goo blog サービス終了のお知らせ 

日本と韓国と朝鮮の友好をすすめます・・日朝協会です。アジアと世界情勢を観る。

日本と韓国と朝鮮の歴史・現在から、
平和な未来を切りひらくために....
ご入会ください。1ケ月¥500

千葉県船橋市の馬込霊園で行われた関東大震災93周年朝鮮人犠牲者追悼慰霊祭

2016-09-03 | いかなる差別もあってはならない
関東大震災の虐殺から93年、70年間続いた朝鮮人慰霊祭

登録 : 2016.09.02 03:20 修正 : 2016.09.02 08:07


千葉県船橋市の朝鮮人犠牲者追悼慰霊祭
今月1日、千葉県船橋市の馬込霊園で行われた関東大震災93周年朝鮮人犠牲者追悼慰霊祭に出席したある同胞が慰霊碑に献花している=船橋(千葉)/キル・ユンヒョン特派員//ハンギョレ新聞社
 夏の日差しが降り注いでいた1日午前11時57分。千葉県船橋市の馬込霊園に童謡「故郷の春」が流れ始めると、150人以上の在日同胞が一斉に立ち上がり、長い黙祷を捧げた。93年前の1923年9月1日、関東大震災が発生した時間に合わせ、当時、無念にも虐殺された同胞の魂を慰めるための追悼慰霊祭が開かれた。

 毎年9月初めになると、日本の関東地域では大震災以降、日本軍と自警団によって虐殺された朝鮮人の魂を慰めるための様々な行事が開かれる。しかし、ここ船橋の行事には大きな特徴がある。日本人が中心になって進められる他の行事とは異なり、在日本朝鮮人総連合会(総連)を中心とした同胞社会が主催していることだ。関東大震災に関する2本のドキュメンタリー映画を作った呉充功(オチュンゴン)監督(60)は、「解放直後に同胞たちが当時虐殺された犠牲者のために慰霊碑を作り、遺骨まで発掘して追悼行事を続けてきたのは、ここしかない」と話した。現在、馬込霊園に建てられた慰霊碑は、解放からわずか2年後の1947年の三一節を迎え、同胞たちが少しずつお金を集めて作ったものだ。

今月1日の追悼慰霊祭のため、曹溪宗観音寺のテジョン住職が馬込霊園を訪れ、読経している=船橋(千葉)/キル・ユンヒョン特派員//ハンギョレ新聞社
 慰霊碑が現在の位置に移されることになった過程は、まるで一編のドラマのようだった。当初、この碑石は虐殺が行われた旧船橋火葬場近くにあったが、土地問題などで碑石を移転せざるを得ない状況になった。同胞たちは、石碑を移転する際、当時亡くなった人たちの遺骨を探し回っていたが、糸口をつかめずにいた。ところが、救いの手を差し伸べてくれたのは、ある日本人だった。彼の父親が「家の仏壇の下に、朝鮮人の遺骨を埋めた地図を隠しておいた。後に遺骨を探す人が来たら、場所を教えてやってくれ」という遺言を残したのだ。地図に記されていた地域(現在、船橋駅前の天沼弁天池公園)を掘り起こしてみると、遺骨が出てきた。以降、同胞たちは船橋市との交渉を通じて1962年に現在の位置に慰霊碑を移した。

 この日の行事に出席したイ・ギソクさん(81)の父親イ・ジンホさん(1889~1956)は、当時、朝鮮人虐殺の現場を目撃した。慶尚南道密陽(ミリャン)出身の彼の父親は24歳の時、現在の東京月島付近で地震に遭った。地震直後、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れている」という流言飛語が広まったことで、軍・警察、自警団によって6000人を超える朝鮮人が虐殺されたと推定される。日本の警察は「朝鮮人の保護」を名目に多くの朝鮮人を当時日本陸軍騎兵連隊がいた千葉県習志野に集団収容した。

 しかし、収容所ではまた別の虐殺が待っていた。軍が収容者の中から「不逞鮮人」を選んで直接殺害したり、周辺の村人に引き渡して虐殺を勧めたのだ。イさんは「殺害のうわさを聞いた父は収容所を逃げ出して命拾いした」と話した。

今月1日、慰霊碑にお香をあげる在日同胞たちと日本の市民たち=船橋(千葉)/キル・ユンヒョン特派員//ハンギョレ新聞社
 船橋の追悼式は1947年以来70年間続いている。 この日の行事に出席した日本側の代表堀山久氏(高校教師)は「日本では今日が防災の日と定められているが、多くの朝鮮人たちが虐殺されたことに対する言及はほとんどない。二度と同じ過ちを犯さないためにも、私たち日本人はこの歴史を葬り去ってはならない」と指摘した。千葉朝鮮初中級学校の中学3年生のパク・ユヒャンさん(15)は「今も続いている日本の民族差別に対し、堂々と戦っていく」と話した。

船橋(千葉)/キル・ユンヒョン特派員(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

震災時に飛び交ったデマにより、官憲や「自警団」によって虐殺され犠牲になった多くの朝鮮人の追悼式が

2016-09-03 | いかなる差別もあってはならない
関東大震災93周年 教訓を心に刻み、両国の友好を
埼玉北部の本庄、熊谷市と上里町で朝鮮人犠牲者追悼式


関東大震災が起きたちょうど93年後の1日、震災時に飛び交ったデマにより、官憲や「自警団」によって虐殺され犠牲になった多くの朝鮮人の追悼式が、埼玉県北部地方の本庄、神保原、熊谷の墓地などで挙行された。

追悼式では、黙とうや焼香、献花などが行われ、参列した総聯、民団関係者をはじめとする同胞と、市長、町長、県議、市議をはじめとする日本市民たちは、犠牲者を偲び、冥福を祈った。

総聯からは、総聯中央の黄明常任委員や総聯埼玉県本部の申敏浩委員長をはじめとする活動家たちが参加した。

埼玉県北部地域は、「朝鮮人が暴動を起こした」などの流言飛語が飛び交い、東京方面から避難、連行、移送されてきた人々をはじめとする多くの朝鮮人が虐殺された地域だ。

本庄市主催のもと、長峰墓地の慰霊碑の前で行われた追悼式(参加者約160人)では、吉田信解市長が慰霊のことばで、「過去の悲惨な事件を教訓に、人と人とが信頼し合う真に災害に強い、安心安全な地域社会を築いていくことをこの場において厳粛に誓う」と語った。

上里町が主催する追悼式(参加者約140人)は、安盛寺境内にある慰霊碑の前で行われた。関根孝道町長は追悼の辞で「犠牲となった在日朝鮮人の方々に哀悼の意を表するととめ、私たちはこの地で慰霊祭を開催し、改めてご冥福をお祈り申し上げ、不幸で悲劇的な出来事が再び繰り返さないよう心に期する日としている」と述べた。

メモリアル彩雲で行われた追悼式(参加者約170人)は熊谷市が主催。富岡清市長は追悼のことばで「この悲しい歴史を後世に正しく語り継ぐとともに、御霊に心からの弔意を捧げ、再び過ちを犯さぬことをお誓い申し上げる」と語った。


総聯北部支部の李龍泰委員長は追悼式でのお礼のことばで、「いまだ街中にヘイトスピーチや排外主義的な言動が飛び交う昨今、我々は過去の事実に背を向けるのではなく、歴史的教訓をそれぞれが正しく心に刻み、大局的、歴史的、人道的見地に立って、両国の友好と親善関係を深めていかなければならない」と述べた。

熊谷での追悼式に初めて参列したという熊谷市在住の李良成さん(47、総聯北部支部宣伝文化部長)は、市長をはじめ多くの日本市民が参加していることに驚きを示し、93年前の悲劇を風化させず、朝・日が手を取り合い共存共栄して差別のない社会を共につくっていきたいと語った。

(高英俊)

軍隊や警察、自警団によって罪もない朝鮮人6000人以上、中国人700人以上が虐殺されました。

2016-09-02 | 日朝韓友好親善のために
関東大震災 朝鮮人犠牲者を追悼
過去の過ち、忘れぬ誓い




(写真)金順子(キム・スンジャ)さんの追悼の舞=1日、東京都墨田区

 関東大震災93周年朝鮮人犠牲者追悼式典が1日、東京都墨田区で開かれました。主催は、9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼実行委員会。約200人が参加しました。

 関東大震災のとき、「朝鮮人が井戸に毒を流した」などの流言が発生。軍隊や警察、自警団によって罪もない朝鮮人6000人以上、中国人700人以上が虐殺されました。式典は、犠牲者の追悼と、アジアの平和と安定に寄与することを願い、毎年9月1日に開催されています。

 日朝協会東京都連合会の吉田博徳会長は開会あいさつで、「関東大震災時に発生した虐殺事件は、歴史研究によって確定されている事実である。この事件を永久に忘れないために、二度と起こさないために活動を続けてきた」と話しました。

 日本共産党の、あぜ上三和子都議も参加しました。「過去の歴史と正面から向き合い、過去の過ちを認めて反省し、未来への教訓としていく。その国際公約ともいえる日本国憲法を守り、生かしていくことこそ現在の日本に強く求められていると考える」と追悼の辞を述べました。

 式典に参加した女性(30)=東京都新宿区=は「関東大震災のことは知っていても、虐殺のことを多くの国民が知らない。もっと多くの人に広めていく必要がある。過去の歴史事実を認めてほしい」と話していました。

防衛大臣の稲田朋美氏:この方 に重要な日本の防衛問題を任せてよいものかと大変心配。

2016-09-01 | 日朝韓友好親善のために
「8月24日(水)午前、日朝協会・石橋会長と宮垣事務局長が、外務省アジア大洋州局・北東アジア課の北朝鮮担当事務官・徳屋友基子さんとお会いし別掲の要請書を渡し、親しく懇談しました。懇談の中では、北朝鮮とのパイプを太くしていくことが大切、との認識で一致しました。」

                                                      2016年8月24日
内閣総理大臣 安倍晋三 殿
                                                      日朝協会会長
                                                      石橋正夫

新内閣の発足にあたり
北東アジアの平和構築を推進するための要請書


 8月3日、第3次安倍内閣(第2次 改造)が成立しました。

日朝協会は、安倍内閣が進めてこられた今日までの東アジア外交をふり返りながら、新しい各大臣の経歴を見させていただき、近隣諸国と友好親善を進められ

るのか大変心配しています。

この間日本では、国民的な反対運動を押し切って安保法制=戦争法が施行されました。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は、38度線の休戦ラインを平和ラ

インにするために、アメリカは話し合いに応じてほしいと繰り返し「ミサイル」発射や核実験の予告が行われ、解決の道筋が混沌としています。韓国では、中

国やロシアなどの大きな反対にもかかわらず、アメリカの執拗な圧力によってTHAAD(弾道弾迎撃ミサイルシステム)の配備が強行されました。

このような中で新内閣は北東アジアの平和構築を推進するために軍事優先ではなく、どのようなイニシャティヴを発揮するのか国民は関心を持ってみていま

す。中国からは新内閣・閣僚に対して大きな危惧の念が伝えられています。

その中でも特に防衛大臣の稲田朋美氏は、衆議院議員になって以来、終戦の日(8月15日)とサンフランシスコ講和条約発効の日(4月28日)に、昨年まで毎

年、靖国神社を参拝し、また、全世界の核兵器廃絶の世論に背を向け、「日本独自の核保有を、単なる議論や精神論ではなく国家戦略として検討すべき」と述

べていることは、近隣諸国への配慮に欠ける態度であり「非核三原則」の国是にも反する考えは閣僚としての資質にもとる言動だと指摘され、国内でもこの方

に重要な日本の防衛問題を任せてよいものかと大変心配されています。

私たち日朝協会は、1910年「韓国併合」から1945年8月敗戦に至る日本の朝鮮植民地支配・アジア太平洋地域への侵略戦争への責任を踏まえ必要な賠償などの

事項の解決と日朝国交正常化、拉致問題の「解決」、六者協議(6カ国協議)の再開など、北東アジアの平和構築を推進するために、貴殿及び新内閣が、近隣

諸国から信頼される積極的な施策を講じられることを心から要請します。