土曜日も入れると、月曜日が祝日で、三連休でしたが、あいにく、台風がやってきました。「出不精の勝利」とでも言いたいところなのですが、昨今は家にいても安全とは言えないのです。
この時期は、台風がお出ましになることも多く、しかも上空が不安定ですから、家にいても突風か竜巻かにやられたり、集中豪雨で土砂崩れや鉄砲水や洪水にやられたりと、それは杞憂に過ぎぬと、笑って済ませることもできないのです。
列島を縦断した台風は、やって来る前から不安な思いを人々に抱かせました。ここ、行徳は強風が吹きはしたものの、他地域に比べれば、大雨が長時間降り続くということもなく、比較的穏やかに過ぎていってくれたのですが、刻々と放送される各地方の様子は、大変だ…。しかしながら、人々の、あの落ち着き様は何としたことでしょう。
「驚きました」。「ほんと、初めてです。あんなに怖かったの」。「困りましたね。ホントは、(外国の)○○に行くつもりだったのですが、飛行機が飛ばないの。帰らなくちゃ。でも、新幹線も動かないし」。言葉ではそうですが、表情を見る限り、どこかしら、もっと大変な人がいる…ことが心のどこかにあるような…。
「3.11」に遭ってから、日本人は「災害」に対して、どこかしら、鈍感になっているのかもしれません。いえ、鈍感になっているというよりも、もっと大きなものを経験してしまい、自分だけの悲しみに浸れなくなっているといった方がいいのかもしれません。
とはいえ、日本では、どこに住んでいても、自然の脅威から逃れられないのです。ここなら安心というところはないのです。これは、多分、地球上に住んでいる限り、どこの国であっても同じでしょうけれども(もちろん、災害が比較的少ない国もあります。けれども、どこにでも恐るべき人間が住んでいるわけですから、自然災害の代わりに、同じような「何か」があるでしょう。災害は怖ろしいけれども、日本は本当に安全な国だと、外国から来た人は言います。そして、この国からなかなか離れようとはしないのです。その言葉の裏は、彼らの国はそうではない…)。
日本は自然の脅威にいつも晒されている、だからこそ、人々は、穏やかで安全な社会を築こうと努力してきたのだと思います。雪国では、雪の対策を、台風のよく来るところでは台風対策を、土砂崩れや、鉄砲水の多いところではその対策を…。ただ、雪国に台風が来て豪雨をもたらすと、人は茫然自失してしまうのです(本来なら、それを想定すべきは、専門家といわれる人達であり、その中から喫緊のものを選んで対策を講じていくのが政治家といわれる人達なのでしょうけれども)。
日本のように災害が多い国では、緊急時に、皆が勝手なことをしてしまっては、助かる命も助からなくなってしまいます。勝手にするのではなく、皆が助け合わなければ生きていけない国土だから、協調性が尊ばれ、我慢が重んじられてきたのかもしれません。一人優れた人間が勝手をやって、それで生きてけるほど、この穏やかな国、日本の自然は、ヤワではないのです(だから、早め早めに、準備をし、それに向けた練習をしておかなければならないのでしょう。例の津波の時に助かった子供達は、ずっとその前から、学校でそれを教えられていました。だから、その通りに身体を動かすことができたのです。人は緊急時に平時と同じことが出来るとは限りません。まず、できないと考えた方がいいのです、だれでも)。
もちろん、そうであっても、穏やかな時間が長く続くと、人は直ぐに健忘症になって、呆けてしまいます。
日本人は、歴史的あるいは社会的に情報が必要だったという面もあるのでしょうけれども、それとともに、この自然の中で生き抜くための情報も必要だったのです。もっとも、昔は、この情報というのは、遺産としての情報、古老からの知恵が多くを占めていたのでしょうけれども。
その土地に聞く、これも、人がその土地から離れることの少なかった、昔、昔の物語ではなく、現実的で、しかも客観的なものとして、多くの人が共有できるものにしていかなければならないのでしょう。その土地で、三代、五代、十代続いた家が、もう稀になっているからには。
文化というものが、ドンドン拡がっていくような気がします。文化と呼ばれる範疇が拡がっていくのです。歴史もそうです。以前は非常に高踏的で凡人が近寄れないようなものにそういう名前がつけられていました。ところが、今では、ほんの片手間の遊びでさえ、これらの中に入ってしまうのです。文化を選択するというと、聞こえは悪いのですが、何でもかでもそう呼ぶのではなく、差異をつけていかなければ、人間は「文化」や「歴史」に殺されてしまうかもしれません。
本当に守らなければならないもの、本当に伝えていかなければならないものは何なのかを、考えていかなければならないのかもしれません。
日々是好日
この時期は、台風がお出ましになることも多く、しかも上空が不安定ですから、家にいても突風か竜巻かにやられたり、集中豪雨で土砂崩れや鉄砲水や洪水にやられたりと、それは杞憂に過ぎぬと、笑って済ませることもできないのです。
列島を縦断した台風は、やって来る前から不安な思いを人々に抱かせました。ここ、行徳は強風が吹きはしたものの、他地域に比べれば、大雨が長時間降り続くということもなく、比較的穏やかに過ぎていってくれたのですが、刻々と放送される各地方の様子は、大変だ…。しかしながら、人々の、あの落ち着き様は何としたことでしょう。
「驚きました」。「ほんと、初めてです。あんなに怖かったの」。「困りましたね。ホントは、(外国の)○○に行くつもりだったのですが、飛行機が飛ばないの。帰らなくちゃ。でも、新幹線も動かないし」。言葉ではそうですが、表情を見る限り、どこかしら、もっと大変な人がいる…ことが心のどこかにあるような…。
「3.11」に遭ってから、日本人は「災害」に対して、どこかしら、鈍感になっているのかもしれません。いえ、鈍感になっているというよりも、もっと大きなものを経験してしまい、自分だけの悲しみに浸れなくなっているといった方がいいのかもしれません。
とはいえ、日本では、どこに住んでいても、自然の脅威から逃れられないのです。ここなら安心というところはないのです。これは、多分、地球上に住んでいる限り、どこの国であっても同じでしょうけれども(もちろん、災害が比較的少ない国もあります。けれども、どこにでも恐るべき人間が住んでいるわけですから、自然災害の代わりに、同じような「何か」があるでしょう。災害は怖ろしいけれども、日本は本当に安全な国だと、外国から来た人は言います。そして、この国からなかなか離れようとはしないのです。その言葉の裏は、彼らの国はそうではない…)。
日本は自然の脅威にいつも晒されている、だからこそ、人々は、穏やかで安全な社会を築こうと努力してきたのだと思います。雪国では、雪の対策を、台風のよく来るところでは台風対策を、土砂崩れや、鉄砲水の多いところではその対策を…。ただ、雪国に台風が来て豪雨をもたらすと、人は茫然自失してしまうのです(本来なら、それを想定すべきは、専門家といわれる人達であり、その中から喫緊のものを選んで対策を講じていくのが政治家といわれる人達なのでしょうけれども)。
日本のように災害が多い国では、緊急時に、皆が勝手なことをしてしまっては、助かる命も助からなくなってしまいます。勝手にするのではなく、皆が助け合わなければ生きていけない国土だから、協調性が尊ばれ、我慢が重んじられてきたのかもしれません。一人優れた人間が勝手をやって、それで生きてけるほど、この穏やかな国、日本の自然は、ヤワではないのです(だから、早め早めに、準備をし、それに向けた練習をしておかなければならないのでしょう。例の津波の時に助かった子供達は、ずっとその前から、学校でそれを教えられていました。だから、その通りに身体を動かすことができたのです。人は緊急時に平時と同じことが出来るとは限りません。まず、できないと考えた方がいいのです、だれでも)。
もちろん、そうであっても、穏やかな時間が長く続くと、人は直ぐに健忘症になって、呆けてしまいます。
日本人は、歴史的あるいは社会的に情報が必要だったという面もあるのでしょうけれども、それとともに、この自然の中で生き抜くための情報も必要だったのです。もっとも、昔は、この情報というのは、遺産としての情報、古老からの知恵が多くを占めていたのでしょうけれども。
その土地に聞く、これも、人がその土地から離れることの少なかった、昔、昔の物語ではなく、現実的で、しかも客観的なものとして、多くの人が共有できるものにしていかなければならないのでしょう。その土地で、三代、五代、十代続いた家が、もう稀になっているからには。
文化というものが、ドンドン拡がっていくような気がします。文化と呼ばれる範疇が拡がっていくのです。歴史もそうです。以前は非常に高踏的で凡人が近寄れないようなものにそういう名前がつけられていました。ところが、今では、ほんの片手間の遊びでさえ、これらの中に入ってしまうのです。文化を選択するというと、聞こえは悪いのですが、何でもかでもそう呼ぶのではなく、差異をつけていかなければ、人間は「文化」や「歴史」に殺されてしまうかもしれません。
本当に守らなければならないもの、本当に伝えていかなければならないものは何なのかを、考えていかなければならないのかもしれません。
日々是好日