日本と韓国と朝鮮の友好をすすめます・・日朝協会です。アジアと世界情勢を観る。

日本と韓国と朝鮮の歴史・現在から、
平和な未来を切りひらくために....
ご入会ください。1ケ月¥500

ノートにびっしりと書かれた日記。1943年1月の記載

2013-08-08 | マスコミ報道をそのまま掲載・資料

慰安所従業員:日記発見

 慰安婦の日常、淡々と 募集の時期は欠落


毎日新聞 2013年08月07日 東京朝刊



 ただ、米外交問題評議会のジェイムス・リンゼイ上級副会長は毎日新聞に対し、米国で慰安婦問題への批判が強い理由について「女性への性暴力が大きな政治的関心を呼ぶようになった世界的な流れが背景にある」と指摘。強制連行の有無は大きな論点ではなく、慰安婦という制度そのものへの向き合い方が問題視されているとの認識を示した。

==============

 ◆慰安所従業員の日記 抜粋
 ◇1943年

 1月 1日 ビルマ国アキャブ市(現シットウェ)の慰安所、勘八倶楽部(くらぶ)で起きて、宮城(皇居)に向かって遥拝(ようはい)した。家内の弟と○桓君は、<慰安婦を連れて連隊本部とその他3、4カ所に新年のあいさつに行ってきた。>

 1月 2日 昨日は元日で休業し、今日から慰安業を始める。

 1月 9日 今日の検査の結果、病気だった○千代と○子の2人が不合格で、その他16人はみんな合格だった。

 1月12日 連隊本部へ行き、慰安婦の収入報告書を提出した。

 1月13日 連隊本部医務室から衛生サック(コンドーム)1000個を持ってきた。

 1月16日 午後6時ごろ連隊本部事務室で、数日前に頼んだラングーン(現ヤンゴン)への出張証明書をもらった。

 1月18日 同行の友となった中村上等兵と兵站(へいたん)へ行って朝飯を食べ、某少尉の案内で彼の部隊へ行って寝食をすることにする。某少尉も同行してラングーンまで行くという。

 1月21日 ビルマ国タンガップの<火村小隊の車に火村小隊長少尉らと7人で乗って、午前11時にタンガップを出発した。>

 1月25日 横浜正金銀行ラングーン支店で3万2000円を貯金した。

 1月29日 朝鮮から一緒に来た野沢氏に会った。マンダレーの方で慰安所をしていたが、今は、部隊の移動に従ってプロメーに移り、営業しているという。

 3月10日 <55師団から、マンダレーに近いイェウーに移転しろという命令が(ビルマ国ペグー市の)金川氏の慰安所にあった。慰安婦一同は絶対反対ということだった。>

 3月14日 <金川氏は司令部命令に勝てず、慰安所をイェウーへ移すことになった。>

 3月16日 金川氏は、師団連絡所からイェウー方面への移動を当分の間、中止すると言われた。

 4月 5日 桜倶楽部の慰安婦、○子は腹部がとても痛み、午後、開腹手術をするのだという。○子は昨年、マンダレーにいた時も盲腸炎で手術をした。


/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

開城工業団地:閉鎖カード選んですぐに…北朝鮮「14日に開城会談」

2013年08月08日中央日報日本語版


中断されていた開城(ケソン)工業団地の正常化実務会談が14日、開城工業団地で再開される。柳吉在(リュ・ギルジェ)統一部長官が「今回が最後」としながら当局者会談を提案して10日後の7日、北朝鮮は祖国平和統一委員会の報道官特別談話を通じて韓国側の提案を受け入れた。談話で北朝鮮は「開城工業地区事業が暫定中断状態に入って4カ月になる」として「8月15日の解放68周年を契機に、民族全員にうれしいニュースを伝えるため前提条件なしで会談を持とう」と提案した。

「私たちの(北朝鮮の)おおらかで寛大な心ある立場表明に呼応するように」とも伝えた。それと共に▲開城工業団地の暫定中断措置の解除および韓国企業の出入り全面許可▲北朝鮮労働者たちの正常出勤の保障▲南側人員の身辺安全の担保および企業財産保護を約束した。特に北朝鮮は「いかなる場合でも情勢の影響を受けることなく工業地区の正常運営を保障するようにする」として、韓国政府が強調してきた再発防止の意志も明らかにした。

これに伴い、閉鎖危機に陥っていた開城工業団地の状況はひとまず峠を越すことになった。9日まで休暇が予定されていた柳長官はこの日午後に統一部に復帰して、今後の対応策を議論し北朝鮮の提案を受け入れることにした。金炯錫(キム・ヒョンソク)統一部報道官は「韓国政府の当局間対話の提案に北朝鮮が前向きに出てきたものと評価する」として「今回の会談では、開城工業団地問題の解決と工団の前向きな正常化のための合理的な方案が用意されることを期待する」と話した。

北朝鮮の提案は、韓国政府が工団入居企業などに経済協力保険金を支給することを決めた直後に出てきた。韓国政府は先立って南北交流協力推進協議会(交推協)を開いて8日から109社の企業が申請した保険金2809億ウォン全額を韓国輸出入銀行を通じて支給することにした。金報道官は交推協の直後に「北朝鮮の開城工業団地閉鎖措置により保険金支給要件を充たした申請企業等に対する支援をし、企業らが保有している工団内の土地使用権と設備所有権が政府に移ってくることになった」と話した。開城工業団地の所有権が政府に移ったという点を浮び上がらせることで、工団閉鎖が秒読み段階に入ったとして北朝鮮を圧迫したのだ。

この日、北朝鮮が電撃的に会談の受入れ意志を明らかにしたことについて、東国(トングク)大学のコ・ユファン教授(北朝鮮学)は「韓国側を圧迫するため暫定閉鎖カードを取り出したが、韓国側がより一層強く圧迫するとすぐに再稼働側に足がかりをつかんだと見られる」と話した。


/////////////////////////////////////////////////////


核兵器廃絶 交渉今すぐ 原水爆禁止世界大会・長崎 開会総会



 原水爆禁止2013年世界大会・長崎の開会総会が7日、長崎市で開かれました。海外と全国から6500人が参加しました。原水爆禁止国民平和大行進の通し行進者らが登壇。フィリピンから参加したマラヤ・ファブロスさんは、日本語で「私の願いは被爆者が生きている間に核兵器をなくすことです」と話して、「核兵器禁止条約の交渉いつ始めるの」とコールをリード。会場全体に「今でしょ!」の声が響きました。

 冒頭、長崎の被爆者で7月6日に亡くなった山口仙二さんをしのび全員で黙とうしました。山口さんは世界大会議長団も経験しています。

 主催者報告した大会議長団の安斎育郎・立命館大学名誉教授は、「原爆犠牲者や被爆者と力をあわせて、非人道の極致である核兵器をなくそう。核兵器廃絶を求める一大潮流をつくり、揺るぎない国際世論を構築しよう」と呼びかけました。

 田上富久長崎市長、日本原水爆被害者団体協議会の谷口稜曄(すみてる)代表委員があいさつしました。

 アンゲラ・ケイン国連軍縮問題担当上級代表の演説が代読されたあと、全国の参加者が草の根で集めた新アピール署名約303万人分のパネルを掲げて登壇。日本原水爆禁止日本協議会の高草木博代表理事が、「署名を国連に山のように積みあげたい」と力を込めると、拍手が起こりました。

 静岡県の三上元湖西市長と岐阜県の堀孝正瑞穂市長、ノルウェー政府の代表が発言しました。

 海外代表4人が発言。韓国・参与連帯平和軍縮センター執行委員のソ・ボヒョクさんは、北朝鮮が核開発を進めるもとで「今こそ朝鮮半島に平和の体制実現を」と訴えました。