羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

認知症の介護……ご近所の場合

2009年04月16日 08時58分09秒 | Weblog
 今朝、テレビ朝日の番組で、長門裕之・南田洋子夫妻の闘病ドキュメンタリーの一部を紹介していた。
 途中から見始めたけれど、重い気持ちになってしまった。

 以前、このブログにも書いたことがあるけれど、筋向いのお宅でも認知症の奥さんがおられる。
 足がやっと前に出る頃まで、夫は妻を散歩に連れ出していた。
 しばらく前、妻の襟首を掴かみ、小突くようにして歩かせている夫の顔は、こわばっていて固かった。
 このころになると以前のように妻を怒鳴りつける声は聞かれなくなっていた。
 大声が聞こえてくるときには、近所のみんなが「何事もなければいい」と心配していた。

 今年に入ってからは、一時、車椅子で外につれだしていたようだが、奥さんの表情から昔の面影はすっかり消えて、やつれ方が尋常ではなかった。
 その後、玄関前の空間から、赤い自家用車を見かけなくなった。
 そのころから家の工事を行う人の出入りがにわかに激しくなっていった。
 
 しばらくして家の中の改装が一通りすんだのだろうか、今度は自家用車が置かれていたところに、知らない車が止まるようになった。
 あるときは入浴サービスの車が止まり、あるときは訪問介護の車が止まり、あるときは訪問看護の車が止まっている。
 自転車で訪ねてくる場合もあるようだ。

 ある日、家の前を通りすぎようとしたとき、笑い声が漏れてきた。
 それも若い女性の声に混じって、夫の野太い声も聞こえる。
 今まで怒鳴りあう声や、ものを投げつけ音や、何かをたたく音は聞こえてきたが、和やかな笑い声は初めてだった。

 つい先日も、干してあった布団を取り込もうとベランダに出たとき、目にした光景は若い女性が運転する車を誘導をしている姿だった。
 道幅が狭いのでバックで入れるのは一苦労なのだ。
「もっと切って、ひだり、ひだり」
 何とか角にぶつけることなく車庫入れがすんだ女性が車から降りてきた。
「助かりました。誘導、お上手ですね」
 夫は満面の笑みを浮かべて、彼女を玄関へと促していった。

 車のドアには‘訪問歯科診療○×○×」と記されていた。
 寝たきりになった妻に、いよいよ介護保険をつかって、本格介護が始まったことが、近所にもしっかりとわかるようになった。

「あのままでは餓死するんじゃないの」
 みんなの心配は頂点に達するところだった。

 とはいえ介護する人が来る以外の時間の方が長いはずだ。
 しかし、仕事として訪ねてくる人は、ある意味究極のサービス業だから愛想がいい。仕事とはいえ、大変だろう。しかし、笑顔はなによりの薬だ。
 親子などの血がつながっている者とは、明らかに違いがあるだろうことは誰にでも想像がつく。
 この家には、正に救いだ。
 介護保険が使えてもタダではないとしても、今まで一度も見たことのない夫の笑顔や活き活きした車庫入れ誘導の声を聞くと、他人であってもホッとする。

 当方、おかげさまで84歳になる実母は、外出こそあまりしなくなったものの、家の中では普通に暮らしていける。
 その上、物忘れはするけれど、今でも込み入った相談にも乗ってもらえる。
 それはとても有難いことだ、と、そのご夫婦の様子を垣間見て、思うことがしばしばだ。
 
 その奥さんは母とは丁度一回り下の‘丑年うまれ’だから今年72歳になる。
 こればっかりは暦年齢ではないのねぇ~。

「越路吹雪が好きなの」
 外にまで‘愛の賛歌’や‘ラストダンスは私と’等、聞こえてきていたこともあった。その音楽を聞く彼女の姿を想像して、気丈な女性がみせるある種の優しさや悲しさを感じていたのは、6、7年前ののことだった、と思い出す。

 言ってはいけないことだが、非難されることを恐れずに言わせていただく。
‘長生きは、ときに残酷だ‘と。

 我が家でも、ソファに腰掛けてうずくまっている母を見ると辛いときがある。
 しかし、話しかければちゃんとこちらを向いてくれる。
 今は、最後に許された元気な母との貴重な時間なのだ、と思いたい。
 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする