館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

辺野古に行ってきた・F本観光で行く沖縄2010春その1。

2010-02-20 00:05:12 | 旅は続く
ちょっと「心の洗濯」が必要だった。
2月11日・仕事を3時で早引き・7:50の羽田「那覇行き」の飛行機へ・・・もはや、心は飛ぶようだった。

いつもの「F本観光」の沖縄ツアー、春の巻なのだ。

那覇には11時着・その夜は、ホテルに荷物を置いて、すぐ街に繰り出した。
ここらは、後日・・・本日は2日目、朝からの1日だ。

長い・・・・沖縄に興味のある方向けの記事だす。



F本は、マウンテンバイクを借りて、糸満への「貧乏旅」・僕はいつもの、「名ガイド兼タクシー」のU間さんの車をチャーターしていた。朝F本とはお別れ、およそ2日別行動だった。

僕がU間さんに頼んだ行程は、沖縄の北山の旅・美ら海水族館~今帰仁城(ナキジングスク)~辺野古だ。まあ7時間ほど(高速使用で)の行程だが、U間さんは「せっかくだから、行きは下を走って、幾つかの場所も回りましょう!」「時間は気にしなくて結構です」と、有り難いお話しであった。

空港から真っ直ぐ伸びる「国道58号線」・沖縄のメインの通りだ。僕らは58号線を北を目指し進んだのだ。

まず、そんなわけで、U間さんサプライズの「万座毛(まんざもう)」を訪ねた。

琉球王朝の時の王である尚敬王が、この地を訪れた折、大勢の付き人を休ませるに、案内され、その広さに「万人の座れる毛(原っぱ)」と讃えたエピソードの地だ。

中高年観光客は、すごかった。



基地の町・嘉手納、北谷、そして、読谷村を抜け、恩納村にやってきたわけだ。

実に「男っぽい」場所。見事な眺めだ。



さらに北へ、走り出しておよそ60キロか?名護の万国津梁館(ばんこくしんりょうかん)にやってきた。



あの「沖縄サミット」の会場である。



どうしょうもない人達・・・



サミット会場・豪華絢爛、窓からの眺めは最高だ。
今年は、F本・俺・太鼓叩きで、沖縄サミットがあるかもしれないのだ。
会場はここか、居酒屋だな。



さらに北上、高速道路の終点「許田」の道の駅で、「美ら海水族館」の割引券(ここが一番安い!)を購入し、西海岸から一路、東海岸へ、沖縄を横切り、「辺野古」にやってきたのだ。




普天間の移転先で、今賑わす「辺野古」だ。先の選挙では、住民は「移転」にNO!!を突きつけた。
この目で、現地を見たかった!!
本日最大のテーマだ。



同じ砂浜も、キャンプシュワブとは、鉄条網で世界が分けられる。

キャンプシュワブと、漁港の境界の鉄条網には、全国からの「反対」の意思の旗が架けられている。
妙に、綺麗な光景だ。

座り込みテントでは、大きな意思を感じた。
説明を丁寧にしてもらい、見事な資料も戴いた。すこし、カンパをした。



綺麗な、きれいな海である。希少なジュゴンが棲み、その餌場の「藻場」が広がる海だ。
この辺野古まで、4町村にまたがる、沖縄最大の「実射演習場」のある「キャンプハンセン」が続いている。隣り合わせで、北に位置する辺野古は「キャンプシュワブ」の場所だ。そこに、普天間の機能や規模を拡大する形で、移転しようとしているのだ。



その「キャンプシュワブ」第一ゲートだ。

辺野古の住民は、2分され、厳しい対立があるようだ。
1つの漁港が滑走路に消える。
札びらで、多くの対立を生んでいると聞く。

「アメリカ軍が出て行ったら、生活に困る」と良く聞く。

そうだろうか?

占領軍感覚で、犯罪は絶えず、外に出すと犯罪を犯すので、基地内にあらゆる施設を「思いやり予算」で作って、囲い込んでいる実体は、あのベトナム戦争当時の、戦地に赴く兵士達がお金を夜の街に落とした時代とは、かなり違うと聞く。

大型公共工事は、本土資本が元受、沖縄の建設業界は下請け、孫受けだ。結局お金は、本土に流れる。

沖縄は観光資源の宝庫だ。沖縄ブルーの海・豊かな森・未発掘の遺構。
歴史的遺構の発掘・整備に基地予算を回したら、さらに観光立県になるだろう。雇用も増える。

そして、「民族資本」のような、現地資本を育成することこそ、自立した沖縄の保証ではなかろうか?

辺野古に、移転すべきでない!と、僕は、現地で思った。




辺野古を後にして、沖縄の「建国神話」の聖地、今帰仁に向かった。

クバのウタキ・ニライカナイから「アマミキヨ」と言う神が、沖縄本島各地に降り立ち、国作りを行なう神話、の7つの聖地の1つである。山全体が聖地・そして男は禁制の場所だ。

ここ今帰仁は、沖縄の皆さんが、門中(もんちゅう)レベルで、5年とか7年とかのサイクルで行なう、今帰仁上い(ナキジンヌブイ)と言う、聖地巡礼を行なう場所である。
そこでは、この偉大なウタキもナキジングスクも、グスクの拝所も、一大イベントとして回るようである。

*門中とは、父系の親族集団のようである。




そのクバの聖地に面して、「今帰仁城(ナキジングスク)」がある。



グスク駐車場に隣接して、お土産や・売店・トイレがある。

昼時、突然雨が激しくなる。昼飯・・少し休憩した。
隣の蕎麦屋さんは満席・・このベーベーの店はがらがらだった。
結構歩いたので、喉は乾き、お腹も空いていた。



珈琲、そしてハンバーガー、餃子を頼んだ。ファストフードは電子レンジでチンかと思いきや、ベーベーはハンバーグをフライパンで焼き始め、レタスをちぎり始めた。
さらに、餃子を冷蔵庫から出し、これもフライパンで焼き始めた。

沖縄は「テーゲー」なところだ。チンかと思いきや、手をかける・・・この辺りも、沖縄なのだ・・・どちらも旨かった。




食べ終わった頃には、雨が小降り・・やがて、傘の要らない状態になる。

昨年のグスクの旅で、中南部のグスクに圧倒された。

どうしても、北部最大のここ「今帰仁グスク」に来て見たかった。



石組みは、古い「野面積み(のずらづみ)」。グスクの古さがわかる。
各地を支配する小さな豪族が、やがて、幾多の争いで3つの大きなクニ(北・中・南)になる(まあ、三国志を浮かべるべし)。その北山の中心の城である。時は13世紀。
やがて、中山の第一尚氏に滅ぼされ、尚氏の身内が守りについた地である。

200年ほど後、薩摩の侵略で焼き払われ、その後、捨てられる城である。

雄大にして、城壁の曲線がまことに美しいグスクであった。

城の周りには、村落・・まだまだ「未発掘」の場所が周りを囲んでいる。
何度も言うが、こうした発掘に予算を回し、観光資源にするべきだろう。



最後は、観光!!

最大の観光地か?「美ら海水族館」にやってきた。




ちょっと、斜に構えてきてみたが、なんのなんの、見ごたえ抜群。



見せ方が上手!迫力満点だぞ!



イルカのショーもお見事!

かなり楽しんで、高速で那覇に向かった。

6時過ぎ、那覇、U間さんに感謝しつつお別れ。

おみやげを速攻で買って、宿にもどる。



宿で、シャワー・足壷などマッサージ・まったりして、8時過ぎにお目当ての「居酒屋」に向かった。



泡盛が沁みた・・・・・・・・



モズクも島らっきょうも旨い。



ここは竜宮通りの「小桜」。ベーベーは愛想が良い。



珍しく、客は少ない・・・マスターも隣で一緒に呑んで、話に花が咲いた。
こうした瞬間が幸せ!



ここの「ソウミンチャンプル」は絶品の味だ。

3合ほど呑んで、バイバイした。



ネオンに誘われ、もう1軒。



前回の旅で与世山澄子さんの店で、ピアノ伴奏をしていた、香村さんの店に来たのだ。



時間が早いので、客はまばら・・・




やがて、彼のピアノが流れ始める。

スイングから中間派のピアノか?

綺麗なピアノロールにしばし、旅の疲れがいやされた。

ファーストセットを聞いて、宿に戻った。


明日は、・・・・・・・少し、歩こうと決めていた。

辺野古の海が、浮かんできた。見たもの、そこの匂い、そんなものが浮かんでは消え、なかなか寝つけなかった・・・・・・・長い1日だった。

ここまで読んでくれたのか?ありがとう!ありがとう!!
コメント (15)
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