病気で退職する松木氏の後任として
顔見知りの板野さんが来ることになり、ひとまずの安堵を得た我々。
すると気になってくるのは、なぜ彼が選ばれたのか…である。
本社は藤村が労基に訴えられて以来、年配者の中途採用をやめていた。
職にあぶれたオジさんを安く雇うメリットより
その人物からもたらされるデメリットの方が大きいことに気づいたからだ。
よって、中高年の新人が赴任することは無いとわかっていた。
しかし本社の直接雇用者ではなく、我々と同じ合併組の板野さんが選ばれるとは
思いもよらなかったのだ。
夫が常務に聞いた話から推測すると、この意外な人事はダイちゃんが原因かも。
「松木が退職するのを聞いたら、小川が(ダイちゃんのこと)ここへ来たい…
言うて、ワシんとこへ来たんじゃ」
…あの人、やっぱりうちへ来たかったらしい。
「自分なら、ここの様子がようわかっとるし
事務ができて事務員の給料も浮くけん
松木の代わりに営業所長で行かしてくれぇ言うんじゃ」
…これを立候補の理由にすると思ってたよ。
「まさかあいつが、そげなことを考えとるとは全然知らんかったけん
わしゃ、たまげてのぅ。
お前に車1台持たして、高速代と燃料代払うてここへ通わしたら
事務員雇うてお釣りが来るわい、言うて怒ったんよ」
常務はかなり驚いたと同時に、ショックで不愉快だったようだ。
この話を聞いた夫もまた、ひどく驚いていた。
ダイちゃんは、もっと地道で冷静な人だと思っていたからだ。
「母さんの言うた通りじゃった…ワシにはわからんかった」
しみじみと言う夫。
そうさ、人の心がわからないからノゾミみたいな女に騙されるのさ。
ダイちゃんは残りの人生を賭けて勝負に出たつもりだろうが
人の上に立つ者って、目をかけてきた部下の野心を一番嫌うものだ。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康…歴史を紐解いても、それは顕著である。
常に部下が野心を抱かないかを見張り
部下の野心を封じるため、さまざまな画策に明け暮れ
発覚すると猛烈に腹を立て、残酷な仕打ちで見せしめにした。
私は人の上に立ったことが無いのでわからないが
ある程度の地位に上り詰めた人は
部下に芽生えた小さな野心がやがて組織を揉ませ
自身の築いた環境を脅かし、ことと次第によっては
寝首をかかれるまでに発展するのが本能的にわかるらしい。
だから本能寺の変…じゃないよ。
さて話は戻って、常務はダイちゃんの申し出をバッサリ却下。
改めて本格的な人選に入った。
ダイちゃんをぐうの音も出ないようにするには、誰を選ぶべきか…
それを踏まえての人選だ。
そして思いついたのが、板野さん。
彼は島の工場へ通勤してはいるが、自宅はうちらの住む隣の市にあり
島と我が社との中間地点だそう。
高速は使わないため、通勤費の問題はクリア。
それに板野さんには、重機の操作がうまいという特典があった。
同じ二刀流なら、営業所長と事務より
営業所長と重機オペレーターの方が断然いい。
事務の代わりはナンボでもいるが、オペレーターの代わりは滅多にいないのだ。
夫の交代要員が務められるし、先で夫が退職しても
しばらくは板野さんで回せる。
なんなら役に立たないシゲちゃんに何とかお引き取り願って
事務員の給料よりよっぽど高い彼の人件費も削減できるではないか。
重機は、ダイちゃんが絶対に太刀打ちできない分野である。
彼が松木氏の後釜を狙わなければ
常務の頭に板野さんは浮上しなかったかもしれない。
ちなみに藤村は、松木氏がうちと一緒に担当していた県東部の生コンへ配属になった。
肩書きは、松木氏と同じく工場長。
松木氏は自宅から工場まで1時間ぐらいで行けたが
藤村は広島県の西の端から東の端までの通勤になる。
大変そうだ。
板野さんは後任に決まった翌日から、こちらへ出勤を始めた。
前任の二人のように威張らず、挨拶もきちんとするという。
つまり普通。
彼の性質については、夫が「コンニャクみたい」と
面白い表現をしたので笑った。
着任早々、常務にガミガミ言われる彼を見て思ったそう。
うちらは慣れているけど、初めてだったら恐いと思う。
それこそコンニャクみたいにボ〜ッとして、ユラユラしちゃうかもね。
松木氏も藤村も、このガミガミが恐くて
元々持っていた嘘つきの才能がバージョンアップしていった。
気の小さい人間は、自分が助かるために人を売るしかなくなるのだ。
板野さんが今後、どう変化していくかは不明だが
今はこの人と働くしかないんだから、見守るのみ。
会社では、そんな板野さんの歓迎会が行われることになった。
松木氏の送別会も兼ねて、日程は7月初旬の夕方。
彼が入院しないうちにやるそうだ。
ここでしゃしゃり出たのが、例の事務員ノゾミ。
会社の敷地でバーベキューをやりたいと言い出した。
今回の歓送迎会は、福利厚生費から一人5千円の予算が出る。
これでどこかへ食べに行きゃあ簡単に済むものを
バーベキュー、バーベキューと言って聞かないらしい。
夫はノゾミの提案に、あっさりOKを出した。
鉄板などの道具を借りるため、親戚の会社へ頼みに行ったり
ノゾミのノゾミを叶えるために準備中だ。
それはかまわないけど、重病人を呼び、日陰の無い屋外でバーベキュー…
松木氏に生命の保障は無い。
それもかまわないけど、彼は来ないと思う。
ともあれ人の旦那にちょっかい出す女って、たいていバーベキューが好きなものよ。
料理は苦手だが、甲斐甲斐しく世話を焼く姿を人に見せたいらしい。
その甲斐甲斐しさは、いつも他の誰かのサポートで成立しているが
本人は自分がやっていると思い込んでいて、楽だから好きなのだ。
好きと言えば、わざわざ肩や脚の出る服を着て参加するのもお好き。
いかにも「やってます」のそぶりで下を向き
あればの話だが、皆様に胸の谷間をちらつかせたり
大袈裟にしゃがんで、短い曲がった脚をあらわにするのもお好き。
自ら肌を露出しておいて
「あ〜ん、蚊に刺された〜、ほら〜真っ赤〜」
などと甘えた声を出し、首筋なんかを見せるのもお好き。
残念でした。
会社は海のそばなので、蚊はいませ〜ん。
そんなヤツが、終わったら片付けなんかやるわけねぇだろ。
やったことが無く、やる気も無いから言えるのだ。
バーベキューの女王を自称する運転手のヒロミと
醜いポジション争いを繰り広げればいいのだ。
それが楽しみなので、夫には“バーベキュー着”を買ってやった。
ヒンヤリする生地のスポーツウエアと、揃いの半ズボン。
野球メーカーのローリングスの、おしゃれなやつよ。
今どきはスポーツメーカーも、素敵なデザインを出している。
父の日だったからさ。
これを着て、チャラチャラしたらええが。
あ、私?呼ばれてないんだから、行かんよ。
ノゾミがいるのに、夫が呼ぶわけないじゃんか。
それに私、バーベキューは苦手だから興味無し。
暑い所で何か焼くなんて、ユリ寺だけで十分じゃわ。
以上、静かな現場から中継でした。
《完》
顔見知りの板野さんが来ることになり、ひとまずの安堵を得た我々。
すると気になってくるのは、なぜ彼が選ばれたのか…である。
本社は藤村が労基に訴えられて以来、年配者の中途採用をやめていた。
職にあぶれたオジさんを安く雇うメリットより
その人物からもたらされるデメリットの方が大きいことに気づいたからだ。
よって、中高年の新人が赴任することは無いとわかっていた。
しかし本社の直接雇用者ではなく、我々と同じ合併組の板野さんが選ばれるとは
思いもよらなかったのだ。
夫が常務に聞いた話から推測すると、この意外な人事はダイちゃんが原因かも。
「松木が退職するのを聞いたら、小川が(ダイちゃんのこと)ここへ来たい…
言うて、ワシんとこへ来たんじゃ」
…あの人、やっぱりうちへ来たかったらしい。
「自分なら、ここの様子がようわかっとるし
事務ができて事務員の給料も浮くけん
松木の代わりに営業所長で行かしてくれぇ言うんじゃ」
…これを立候補の理由にすると思ってたよ。
「まさかあいつが、そげなことを考えとるとは全然知らんかったけん
わしゃ、たまげてのぅ。
お前に車1台持たして、高速代と燃料代払うてここへ通わしたら
事務員雇うてお釣りが来るわい、言うて怒ったんよ」
常務はかなり驚いたと同時に、ショックで不愉快だったようだ。
この話を聞いた夫もまた、ひどく驚いていた。
ダイちゃんは、もっと地道で冷静な人だと思っていたからだ。
「母さんの言うた通りじゃった…ワシにはわからんかった」
しみじみと言う夫。
そうさ、人の心がわからないからノゾミみたいな女に騙されるのさ。
ダイちゃんは残りの人生を賭けて勝負に出たつもりだろうが
人の上に立つ者って、目をかけてきた部下の野心を一番嫌うものだ。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康…歴史を紐解いても、それは顕著である。
常に部下が野心を抱かないかを見張り
部下の野心を封じるため、さまざまな画策に明け暮れ
発覚すると猛烈に腹を立て、残酷な仕打ちで見せしめにした。
私は人の上に立ったことが無いのでわからないが
ある程度の地位に上り詰めた人は
部下に芽生えた小さな野心がやがて組織を揉ませ
自身の築いた環境を脅かし、ことと次第によっては
寝首をかかれるまでに発展するのが本能的にわかるらしい。
だから本能寺の変…じゃないよ。
さて話は戻って、常務はダイちゃんの申し出をバッサリ却下。
改めて本格的な人選に入った。
ダイちゃんをぐうの音も出ないようにするには、誰を選ぶべきか…
それを踏まえての人選だ。
そして思いついたのが、板野さん。
彼は島の工場へ通勤してはいるが、自宅はうちらの住む隣の市にあり
島と我が社との中間地点だそう。
高速は使わないため、通勤費の問題はクリア。
それに板野さんには、重機の操作がうまいという特典があった。
同じ二刀流なら、営業所長と事務より
営業所長と重機オペレーターの方が断然いい。
事務の代わりはナンボでもいるが、オペレーターの代わりは滅多にいないのだ。
夫の交代要員が務められるし、先で夫が退職しても
しばらくは板野さんで回せる。
なんなら役に立たないシゲちゃんに何とかお引き取り願って
事務員の給料よりよっぽど高い彼の人件費も削減できるではないか。
重機は、ダイちゃんが絶対に太刀打ちできない分野である。
彼が松木氏の後釜を狙わなければ
常務の頭に板野さんは浮上しなかったかもしれない。
ちなみに藤村は、松木氏がうちと一緒に担当していた県東部の生コンへ配属になった。
肩書きは、松木氏と同じく工場長。
松木氏は自宅から工場まで1時間ぐらいで行けたが
藤村は広島県の西の端から東の端までの通勤になる。
大変そうだ。
板野さんは後任に決まった翌日から、こちらへ出勤を始めた。
前任の二人のように威張らず、挨拶もきちんとするという。
つまり普通。
彼の性質については、夫が「コンニャクみたい」と
面白い表現をしたので笑った。
着任早々、常務にガミガミ言われる彼を見て思ったそう。
うちらは慣れているけど、初めてだったら恐いと思う。
それこそコンニャクみたいにボ〜ッとして、ユラユラしちゃうかもね。
松木氏も藤村も、このガミガミが恐くて
元々持っていた嘘つきの才能がバージョンアップしていった。
気の小さい人間は、自分が助かるために人を売るしかなくなるのだ。
板野さんが今後、どう変化していくかは不明だが
今はこの人と働くしかないんだから、見守るのみ。
会社では、そんな板野さんの歓迎会が行われることになった。
松木氏の送別会も兼ねて、日程は7月初旬の夕方。
彼が入院しないうちにやるそうだ。
ここでしゃしゃり出たのが、例の事務員ノゾミ。
会社の敷地でバーベキューをやりたいと言い出した。
今回の歓送迎会は、福利厚生費から一人5千円の予算が出る。
これでどこかへ食べに行きゃあ簡単に済むものを
バーベキュー、バーベキューと言って聞かないらしい。
夫はノゾミの提案に、あっさりOKを出した。
鉄板などの道具を借りるため、親戚の会社へ頼みに行ったり
ノゾミのノゾミを叶えるために準備中だ。
それはかまわないけど、重病人を呼び、日陰の無い屋外でバーベキュー…
松木氏に生命の保障は無い。
それもかまわないけど、彼は来ないと思う。
ともあれ人の旦那にちょっかい出す女って、たいていバーベキューが好きなものよ。
料理は苦手だが、甲斐甲斐しく世話を焼く姿を人に見せたいらしい。
その甲斐甲斐しさは、いつも他の誰かのサポートで成立しているが
本人は自分がやっていると思い込んでいて、楽だから好きなのだ。
好きと言えば、わざわざ肩や脚の出る服を着て参加するのもお好き。
いかにも「やってます」のそぶりで下を向き
あればの話だが、皆様に胸の谷間をちらつかせたり
大袈裟にしゃがんで、短い曲がった脚をあらわにするのもお好き。
自ら肌を露出しておいて
「あ〜ん、蚊に刺された〜、ほら〜真っ赤〜」
などと甘えた声を出し、首筋なんかを見せるのもお好き。
残念でした。
会社は海のそばなので、蚊はいませ〜ん。
そんなヤツが、終わったら片付けなんかやるわけねぇだろ。
やったことが無く、やる気も無いから言えるのだ。
バーベキューの女王を自称する運転手のヒロミと
醜いポジション争いを繰り広げればいいのだ。
それが楽しみなので、夫には“バーベキュー着”を買ってやった。
ヒンヤリする生地のスポーツウエアと、揃いの半ズボン。
野球メーカーのローリングスの、おしゃれなやつよ。
今どきはスポーツメーカーも、素敵なデザインを出している。
父の日だったからさ。
これを着て、チャラチャラしたらええが。
あ、私?呼ばれてないんだから、行かんよ。
ノゾミがいるのに、夫が呼ぶわけないじゃんか。
それに私、バーベキューは苦手だから興味無し。
暑い所で何か焼くなんて、ユリ寺だけで十分じゃわ。
以上、静かな現場から中継でした。
《完》