羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

本の共同墓地

2009年04月01日 18時51分12秒 | Weblog
 過日、大手の出版社から、文庫化の話を打診された。
 結論を書くと、聴く耳を持たない現在の出版社の強い抵抗にあって、それは実現しない。

 素人としては文庫化になればより多くの読者の手元に届き、野口体操の他の本へのよい影響も少なからずあるのではないか、と当初は思えた。
 しかし、出版社の話を聞いてみると、話はそう簡単なことではなさそうだった。
 
 まず第一に、書店では文庫本や新書本ばかりで売り上げが伸びず、経営が思うに任せない状況に陥っているという。
 確かにJRお茶ノ水駅に隣接している丸善の売り場を覗いてみると、以前に比べてハードカバーの本は少なくなって、各種雑誌と文庫や新書ばかりが目立っている。
 後は売れ筋モノだけが申し訳程度おいてある。
 これじゃ高い家賃が出ないんじゃないか、と思うくらいの品揃えである。
 低価格の本ばかりを売っているようではやっていけない、という悲鳴が聞こえてくるということも頷ける。

 第二に、文庫や新書でも売れないものは売れない、と言う状況で在庫を抱えて困っているらしい。兎にも角にも倉庫代はバカにならない。
 そのうえに在庫は資産に入るから、税金がかかってくる。それを持ちこたえるには出版社側も体力がいる。
 あげく切断される運命が待っている。
 
 第三に、親本が売れなくなって結局は、本が絶版状態に陥る、とおっしゃる。
 文庫本は‘本の墓場’なのだそうだ。

 そこまで言われると、返す言葉が見つからない。
 同じ文庫と言っても、かつての‘岩波文庫’のイメージで、乱立する文庫を考えてはいけないのだ。

 出版は厳しい状況にある。
 いちばん悲しいのは、廃棄される本の末路だ。

 昨日のブログに書いた、グーグルが行っていることは、数年もまたずに結果が出るだろう。
 文庫化することとは桁外れに多くの人の目に触れることになる本の運命は如何に?
 しかし、ここには在庫の山はない。

 さて、今や馴らされてしまった便利さの向こう側に、世界の情報がグーグルに集約される恐ろしさはある。危険な言い回しだが‘グーグル帝國’の繁栄が人々の暮らしをどのような方向へと導くのだろう。
 誰にもわからない。わかる人はいるのかもしれないが、そういう人たちは黙して語らないに違いない。
 
 本に限ぎって、出版社側から言わせれば、ネット上で読ませるサービスは、さしあたり‘本の共同墓地’という位置づけになるのだろう、と私は勝手に名付けさせてもらった。
 それでも、万が一にもありえないことだが、ネットに拙著を載せると仮定してみると、おそらく異議申し立てはしない私がいる。
 なぜなら今やっていることは、野口体操のミッションだから。

 そうはいっても立ち止まる気持ちは、時に起こる。
 このまま進んでは危険だ、という黄色信号が点滅するからだ。
<私たちにとって、ものの価値とは一体何か>
 ものとそのものの価格と価値は一致しているのだろうか。
 公益性の高い事業と成りえるのは、果たしてどのような事であり物なのだろう。
 
 話は飛躍するが、なんともはや想定も予想もつかないとてつもなく人智の範囲を超えたバーチャルな世界に呑み込まれる方向に、すでに世界は舵を切ってしまった。
 それでも私たちは歩み続ける。

 果たして、ごく普通の暮らしをしている私でさえ、さまざまなステージにおける黒船を目にして戸惑いを感じている。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする