羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

昭和的なるもの・こと

2009年09月19日 11時10分41秒 | Weblog
 テレビや新聞報道でしかないが、民主党の報道を見たり聞いたりするにつけ、日毎に昭和が終わった感が強くなる。
 同居している母は終戦の年が二十歳だった。
 つまり昭和の年号と同い年なので、今年八十四歳がそのまま昭和八十四年に計算できることもかかわっているかもしれない。
 話はそれるが三島由紀夫が生きていれば、やはり八十四歳になる。
‘もし’と仮定するのは詮無いことだけれど、ときに‘もし仮に’といってみたいときがある。

 町によっては昭和を再現することを売りにしていたり、店の設えを昭和風にしたり、さまざまなところで昭和が懐かしまれている昨今である。
 平成生まれは大学生となり、昭和生まれの学生が年々減っていく。
 彼ら彼女らが闊歩する街の様相は、ここ数年で大きく変貌を遂げた。
 古いものを残す努力が虚しいほどに変化のスピードが早い。それは街の風景のことでもあり仕事の内容や仕方、家族のあり様、人間関係、暮らしの仕方、兎にも角にも変化している。

 そんななかで自民党が下野することで見えてきたのが‘昭和の終焉’だった。
 もっと正確にいうならば、昭和的な価値観の終焉だ。
 そのことは日を追うごとにはっきりと顕在化してくるに違いない。
 ただし民主党の掲げたマニフェストが実現されれば、の話だが。
 しばしの混乱は免れないだろう、と覚悟をした今週だった。
 いよいよ本当は手放しで遊んではいられないシルバーウィーク突入である。
コメント
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