キラパジュンを話すには、以下の「歌」の話からだ。
不屈の民(¡El pueblo unido, jamás será vencido!、団結した人民は決して敗れない!)とはチリのヌエバ・カンシオンの曲の中で、最も世界的に良く知られた歌だろう。セルヒオ・オルテガ作曲、キラパジュンによって作詞された。
同時代に、多感な青春をおくった僕は、あの熱く・悲しい出来事が蘇る歌だ。
この曲は第一に人民連合政府の歌として作曲され、サルバドール・アジェンデを支持する人々によって歌い継がれた。上記両氏によって作られ、演奏された直後から、多くの音楽グループによって訳され、録音されている。特に1973年のチリ・クーデターの後、僕がこのカテゴリーの「I]で紹介したインティ・イリマニによってこの歌は国際的に有名になったな。
音楽のカテゴリーで、政治の話はなんだが・・・この、キラパジュンでは、少しお付き合い願いたい・・・
1970年の大統領選挙により、人民連合のアジェンデ大統領を首班とする社会主義政権が誕生した。
アジェンデは自主外交を掲げ、キューバとの国交回復、鉱山や外国企業の国有化、農地改革による封建的大土地所有制の解体などの特筆すべき改革を行ったが、厳しいインフレなど起し、経済政策は総じて破綻気味であった。また、西半球に第二のキューバが生まれることを恐れていたアメリカ合衆国はCIAを使って右翼にスト、デモを引き起こさせるなどの工作を行い、チリ経済は大混乱に陥り、物資不足から政権への信頼が揺らぐようになった。
やがて、1973年9月11日、アメリカ合衆国の後援を受けたアウグスト・ピノチェト将軍らの軍事評議会がクーデターを起こしてモネダ宮殿を攻撃、降伏を拒否したアジェンデは死亡し、チリの民主主義体制は崩壊した。翌1974年にピノチェットは自らを首班とする軍事独裁体制を敷いた。
2010年1月17日現在、右派連合チリのための同盟のセバスティアン・ピニェラ元上院議員が初当選した。ピノチェットの独裁の恐怖の教訓から、しっかりした選挙が行なわれているようである。
実業家出身のビニェラの政策は、保守ではあるが、ピノチェットを否定し、経済政策は、市場よりのようであるが、貧困層向けの社会計画の継続を公約するなど、国民本位の政策を実施しようとしているようである。
21世紀の今、南米では、多くの国で「反米」の政権が生まれ、自国の再建に取り組んでいる。南米には、実に注目すべきだ。
武力で国民や他国おも押さえつける政府に、ろくなものは居ない。
隣国の将軍様もそうだ。
この、アジェンデの殺戮とともに、ピノチェトは、自国のフォークシンガー「ビクトル・ハラ」を殺し(彼の死体は、ギターを弾くべき指をすべて潰され、銃殺体であったと言う)、クーデターの時、外国公演を行なっていた「キラパジュン」は帰るべき祖国を失うのである(あの映画・ターミナルのような事態ね)。
76年に日本にも来て公演を行なった。そんな時代に、出されたアルバム(LP/日本で発売)がこの写真だ。ビクトル・ハラも2曲参加・・入手は困難・・貴重品だな。
保存のために、僕がCDにした。
幾つかは、フォルクローレの楽曲や、楽器を使っているが、他国のフォークや、彼らの祖国のフォークがつまったアルバムなのだ(何となく、ウィーバーズに近い)。
いや・・・必死に、世界を学んだ頃の、自らが蘇った・・・昨今の俺は・・・学びがたらんな・・・・