフォンによる「予告編」がYouTubeにUPされた。
Ivo Pogorelich - Complete Recordings (Trailer)(YouTube)

ポゴレリチの言葉として紹介されているのが、
"I'm the most written-about pianist in the world. I get a review when I dust my piano."
(「世界中で私ほどあれこれ書かれるピアニストは居ない。
ピアノの埃を払うだけで(さっと触れただけで)私は批評される」)


……仕方ないんじゃないですか。
アンコールを弾かない合図として椅子蹴っ飛ばしたりするヒトは、
そりゃ、毎回、何かは言われるだろう……(逃)。

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2016年 春夏シーズン
ベートーヴェン:ピアノソナタ第22番ヘ長調作品54
シューマン:トッカータ ハ長調作品7
ドビュッシー:ピアノのために
(休憩)
グラナドス:スペイン舞曲集より4番5番9番
ラフマニノフ:楽興の時 作品16

2016~2017年
ショパン:バラード第2番、スケルツォ第3番
シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化 作品26
(休憩)
モーツァルト:幻想曲 ハ短調 K. 475
ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ第2番

2017~2018年
モーツァルト:アダージョ ロ短調 K. 540
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番『熱情』作品57
リスト:超絶技巧練習曲より10番8番5番
(休憩)
スクリャービン:ピアノ・ソナタ第3番
ラヴェル:ラ・ヴァルス

2018~2019年 記念リサイタル
(イーヴォ・ポゴレリチが40年前(1978年)に初めて演奏した
シューマンとプロコフィエフによるプログラム)
シューマン:交響的変奏曲 作品13 遺作変奏つき
(休憩)
スクリャービン:詩曲『焔(炎)に向かって』 作品72
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第6番

2019~2020年
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ『アデライド』
ベルク:ピアノ・ソナタ 作品1
ドビュッシー:『映像』より(曲目未定)
(休憩)
ラフマニノフ:『音の絵』より(曲目未定)

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ポゴレリチの公式サイトに2020年までのレパートリーが掲載された。
一部、未定の箇所もあるようなので、変更はあり得るのではと思うが、
こういうかたちで彼の計画を見ることはこれまで無かったし、
内容的にも大変興味深いものだ。
個人的には、シューマン『ウィーンの謝肉祭の道化(Faschingsschwank auf Wien)』、
ほかドビュッシーやベルクが登場していることに感銘を受けている。
特に、昨今の彼の演奏を考えると、ドビュッシー『ピアノのために』は
なるほど今だからこそ弾くのに最適かもしれない、と納得ができる。

一方、2018年からの『記念演奏会』は、40年前に初めて弾いたという、
シューマンとプロコフィエフを並べ、それらの間に恐らく新レパートリーであろう
スクリャービンの『焔に向かって』を紛れ込ませている(違)という、
なかなか危険なかほりのする構成だ(^_^;。


repertoire(IVO POGORELICH)

Recital Program Spring / Summer 2016
Beethoven:Piano Sonata in F major op.54
Schumann:Toccata in C Major op. 7
Debussy:Suite “Pour le piano”
(Intermission)
Granados:Three Spanish dances n°4, 5, & 9
Rachmaninoff:Moments musicaux (6) op. 16


Recital Program Season 2016/2017
Chopin:Ballade n°2 & Scherzo n°3
Schumann:Faschingsschwank auf Wien op. 26
(Intermission)
Mozart:Fantasia in C minor K. 475
Rachmaninoff:Piano Sonata n°2


Recital Program Season 2017/2018
Mozart:Adagio in B minor K. 540
Beethoven:Sonata in F minor op. 57 “Appassionata”
Liszt:Trois Études d’exécution transcendante n°10, 8 & 5
(Intermission)
Scriabin:Sonata n°3
Ravel:La Valse


Jubilee Recital-Program Season 2018/2019
 with works of Schumann & Prokofiev which Ivo Pogorelich has performed
for the first time 40 years ago in 1978
Schumann:Symphonic Etudes op. 13 – including Op. Posth.
(Intermission)
Scriabin:Poème “Vers la flamme” op. 72
Prokofiev:Piano Sonata n°6


Recital-Program Season 2019/2020
Ravel:Valses nobles et sentimentales “Adélaïde”
Berg:Piano Sonata op. 1
Debussy:Images pour piano (to be specified)
(Intermission)
Rachmaninoff:Etudes tabelaux (to be specified)


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昨夜、広島に戻って参りました。
月曜日が休みって、うちの会社最高!!と今回ほど感謝したことはございません(殴)。

東京でお目にかかりました皆様、本当にありがとうございました。
お蔭様でまた楽しいひとときを過ごすことができました。
このところ毎年ポゴレリチが東京で弾いてくれるので、
ファン同士もまるで同窓会のように定期的に顔を合わせていることになり、
今回など別れ際には「じゃ、また来年!」と誰ともなく自然に言い出したりして、
次の来日予定など決まっていないのに、この信頼は一体どうしたことだ、
と、とても嬉しく微笑ましく思いました。
2005年以前には、到底、このようなことは想像できませんでした。
ポゴ氏のためにもファンのためにも、とても幸せなことだと感じ入りました。

**************************
(以下、忘れないうちにメモ)

・夏前に来日が決まりプログラムが発表になったときに、私はまず、
「勝負曲ばかり4曲!」
と思い、次に、
「最大眼目となるものがあるとすれば、ペトルーシュカ」
だと感じたのだが、そのことは自分に関する限り完全に正しかった。
あのペトルーシュカは忘れない。
2014年時点の彼のペトルーシュカが、今後、録音等で残ることがないとしたら、
この14日の夜サントリーホールにいたことは、私の人生で僥倖と言えるものだった。

・複数の曲で観察できたことだったと思うのだが、
休符のいくつかではポゴレリチは、両手を鍵盤からすっかり離して膝の上に置き、
明確な区切り、というより「停止」の空気を醸し出していた。
フェルマータのついた休符のところでは、「終わり!」という感じすらした。
そこでは音楽の流れが変わり、次のフレーズの開始など気配もなく、
「えっっ!?今やめんの!?そこで!?」
と聴いていてどきどきした(爆)。
もしかして『休符』ってそういうものだったのか……、という不思議な発見だった。
この点については、演奏会という場で視覚を伴っていたことが、
良かったのかどうか、今もってわからない。
音だけを聴いていたら、あの休符は音楽として、私にはどう聞こえたのだろうか。

・音数の多い技巧曲ばかりのプログラムで、音の重なりとそれらが途切れるところの綾、
が独特で、ポゴレリチが長年、追求してきたものがこうなった、という歴史を感じた。
若い頃の彼はテクニックを絶賛され、際だった難曲を得意としていたが、
30歳に近づく頃からは、ハイドンやスカルラッティ、モーツァルトなどを続けて手がけ、
敢えて制限された音数の中で、音と音を重ね合わせて別の色合いを作ることや、
楽曲の「間(ま)」を音楽として高めることなどに挑戦するようになった(気がする)。
更に、2005年以降しばらくの、個々の要素へのポゴレリチの執着ぶりは記憶に新しい。
そうした時期を経て、久しぶりにこういう音の洪水のような曲に戻ってきたのが、
今回のプログラムだったと思う。

・ブラームスのパガニーニ変奏曲のときポゴレリチは、
譜めくりのタイミングについてかなり細かく注文をつけているように見えた。
「まだ」とか「ここ」とか、「次の変奏のあとは自分でめくるから」とか、
言葉の内容まで定かには聴き取れなかったが、たびたび指示を出していた。
自分でめくると言った(と思われる。譜めくりスト氏がそこでは全く動かなかったので)、
とあるバリエーションのときには、弾き終わった次の瞬間、そのリズムの続きで
「ぱん!」と勢いよくページをめくった。
まさに、『家に帰るまでが遠足』じゃないが(爆)『ページをめくるまでがこの曲』
という感じだった。
あの感覚を求められているとしたら、譜めくりスト氏の仕事はただごとではない。
ポゴレリチの譜めくりは究極的には彼本人にしかできないのではないか(汗)。
楽譜を置いている以上、譜面の存在まで含めて音楽、という印象だった。

・カーテンコールでポゴ氏がしっかり私(=転妻)のほうを見ていた、
とあとで言って下さった方が何人かいらっしゃったが、
あれは、ポゴ氏が二度目に引っ込んだときに私のところへ来て喋っていた某Q太郎氏(逃!)が
思いがけずポゴ氏が再度出てきたので仕方なくそのまま私の足下にしゃがんで、
頭越しに拝むような格好で拍手していた姿が、とても愉快だったからだと思う(爆)。

・演奏会の前、『ピアニストは語る!』の著者、YuanPu Chiao氏と食事をした。
訳者の森岡 葉さまがセッティングして下さったのだ(ありがとうございました~!)。
私は初め、YuanPuが中国語で話して森岡さまが通訳して下さるのだろう、
と勝手に思っていたのに、いきなり彼が英語で話し出し、ずっとそのままだった。
2時間半の英語ランチは死ぬでホンマ(^_^;、と思った。
YuanPuによると、北京のリサイタルでポゴレリチはピアノの弦を切ったが、
ポゴレリチ本人はリハーサルでピアノに触れたときに、
弦の張りの状態から、演奏中に切れるかもしれないというのは既に感じていて、
交換用に二台目のスタインウェイの調律も指定していたのだそうだ。
そういう十分な予測があったので、演奏会途中でいきなり上がってきた(ように見えた)、
新しいスタインウェイでも、ポゴレリチは問題なく演奏を続行できたということだ。

(以下、また何か思い出しましたら追記します。2014年12月16日 08時07分、記)

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KAJIMOTOのfacebookでの情報によると、ポゴレリチは昨夜、日本に到着したとのことだ。
明日14日19時より、今回のアジア公演最後の公演地である東京で、リサイタルが行われる。

●ポゴレリッチ 演奏曲目の時間予定(2014/12/12 | KAJIMOTO音楽日記)

上記KAJIMOTOのニュースによると、今回の演奏時間は、
【開場】18:30
【開演】19:00
(1) リスト:巡礼の年第2年「イタリア」から ダンテを読んで(ソナタ風幻想曲) 〈約22分〉
(2) シューマン:幻想曲 ハ長調 op.17 〈約40分〉
【休憩】20:00過ぎより20分間
(3) ストラヴィンスキー:「ペトルーシュカ」からの3楽章 〈約20分〉
(4) ブラームス:パガニーニの主題による変奏曲 op.35 〈約20分〉
【終演】21:10頃

という予定になっているそうだ。
……終電に間に合わない、という時間ではなさそうですね(爆)。

中国公演と同様ならば、おそらくポゴレリチは開場後も、
普段着のままステージ上のピアノを鳴らしていることだろう。
できるだけ本番直前まで楽器に触れていることで、
自身とピアノの両方のウォームアップをするのが、彼一流のリハーサルだ。

それを観たい・聴きたいとお考えの方々は、
開場と同時にホールに入ってみられることを、お勧め致します。

*************************

以下、伝言板(笑)。

私は当日夕方、開場時間にサントリーホールに参ります。
これまでにご連絡下さいました方々には、お返事をお送りしたつもりですが、
送信ミスやその他の手違い等もあり得るかもしれません。
連絡がついていないとお思いの方は、
お手数ですが再度、メール等を下さいましたらと思います。
携帯のほか、twitter、mixi、facebookが旅行先でもチェック可能です。
どうかよろしくお願い致します。

それでは、明後日の東京公演、満喫致しましょう!
お留守番組の皆様も、各種速報をお待ちになっていて下さいませ(^^)!


追記:期日前投票には既に行ってある。その点、後顧の憂いは、ない(笑)。

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イーボ・ポゴレリッチ来日直前インタビュー:『ピアノがかつてないほど身近に』(日本経済新聞)

肯定的で活動的な気分が感じられる、良いインタビューだ。
ステージでの演奏活動が充実していることも伝わって来るし、
何より、録音のことも結構具体的なかたちで話題に出ている。
近いうちに、いよいよ新しいディスクを聴くことができるのだろうか。

『(録音活動から)しばらく遠ざかっていましたが』
ってご本人は仰っているのですが、
前にレコーディングしたのって、20年前ですよね(汗)。


……でも20年前って、広島東洋カープの最後のリーグ優勝よりは、あとか……(爆)。

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