伊予松山城を訪ねた。何回目だろう。都度新たな発見がある。
せり出した石垣の上に、ピッタリ隙間なく櫓が乗っかり、さらに石落としが外側に設置されている。
大手登城道も幅が狭く左側は崖、右側は石垣が迫り、堅い防御構造となっている。
観光客が歩きやすいよう現在は簡易舗装されているが、本来は不規則な階段道で移動を難しくしている。
天守間近まで到着したが、複雑な建物構造が攻撃側を惑わす。
ここでも門の先は行き止まり? 左は石垣、右は崖、攻撃側は進退窮まれり。
門は小振りで威圧感はなく、荒い加工の野物材が使われている。
連結・連格式とでも言うのか、建屋と建屋が連結されたり、間に廊下を配したり、塀で仕切って虎口を設けたり、複雑な縄張りとしている。
塀の支えも石柱が使われており、埋め込んだ部分が腐食する心配がない。
この辺りは新しく建てられただけあって、工夫されている。
全体的に装飾を省き質素な造りとなっているが、天守への入り口は唐破風様で前勾配が付いており、ちょっとおしゃれ。
現実問題として入り口に、雨だれが落ちるのを防いでいるのだろう。
櫓内の梁は、防虫効果のある楠木材が使用されている。
この部分材料は、綺麗に加工されているのが不思議。
勝山と言う低山に築かれた松山城の縄張り。
右上部斜めに細長い場所(白地の部分)が本丸、左下側の四角く仕切られた部分が二の丸。
松山城の御城印、梅鉢は久松氏、左巴は蒲生氏、蛇の目は加藤氏、葵は松平氏である。
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