今回の来日公演のうち、私が行けたのは、
1月25日(土)君津と26日(日)所沢の2公演のみだったのだが、
特に所沢公演のほうで、前日とコンセプトは同じでも表現の持つ威力が増し、
私の思う「ポゴレリチらしさ」が目覚ましく際立っていて、
実に手応えあるリサイタルを聴かせて貰うことができた。
ポゴレリチは日々進化する演奏家なのだということを改めて感じたし、
芸術家には、期せずして何かが「降りて」来るときがあるのだと、
その瞬間を目の当たりにした思いになった。
まさに、「脱皮」と「メタモルフォーゼ」こそが彼の真骨頂である!
プログラムは2日間とも同一で、
前半がモーツァルト、休憩後の後半がショパンであった。
モーツァルト:アダージョ ロ短調 K.540
モーツァルト:幻想曲 ハ短調 K.475
モーツァルト:幻想曲 ニ短調 K.397
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番 イ長調 K.331《トルコ行進曲付き》
ショパン:夜想曲 変ホ長調 op.55-2
ショパン:3つのマズルカ op.59
ショパン:ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 op.35《葬送》
アンコール シベリウス:悲しきワルツ
プログラム最初の3曲は、
モーツァルトの中でも幻想的で不安な雰囲気の作品が選ばれていたと思うが、
それらがまた、ポゴレリチにかかると、
「その音がそこにあった?本当に!?」
と驚くような箇所があちこちにあり、瞬時も聞き逃せず、
モーツァルトは実は、先駆的で現代的な和声を書いていたのであり、
後にショパンに影響を与えることになる対位法の試みも、
この時点で既に様々に行われていたのだと、気付かされるところが多かった。
ピアノ・ソナタ K.331の第一楽章は、
各変奏曲ごとのリピートは一切なしで、淡々と進んだ。
1987年収録のDVD及び1992年収録のCDでは丹念な反復が施され、
変奏曲としての性格が強調されて、かなり長大になっていたのだが、
今回のリサイタルではテンポが心もち速めに維持されたこともあって、
ソナタ一曲として聴いても、タイトな印象になっていた。
トルコ行進曲は、左手がまさに打楽器の響きで、
ポゴレリチのリズム感の秀逸さが大いに発揮されていたと思う。
今回弾かれたモーツァルトはどれも、
僅かなテンポの揺らぎや微細な「ため」のようなものが、
普段こうした曲では聴いたことがないような種類の魅力を醸し出していて、
まさにポゴレリチならではのセンスだなと感じ入った。
反面、私が日頃モーツァルトに感じる軽快さや優美さはほとんど響いて来ず、
楽器としての現代ピアノの性質や機能が、18世紀のものとは
大きく異なることを加味した解釈であり表現であったのだろうとは思うが、
本質的に、ポゴレリチは今もなお、明るい光のもとにある演奏家ではない、
ということなのだろうとも思った。
後半のショパン、最初が夜想曲作品55-2なのが少々意外で、
プログラムが発表された当初、私は何かの間違いかとすら思ったものだった。
近年になって取り上げ、録音もした48-1でもなく62-2でもなく、
若い頃に弾き尽くしたような55-2を、今……。
しかし実際に聴いてみてわかった、というか漠然と感じたのだ、
これは追想のひとときなのだ、と。
80年代から90年代にかけてたびたび取り上げ、複数回レコーディングした夜想曲を
今だからこそ、かえりみて弾く意味が、あるようになったのだろう、と。
勿論その演奏は、1980年当時よりずっと深く抑制が効いていて、
すみずみまで精緻であり濃密であった。
とりわけバスの、豊かな響きのうつろいが美しく、
目眩がするほどの、ポリフォニーの魅力があますところなく描き出されて、
(ショパン嫌いの私が)ショパンは何と美しい音楽を書いていたのだろう、
と聴き惚れる瞬間が次々、次々とあった。
そしてマズルカ作品59の3曲。
超のつく名演であったと思う。
なぜこの3曲がひとまとまりで作品59なのか、
それぞれの中に一貫して流れる半音階の描き出す音の綾、
舞曲としてのマズール独特の空気が、曲同士で響き合うのを、
私は今回まざまざと感じて、なるほどこの3曲がこの順なのは
必然であったのだと、納得することができた。
1991年5月の東京公演で弾いた作品59も、
冴え渡る技巧と感性のきらめきが発揮された、忘れ難い名演だったが、
私は今回の、おそらくポゴレリチとして「晩年」のものとなるであろう、
3曲の結びつきと共鳴をかたちにした解釈のほうを推したいと思う。
それほどに、彼一流の、説得力のある演奏だった。
そのあと、ショパンのソナタ第2番が始まったときのことだった。
私はそこに、全く思いがけず、1981年のポゴレリチの姿が現れたのを感じた。
デビュー・アルバム『ショパン・リサイタル』に初めて針を落として、
第一曲目の葬送ソナタを聴き始めたときの、あの、目を見張るような思い!
この感覚は、40年ぶり以上ではないか!
同曲は過去の来日公演でも取り上げられていて、幾度も聴く機会があったが、
これまではポゴレリチの新しい試みや年月の経過を感じることはあっても、
私の知っている「最初のポゴレリチ」が重なって聞こえたのは初めてだった。
ここに至るために、後半のプログラムを夜想曲作品55-2から始めたのか、
そしてマズルカ作品59をもう一度辿ることにしたのかと
首尾一貫した流れをそこに実感した。
考えてみればこの日のショパンは、
ポゴレリチが1980年ショパンコンクールの予選で演奏したものばかりだった。
あれから45年!
ポゴレリチは、ついにここに、「還って」来たのか!
フィジカルな意味での演奏としては、必ずしも1981年当時と同じではなかった。
リピートは、コンクールライブやドイツグラモフォン盤と同様に排除していたが、
テンポ設定は、デビュー当時のほうがもう少し速かったのではないかと思うし、
特に第1楽章のペダルなど、当時は露骨なほど使用を控えていたはずだ。
今回はそうではなく、ペダルはむしろきめ細かく多用され、
それゆえに多様・多彩な響きの連続となっていた。
最初のポゴレリチと現在のポゴレリチが同期し、高め合って行く様を
私は深い驚きと感動を持って聴いた。
『葬送行進曲』は少し前のポゴレリチなら、
もっとテンポを落として弾いた筈だと思うが、
今回のは、よどみもなく一歩一歩確実に歩んで行く「速さ」が保たれていた。
それは、終わりの日に向かって進み行く鼓動のごとく、
容赦のない時間の流れそのものであったかもしれない。
死の虚しさは感じたが、決して悲惨さは無かった。
音数の多い曲ではないのに、否、むしろそれだからこそ、
ひとつひとつの音価の持つ意味やニュアンスが
一度では到底聴き取れないほどの密度で迫ってきて、
空間的な広がりや、ときに見上げるような高さすら感じさせる、
巨大で、立体的な音楽となっていた。
第三楽章からほとんどアタッカで第四楽章に突入し、
文字通り疾走する音楽とともに、ペダリングもめくるめくような鮮やかさ!
終わって、一呼吸あって、やがて聴衆はここで初めて拍手をした。
ポゴレリチもまた初めて立ち上がり、盛大な拍手やBravoの声に応えたが、
ここからがまた、最近の彼ならではの作法で、礼をしても退場はせず、
やがて聴衆を手で軽く制して、そのままアンコールの曲目を告げた。
「Sibelius, Valse Triste」
この曲を、初めて日本の演奏会で披露したのは2010年のリサイタルだった。
あれからアンコールピースになったり、
本プロで再び取り上げられたり、テレビで収録されたりと、
近年、ポゴレリチはこれを演奏する機会が多かったが、
御蔭で私は、ポゴレリチの描く「死」の姿が刻々と変化するのを
ほとんど時系列に沿って見守ることとなった。
かつてポゴレリチにぴたりと寄り添い、彼を覆い尽くした陰惨な「死」は、
次第に、ワルツを踊るときだけ、そのグロテスクな姿を現す影となり、
今や、抽象的で顔のない、昏い概念だけの存在になりつつある。
絶命の痕跡は捨象され、芸術として突き詰めた「死」として昇華され、
この曲は独特の翳りのある、こよなく美しい音楽となった。
孤独な主人公はもはや、亡骸を抱いて自ら踊ることはしない。
更け渡る夜のしじま、ほのかにたゆたう灯の中で、
かつてそのようなダンスもあったことを無言で想うばかりだ。
On the piano I express my despair
(ピアノで私は自身の絶望を表現する)
という言葉が、ポゴレリチの2022年のショパンCDのブックレットに
掲げられている。
彼の音楽の根底に流れる絶望や傷跡が、癒やされ消えることはないが、
一方で受容や肯定もまた、年々、深まりを見せていることが感じられる。
ショパン・コンクールでの衝撃のデビューから、今年で45年。
このあと、50年目はどうなるだろう。
55年、60年の公演はあるだろうか。
ひとりの芸術家が為し得ることの、無限の偉大さに感じ入るとともに、
この世での時間には、必ず終わりがあることを思い、
きょうまでの年月、どのようなときも聴かせてくれてありがとう、
同じ時代にこうして巡り会えたのは奇跡に等しい幸運だった、
と、心からの篤い感謝をもって拍手を送った、今回のリサイタルだった。
彼と聴衆との間に残された時間は、おそらくもう、そう長くはあるまい。
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