「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」撤去の動きについて/李一満
日本政府による謝罪と補償、被害者の名誉回復を
関東大震災朝鮮人虐殺93周年東京同胞追悼集会で献花する女性たち(16年9月6日)

東京都墨田区の都立横網町公園に「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」(写真、※)がある。
毎年9月1日午前11時から日朝協会東京都連合会等の共催で、午後1時から総聯東京都本部主催による関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典が碑の前で開催されている。
日弁連の勧告
去る3月2日、東京都議会本会議で都議会自民党の古賀俊昭議員が、この関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑について小池知事に質問した。
古賀議員は追悼碑左横の説明板にある「六千余名にのぼる朝鮮人が尊い命を奪われました」を槍玉に挙げ、「六千余名が根拠が希薄な数であることは、国勢調査からもわかる」とし、追悼碑の「撤去を含む改善策を講ずるべき」だとした。
古賀議員はなぜか関東大震災の3年前である1920年の国勢調査を持ち出し、朝鮮人虐殺があった茨城県・栃木県・群馬県を除いた、埼玉県・千葉県・東京府・神奈川県を合わせた朝鮮人人口が3千385人だとした。
「植民地期『内地』在住朝鮮人人口」によれば、朝鮮人虐殺が行われた1923年当時の埼玉・千葉・東京府・神奈川県の朝鮮人人口の合計は1万2千480人であり、茨城県・栃木県・群馬県を加えれば1万4千144人である。「根拠が希薄」どころではない。
関東地方の府県別朝鮮人人口
年次 茨城県 栃木県 群馬県 埼玉県 千葉県 東京府 神奈川県 合計
1921 118 149 406 138 122 4394 1270 6697
1922 225 149 343 240 238 7198 1969 10362
1923 371 197 736 311 317 8567 3645 14144
1924 656 297 970 787 707 13385 5678 22480
1925 727 374 1933 959 1559 18159 8078 31789
(出典)田村紀之「植民地期『内地』在住朝鮮人人口」(東京都立大学経済学部、同大学経済学会『経済と経済学』第52号、1983年2月)
古賀議員はまた6年後の「関東大震災百年を捉えて、朝鮮人犠牲者への我が国の謝罪と補償をいい募ってくる可能性がある」とした。
けだし「卓見」である。古今東西、災害を利用し他民族を虐殺した国はない!
大虐殺から94年が経ったが、被虐殺朝鮮人数と虐殺場所、遺体埋葬場所と移葬場所および身元などを含む朝鮮人虐殺の真相は依然として究明されていないし、日本政府は虐殺した朝鮮人とその遺族に対し謝罪も、補償も、名誉の回復もしていない。
2003年8月25日、日本弁護士連合会は小泉純一郎首相(当時)に対し、「国は関東大震災直後の朝鮮人、中国人に対する虐殺事件に関し、軍隊による虐殺の被害者、遺族、および虚偽事実の伝達など国の行為に誘発された自警団による虐殺の被害者、遺族に対し、その責任を認めて謝罪すべき」だと勧告した。
だが今日まで日本政府はこの勧告を無視し続けて、口を開けたことがない。
16年5月27日に田城郁参議院議員が質問主意書を提出し、これまで行われた諸調査に基づいて関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺に対する国家責任を問うたところ、安倍内閣は6月7日に提出した答弁書で「お尋ねの『関東大震災時における朝鮮人、中国人等の虐殺事件に日本政府が関与したこと』については、調査した限りでは、政府内にその事実関係を把握することが出来る記録は見当たらないことから、お尋ねについてお答えすることは困難である」と答弁し、またもや関東大震災時の朝鮮人虐殺の国家責任を隠した。(「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会」会報 No.17号)
政府の中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」の報告書…「官憲、被災者や周辺住民による殺傷行為が多数発生した。虐殺という表現が妥当する例が多かった。対象となったのは、朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人も少なからず被害にあった」。「大規模災害時に発生した最悪の事態として、今後の防災活動においても念頭に置く必要がある」を、内閣府がHPから削除した。 (朝日新聞4月19日付)
国家犯罪、民族犯罪
08年8月9日、東京で「関東大震災85周年朝鮮人犠牲者追悼シンポジウム」が、13年8月22日から23日にかけてソウルで「関東大震災90周年韓日学術会議 関東大震災と朝鮮人虐殺事件」が開催された。
関東大震災と朝鮮人虐殺研究における3人の泰斗が、二つの国際シンポで明らかにした見解は、次のとおりである。
朝鮮大学校図書館・琴秉洞元副館長は、日本の近代史と現代史の分岐は1923年9月1日の関東大震災であるとしつつ、侵略と殺戮にまみれた日本現代史は関東大震災時の朝鮮人虐殺に始まると見た。元副館長は朝鮮人虐殺事件の本質は、国家犯罪であり民族犯罪だと看破した。国家犯罪である所以は、大虐殺の引き金となった戒厳令を政府治安担当の指導的人物(内務大臣、警保局長、警視総監)が起案・執行し、国家機関・権力機関、即ち軍隊、警察が虐殺を先導し、さらには朝鮮人暴動流言を内務省が伝播したからである。民族犯罪である所以は、虐殺された朝鮮人の圧倒的多数が自警団員、青年団、またはその他の日本民衆によって殺されたからである。
立教大学・山田昭次名誉教授は微視的に観察し、在日朝鮮人労働者や社会主義者・無政府主義者の運動と、日本人の社会主義者や労働者との間に生じた連帯の萌芽に危機を感じた官憲の動向に、関東大震災時の官憲主導の朝鮮人虐殺の原因を見た。また、朝鮮人が暴動を起こしたと誤認した官憲の責任のみならず、誤認に気づいた後も朝鮮人暴動説を主張して誤認の国家責任を隠した官憲の事後責任も追及し、天皇制国家に心服し、朝鮮人虐殺を愛国的行為と考えた多くの日本人民衆にも責任があるとした。
滋賀県立大学・姜徳相名誉教授は、関東大震災時に布告された戒厳令を重視し、朝鮮人暴動の流言の発生源として官憲説を取る。軍隊が戒厳令に基づいて朝鮮人虐殺を始め、さらに在郷軍人・青年団員・消防団員、その他の民衆によって構成された自警団がこれに加わったと見るのである。また戒厳令布告の背景として日本の朝鮮侵略の過程、特に朝鮮に対する植民支配の下で行われた朝鮮人の抵抗に対する過酷極まりない軍事的弾圧を挙げる。言い換えれば、朝鮮に対する日本の侵略と植民支配の歴史に対する巨視的な視点から、関東大震災朝鮮人虐殺事件を見たのである。
泰斗たちの見解は、朝鮮人虐殺の歴史的背景には朝鮮植民地支配と朝鮮人民の抵抗運動(3.1人民蜂起)に対する日本官憲の恐怖があり、ジェノサイド、大人災の直接的かつ最大の原因は戦争でもないのに戒厳令を実施したためである、ということである。
東京では「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会」(10年9月24日)が、ソウルでは国会議員、弁護士、牧師、学者、市民、遺族等により「関東大震災朝鮮人虐殺事件の真相究明および犠牲者名誉回復に関する特別法推進委員会」(14年5月26日)が結成された。朝鮮民主主義人民共和国の歴史学会も1960年代から朝鮮大学校と連携し、関東大震災朝鮮人虐殺事件の調査・研究を進めてきた。
関東大震災95周年や100周年に際し、朝鮮大学校が呼びかけ三者のシンポジウムを開けば、闇にうずもれている事件の真相が解明され、日本政府による謝罪と補償、被害者の名誉回復が大きく前進するであろう!
※関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑
日朝協会東京都連合会が渡辺佐平・千田是也・壬生照順氏らと都議会の全会派代表で、関東大震災50周年朝鮮人犠牲者追悼実行委員会を結成・建立(縦133cm・横202cm)し、都立横網町公園へ寄付。予算は767万円(当時)、除幕式は1973年9月29日。
(東京朝鮮人強制連行真相調査団 事務局長)