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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



・今回のポゴレリチ来日公演に関して、私の行けそうな日は、
最初から1月25日と26日しかなかった。
神社の正月行事は、まだ完全には終わっていない時期だったが、
総合的に判断して、ここがいちばんマシなタイミングだった。
それで、この2日間のチケットだけは、各々発売日に買った。
厄祓いの祭典や節分祭準備があるのはわかっていたが、
絶対に譲らない決意であった。
親が死んでも(爆)秋祭に出た私が、
「この日とこの日は欠席します。変更不可!」
と、慶弔でもないのに決然と言い出す用事が一体何なのか、
総代会の面々は想像もできなかったに違いない。

・私は小平市民だった時代があるので、所沢はイメージできていたが、
君津?え?東京湾のあっちか!どうやって行ったらいいのか!?
と前日になって今更焦った。
千葉在住のポゴファン仲間に親切に指南して貰い、
バスタ新宿から君津バスターミナルまで高速バスをウェブ予約し
最終的には大変快適に往復できたが、このトシになって結構な冒険であった。
君津市民文化ホールや周辺施設についていろいろ学習できたが、
この知識を活かす機会は二度とないのだろう(汗)。

・君津で度肝を抜かれたのは、写真の、ホール前の看板であった。
配色も凄いが、イーヴォ・ポゴレリチと清水ミチコが並んだところなんて、
一生にそう幾度も見られるものではあるまい。しかも値段が両者ほぼ一緒。
昨年秋頃には、現地プレイガイドでポゴレリチのチラシの隣は春風亭小朝、
という、要らない情報があったが、小朝の君津公演は11月に終わり、
私が行った頃には小朝の痕跡は既に無かった。
今はポゴレリチのチラシも店頭やホールから姿を消し、
多分、この看板のポゴレリチも剥がされて、何かに変わっているのだろう。

・君津の翌日に所沢に行ったら、前日に居たおじ(い)さま達が
また揃って集結していて、熱心なファンはどこにでも現れるのだなと感心した。
いや全くヒトのことは言えないんだが。
おねえさま方(笑)もいらしていたのだと思うが、
女性は服やアクセサリーのニュアンスが異なると私には同定できないので、
知り合いの方にはほとんどご挨拶できなかった。
Xで見たら、皆さんやはり来られていたようだった(^_^;。

・秋から年末年始まで私が忙し過ぎたので、このたびの旅行の手配は、
前述の高速バスを除いて、同行のポゴファン仲間に早い段階で全振りしていた。
彼女は私の高校時代からの友人であり、元々ピアノ好きであったので、
大学時代に私が、ポゴ氏のCDを次々聴かせて同じ沼に誘い込んだのである(笑)。
以後、1988年5月の広島公演を皮切りに、数々のポゴ氏ツアーをともにしてきた。
彼女は高校の国語教諭をしている関係で、修学旅行等で馴染みの旅行会社さんを
昨年11月初旬某日、昼休憩時に私的に学校に呼んで、新幹線とホテルを頼んだ。
「東京は、どこに行かれるんですか?」
と尋ねる旅行会社さんを国語準備室から廊下に連れ出し、
「用があるのは、君津と所沢」
と彼女が言い、そのあまりに突飛すぎる返答に先方は驚いて、
「何があるんですか!?」
と尋ねてきた。そこで、さすが国語教諭の彼女、
「ちょっと、『催し物』が、あって(^_^;」。
しかも、まだこの話も書いていないのだが実は我々は、
往路に大阪で途中下車し、松竹座で仁左衛門&玉三郎も観ることになっていた。
広島ー東京往復、初日に新大阪途中下車、あとは東京起点で君津と所沢へ。
旅行会社さんは頭をかかえ、
「一旦、持ち帰らせてください」
と帰って行ったそうだ。
しかし結果として60日前割引を使い新宿泊にしてくれて、大正解であった。
安く泊まれて、バスタ新宿至近、所沢には西武新宿駅から一本であった。
24日の広島ー新大阪は九州新幹線で快適だったし。
蛇の道は蛇。

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