旅の終わりはオイラの出身地である、浜松市を走るこの路線。
東北の乗り鉄を終了して、列車で地元浜松へ帰る。
コロナを恐れて、東京は上野駅と東京駅のホームだけ足を付けて素通り。
浜松駅にも、今世界的に普及している「駅ピアノ」があった。
日本を代表する楽器の街とあって、グランドピアノが2台置かれていた。
天竜浜名湖鉄道、一方の起点は東海道線掛川駅に併設された、天竜浜名湖鉄道掛川駅。
掛川には現存4御殿の一つ、二の丸御殿が残されており、再建天守も木造作りで文化財の保存に熱心な都市の一つと敬服しています。
略称「天浜線」に掛川駅から乗車、終点の新所原駅まで全線乗車することに…
車両はお馴染みの、ディーゼル駆動の1両編成です。
途中駅の一つ遠州森駅は、浪曲でお馴染み「片目の侠客 森の石松」の出身地となっています。
且つて安全を守った、まねき信号機が残されていました。
写真の状態は停止の合図、進行は上部の板が下がります。
勿論手動でやっていたんだよね! 結構な運動だったのではないか?
鉄印記帳のため「二俣駅」で途中下車、この駅で転車台や給水塔など見学出来ると楽しみのしていたが…
見学会は予約で満員、自由に見学することは許されなかった。
それにしても、古い設備を売り物にお客様を集めながら、この扱いは如何なものか!
募金箱を置くなり、ボランティアガイドで指定場所からの見学など、実現出来ないのだろうか?