昨日(4月25日)、日経新聞朝刊に掲載されていた『「グーグル図書館」に困惑』の記事を読んでいた。
記事の内容は《ネット上で書籍の内容を閲覧・検索できるサービスが日本でも波紋を広げている。さらに『グーグル流 革新と摩擦』》署名解説がついていた。
解説は、「ネットの便利さと副作用を冷静に見極めること」の大切さでしめくくられていた。
そしてお昼前に届いた郵便のなかに、朝日新聞社および朝日新聞出版社長連名の封書があった。
鋏で封を切って取り出してみると、A4の紙が5枚の文書だった。
内容は、「グーグルブック検索訴訟の和解について」だった。
5枚目は自分の書籍が入っているかどうかを、グーグルに直接検索をかける方法が書かれていた。
昨年、出版した『マッサージから始める野口体操』の著作者として知らせがきたのだ、と理解するのに少し時間がかかった。
以前、このブログにフェアユースのテーマで書いた。
その問題の詳細が、分厚い知らせで、よくわかった。
こうした文書が手元に届き、直接的な問題として読んでみると、この問題について安易に答えは出せなくなる。
著述を生業とされている方々にとっては、認めるわけにはいかない。
私のようにミッションとしての著作行為だから、グーグルがフェアユースの考えでやるのなら文句は言わないし、そうしてくれることで野口体操が広まり、野口の考えが伝わってくれる可能性が大きくなることは歓迎すべきことだ、と当初は思っていた。
この新聞社および出版社からの文書を読むと、出版業界にとっては死活問題ではあることが理解できた。
しかし、この問題にかぎらず、今後も‘公共の利益’と言う名目で、知らないうちに世界配信されてしまう‘何事か’には、異議を申し立てしたいことも出てくるだろう。
それはすでにグーグルビューで経験している。
一方で、この春、大学からは16ページに及ぶ『個人情報取り扱いの手引き』2009年度版冊子が届いている。
社会における個人情報保護の動きは、かなり厳しく進められているにもかかわらず、一方で勝手に表札が写っているような写真やムービーや、建物全体がわかる航空写真など、ネット上でいとも簡単に検索できるのだから。
今やこうした流れを止めることはできない。
とすると個人情報や著作権の考え方そのものが揺らいでくる。
さて、ネットの便利さにつられて、ついつい利用してしまう昨今、今一度、暮らしや仕事における‘ネット’とのかかわりを考えるだけでなく、‘ここからは超えてはいけない一線’を、しっかり見きわめられる力もつけなければならなくなった。
いやはやネットを介して世界の人々が、丸裸のまま危険のなかで生きている。
送られた文書から、知らないうちに何事かに巻き込まれる時代に生きている実感が伝わってきた。
それは先週末のことだった。
記事の内容は《ネット上で書籍の内容を閲覧・検索できるサービスが日本でも波紋を広げている。さらに『グーグル流 革新と摩擦』》署名解説がついていた。
解説は、「ネットの便利さと副作用を冷静に見極めること」の大切さでしめくくられていた。
そしてお昼前に届いた郵便のなかに、朝日新聞社および朝日新聞出版社長連名の封書があった。
鋏で封を切って取り出してみると、A4の紙が5枚の文書だった。
内容は、「グーグルブック検索訴訟の和解について」だった。
5枚目は自分の書籍が入っているかどうかを、グーグルに直接検索をかける方法が書かれていた。
昨年、出版した『マッサージから始める野口体操』の著作者として知らせがきたのだ、と理解するのに少し時間がかかった。
以前、このブログにフェアユースのテーマで書いた。
その問題の詳細が、分厚い知らせで、よくわかった。
こうした文書が手元に届き、直接的な問題として読んでみると、この問題について安易に答えは出せなくなる。
著述を生業とされている方々にとっては、認めるわけにはいかない。
私のようにミッションとしての著作行為だから、グーグルがフェアユースの考えでやるのなら文句は言わないし、そうしてくれることで野口体操が広まり、野口の考えが伝わってくれる可能性が大きくなることは歓迎すべきことだ、と当初は思っていた。
この新聞社および出版社からの文書を読むと、出版業界にとっては死活問題ではあることが理解できた。
しかし、この問題にかぎらず、今後も‘公共の利益’と言う名目で、知らないうちに世界配信されてしまう‘何事か’には、異議を申し立てしたいことも出てくるだろう。
それはすでにグーグルビューで経験している。
一方で、この春、大学からは16ページに及ぶ『個人情報取り扱いの手引き』2009年度版冊子が届いている。
社会における個人情報保護の動きは、かなり厳しく進められているにもかかわらず、一方で勝手に表札が写っているような写真やムービーや、建物全体がわかる航空写真など、ネット上でいとも簡単に検索できるのだから。
今やこうした流れを止めることはできない。
とすると個人情報や著作権の考え方そのものが揺らいでくる。
さて、ネットの便利さにつられて、ついつい利用してしまう昨今、今一度、暮らしや仕事における‘ネット’とのかかわりを考えるだけでなく、‘ここからは超えてはいけない一線’を、しっかり見きわめられる力もつけなければならなくなった。
いやはやネットを介して世界の人々が、丸裸のまま危険のなかで生きている。
送られた文書から、知らないうちに何事かに巻き込まれる時代に生きている実感が伝わってきた。
それは先週末のことだった。