殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

現場はいま…それから・2

2020年12月27日 12時08分32秒 | シリーズ・現場はいま…
石原部長と永井部長が行う聞き取り調査は

商工会議所の一室で始まった。

シュウちゃんをトップバッターに長男、夫の順で一人ずつ来いという。


1時間後、シュウちゃんは会社へ戻ってきた。

内容を聞く暇も無く、次は長男が商工会議所へ出発。

とはいえ内容も何も、シュウちゃんは天然なお爺ちゃんで

面倒なことは「年じゃけん、忘れた」で済ませるタイプ。

だから調査の内容を聞いたって、あまり参考にならない。


次に行った長男の話によると、全ての発言を

ボイスレコーダーに録音することに同意を求められたので

はい、と返事をしたそうだ。

それから石原部長は、神田さんの悪口を言ったかどうかをたずねた。


「言ったかもしれませんが、よく覚えていません」

長男が答えると、石原部長は言った。

「君もか…困ったねぇ。

悪口を言ったか言わないか

言ったとしたらどんな内容かを知りたいんだ。

この問題は、君たち2人が

無線で神田さんの悪口を言ったことから始まったと

藤村さんは言っている。

だけど君たちの話も聞かないと、正しい判断はできない。

僕は何が本当なのか、事実を明らかにしたいんだ。

神田さんは、できれば会社に戻りたいと言っているし

会社としても、神田さんに今まで通り働いてもらいたいんだ。

そうすれば穏便に解決できるからね。

そのためには事実関係をはっきりさせて

これからどうしたらいいかをみんなで考えたいと思っているんだよ」


石原部長と初めて話した長男は、感じの良い人だと思ったが

話す内容には失望したという。

やっといなくなったプレデター神田を会社に戻すなんて…

何もわかっちゃいない…

この人も藤村の嘘を信じているんだ…。


長男は石原部長の発言をそう受け取ったが、これ、実は違う。

石原部長は、教科書通りの手順を踏んでいるだけだ。

パワハラホットラインの責任者として、それなりの知識を持つ石原部長は

まず穏便に解決する道を探っている。

シュウちゃん、長男、夫と、下から順に呼ぶやり方がそうだ。

先にシュウちゃんと長男から、悪口を言った確証を取りたいのである。


最高に理想的な穏便は、シュウちゃんと長男が悪口を言ったことを認めて

神田さんに心から謝罪し、2人を許した神田さんが訴えを取り下げて

何事もなかったかのように働くことである。

そうなれば慰謝料がいらないし、代わりの社員を雇う必要も無いので

無駄な経費を使わなくて済む。

本社の危機にこれをやり遂げれば、石原部長の株はグンと上がるはずだ。

次は常務か専務で間違いない。

だから彼は、無理とわかっていても

一応その路線を辿らなければ次へ進む気になれないのだ。


そして神田さんが会社に戻りたいというのは、建て前である。

結婚や引っ越しを知らせるハガキに、よく書いてあるだろう。

「お近くへお越しの際は、ぜひお立ち寄りください」

だからといって本当に立ち寄られたら困る、あれと同じよ。

お金目当てで訴えを起こしている者は

「戻りたい…働きたい…

でもあの人に傷つけられて、もう仕事は無理かも…」

このスタンスを保つ必要がある。

「あんなとこ、二度と嫌!ツ〜ン!」

これと比較すると、某機関や会社の心象が違うし

慰謝料の額が変わる場合があるからだ。

石原部長はそれを感知しながらも

自身に都合のいい、元のサヤ路線を尊重したがっているに過ぎない。


ともあれ若いモンは常に

事態が自分の思い通りになることを熱望しているものだ。

それ以外の方向へ向くと簡単に絶望するが、この絶望が事態を悪化させる。

ふくれたり、恨んだり、ヤケになった結果

あらぬことを口走ったり、喧嘩になり、嫌われて自滅することが多い。

だから前夜の講習で、私は長男に言ってあった。

「本社の方針が、あんたの予測とかけ離れていた場合は

あんまり喋らず、一旦終了に持ち込んで帰って来い」

とりあえず、どんな様子かを聞かなければ仕切り直しができないからだ。


40才の中年息子に過保護かもしれないが

バカが変な女を会社に入れて、その女から訴えられ

張本人のバカからは罪をなすられるなんてこと

滅多に起きるものではない。

ここは母親が、乏しい知恵をあてがうしかないじゃないか。



さて長男は、物忘れの多い無口君を装って帰って来た。

話すのは石原部長だけで、その横に座る永井部長は終始黙っていたそうだ。

石原部長とは、そういう話になっていたのかもしれない。


こうして前座は終わった。

トリは夫である。

彼と石原部長は、会えば親しくおしゃべりをする仲。

石原部長はやはり

シュウちゃんと長男の悪口説に持ち込みたい様子だった。


「そうですね、それが一番穏便ですね。

でも石原さんのことだから、もうそんな段階じゃないって

わかっておられるでしょう」

夫はやんわりと言い、私との打ち合わせ通り

配車にまつわるエピソードを話した。

「癌になったから配車はもうできない」

夫にそう言いながら、次男には

「親父の配車に協力するな」

と言った件である。

「こういう人だから、会社がゴタゴタするのは当たり前ですよ」


この具体的なエピソードは効き目があったようで

石原部長のみならず永井部長も驚いて、顔を見合わせていたそうだ。

それからは、夫の目から見た藤村の行状をたずねられ

夫が答えるというやり取りが続いた。

彼らの注目は、シュウちゃんや長男から藤村へと移ったのだ。


やがて質問は、神田さんのことに及んだ。

「もし戻らせたら、また一緒に働けるか」

という問いに、夫は

「僕はかまいませんが、本当に具合が悪いんなら

藤村さんと一緒に働けないでしょう。

それに運転に向いていませんから、続かないと思います」

と答えた。


そんなにヘタなのか…経験を積んだら何とかならないか…

石原部長はなおも問う。

神田さんを戻らせて丸く納める理想的解決を

諦めきれない様子だ。

しかし夫は首を振った。

「パワハラの告発の次は、事故ですよ」

石原部長は、これで諦めがついたようだ。


もちろん、全ての会話は録音されている。

これを第三者に聞かせてもいいかと問われたので

夫は、どうぞと答えた。

第三者とは、河野常務や弁護士だろう。

望むところである。


こうしてこの日、夫の発言によって

シュウちゃんと長男が生け贄となる事態はまぬがれた。

そして石原部長の疑惑は、ようやく藤村に向けられ始めたようだ。

私がそれを確信した理由は

部外者ということで予定に無かった次男の聴取が

日を変えて後日、行われることに決まったからである。

《続く》
コメント (4)
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