後水尾上皇が幕府との微妙な関係だった時期に、あえて創建された修学院離宮、そのスケールに改めて感嘆する。
宝形造の茶屋:窮邃亭(きゅうすいてい)へ向かう途次にみられる、離宮内の流れ!
外観が宝形造の茶屋も珍しいですよね?
舟遊びを楽しむために設えた浴龍池、三保ケ島と万松塢(ばんしょうう)の二つの島を配してある。
二つの島を結ぶ千歳橋は、杮葺、宝形造の建物間を屋根付き橋としている。
皇族方の乗り物をデザインしたと案内の方から説明された。
お客様をおもてなしする「窮邃亭」の内部、十八畳間である。
奥側窓寄りの五畳は一段高く、上段の間としている。
窮邃の扁額は、後水尾上皇の宸筆と伝わる。
それにしても額、長押、天井の質素なこと、上皇のお心が表わされているのだろうか?
窮邃の意味は「遠くて貧しい」と聞いた覚えがあるが、確かなものではない。
浴龍地西浜湖岸には、舟遊びを楽しむ船が停泊している。
見学の終わりに改めて、上離宮からの眺めを瞼に焼き付ける。
地域の方が丹精込めて育む水田、松並木に囲まれた御馬車道、そして森の彼方に平安京を望む。
何百年かの時を経て、新たに上皇が誕生すると告げられたタイミングで、修学院離宮を訪ねた。
昨今の外国人訪問客の急増ぶりは半端ではなく、この場所にも多くの外国人が居られました。
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