超有名な石舞台古墳が、今日もどのようなテーマをもって集まったかわからない集団に囲まれていた。
巨大な古墳の周囲に張り巡らされた環濠、綺麗に除草されていてさすが人気の場所。
6世紀の初め仏教の受容を巡って、受け入れ容認の蘇我氏と反対の物部氏が争い蘇我氏が勝利。
時の権力者「蘇我馬子」の墓だという。
この巨大な石を運んだという語り伝えを聞くだけでは、その強大な権力は計り知ることはできない。
これが一人の人間のお墓?
栄華を誇った蘇我氏も馬子⇒蝦夷⇒入鹿と代が移り変わったが、入鹿は中大兄皇子と藤原鎌足の手により滅ぼされた。
飛鳥の里は天智天皇の時代へと変わっていく。
外でガイドの説明を聞いた後、なぜか内部に足を踏み入れるのがためらわれた。
自ら土に返る時が近いと本能的に思っているからか?
石舞台古墳周辺は、6世紀当時と変わらぬ?長閑な田園風景が広がっている。