退職する松木氏の後任が決まる時を、まんじりともせずに我々は待った。
次に来る人物によって、自分たちの進退を決めようと考えていたからだ。
松木氏や藤村のような社会人不適格者はもう、こりごり…
この思いは強い。
とはいえ、彼らばかりが悪いのではない。
我々にも非はある。
松木氏にも藤村にも、初対面から礼儀正しく友好的…
つまり、新人を迎え入れる際に取るべき普通の態度で接した。
その対応が彼らを勘違いさせたのは、大きな失敗である。
こちらの謙りに気づかず
彼らは自分の方が偉いと思い込んで増長を続け
あげくは夫を追い出して、自分が成り代わろうと画策した。
人によっては、きつい言葉でビシバシと
牛馬のごとく接するのがふさわしい者もいる…
それを学んだ我々は、次もどうせロクでもないヤツが来るだろうから
“無愛想”、“無関心”、“冷淡”に徹して様子を見よう…
悪と判断したら容赦なく叩き、恐怖で支配しよう…
そう決めていた。
この手は私が義父にさんざんやられてきたので
人には絶対にしたくないし、家族にもさせたくないが仕方がない。
それが嫌になったら、あるいはその態度が問題になったら
かまうことはない、一家で退職だ。
とにかく変なヤツが来て、こりゃダメだと思ったらさっさと辞める。
その一方で息子たちは、藤村の復帰を案じていた。
「あいつが来て俺らが辞めるというのは、悔しい」
と言うのだ。
しかし我々夫婦は、その線は無いと確信している。
自身が入社させた女性運転手にハラスメントで訴えられ
傷病手当や慰謝料といった賠償が完全に終わったのが、今年に入ってからだ。
まだ日が浅いのに戻らせたら、労基を欺いたと受け止められ
見せしめに本社が叩かれるだろうから、藤村の路線は無い。
それに小心者の彼は、長男をひどく恐れているので
万が一、任命されても拒否すると思う。
次に予想される人物は、藤村の子分だった30代後半の黒石。
藤村が居る時は、彼の後継者気取りでうちに入り浸り
こっそり3トンダンプの練習までしていた。
言わば、うちのことを多少知っているのがセールスポイント。
おべっか使いを優遇し、見当違いの野心をやる気とみなす
本社の性質を鑑みた場合、全くあり得ない人事ではない。
もしも彼が来た場合、若いのとアホなので扱いやすいだろうから
最初に叩くビシバシ路線の対応と決めた。
他に考えられるのは、ダイちゃんだ。
しかしこれは、私だけの予測。
これを言うと、家族は鼻で笑った。
事務畑のダイちゃんをわざわざ営業部に移動させて
こっちへ配属させるよう手間をかけるわけがない…
彼もよくわかっているはずだから、それだけはあり得ない…
などと口を揃えて言う。
けれども私は以前から、彼の奥底に揺らめく野心の炎を感じていた。
夫と息子たちがいくら否定しても、この感触は消えない。
彼は次期取締役のはずが、宗教の勧誘が原因で
肩書き無しの一般社員に格下げされ
ほぼ同時期に厚生年金の受給が始まったため、今は嘱託社員の身の上だ。
肩書き無しの一般社員が嘱託社員になると、定年は65才。
それが本社の規定で、私と同い年の彼は
あと2年しか勤められない計算になる。
もちろん特例もあるし、取締役の胸先三寸でどうにでもなる規定だ。
現に、夫より一つ年上の松木氏がそうだった。
うちで役に立たなかった彼は県東部の生コン工場へ
工場長の肩書きで配属されたが、そこで62才を迎え
肩書きはそのままに嘱託社員として定年を待つはずだった。
しかし64才の時、藤村がハラスメントの不祥事を起こしたお陰で
彼の人生は一変した。
営業所長だった藤村の交代要員として
うちの仕事を少しは知っている松木氏を呼び戻すことになったが
労基との兼ね合いで、松木氏を藤村より上の立場にする必要にかられたのだ。
当時は訴えを起こした神田さんを職場復帰させる前提で
労基の指導のもと、和解を進めていた。
その指導によれば、悪質なハラスメントが発生した職場なんだから
責任ある立場の人間を配属して監視させるという
労基の出した条件を満たさなければならない。
しかし本社の責任ある立場の人たちは
遠い上に厄介な問題の起きたうちへなんぞ、来たくない。
そうだ、松木氏をそういう人間に仕立てれば早い…
この合理的な考えから、彼を正社員に戻し
藤村より一つ上の本社付き次長の肩書きを付けて
松木氏をうちへ配属した。
本社付き次長になれば、65才定年の縛りは消え
退職時期はあって無いようなものとなる。
そんなラッキーボーイの松木氏が、それからわずか1年
病気で退職を余儀なくされたのはさておさ
この前例にダイちゃんが燃えないわけがない。
彼としては定年が近づいた今
松木氏と同じ、この先も勤続できる肩書きが欲しいはず。
だって彼の所属する教団は、毎月の寄付がたくさんいる。
退職して年金生活になると、寄付金の額や回数が
今までと同じというわけにはいかない。
すると会社だけでなく教団からも、泡沫信者として窓際に追いやられる。
この屈辱をできるだけ先延ばしにしたい気持ちが強いのは
絶対に間違いない。
しかも彼は、松木氏も藤村もできなかった事務ができる。
事務のできる営業所長になれば、事務員を雇わなくていいので
人件費節約を主張できる。
事務と回し者の二刀流を上層部にアピールして認められたら
嘱託社員から正社員へのカムバックと昇進は
まんざら夢物語ではなくなるのだ。
彼はまだ、諦めてはいない…
だから私はここ何年も、ずっとそう思っている。
宗教にハマる人間は、神仏が希望を叶えてくれると信じているので
身の程を知らないものなのだ…
そんな私の主張をせせら笑う家族だった。
そして先日、また河野常務が来ることになった。
後任を伝えるためなのはわかっているので、夫はソワソワしていた。
変なのが来たら辞めると家族で決めはしたが
ノゾミをほっといて自分がいなくなるのは
気が引けるというところだろう。
結果、松木氏の後任は予想外の人物だった。
うちより少し前に本社と合併した、島しょ部の生コン工場がある。
本社の前身と同じ生コン会社なので、仕事の内容がわかっているのと
へんぴな島であること、規模が小さいなどの理由から
松木氏や藤村のような回し者は送られず、のどかに営業している所だ。
そこに長く勤め、今は工場長をしている板野さんという62才の男性が
うちを担当することになった。
彼は本土に用がある時、たまにうちへ寄るので
我々家族は彼と面識があった。
穏やかで、おっとりした人だ。
彼は工場を自営していたわけではなく、勤続の長い社員だが
合併の悲哀は味わっているため、夫と通じ合うものがあった。
今まで通り、島の工場を管理しながら
週に3回、午前中にこちらへ来るという。
普通を欲していた我々は、この人事を歓迎した。
《続く》
次に来る人物によって、自分たちの進退を決めようと考えていたからだ。
松木氏や藤村のような社会人不適格者はもう、こりごり…
この思いは強い。
とはいえ、彼らばかりが悪いのではない。
我々にも非はある。
松木氏にも藤村にも、初対面から礼儀正しく友好的…
つまり、新人を迎え入れる際に取るべき普通の態度で接した。
その対応が彼らを勘違いさせたのは、大きな失敗である。
こちらの謙りに気づかず
彼らは自分の方が偉いと思い込んで増長を続け
あげくは夫を追い出して、自分が成り代わろうと画策した。
人によっては、きつい言葉でビシバシと
牛馬のごとく接するのがふさわしい者もいる…
それを学んだ我々は、次もどうせロクでもないヤツが来るだろうから
“無愛想”、“無関心”、“冷淡”に徹して様子を見よう…
悪と判断したら容赦なく叩き、恐怖で支配しよう…
そう決めていた。
この手は私が義父にさんざんやられてきたので
人には絶対にしたくないし、家族にもさせたくないが仕方がない。
それが嫌になったら、あるいはその態度が問題になったら
かまうことはない、一家で退職だ。
とにかく変なヤツが来て、こりゃダメだと思ったらさっさと辞める。
その一方で息子たちは、藤村の復帰を案じていた。
「あいつが来て俺らが辞めるというのは、悔しい」
と言うのだ。
しかし我々夫婦は、その線は無いと確信している。
自身が入社させた女性運転手にハラスメントで訴えられ
傷病手当や慰謝料といった賠償が完全に終わったのが、今年に入ってからだ。
まだ日が浅いのに戻らせたら、労基を欺いたと受け止められ
見せしめに本社が叩かれるだろうから、藤村の路線は無い。
それに小心者の彼は、長男をひどく恐れているので
万が一、任命されても拒否すると思う。
次に予想される人物は、藤村の子分だった30代後半の黒石。
藤村が居る時は、彼の後継者気取りでうちに入り浸り
こっそり3トンダンプの練習までしていた。
言わば、うちのことを多少知っているのがセールスポイント。
おべっか使いを優遇し、見当違いの野心をやる気とみなす
本社の性質を鑑みた場合、全くあり得ない人事ではない。
もしも彼が来た場合、若いのとアホなので扱いやすいだろうから
最初に叩くビシバシ路線の対応と決めた。
他に考えられるのは、ダイちゃんだ。
しかしこれは、私だけの予測。
これを言うと、家族は鼻で笑った。
事務畑のダイちゃんをわざわざ営業部に移動させて
こっちへ配属させるよう手間をかけるわけがない…
彼もよくわかっているはずだから、それだけはあり得ない…
などと口を揃えて言う。
けれども私は以前から、彼の奥底に揺らめく野心の炎を感じていた。
夫と息子たちがいくら否定しても、この感触は消えない。
彼は次期取締役のはずが、宗教の勧誘が原因で
肩書き無しの一般社員に格下げされ
ほぼ同時期に厚生年金の受給が始まったため、今は嘱託社員の身の上だ。
肩書き無しの一般社員が嘱託社員になると、定年は65才。
それが本社の規定で、私と同い年の彼は
あと2年しか勤められない計算になる。
もちろん特例もあるし、取締役の胸先三寸でどうにでもなる規定だ。
現に、夫より一つ年上の松木氏がそうだった。
うちで役に立たなかった彼は県東部の生コン工場へ
工場長の肩書きで配属されたが、そこで62才を迎え
肩書きはそのままに嘱託社員として定年を待つはずだった。
しかし64才の時、藤村がハラスメントの不祥事を起こしたお陰で
彼の人生は一変した。
営業所長だった藤村の交代要員として
うちの仕事を少しは知っている松木氏を呼び戻すことになったが
労基との兼ね合いで、松木氏を藤村より上の立場にする必要にかられたのだ。
当時は訴えを起こした神田さんを職場復帰させる前提で
労基の指導のもと、和解を進めていた。
その指導によれば、悪質なハラスメントが発生した職場なんだから
責任ある立場の人間を配属して監視させるという
労基の出した条件を満たさなければならない。
しかし本社の責任ある立場の人たちは
遠い上に厄介な問題の起きたうちへなんぞ、来たくない。
そうだ、松木氏をそういう人間に仕立てれば早い…
この合理的な考えから、彼を正社員に戻し
藤村より一つ上の本社付き次長の肩書きを付けて
松木氏をうちへ配属した。
本社付き次長になれば、65才定年の縛りは消え
退職時期はあって無いようなものとなる。
そんなラッキーボーイの松木氏が、それからわずか1年
病気で退職を余儀なくされたのはさておさ
この前例にダイちゃんが燃えないわけがない。
彼としては定年が近づいた今
松木氏と同じ、この先も勤続できる肩書きが欲しいはず。
だって彼の所属する教団は、毎月の寄付がたくさんいる。
退職して年金生活になると、寄付金の額や回数が
今までと同じというわけにはいかない。
すると会社だけでなく教団からも、泡沫信者として窓際に追いやられる。
この屈辱をできるだけ先延ばしにしたい気持ちが強いのは
絶対に間違いない。
しかも彼は、松木氏も藤村もできなかった事務ができる。
事務のできる営業所長になれば、事務員を雇わなくていいので
人件費節約を主張できる。
事務と回し者の二刀流を上層部にアピールして認められたら
嘱託社員から正社員へのカムバックと昇進は
まんざら夢物語ではなくなるのだ。
彼はまだ、諦めてはいない…
だから私はここ何年も、ずっとそう思っている。
宗教にハマる人間は、神仏が希望を叶えてくれると信じているので
身の程を知らないものなのだ…
そんな私の主張をせせら笑う家族だった。
そして先日、また河野常務が来ることになった。
後任を伝えるためなのはわかっているので、夫はソワソワしていた。
変なのが来たら辞めると家族で決めはしたが
ノゾミをほっといて自分がいなくなるのは
気が引けるというところだろう。
結果、松木氏の後任は予想外の人物だった。
うちより少し前に本社と合併した、島しょ部の生コン工場がある。
本社の前身と同じ生コン会社なので、仕事の内容がわかっているのと
へんぴな島であること、規模が小さいなどの理由から
松木氏や藤村のような回し者は送られず、のどかに営業している所だ。
そこに長く勤め、今は工場長をしている板野さんという62才の男性が
うちを担当することになった。
彼は本土に用がある時、たまにうちへ寄るので
我々家族は彼と面識があった。
穏やかで、おっとりした人だ。
彼は工場を自営していたわけではなく、勤続の長い社員だが
合併の悲哀は味わっているため、夫と通じ合うものがあった。
今まで通り、島の工場を管理しながら
週に3回、午前中にこちらへ来るという。
普通を欲していた我々は、この人事を歓迎した。
《続く》