コロナ禍の間に私がその意義を見直したもののひとつが
「不織布マスク」である。
私は大昔から血管運動性鼻炎&慢性扁桃炎があったので、
秋冬の外出にはほぼ常にマスクを着用して暮らして来たのだが、
コロナ以前の私は、断然、布マスク派であった。
理由は、「分厚くて温かいから」。
私は、アベノマスク系とはとっくの昔から馴染みであったのだ。
1990年代前半の松江在住時代から布マスクに凝り始め、
マスク本体も当てガーゼも洗濯してアイロンをかけて使っていた。
一方で、不織布マスクはペラペラ薄くて寒いので嫌いだった。
私の認識は、長らく、マスクとは温かい呼吸をするための防寒具であって、
感染予防のためにつけるという感覚は皆無だったのだ。
また、花粉症患者でありながら、私は春先には、
もう空気が冷たく感じないので、ほとんどマスクは使わなかったものだった。
風邪をひいた側がマスクをつければ、咳やくしゃみをトバさないので、
周囲の人にうつさない配慮になる、という考えは昔から持っていたが、
それは今で言う「咳エチケット」的な発想であり、
健常者がマスクで鼻と口を覆っても、感染予防になるほど頼りになるとは、
以前の私は全く知らなかった。
だから、2010年の新型インフルエンザの流行期にも、
そして今回のコロナ禍の初めの2020年1月頃でも、
私は、予防のためにマスクを使うのは意味のないことだと思っていたのだ。
ところが、新型コロナ、COVID-19が世界的な流行となり、
日本のみならず各国で、不織布マスクの意義が見直されるようになった。
昔の私が思っていたように、感染者側がマスクをつけることが
最も効果が高いのは間違いなかったが、それにプラスして、
健常者も着用すればそれ自体にも感染防止効果があり、
両者がマスク着用する、つまりユニバーサルマスク状態が
感染拡大期には特に有効であることが、各国のデータから明らかになったのだ。
これには、不織布マスクの細かい繊維の重なりにこそ重要な意味があり、
布マスクでは残念ながらそこまでの効果が期待できないこともわかった。
――実に、残念なことだった。私は柔らかい布マスクに当てガーゼを重ね、
ふわりと口元を覆うのが一番気に入っていたのに(^_^;。
更に、COVID-19の場合は、感染してから症状が出る前の時期、
つまり自覚としては感染したことに全く気付いていない段階でも、
実は既にウイルスを周囲に撒き散らしているという特殊性があり、
症状のある人も無い人も、皆がマスク着用することで、
互いの感染を未然に防ぐエチケットになり、
賢明な感染防止策になることも、私は徐々に理解するようになった。
それで2020年4~5月頃から、私は意識して、
不織布マスクを使うようになったのだ。
一時期、品切れで大変な思いもしたが、今は潤沢に手に入るので、
KF94など高機能のマスクもしばしば試している。
私自身、マスク着用し始めてからは、今年5月の発熱騒動を除き、
感染症とほぼ縁が切れたので、確かに感染予防効果は大きいと実感している。
私は「どんなときもどんな場面も絶対にマスク!!」とは思っていないし、
逆に「もうマスクはどんどん外しましょう!!」とも考えていない。
これから冷える季節になるので、外出時は積極的にマスクを着用するだろうし、
不織布マスクが薄くて寒いと感じるときは、当てガーゼも使うつもりだが、
一方で、自分にとって十分に温かい場所で、かつ周囲に人が居ないところなら、
マスクは要らないとも思っている。前から実際、普通に外しているし(^_^。
また、人が大勢いても、神社の祭典のような、会話のないイベント中は
マスクをしていなくても大丈夫だろうと感じている。
ただし、この件には、総代会内で反対意見が強いので、
私は無理に「外しましょう!!」という主張もしていない。
総じて私は、できる範囲でまわりに合わせつつ、
自分自身の感覚も守って、臨機応変にやりたいと望んでいる。
人に不快な思いをさせない場所ならば、私は外したいときに外すし、
上記の祭典の例のように、私が不要だと感じていても、
「着用したほうがよい」という意見や周囲の人の行動があればそれに従う。
逆に、近距離での会話があるのに、マスクをつけない人たちがいたら、
私は正直イヤだなと思うが、その人たちにマスク着用しろとは言わず、
ただ自分だけマスクをつけたままで、我慢するだろう。
『「屋外ではマスク着用は原則不要」ルールPRへ 加藤厚生労働相』
という記事があったが、外気温が低かったら私は鼻も口も冷たくなるので、
何をPRされようと、防寒具としてマスクは着用しますよ(^_^;?
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