羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

老齢曲線との付き合い

2009年09月17日 11時42分50秒 | Weblog
 野口体操のなかから、勝手に‘座位によるほぐし’と名付けた一連の動きがある。(ヴァリエーションが増えてしまった)
 そこに‘にょろ転’と呼ばれる一連の動き(これもヴァリエーションが増えてしまった)を混ぜ込んで、‘おへのまたたき’そのなかに‘ヨガの逆立ち’や‘脳天逆立ち’を組み込んで、液体がながれていくイメージの動きを、昨日から練習し始めた。
 すべての動きを途切れなく続けていくのだけれど、逆立ちになると意識が別の次元に入っていくのが一つ課題だ。なぜ意識が逆立ちで途切れるのだろう。

 今日は、二日目と言うこともあって、昨日とは少し違う内的落ち着きが感じられた。
 そこで反省することしきり。
 つまり、練習こそ命なのだ、ということ。
 今までも試さなかったわけではない。しかし、ここで、改めてやり始めてみなかれば十年後は動けなくなるという惧れを感じたからだ。
 
 実はそれにはきっかけがあった。
 先日、若い女性の客人があって、八十四歳の母の話を聞いてくださった。
「おかあさん、まだまだいけますよ。何かなさったら」
 さんざん蔵を活かして、ご商売を始めたらいいとすすめる。
「どっかり座って、あれやって、これやって、指図なさればいいんですよ。若い人を育てる感じで……」
 彼女たちはいろいろな提案をしていた。
 そこで母がひとこと。
「あのね、自分が率先して出来なければ、人はついてきません!」
 自信のある声に思わず二人は顔を見合わせて
「フッ、そうですわ。うちの会社の人に聞かせたいわ。口ばっかりの上司がいますものね」
 ナットクの表情だった。

 そうなんですよ。
 率先してできなければ……。
  
 つくづく思う。
 私自身が蓄えてきたことは、ピアノにしても野口体操にしても練習あるのみ!の世界でした。
《バレリーナは、一日休むと自分がわかり、二日休むと先生にわかり、三日休むと観客にわかる》

 身体はすぐ錆付くし、年を重ねてくると‘老齢曲線’は、波を描きながら結局は下降へと向かい、現状を維持することも儘ならなくなることを、肝に銘じる必要がありそうだ。
 かといって強制し、義務化し、‘ねばならない’では続かないに違いない。
 野口先生曰く「強制することはいけないが、刺激することは大切」なのである。
 毎日の忙しさのなかでちょっとの時間でも刺激するってことですよね。
 それが凡人にはかなり難しい~んですが。
 とにかくこの一連の動きの練習が、三日坊主になりませんように、と祈っている。
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