昨今、若いお城マニアの間でブームになっているという、「御城印」が広島城でも発行されました。
広島城三の丸からの天守、毛利氏によって築城された112万石の威容を誇っています。
2か月ほど前(令和2年7月初旬)のこと、天守前でガイドをしていた時、うら若き女性観光客から「広島城の御城印はどこでもらえますか?」と聞かれ、とっさに「天守2層の売店にあります」と答えたが、これが間違いで「日本百名城スタンプ」と勘違いして案内してしまいました。
喜々として入城していった女性は、ほどなく憮然とした表情で戻ってきて一言、「広島城では発行されていません」と言って、怒って帰ってしまいました。
ガイド失格です。柄にもなく手摺に片手をついて反省しました。
不勉強の極みでした。ガイドと称するならば「日々是研修」でなくては…
令和2年9月になって発行されたのが、この「御城印」です。
押印された家紋は、上から初代藩主:毛利氏の「一文字三つ星」、次いで2代藩主:福島氏の「沢潟」、一番下が3代藩主:浅野氏の「違い鷹の羽」紋です。
忠臣蔵で有名な赤穂浅野氏は、おなじ「違い鷹の羽」紋でも羽根の重なりが逆になっています。
もう一葉の御城印がこちら。今を時めくカープのマークがあしらわれて「鯉城」と記されています。
広島城の別名として、鯉城(りじょう)が知られています。何故鯉城といわれるのかは、はっきりしませんが、江戸時代末には頼聿庵(らい いつあん)が漢詩のなかで「鯉魚城」と記しています。
全国の城郭の別名に、鶴や亀などの縁起の良い動物が使用される例が多いことから、登竜門で知られる「鯉の城」と名付けたとも考えられます。明治20年代後半には「鯉城=広島城」は定着していたようです。
広島東洋カープの「カープ」は広島城が鯉城と呼ばれたことに由来しています。(御城印の説明から…)
オイラはなぜか、広島城ではこの角度から臨む多門櫓、太鼓櫓の光景が好き!
剪定された松の姿も秀逸だと思うが如何でしょう! 地表の整備状況がちょっと残念ですが…
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