羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

歴史の全体像こそ……

2009年09月18日 14時25分42秒 | Weblog
 以前、このブログにも書いた『昭和史』半藤一利著平凡社ライブラリーは、上下巻に分かれている。
 上巻は、1926年から1945年。
 下巻は、1945年から1989年 戦後篇。

 今、下巻の半ばを読んでいるのだけれど、最近になって並行して『江口隆哉と芸術年代史』も開いている。これは1900年(明治33年)から1978年(昭和53年)の文化史+政治経済年表である。

 自然の成り行きだけれど『昭和史』上下からうける日本の現代史の様相と『江口隆哉と芸術年代史』から受ける日本の印象が全く違うのだ。
 当たり前と言われれば引っ込むしかないが、戦前も戦中(戦争末期は別にして)も、日本人の文化活動は非常に盛んだ。日本の伝統芸能も西洋のものも量も質も驚くほどである。
 
 終戦後昭和21年からはすでに活動が始まっている。
 数えるほどではあるが、二十年代後半に向かって、まばゆい様相を呈するのが読みととれる。
 野口先生は昭和21年10月8日東京新聞主催「現代舞踊名流の日」に出演した江口隆哉・宮操子舞踊団の公演を共立講堂でみたことがきかっけで、舞踊研究所に入門するという暴挙(いやいや勇気ある行動)に出たと想像できる。つまりこの公演しか行われていないのだから。

 言いたかったことは、歴史も文化史と並行して読む必要があるということだ。
 つまり人々の精神史やその時代の価値観を抜きに歴史はありえないからだ。
 あるひとつの方向だけからある時代を読むことも精確さにおいては必需のことだとしても、全体像を捉えないである時代を決めてかかるのは危険がある。
 人間はかなりしたたかな存在だ、と思える。
 いや、それがなければ生きる希望が湧かないのだろう。
 これは理屈の世界のことではない。
コメント
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