羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

神の河……コンブラ瓶のロマン

2009年06月13日 11時49分36秒 | Weblog
 どっしりとした形。
 いかにも古めかしいラベル。
 そこには「JAPANSCHZAKY」と記されている。
 オランダ語でヤパンセ・サキー、つまり‘日本の酒’という意味である。

 このコンブラ瓶には、時空を超えた物語があった。
 話はこうだ。
 これは、染付け白磁の燗付徳利に似た形で、醤油や酒の輸出用の瓶のこと。
 別名‘蘭瓶’とも呼ばれた。
 1650年頃から明治末期まで、オランダ東インド会社によって、東南アジアやオランダ本国に、長崎出島から盛んに輸出された。
‘コンブラ’とは、オランダ語のコンブラドール(仕入れ係)を語源に持つという説がある。
 鎖国当時出島から自由に出られなかったオランダ人のために17人の買い物使いがいて、彼らをコンブラ仲間と呼んだらしい。
 また一説には、仲買商人「金富良商社」によって輸出されたので、その名前がついたとも言われている。
 どちらが本当かは、定かではなさそうだ。

 で、この瓶は長崎県東部東彼杵(そのき)郡波佐見町でつくられた‘波佐見焼’である。
 この地は近世以来400年、染付けと青磁を中心とした窯業地である。
 江戸後期には大村藩の特産品として日本一の生産量を誇ったと言われている。
 九州佐賀県武雄に近く、有田焼の地とも隣接している地域だ。
 おそらく焼き物に適した‘天草陶石’が産出する地であることが産業として成りたつ基盤であると思われる。
 唐津焼、有田焼、そして波佐見焼は、九州の焼き物三大といってもよいだろう。

 さて、コンブラ瓶にまつわる時空を超えた物語の本題とは。
 たとえば江戸初期の鎖国によってジャワに送られたオランダ人妻や子にまつわる悲しい物語が数多く残っているが、その中の一人ジャガタラお春の調度品にも‘コンブラ瓶’が含まれていたらしい、とか。
 目を転じてフランス。ここでは皇帝ルイ14世が料理の隠し味として醤油を使っていた。その瓶でもあったとか。
 さらにロシアでは、トルストイが自室の書斎に一輪挿しにしていたとか。
 私の勝手な想像の翼を拡げてみると、瓶に挿した赤い薔薇に年若い恋人の面影を見て、60歳を過ぎて家を出る覚悟を決めたかも知れない、なんちゃって。
 単に輸送に適している強さを持つ瓶が、その形と色で東洋の神秘を醸し出し、歴史に深くかかわっていく面白さに胸が躍るのだ。

 さて、さて、‘神の河’を詰める瓶に、このコンブラ瓶を選んだ酒造元のセンスにすっかり惚れこんでしまった私だ。
 この瓶は白磁青の染付けではなく、ガラスでつくられている。
 しかし、ラベルの雰囲気は、東南アジアやオランダに運ばれていた時代の雰囲気をそのまま残した書体や色使いなのである。

 実は‘神の河’は、コンビにでも売っているありふれた酒だった。
 私は、輸入食品店でもちろん酒類も扱っているお店だが、なんとコンビニよりもお安く手に入れた。
 一本、1170円也。なんだかとっても嬉しくて!

 こんな身近な焼酎に、江戸期から明治に変わる激動の時代を彷彿とさせてくれる歴史の付加価値が心憎い!
 
コメント (2)
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