羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

壱岐……麦焼酎発祥の地

2009年06月18日 08時43分54秒 | Weblog
 下戸なのに、先週以来‘焼酎’の文字が目にスーッと入ってくるようになった。
 本日、日経新聞広告欄、全面広告「麦焼酎発祥の地 壱岐の島」に釘付けになった。

 何でも‘海のシルクロードの終着点’と呼ばれる玄界灘に浮かぶ島が、壱岐だそうだ。すでに16世紀、この地に麦焼酎が生まれたらしい。
 大陸文化・文明は、この島を中継点として本土に伝播するその歴史の中に‘麦焼酎’が鎮座していることが伝わってくる広告文なのだ。

 なんと神道発祥の地でもある。
 いやいや、だから神事と不可分の酒(どぶろく)文化が生まれたのだ。
 玄海酒造の麦焼酎、‘壱岐’‘瀧泉’‘松永安左エ門翁’と、名前もいいじゃない。

 あぁ~、呑みたい!
 古伊万里や古唐津、果てはシルクロードを西に向かって中東に残る古ガラス等々の少し大きめの陶片やガラス片に海の幸・山の幸を盛り、さらに小さい陶片を箸置代わりに。グラスは厚みのある切り子。
 これからの季節はお湯割りではなくオンザロックにするのもよし、と想像しただけでクラクラしてしまう。

 かれこれ7・8年前、佐賀県武雄市の教育委員会主催の体育研究会でこの地を訪ねたとき思ったことがある。
 老後は佐賀に住みたい、と。
 空気がいい。
 食べ物が美味しい。
 神社の鳥居が大きく立派に見える。
 実は、東京に戻って、町を歩くとき、あるいは車に乗って走っている車窓から見た鳥居の大きさは、武雄で見た鳥居とさほど大きさに違いが無いことを改めた確認した。
 しかし、目にうつる風景の中では、周辺の建物が巨大すぎて、鳥居が小さく貧相に見える。
 たとえば靖国神社の鳥居くらいは大きく立派だけれど、風情が違う。
 新宿花園神社にいたっては、どこに鳥居があるのか目を凝らさないと見逃してしまいそうだ。
 つまり神社も神木も、東京の町中ではありがたさが失われてしまっている。
 それは大きさの問題だけでなく、世界都市として変貌を遂げた‘東京’が失った心の支柱の姿なのかもしれない。

 今、フランスどころか、バリ島どころか、壱岐にも出かけられない。
 せめて‘壱岐焼酎’でも呑めたらなぁ~。。。。。。。。
 そんなことを思って朝食の準備で冷蔵庫からつくり置きしてあった‘ヒジキの煮物’を取り出そうと黒い蓋物に手をかけた。
 心はすっかり焼酎に取られた手が滑って、冷蔵庫から床までヒジキをこぼしてしまった。入れ物は幸い壊れなかったが。

 あぁ~あ、朝から始末の悪いことといったらない。
 酔っ払ったね! 「麦焼酎 浪漫紀行 特別編」広告に……。
 7月1日は「壱岐焼酎の日」だそうだ。
  
 
コメント (5)
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